羽田空港

ラウンジにて

久しぶりに羽田空港のラウンジに来ている。飛行機に乗るのは1年ぶり。ここ3年、飛行機に乗る機会が殆どなくなった。1年前、長男の卒業式に参加するために青森→羽田、羽田→広島便を利用した。それ以来である。飛行機になる機会は殆どなくなったがこの2年は東北新幹線はやぶさに乗る機会が増えた。人がどこかに出発するターミナル駅、空港には独特の雰囲気があるように感じている。これから向かう先に待っているもの、人、そしてここに残して行く人や思い出、思いなどが凝縮されているように感じる。

実家を出るまで

今朝もいつも通り5時に起きて色々な準備を始めた。いつもの時間に父が起きてこなかったのでかなり心配になった。部屋に行けば良いのだが、寝ているのを起こしてはいけないと思っている。が、本当はもしも寝ながら父の心臓が・・・と思うと怖くて覗けない。普段より30分遅く起きてきた父に朝食を食べさせ昼食と夕食の準備をした。また洗濯や掃除などを済ませた。一応実家を出る1時間前に全ての予定していたことの全てを終え、一応父に聞いてみた。「少し時間があるけど、散歩に行く?」と。父は何より散歩を楽しみにしているので二つ返事で行くと言う。昨日は遠くまで歩いて疲れていると思うので今日はいつも通りの1kmコースにした。散歩も終え、夕方姉夫婦が迎えに来るまで一人でどのように過ごすのかをもう一度メモを読みながら二人で確認した。

あの場所

家を出る時、不安がる父と一緒にもう一度お祈りした。家の窓から駅に向かう自分を見送りずっと手を振っていた。父とはあと何回会えるのだろう、父と次に散歩できるのはいつだろう、そんなことをなるべく考えないようにして鼻の奥がツーンとする感覚を我慢して「神様、お父さんを守ってください」と何度もなんども祈りながら駅に向かった。最寄り駅まではおよそ3分。

この駅から実家を離れる自分を両親はいつも見送ってくれた。ホームの脇にいつも二人で立って電車に乗っている自分に手を振りながら見えなくなるまで送ってくれた。でももうそこに母の姿は無いし、今日は父にも送らないでと言っていたので誰もいない。

これから

もう直ぐ搭乗口に向かう。沖縄に向かう。一昨日から長男の体調がすぐれず、今日は朝から病院に行っている。インフルエンザではなかったようだがPCR検査の結果は月曜日に分かるようだ。沖縄にはおよそ1年ぶりに会う家族がいる。長男とは昨年夏にあっているが妻と次男に会うの半年ぶり。楽しみである。が、実家で一人寂しく姉夫婦の迎えを待つ父を思うとあまりハッピーな気持ちにはなれない。母が亡くなってから「寂しい」を連呼する父。この地上は仮の住まいであり自分たち信仰者は旅人であり寄留者であることを痛感する。早く、本当の故郷に帰りたい。

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色々な人生

昨日に引き続き今日も違う場所の桜を見に行った。父に「少し遠いけれど歩ける?」と聞いたが大丈夫だというので少し遠くの川沿いを歩くことにした。

満開を少し過ぎている気もするが十分に見応えのあるソメイヨシノ。本当に美しいと思う。川沿いに桜を植えるのは日本人の文化なのだろうか。海外のことが分からないので何となく日本の文化なのかもしれないと勝手に思っている。父も満開の桜に大喜びであった。93歳の誕生日、何もしてあげられず申し訳ないと思いながらも桜に感動してくれる父に感謝。

干支

川沿いは公園になっていて所々にベンチや遊具、釣りのスペースなどが設置されている。時々ベンチに座って休みながら散歩をしていた。ここら辺でもう一度休憩しようとベンチを探したがあいにく空いていなかった。が、座っている人はいたが東屋に少し広めのベンチがあったのでそちらに行ってみた。二人のおばあさんが歓談中であった。そばまで行くと二人が「こっちに座りな」と場所をあけてくれた。父と二人で腰をおろした途端におばあさんたちから色々なことを聞かれた。どこからきたのか、一緒にいるのは息子なのか、奥さんはいないのか等々。

