信じて頼る

出発

しばらく過ごした実家を後にして青森までの帰路に着いた。毎回のことだが家を出る前に部屋でしばらく祈りの時間を過ごす。この家を火事や泥棒色々な災いから守ってください、と祈り始めると次々と祈りの言葉が続く。そして最後に必ず、もう一度この家で両親と会わせてくださいと祈る。いつどのようになってもおかしくない状況なので実家を出る時は今生の別れを意識してしまうからだ。今朝早く姉も来てくれたので4人でオンライン礼拝をした。通い慣れた教会。自分が長年長老としてまた女性執事として奉仕してきた教会を見て両親は何を考えているのだろう。寂しさを感じているのだろうか。祖父母の代から通い続けた教会。東京から埼玉に引っ越しても電車で1時間半かかるこの教会に通い続けた。もっと近くに教会はあるのだがどうしても原宿まで行かないと気が済まない。もしかしたら両親はまたいつか原宿の教会に行けると思っているのだろうか。

委ねる

そんな両親を残してまた家を出てしまった。姉も一緒に出たので両親は一気に寂しくなったと思う。今日と明日は宅配弁当が来ないので色々な料理を作り置きしてきた。全部説明してメッセージメモも残してきたけどまた電話をしないとわかないだろうな、などと考え姉と今後のことを少しだけ話した。どこにいてもできる仕事を自分がしていれば解決の糸口は見つかるようにも思うのだが、生活費の他に教育費もこれから更に掛かるので大胆な冒険はできない。しかし神様の召しにはいつでも従いたいと思っている。何をどのようにしたら良いのか、日々祈りながら答えを待っている。全てを任せる、委ねること以外何もできないことを痛感させられる。

「だから、わたしたちは、あわれみを受け、また、恵みにあずかって時機を得た助けを受けるために、はばかることなく恵みの御座に近づこうではないか。」
ヘブル人への手紙 4:16 口語訳

父なる神とみ子の思い

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天の御国

バラ園

実家では普段両親ができないことをやっている。お風呂場などのカビをとったりそのほかの場所の掃除。そして結構長い時間をかけているのが食事と冷蔵庫の整理。冷蔵庫だけではない。色々なところに少し使いかけて放置されている食材などがある。賞味期限を見ては使えるものだけを選別して料理を作る。賞味期限が切れているものはもちろん捨てるのだが、母は認知症なのに冷蔵庫の中に入っているものや缶詰などを覚えていることがあるので捨てる時も何を捨てたかを覚えておく必要がある。また目立たないように紙袋に入れてガムテープで閉じて捨てる。賞味期限が切れているものでも自分が使う分には大丈夫なのではないかと思えるものもある。例えばお茶や海苔、お茶漬けなど。こういうのは自分が青森に持って帰ることにする。何れにしても必要なものは全部こちらで買ってあげたほうが良いと思いながらも、自由に色々なものを買って見たい気持ちも理解できるので何とも言えない。ただ、困るのがテレビやラジオの通販。少し良さそうなものがあると買ってしまう。が、最近はこういう年寄りを狙った商法なのか「定期縛り」が多い。初回のみ500円、などと安い値段で申し込ませるのだが内容は月々の定期購入になっていることが多い。こういうのどのように解約して良いのか分からないで困っているお年寄りも多いのではないだろうか。ある意味振り込め詐欺に似ている気がする。実は実家にもそういう商品がありそれらを解約するのも結構苦労する。現実を見ると悲しくなることばかりである。

実家に戻って毎日近所を買い物がてら散歩しているのだが毎日人が行列をつくっているところがある。最初はおしゃれなカフェなのかな、と思っていたが気になって今日は中まで入ってみた。そこは自宅の庭を無料で開放しているお宅だった。たくさんの種類のバラを育てておりそれを広い庭一面に綺麗に咲かせている。バラ以外の花もたくさんあり本当に綺麗なお庭だった。無料開放しているだけでなく、遠方から車で来る方のために近所の駐車場を借り上げて無料駐車場をいくつか提供している。自分は花のことを全く知らないが、綺麗な花に心を癒される経験は何度もある。名前もわからない花が心を癒し励ましてくれる。「自然と聖書は神の愛を証している」という言葉があるが本当にその通りだと思う。

新エルサレム

日常生活からの逃避でということではなく、希望の無いこの世界の延長線上に「新エルサレム」があることは大きな喜びである。地上のバラ園でも感動するのだから新エルサレムの美しさたるやどのようなものか想像もできない。早くそこに行きたい。そこに行けることが希望であり全てである。そこに行けばあれほど会いたかったイエス様に会える。もう決して涙を流すことも別れることもない。そして、かつての仲間がお子さんと再会する場面も見ることができるはずである。自分の祖父母にも久しぶりに会える。もう顔すら忘れてしまった5歳で亡くなった従兄弟にも会える。そのような日を夢見ながらこの安息日を過ごしたい。

イエスが弟子たちを訓練されたのは個人的な接触とまじわりによっ てであった。イエスは、ある時は山腹で彼らの中にすわって教え、ある 時は海辺で、ある時は彼らといっしょに道を歩きながら、彼らに神の国 の奥義を示された。イエスは今日人々がするように説教をなさらなかっ た。人々の心が天来のことばを受けようとして開かれているところでは どこでも、イエスは救いの道の真理をとき明かされた。イエスは弟子た ちにこれをしなさい、あれをしなさいと命令なさらず、「わたしに従って きなさい」と言われた(ルカ 9:59)。彼は民にどう教えるかを弟子た ちに見せるために、いなかや町を旅行される時には彼らをおつれになっ た。イエスは弟子たちと関心を1つにされたので、彼らは働きにおいて イエスと一体となった。
各時代の希望電子版 p136  婚礼の席で

われわれは、クリスチャンは暗い不幸な人たちだというまちがった印 象を世の人々に与えるべきではない。もしわれわれの目がイエスにしっ かりそそがれているならば、われわれは憐れみ深い救い主を見、そのみ 顔の光をとらえるのである。神のみたまに支配されているところにはど こでも平安が宿る。神に対する落ち着いた、聖なる信頼があるので、そ こにはまた喜びがある。
各時代の希望電子版 p137  婚礼の席で

The Holy City

 

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対話

訪問者

昨夜遅くに実家に着いた。先に寝ているようにいったが案の定両親は起きて待っていた。朝も早かったし仕事を終えてからの長距離移動で疲れもありできれば早く眠りたかったのだが色々と話したそうだったのでしばらく両親と話していた。相変わらず同じ話を何度も繰り返すことが多いのだが断片的な言葉から両親の日常生活を把握しようと努力する。また冷蔵庫をみると少し様子が分かるのでそちらも覗いて見た。苦労しながらも二人で色々な工夫をして生活している様子が見て取れる。姉夫婦や姪がかなりサポートをしているようで色々なところに覚え学のようなものが貼られていた。父と話している時に「お母さんの認知症もかなり進んでいるけど、毎日のように『今日は誰か来ないかな。子どもたちは来ないのかな』と言っているよ。自分の二人の姉が亡くなったこともよく理解できていないようだし最近は母親(自分にとっては祖母)の声が聞こえると言っているよ」と教えてくれた。今の所まだ自分の名前は覚えているが自分の家族については記憶が怪しくなっている。病状も良くない中で、誰かが訪ねてくることを心待ちにしているのがとても切なかった。自分が場所を選ばずにでいる仕事に就いていれば良いのだが現在はそうではないのでどうしても両親だけにしてしまうことが多い。自分は何もしていないのだが姉夫婦はかなりの頻度で両親を訪ねてくれ何かあればすぐに駆けつけてくれる。色々な人のお陰で、更に両親が病気を抱えながらも寝たきりにならないおかげで何とかなっているので感謝すべきことはたくさんある。

キリストへの道

父が、最近は聖書の他に「キリストへの道」を読んでいることを教えてくれた。偶然だが、自分も2週間ほど前まで毎日キリストへの道を読んでいた。読むと大切なところも素通りしてしまうのでノートに書き写していた。見開き1ページを読みながら書き写すと30分ぐらいかかる。とても薄くてすぐに読めるので全ての方にオススメしたい本である。この本を毎日読みながらお祈りをしていると神様がすぐそばにいてくださることを実感できるのだという。