父は言いにくそうに1月に連れ合いを亡くしたと言っていた。父より5歳年下のおばあさんと7歳年下のおばあさんの二人組だった。話好きでひたすら喋りかけてきた。元気そうに見えてもやはり認知傾向はあるようで「何年生まれだ?」と2分おきぐらいに聞いてきた。両親の世代に人は皆同じだが何故か昭和一桁の人は生まれた年を干支で言い直す。横で聴きながら面白いな、と感心していた。

色々な人生

88歳のおばあさんが、自分のことを色々と話してくれた。生まれた場所や嫁いだところ、3年前にご主人に先立たれ今は娘夫婦にお世話になっていること。少し前にコンロの火をつけっぱなしにしてしまいそれ以降台所に立たせてもらえなくなったこと、等々。その中で、丁度1年前に息子さんを亡くされたことを話してくれた。昭和33年生まれというから自分より5歳年上。生きていれば65歳になる息子さん。何が原因かは分からないが昨年3月に亡くなったという。それまで息子さん夫婦にお世話になっていたようだが、それ以降娘さんのところでお世話になっているようだ。自分の方が先に逝くはずだったのに何故息子が、と涙ぐんでいらっしゃった。

当たり前のことではあるが、皆さん色々な経験の中で悩み苦しんでいらっしゃる。この方の生活背景は全く分からないが、神様を知らない方はどうやって苦しみに向き合っているのだろう。心の痛みや苦しみをどこに持っていくのだろう。

こういう方と接する度に、自分がイエス様を宣べ伝えていないことに大きな責任と罪悪感を感じる。

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あの時と同じ

暫く

青森を出て5日目。3月24日に実家に戻り26日に納骨を済ませてから父と一緒にいる。久しぶりの我が家に長期滞在できる父もかなりリラックスしている様子で安心した。自分一人なら適当な生活になり食事も不規則になるところだが、父の食事時間は決まっている。食べてくれることがこれ以上ない喜びである。毎食準備しながら感謝している。食事の時間や、欠かさず行う散歩道で父と交わす会話が貴重な時間になっている。いつまでこういう生活ができるのか分からない。本来は自分が実家に戻り父と一緒に生活すべきところなのに申し訳ない気持ちでいっぱいである。

今回は久しぶりに父と長期間一緒に居られるのでお互い安堵しているところである。

誕生日

父は3月30日、つまり明日が誕生日である。今回で93歳になる。明日の誕生日をみんなでお祝いして翌日自分は沖縄に出発する予定にしていたが、姉夫妻の都合がつかず昨日誕生日会をした。父もとても喜んでいた。姉夫妻はその後暫くして帰って行ったが、帰り際に「交通費にしなさい」と言って姉がお金を渡してきた。受け取れないと何度も断ったが最後は叱られながら受け取ることになった。

丁度2年前、同じ光景が展開されたのを思い出した。その時は両親と姉、そして自分の3人だったが父に「お母さんがこれを持っていくように言っているからしまっておきなさい」と再就職のお祝いを渡された。別のタイミングで姉からも就職祝いを渡された。この歳になって就職祝いをもらう自分が不甲斐なくてとても複雑な気持ちになった。が、同時に家族に支えられていることを痛感した。そして昨日また姉からお金を渡された。また別口で「お母さんも生きていればきっと同じことをしたと思うので」と言ってお母さんの遺したお金からも手渡してくれた。2年前と全く同じだ、と思った。違うのは母がいないこと。僅か2年、されどメンバーが減る2年。

青森を出る時はまだ桜には早い時期だった。東京に着いた日は気温も高く桜も見頃を過ぎているように感じた。このまま今年は桜を見ることができないかと思っていたが週末、週明けの寒さで桜の花が少しもってくれた。千鳥ヶ淵に、とも思ったが父は行けそうになかったので近くの川沿いで花見をした。