問題は山積しているが、まだまだ両親から学ぶことはたくさんある。

「キリストへの道」の詳細はこちら

 

聖書研究ガイド2228

 

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帰省

目次
  1. 土地
  2. 帰省

土地

昨日、職場の方々から青森の観光名所を色々と教えていただいた。既に行ったことのある場所も多かったが、色々とコメントしてくださるので傾聴していた。その中に「恐山」がでてきた。勿論青森に来る前から恐山のことは知っていたが興味本位で行って良い場所ではない気がしているので行こうとは思わない。職場のある方は霊的な現象を経験したと言っていたのでやはりサタンの働く場所なのかもしれない。以前に行ったことのある「キリストの墓」も非常に不思議な場所であった。もう一度是非言って見たいと思うほどのところではなかったが独特の雰囲気を持つ場所だと思う。人には思い出の場所があり、その場所に行けば景色を見るたびにかつてそこにいた自分が再現される。また、一度も行ったことのない場所でも土地の持つ力みたいなものがあり、自分の心の波長と一致するととても懐かしい場所に感じ心癒されることがある。最初に沖縄に行ったのは今から33年前になる。沖縄本島だけの旅だったがとても強い印象をもって帰ってきた。異国情緒あふれる街並み、全く読めない地名、それでも人の優しさと花と音楽が心を癒してくれた。それから海に潜るようになり、沖縄の系列校で教鞭をとるようになった。
また人生で最も長く住んだ広島。ここも心の故郷である。最初に訪れた時に可愛らしい女の子が自分のことを「わし」と言ったことに軽いショックは受けたがその後住めば住むほど広島に惹かれていった。青森に住むようになってからも思い出すのは故郷でもなく、また沖縄でもなく広島である。いつか、自分にとって青森も忘れられない土地になるのだろうか。

帰省

実は今日、久しぶりに帰省する。母の状態が良くないので両親の様子を見に行く。今日もし最終電車に間に合えば今日から3泊できる。姉の話では更に認知症も進んでいるようなのでどのような展開になるかは想像できないが、もしかすると失明の危険もあるとのことなので目が見えるうちに会っておきたいと思っている。17時半終業なのだがいつも21時頃まで残って仕事をしている。が、今日は定時に上がらせてもらい何とか最終の新幹線に乗りたい。あと、何回両親の顔を見ることができるだろう。あと何回両親と喋れるだろう。そしてあと何回、両親と祈れるだろう。

しかし試みに攻められても、勇気を失ってはならない。困難な立場に おかれると、われわれは神のみたまが導いておられるのだろうかと疑う ことがたびたびある。だがサタンの試みを受けるためにイエスを荒野へ みちびいたのは神のみたまであった。神がわれわれを試みに会わせられ る時、神はわれわれの益のために達成すべきある目的を持っておられる。 イエスは神の約束につけあがって自分から試みの中にとびこんだり、あ るいは試みがやってきた時落胆してあきらめたりされなかった。われわ れもまたそうでなければならない。「神は真実である。あなたがたを耐え られないような試練に会わせることはないばかりか、試練と同時に、そ れに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである」。神はこう 言われる、「感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き者 に果せ。悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわ たしをあがめるであろう」(Iコリント 10:13、詩篇 50:14、 15)。
各時代の希望電子版 p108 勝利

【スーパードクターは2児の母】一刻を争う命の危険と向き合う女性救命医 「後輩たちの“道しるべ”になりたい」【関西医科大学付属病院、高度救命救急センター】

 

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田舎館

地元探訪

青森県民となって1年が経過した。いくつかの興味あるところには出かけたがまだまだ青森のことが分かっていない。そもそも津軽にいるためか三八上北、下北方面は殆ど行ったことがない。青森にいつまでいるかは神様しか分からないことであるがここにいるうちに少しは青森のことを理解できるようになりたい。それにしても毎日家と職場とイオンの3箇所だけを行ったり来たりしているだけなので地元のことすら良く分かっていない。近くに「前田屋敷」なるところがあるが恐らく昔の偉い方のお屋敷なのだと思う。「諏訪堂」というところにも大きなお屋敷がある。が、誰のお屋敷なのかは分からない。近所のことも何も分からないので先日少しだけ近くを散策した。

まずは「田舎館駅」。自分は「田舎館村(いなかだてむら)」在住なのだが、最初この住所を聞いた時に「住所に田舎ってつくところってどんなところだろう」と興味が湧いた。20年ほど前にさだまさしさんがラジオの深夜放送でリスナーの住んでいるところがどれだけ田舎なのかを競わせるコーナを設けていた。因みに田舎館村の役場があるところは「南津軽郡田舎館村畑中」という。さださんもどれだけ田舎なのか気になり当地を訪れコンサートを行ってくださったと言う。

実際に住んでみると、数年前まで住んでいた広島の山奥よりもはるかに都会である。そもそも田舎館村役場の庁舎が立派である。田舎館城を再現する作りで遠くからも目立つ建物である。また、弘前の中心地までは車で15分。家から5分も走らないうちに弘前市に入ってしまう。コンビニも多く弘前に行けば夜中までやっているお店もある。

その田舎館を走る鉄道が弘南鉄道である。以前は川部駅から黒石、そして弘前へと延びていたが現在は前田屋敷駅と川部駅がなくなってしまった。川部駅は現在五能線と奥羽本線の駅として機能している。数年前には三浦春馬さんも撮影で来られ駅前の旅館が休憩所になったそうだ。

弘南鉄道田舎館駅駅舎を入るとGOMAさんという平川市のアーティストが描かれたユニークな絵が出迎えてくれる。簡素な無人駅であるがライカQ2で撮影するのにはぴったりの雰囲気を醸している。因みに田舎館村は「田んぼアート」で有名な場所でもある。コロナの影響で自分はまだ見たことはないが2つの会場で数種類の稲を正確に植え付けることで出来上がる作品は全国から人を集めるほどの人気だという。今年は開催してほしい。

禅林街

田舎館村から国道102号線で走ること5分。弘前市に入る。どこにでもあるイオンは有名だがこちらにきてはじめて知ったチェーン店もある。うちの医院とも関係の深い「スーパーさとちょう」。同様にスーパーのチェーン店は多い。ユニバース、ITOKU、CUBセンター、メガドラッグ等々。そんなお店をみているうちにドン・キホーテが見えてくれば弘前第一の中心街。そして更に進むと第二の中心街。駅を中心としたヨーカドーやhiroroなどが並び人出も多くなる。

青森に来て間もなくの頃、ある患者さんを弘前中央病院にお送りするように言われた。カーナビがついてない車だったのでスマホのナビの力を借りることで無事に送り届けることができた。帰りになんとなく覚えているだろうと思ってナビをセットしないで走り始めると記憶にない場所に進んでしまった。気づけば左右がお寺ばかりの不思議な空間に迷い込んでしまった。結局、何とか抜けることができたがしばらくはあの時見たお寺の集合体は夢だったのか幻だったのか現実だったのかがよく分からなくなってしまった。が、そのうちにその場所が実在し「禅林街」と言うことを知った。田舎館駅の次は「禅林街」に決めた。

そもそも禅林街は弘前市西茂森にある史跡。弘前藩(通称津軽藩)2代目藩主の津軽信枚(のぶひら)が弘前城築城の際、種里から移築したことから始まった。この地の主な宗派となっていた曹洞宗の長勝寺を移築するのに伴い同じく曹洞宗のお寺32寺を長勝寺の参道に向かいあわせる形で配置した。長勝寺を含めて33寺あることから「禅林33ケ寺」の通称もある。そのお寺は次の通り。

藤先寺、月峰院、天津院、常源寺、恵林寺、永泉寺、盛雲院、正伝寺、川龍院、正光寺、安盛寺、宗徳寺、泉光院、京徳寺、海蔵寺、鳳松院、宝積院、照源寺、寿昌院、清安寺、勝岳院、長徳寺、嶺松院、蘭庭院、高徳院、宝泉院、陽光院、福寿院、万蔵寺、隣松寺、梅林寺、長勝寺、普門院