つい先日まで居たところなのに、弘前城の桜がひどく懐かしくてたまらない。

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再会

予定変更

3月25日(土)、姉から電話があった。翌日の納骨式に関することだと思い話を聞いて見ると予想外の展開に。「納骨式を司式してくださる牧師先生が急遽風邪で参加できなくなったのであなたが代わりにやりなさい」とのことだった。代わりにって、納骨式なんて参列したことも無いのでイメージが全くない。それでも姉の命令なので従うしかない。とりあえず、歌う讃美歌を用意した。楽譜を用意することもそうだが伴奏がないのでLogicに打ち込んだ。いつもはMIDI鍵盤で快適に入力できるのだが残念ながら手元に鍵盤がない。幸いコンピュータはあったので一音一音手入力で打ち込み3曲ほど伴奏をつくった。そして式次第。プリンターがあれば何でもない作業だが残念ながらそれもないのでコンビニのプリンターを使って10名分の式次第を作った。あとは納骨に際してのショートメッセージ。身内ばかりなので余計に緊張する。しかも当日は大雨予報なので超ショートでまとめなくてはならない。「お母さん、力を貸してくれ」と言いたいところだった。

メッセージ

「昨日、納骨に際しショートメッセージを考えていたところリビングのテーブルにラミネイトされた聖書の言葉が出てきました。懐かしいお母さんの字です。ヘブル人への手紙の言葉が書かれていました。『それだから、キリストは新しい契約の仲保者なのである。それは、彼が初めの契約のもとで犯した罪過をあがなうために死なれた結果、召された者たちが、約束された永遠の国を受け継ぐためにほかならない。』はじめ、暗唱聖句かと思いましたが今朝同じものを桐のタンスからもう一枚発見しました。字の形から倒れるほんの少し前に書いたものだと思われます。色々なことが分からなくなる状況の中で必死にイエス様が自分を救ってくださることと天国に連れて行ってくださることを書き留め心に刻んでいたのだと思います。認知症を自覚しながらも最後まで絶対にイエス様を忘れないように戦い続けたお母さんの貴重な足跡だと思いました。お父さんを家長として、お母さんの信仰を真似て、お母さんに恥じない信仰生活を全うする決心を今お母さんの墓前でしましょう。」

母の納骨の時だけ特に大雨になってしまい傘をさしてもずぶ濡れになるような状態だったので全てを短縮短縮で行なった。開式の祈りを弟が、終祷を父がしてくれ最後に献花をして納骨式を終えた。

富士霊園

富士山にほど近い富士霊園に「セブンスデー・アドベンチスト 東京中央教会」の墓地がある。今回母が納骨されたのはこのお墓である。とにかく広くて園内に入ってから何度も迷った。宗派ごとに区画が分かれており、同じ区画では殆ど同じようなお墓のデザインで統一感があった。プロテスタントも教派ごとになっており、更にお墓の多さに驚いた。全景を見渡すことはできない。区画の間には山や丘もあり数えきれない程のお墓があった。今までこれほど大きな霊園に行ったことがないのでとにかく驚いた。そして、再臨のことを想像していた。この富士霊園から復活する人がどれほど多いことか、考えただけでワクワクする。

再会

今回納骨されたお墓だが、一番最初に記名されているのが自分の従兄弟である。3歳で発病した白血病のため4歳で亡くなった。次が自分の祖父。亡くなったのは従兄弟より前だが、祖父が亡くなった時にはまだこの共同墓地が無かったので一度都内のお墓に入っていた。その後富士霊園に共同墓地ができたのでこちらに移ってきた。3番目が自分の祖母。4番目がトップバッターである従兄弟のおばあちゃん。懐かしい教会員の方々の名前を発見し、まるで天国で再会したような気分になった。同級生や友人のご両親の名前も見つけ不謹慎なのかもしれないがとても嬉しい気持ちになった。

イエス様のご再臨がより現実のことに思える納骨式だった。

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ALFA-X

いよいよ

昨日は津軽を離れる最後なので思い出の温泉に行った。青森生活を快適にしていたもののひとつに温泉がある。とにかくたくさんの温泉がある。自分が気に入って何度も通った温泉はおよそ20ヶ所。その中でも特に通い続けた温泉が6ヶ所ある。その中のひとつに昨日行ってみた。職場では安息日の他に金曜日に休みをいただくことが多かったため、木曜日の晩は少し離れた温泉に行っていた。温泉を出てからドン・キホーテで少しの食品を買うのが楽しみだった。健康に良くないと分かっていながら時々ドン・キホーテの隣にあるMcDonaldで食事をすることもあった。