どこかの説明で弘前城と長勝寺が元々の計画では位置が逆だったという説を読んだ気がしたがあてにならない記憶である。

それぞれの土地と人には歴史がある。それを知ることはとても大切なことであるように思う。イスラエルの歴史を知ることも。

禅林街

 

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主は与えてくださる

物理のまとめ

毎晩夜中まで物理の解説書を書いている。決して本を出そうとしているわけではない。長男が「物理が分からない」と言うので簡単な解説書を作り始めたのだがとにかく集中してしまう。授業であれば簡単に説明できてしまうことも、文字だけで説明するとなるとかなり気を使う。図を入れないと説明できない。しかもエディターで分数を含む数式を入力するのは自分の持っている環境ではかなり面倒である。だからところどころ手書きにしている。読みにくい字で申し訳ないがそれしか思いつかなかった。文字だけで説明すると表現や言い回しを統一しないと読む人は混乱してしまう。解答もできるだけ丁寧に解説しないと分かりにくくて嫌になってしまうだろう。そんなことを考えていると一つの単元を解説するのに2日ぐらいかかってしまう。ところどころ受験のテクニックや計算しないで解を求める方法なども少しだけ説明していると、教員に戻った気分になる。それにしても本当に物理は楽しい。中間試験を目前に控えて困っている高校生に物理で何かのお手伝いができたらいいな、と本気で思う。そして一人でも多くの人に物理の楽しさを理解してもらいたい。

息子の解説書にも所々「これは計算しなくても出せるよ。神様が終端速度が初速度と同じになるようにこの地球を創ってくださったから」などと説明している。息子にも物理などの自然科学を通して更に神様を深く知ってほしい。

神様に会いたい

現代の人間には「聖書」を通して神様は語ってくださる。旧約時代、即ち聖書がまだ無かった時代に比べて何と恵まれていることだろう。しかし、直接神様から語りかけられていた時代を羨ましく思うことも多々ある。特に最近その気持ちが強くなっている。どのような形でも良いので直接語っていただけないか、を毎日お願いしているのだがなかなかそれが叶わない。ところが、今日その祈りが少しだけ聞かれた。これが神様からの語りかけかどうかは分からないが神様が一緒にいてくださった気がした。昨晩も前述の解説書で遅くなり1時に眠った。ところが3時過ぎに起きてしまった。夢の中でイエス様の存在を感じながら歌っていた。イエス様の姿も見えないのだが歌だけをずっと教えてくれていた。軽快なリズムで同じ節、同じ歌詞を繰り返していた。3時過ぎに起きた時には曲をはっきり記憶していた。その時すぐに枕元のスマホに向かって歌い録音しておけばよかったと後悔している。それからしばらくしてすっかり思い出せなくなってしまったのだ。ただ、歌詞は覚えている。「主は与えてくださる。全てを与えてくださる」という文章をなんども繰り返していた。その歌を教えてもらいながら自分がどんどん明るくなって喜びに満たされていった。夢の中ではあったが本当に楽しい時間だった。3時過ぎに起きたがその余韻が懐かしくすぐに聖書を読んだ。そして「もう一度今の夢の続きをみさせてください」と祈って眠ろうとしたが結局眠れなかった。そして東北の早い日の出を迎えてしまった。結局今日の睡眠2時間。眠いけど充実している。もう一度同じようなことが起きないかな。

あなたを迎えに来る神

 

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MISAWA

久しぶりの休日

先日、久しぶりに安息日以外の休みがもらえた。母の様子が思わしくなく、母を支える父も疲れ切っているので実家の様子を見に行きたいところだが今回は1日だけの休みなので来週帰省することにした。天気もあまり良くなかったので家にいても良かったのだが少し気分を変えたく外出した。午後からの外出なのであまり遠くにはいけない。雨も降りそうなので屋根があるところを考えていた。しばらく悩んだ末、以前から気になっていた三沢に行こうと思った。青森に来て奥入瀬までは行ったがそれより先の太平洋側に行ったことがなかった。特に異国情緒あふれる三沢には行きたいと思いながら行けずじまいになっていた。少し時間は掛かるが走行距離20万キロを超えたオンボロプリウスを走らせ三沢に向かった。太平洋側に県民は津軽人のようになまっていないと聞いたことがある。久しぶりに標準語が聞けるのか?途中から雨が降ってきたが県立航空科学館に着く頃には小雨になっていた。電車も好きだが飛行機も大好きな自分にとって天国のような場所だった。多くの飛行機を見学し青森が飛行機と切っても切り離せない場所であることを初めて知った。そういえば昔、小学生の頃だっただろうかミス・ビードル号の話を本で読んだ記憶がある。航空機を満喫した後、基地の町三沢に少しだけ立ち寄った。スカイプラザMISAWAは沖縄市の雰囲気がありとてもワクワクした。できれば一日中居たい土地である。

YS11

航空科学館では久しぶりにYS11を見ることができた。所沢の航空記念公園に行った時に全日空の機体だったと記憶しているがYS11が展示されているのを見た。高校の教員をしている時に、ある生徒の家庭訪問を頻繁にしている時期があった。彼の家は鹿児島。当時はまだ「九州新幹線」なる便利なものはなかった。陸路で行くにはかなり時間がかかる。なので現在の広島西飛行場から飛行機で鹿児島に飛んでいた。36人ぐらい乗れるSAABの機体だった。鹿児島空港に到着すると決まってとなりにYS11が駐機していた。引退の話があったのでいつかは乗りたいと思いながら結局実機に乗ることなくYSは引退してしまった。この時の後悔からボーイング747引退の情報を聞きつけてからは出張のたびに必ず747に乗るようにしていた。YS11は本当に素晴らしい飛行機だと思うし日本の技術の全てが凝縮されている気がする。こんな名機がなくなってしまうのはとても残念だが、航空科学館ではYS11の隣の部屋にHONDAのジェット機「ホンダジェット」が展示されていた。乗れる人数こそ少ないが非常に美しい機体である。その美しさを超える機能性が世界から高く評価されている。

世代の交代はやむを得ないことなのだろう。色々なことを考えさせられたMISAWAトリップであった。

三沢

 

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語りかける神

アブラハム

教会では現在共通のテキストを用いて「創世記」を学んでいる。6月末まで創世記を学ぶが今はその折り返し点付近を学んでいる。先週からアブラハムの生涯を通して多くの教訓を学んでいるが、個人的にはアブラハムの生涯の根底に「召命」→「自己放棄」→「服従」というプロセスが流れているように感じている。この「召命」の部分が「契約」であったり「約束」だったりするわけだがアブラハムは神様から語られたことに対して自分の考えや計画の一切を放棄して服従していく。そこに神様からの更なる信頼ありアドバンスコースへと導かれていく。

各自が聖書研究で学んだことを分かち合うことがあるが、今日ある方が「アブラハムのように直接神様からの召命を受けたことがないので、何が神様の期待していることなのかが分からない」と仰った。全く同感である。

聖書はとても長い時間をたった数行で表現することがあるので、あたかもアブラハムが何度も神様から声を掛けていただいている印象がある。が、決してそうではない。神様からの言葉が与えられてから10年以上音沙汰がない、のは普通のことであった。逆に神様からの直接的な語りかけや奇跡を通して日々神様を身近に感じられたのがイスラエル人がエジプトを脱出して荒野を40年間旅していた時期である。そして現在はそれらの記録が「聖書」という形で読めるようになっており、神様の語りかけを知ることができる。ここで問題になるのが前述の方のように聖書のどの言葉が自分に対する召なのかがわかりにくいと言う点である。アブラハムのように直接語りかけられればはっきり分かる。しかし聖書のことばを直接「自分の人生に適応して良いのか」と悩む。