自分にとって温泉は身体を癒す場所であり祈りの空間でもあった。振り返ってみると、神様はその小さな祈りの全てに応えてくださっていたことが分かる。しばらくは温泉で祈ることもできなくなるが今度は海で祈ることになるのかもしれない。

ALFA-X

沖縄に荷出ししたが、出発日が迫るうちに手荷物が多いことに気づいた。色々なところから持ち出さないといけない荷物が出てきて結局大型の荷物3個になってしまった。これでは新幹線に乗る時に苦労するだろうと心配になったが、神様はそれもご存知で全てうまくいくように計画してくださった。新青森に着いてすぐに乗れる新幹線ははやぶさ28号。しかしこの新幹線は殆ど空席がない。空席が少ないということは網棚が使える可能性も低い。ところが、調べてみるとはやぶさ28号の後に17分遅れではやぶさ30号という臨時列車がある。新青森始発で前後の新幹線に比べると空席も多い。お陰様でこれに乗ることで荷物の問題を解決していただくことができた。しかも、新青森149分発の少し前に隣のホームに次世代新幹線としてJR東日本が開発しているE956系が入線してきた。デビューまでこの新幹線を見ることは無いだろうと思っていただけに本当に嬉しかった。試運転のALFA-Xが見送りに駆けつけてくれたようにも感じ感激であった。

朝方、教団前総理が心配して連絡してくださったが不透明な前途ではあるがこれまでと同様神様が必ず道を用意してくださっているので平安な気持ちで青森を出発することを伝えた。

人間的に見れば、失業して再就職の見通しも立たず不安材料ばかりであるが神様は何かを用意しておられることを信じている。生まれて大学卒業後はじめての失業生活ではあるが、しっかりと神様に向き合い堅固な関係を築いていきたい。

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通い慣れた道

2年

津軽生活、僅か2年。今まで短期間で引っ越した場所がいくつかある。茨城県の中学校にいたのはたったの1年。沖縄の中学校に2年。広島市内に1年、そしてここ津軽も2年。大学を卒業してから、この6年以外はすべて広島の山奥で生活していた。通算で34年間を過ごしていたことになるが、しかし人生を振り返ったときに感じるのは「短期間生活していた場所でイエス様に出会っている」ということである。真剣に祈り、イエス様だけを求める生活をしたのが茨城県の北浦であり沖縄県の名護市であった。また広島市内の宇品ではどん底とそこから引き上げてくださるイエス様に向き合った。今回の津軽は壮絶な時期を過ごしていたがイエス様が毎日祈りに経験を得ていた。今も神様の言葉が生きていること、聖書の言葉は読むものではなく用いるものであることを体験として学べたのが2年間の津軽生活である。明日、ひとまずここを出る。1週間ほど東京で母の納骨や父を実家でひきとるなどの用事を済ませ、その後沖縄に行く。荷物の一部と車を津軽に置いていくので近い将来またここに来ることになる。どのような形で再度津軽の地を踏むようになるかは分からないが、今まで通り神様がすべての計画を準備しておられるのでそれに従いたいと思う。

通い慣れた道

雪が降ると極力運転を控えるようにしていた。朝の通勤は基本的に徒歩。1kmもない職場までの道は祈りの余韻を味わうように神様との対話にちょうど良い時間であり空間であった。前後から来る車に注意しながら心配と不安を神様に述べる。踏切を渡ってしばらく行くと川部駅。そこを右に曲がると駅前のメインストリート。メインストリートと言っても居酒屋さんと食堂があるくらいだ。しかし進んでいくと徐々に雄大な姿を表す岩木山が正面に見える。

「お前は何について悩み、くよくよしているのか。この山は誰がつくったのか?」

岩木山を見るたびに神様からの叱咤激励をいただいていた。岩木山を通して存在を示してくださった神様は、沖縄ではどのような方法でそのご存在を示してくださるのだろう。通い慣れた道が懐かしくてたまらなくなった。

1860年に、出版事業の組織と共に、名称が選ばれた。「神の教会」 が適当だという人々もあったが、教会の独特の教えを反映した名称がよ いという意見が圧倒的であった。彼らは、「セブンスデー・アドベンチス ト」という名称を採用した。その翌年に、いくつかの信徒の団体が教会 に組織されて、ミシガン州の諸教会が、州年会を組織した。間もなくい くつかの州年会ができた。そして、1863年5月に、セブンスデー・ アドベンチスト世界総会が組織された。これは、『初代文集』の時代から は5年後のことである。

初代文集電子版p28

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19年

荷出し

朝からやるべきことに追われていた。昨日が休日だったので色々な手続きが滞っていた。転出や各所への移転手続き、また荷物の発送など。引越しの業者さんにお願いできるほど経済的に恵まれているわけではないので荷造りしてはゆうパックで発送する日々を送っていた。リチウムイオン電池等の送り方もおぼえた。ゆうパックは3辺の合計が170cm以内にしないといけないので大型の荷物はダンボールを測りながら加工した。基本的には25kgまでにおさめないといけないが、超過すると「重量ゆうパック」という扱いで高額にはなるが対応してもらえる。沖縄便だとゆうパックが断然安い。一通りの荷出しが終わったので明日は掃除とタイヤ交換等まだ残っている作業をしないといけない。3週間ほど前に車検をお願いしたが、まだ車検証が戻ってこない。他府県ナンバーだから時間が掛かるのだろう。手続きや荷出しなどでうまくいかないことが必ず毎日起こるので本当に祈りながらやっている。

再会

先日も投稿したが、かつての教え子が現在牧師先生になっている。先日、久しぶりに会ったが今日は改めてご家族で会いに来てくれた。楽しい会話に花が咲きついつい話し込んでしまった。沖縄に住むなら勝連(現在のうるま市)と昔から決めているのだが、彼の奥様の実家が勝連ということで意気投合し沖縄ネタで盛り上がった。

自分がもしも高校生に戻れるなら、牧師先生を目指してみたいと彼を見ながら思った。「教育と救霊は究極的な意味において同じである」という言葉がある本に書かれていたが、教育も素晴らしいが牧師先生の働きも素晴らしいと思う。自分にはできないことだが、多くの卒業生が牧師として献身している。彼らのために祈ること、本気で祈ることを心に誓う再会となった。

WBC

苦しみながらも米国との決勝戦に勝利し14年ぶりの優勝を果たした日本代表。カープのリーグ優勝の時以来の感動を味わった。本当に素晴らしい試合だった。不調に悩む村上選手が昨日、そして今日と活躍でき本当に嬉しかった。生きていれば色々な局面を迎えるが悩みながらも必死に頑張ってきたであろうそれぞれの選手を思うと胸が熱くなった。

色々な局面を通過して19年。今日は19回目の結婚記念日だった。今回は今までの感謝の気持ちを表すべく大きなプレゼントを用意しているが、渡すのは沖縄で妻と再会してからにする。今日は目録として19年間の歩みをフォトブックにして印刷屋さんから妻に送ってもらった。自分のような人間に19年も忍耐してくれて本当にありがたいと思っている。イエス様にいたってはほぼ60年、忍耐し続けてくださっている。妻には少しだけお返しができるけどイエス様にはどうやったら良いのだろうか。分からないけど、心から感謝している。

試練と迫害を通して神の栄光― 神のご品性― が、その選民の中に あらわされる。世人に憎まれ迫害されるキリストの信者たちは、キリス トの学校で教育され訓練される。地上にあっては、狭い道を歩き、苦難 の炉で精錬される。彼らはきびしい戦いを通ってキリストに従い、克己 に耐え、苦い失望を経験する。しかし、このようにして彼らは罪の罪深 さと苦悩を知り、嫌悪の思いをもって罪を見るようになる。キリストの 苦難に共にあずかるとき、彼らは暗黒のかなたに栄光を仰ぎ、「わたしは 思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄 光に比べると、言うに足りない」と、言うことができるのである(ロー マ 8:18)。