あかし

今日の礼拝で、牧師先生に促されある方が「証(あかし)」された。イエス様に直接導かれた経験や祝福された出来事を話して聴衆と分かち合うことを「証」という。この方は、毎日の生活が神様に頼ることもなく聖書を読むこともなく乾ききっていることを自覚していた。何とかこれを変えたいと願っていたところ、ご主人が「リバイバルのために祈っていたが、神様がまず君の信仰生活を潤いあるものに変えられるよう祈りなさい、と言われた。今日から一緒に祈ろう」と言って来られたとのこと。自分の心の状態など分かるはずもないと思っていたが神様はちゃんと分かっていて最も適切な助けを与えてくださった、と仰っていた。ある時、日常の忙しさに疲れを覚えている彼女に対して小学生の息子さんが「嵐で漕ぎ悩んでいる船にイエス様が湖上を歩いて助けに来てくださった」話をしてくれた。そしてその日の聖書通読の箇所がまさにその場所(マタイのよる福音書14章)だった。そしてその後、入院しているご主人が電話をかけてきて、またこのマタイ14章の話をし始めた。「神様が君にこの話をするように言っている気がしたので」とのことだった。そしてこのご主人との電話の後「あなたはいったい誰を頼りにしているのか」と言われた気がしたという。

偶然、とも考えられる。しかし、神様は求める人、必要な人に色々な方法を通して語っておられることを証を通して教えていただいた。やはり生きている神様は今も個人的に語りかけてくださっていると思う。

どんなに乱暴な、見込みのない人でも、責むべき点もなければ、害を 与えることもない者となり、神の子たることをはっきりあらわすような 品性の持ち主になることができるという保証を示すことによって、イエ スは彼らのうちに望みを起そうとされた。イエスは、サタンの支配下に おし流されて、そのわなを破る力のない人たちをしばしばごらんになっ た。落胆したり、病気だったり、試みられたり、堕落したりなどしてい るこれらの人々に、イエスは最も憐れみ深いことばー 彼らが必要とし、 理解のできることばをお語りになるのだった。イエスはまた魂の敵とは げしい戦いをたたかっている者にも出会われた。これらの人々をイエス は耐え忍ぶように励まし、神の天使たちが彼らの側についていて勝利を 与えてくれるから、勝てるのだと保証された。このようにイエスから助 けられた人々は、ここに自分たちが絶対の信頼をもってよりたのむこと のできるお方がいられることを確信した。彼らが同情をもって聞いてく ださるイエスの耳に入れた秘密をイエスはほかへもらそうとされなかった。
各時代の希望電子版 p72. 戦いの日々

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イエス様を想う

十字架の予表

そこでイエスは、剣が彼女の魂をさ し通した時に彼女がそれに耐えられるように強くするため、彼女にご自 分の使命を理解させたいと望まれた。イエスが母から離れ、彼女が悲し みながら3日間イエスをさがしたように、イエスが世の罪のためにささ げられる時、彼女はもう1度3日間イエスを失うのである。そしてイエ スが墓から出てこられる時、彼女の悲しみはふたたび喜びに変るのであ る。だがイエスがいま彼女の思いを向けさせようとしておられた聖句を 彼女が理解していたら、彼女は、イエスの死についての苦しみにどんな にか強く耐えることができたであろう。
各時代の希望電子版 p61 過越のおまいり

イエス様を瞑想すること

われわれは、キリストの一生について毎日瞑想する時間を持つがよい。 イエスの一生の要点を1つ1つとらえ、各場面ことに最後の場面を想像 のうちにとらえるべきである。このようにして、われわれのために払わ れたイエスの大犠牲を心に思いめぐらす時、キリストに対するわれわれ の信頼はもっと堅固になり、われわれの愛は目覚めさせられ、われわれ はもっと深くキリストの精神を吹きこまれる。もし最後に救われたけれ ば、われわれは十字架のもとで悔い改め、心がくだかれることについて 教訓を学ばねばならない。
各時代の希望電子版 p62. 過越のおまいり

聖書研究ガイド2227

 

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架け橋

ディメンション

ついこの前高校に入学したばかりの長男が間も無く中間試験週を迎える。高校受験の蓄えで最初こそゆとりがあったようだが中間試験を前にかなり勉強が難しくなっているとのこと。物理と数学に苦手意識を持っており少し心配だと言う。余計なことはしないようにしているが、本人からの依頼で少し物理と数学を教えることになった。zoomで解説しようと思っているが、空き時間にも勉強できるようにと参考となる解説書を書いている。物理の教師なら必ず強調しているであろうポイントがある。その部分が何故大事なのか、それがどのような意味を持っているのかをできるだけ数式を使わないで読める解説書を目指している。例えば「等速直線運動」。何故「直線」という言葉が含まれるのかを説明するために「速度」と「速さ」の違いを知る必要がある。中学生の頃は何となく概念的なことを教えられるけど正式に学ぶのは高校生になって初めてとなる「ベクトル」。小学生から中学3年生までに扱ってきた量のほぼ全部が「スカラー量」でありそれに相当するのが「速さ」、そしてベクトル量で表現するのが「速度」であることを丁寧に理解しておく必要がある。だから等速直線運動の「等速」は「等しい速さ」を意味しており、その運動が方向も変化しないので「直線運動」になる。同じことを表現する言葉に「等速度運動」がある。この場合は文字通り「速度」即ち方向も等しいので「直線」という言葉をつけない。どうでも良さそうなことであるが、この理解が曖昧だと「等速円運動」など直線的でない運動を扱う際に混乱してしまう。

物理の世界に「すごいな!」と思うことが沢山ある。組立単位という考え方もそのひとつである。色々な量を扱うときに「単位」を用いるが物理では極力新しい単位を使わずに既存の単位を組み立てて用いる。例えば速度、或いは速さの単位。移動した距離を時間で割れば速度、速さが算出できる。[距離]÷[時間]という式から求められるから単位も[m]÷[s]となり速度、速さの単位を[m/s]とする。なので公式を忘れてしまっても単位を見れば公式を導き出せる。

少し意味合いが違うが、車のカタログを見ていると性能を「エンジンの出力」で表現することがある。単位を「馬力」とすることもあるが「W(ワット)」とすることもある。電気の分野でよく用いられる単位である「W」が何故車の出力に用いられるのか?と思ってしまうが、ワットはもともと「仕事率」に用いられる単位である。若干正確ではないが「1秒あたりの仕事」を仕事率という。この「仕事」が「エネルギー」と同じディメンションに存在する。

ディメンションのリンク

「力」と「エネルギー」はディメンションが違うので足したり引いたりすることはできない。一方前述の通り「仕事」と「エネルギー」はディメンションが同じなので単位さえ揃えば足したり引いたりできる。ディメンションが違うと全く別物になってしまう。例えば円の面積と円周は違う。なので円周と面積を足したり引いたりできない。が円周から面積、逆に面積から円周を求めることはできる。ここで登場するのが「微分」と「積分」である。この微分と積分を発見した人は人類にどれだけ大きな貢献をしたかわからない。発想自体は古代からあったようだがこの分野で大きく貢献した一人が敬虔なクリスチャンとしても有名で聖書の預言を計算で解釈したアイザック・ニュートンである。半径rの円について円周は2πrとなるが面積はrについて積分したπr^2となる。
異なるディメンションが架け橋によってリンクされることはとても感動的である。

キリスト教の世界にもそのような考えがある。罪の世界と天上の清い世界。異なるふたつの世界をイエスキリストという方が架け橋となって両者の関係性を構築してくださった。

10さてヤコブはベエルシバを立って、ハランへ向かったが、 11一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。 12時に彼は夢をみた。一つのはしごが地の上に立っていて、その頂は天に達し、神の使たちがそれを上り下りしているのを見た。 13そして主は彼のそばに立って言われた、「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。あなたが伏している地を、あなたと子孫とに与えよう。 14あなたの子孫は地のちりのように多くなって、西、東、北、南にひろがり、地の諸族はあなたと子孫とによって祝福をうけるであろう。 15わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語った事を行うであろう」。 16ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」。 17そして彼は恐れて言った、「これはなんという恐るべき所だろう。これは神の家である。これは天の門だ」。18ヤコブは朝はやく起きて、まくらとしていた石を取り、それを立てて柱とし、その頂に油を注いで、 19その所の名をベテルと名づけた。その町の名は初めはルズといった。
創世記28:10-19

2018-9-29「担われる人生」稲田 勤牧師

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