患難から栄光へ電子版p444 パトモス島に流される

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イチジク桑の木

父の教会

姉から連絡があった。姉からの連絡はあまり良い知らせでないことが多い。家に戻ってみると父がいないとのことだった。姉夫婦は共に働いており日中は父が一人で姉夫婦の家で留守番をしている。週に3回、デイサービスを利用しているがそれ以外の日は庭を掃除したり近くの公園まで散歩に出かけ、あとは家の中で過ごしている。姉夫婦が家に戻って父がいない、などということは今まで一度もなかった。慎重派なので道に迷う経験を何度もしてから近くの公園以外には決して出かけなくなった。なのに、昨日は父が家におらず姉夫婦もかなり焦ったらしい。車で探しに出かけるもなかなか見つからず、自分に連絡してきた。しばらくしてから、荻窪の駅前でウロウロしている父を発見できたと再度連絡があった。

先日、父は何十年も通い慣れた原宿にある教会に数年ぶりに行った。姉たちが車で連れて行ってくれた。普段は天沼(荻窪)の教会に行っているが、母の逝去後挨拶にも行っていないので姉夫婦が父を連れて行ってくれた。久しぶりに会う顔が懐かしかったようでとても喜んでいたという。そこで、父はこれから姉たちの力を借りないで、毎週安息日に原宿の教会に行ってみようと思いたった。姉の家から荻窪駅まで徒歩だと15分ぐらいかかる。父ならその倍はかかる。しかも歩き切れるか怪しい。実はこの日、自力で歩けるかを試してみたようだ。人に道を聞きながら荻窪駅を目指して歩いていた父を思うと胸がつまる。母がいなくなり、本当に寂しくなってしまった父だが教会だけが唯一の支えになっているようだ。

イチジク桑の木

新約聖書、ルカによる福音書に「ザアカイ」という取税人が出てくる。ユダヤを支配していたローマに媚を売り入札制で取税の職を得ていたが、主に取り立てていたのは通行税。どうやら、ある一定金額をローマに支払う義務さえ果たせばそれ以上の金額についてはいくら儲けようが取税人に自由に任されていたようだ。ユダヤ人でありながら同胞から搾取してローマにお金を流し、便乗して自分の懐にもお金を入れる不届きものと散々嫌われていたこの取税人。まともなユダヤ人からは相手にされないので、同業者や遊女などユダヤ社会から排除されるような人とばかり関わっていた。そんな背景のあるザアカイも、往来の人々が噂しているイエス様について何となく聞いており興味を持っていた。満たされない心に反比例して増える富。無性に空虚な気持ちに支配されいつかイエスキリストなる人物に会ってみたいと思っていた。そんな矢先、ザアカイの近くにイエス様ご一行が現れた。背の低いザアカイはひとめイエス様を見たいと思ったが人々に視界が遮られイエス様をみることができなかった。ふとみると、一本のイチジク桑の木があった。イエスキリストなる人物と出会う唯一の手段であるイチジク桑の木に登ってみた。そして、イチジク桑の木でイエス様と出会う経験をした。ザアカイの人生はその時から全く変わってしまった。

人生のイチジク桑

ある教会で信徒による証の講演会がありその様子がYouTubeに紹介されていた。聴きながら、その迫力に圧倒され何度も再生をとめて涙を拭いた。ある方の証の中で、「自分にとってのイチジク桑の木はあのスキーでの怪我だ」おっしゃっていた。神様が先回りして全てを用意しておられる様子を伺い心の底から感動した。

イエス様は確かに今も生きて働いてくださっている。本当にありがたい。自分のイチジク桑の木を考えてみた。1本じゃない気がする。

【証5*小川勝一さん ~ わたしと神様との出会い】

 

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ヨハネ

聖書の登場人物

聖書を読んでいるとそこに登場する人物にひきつけられることがよくある。ヨブ記を読んで大きな励ましを受けるがヨブという人物に対して共感に似た感情は起こらない。何故ならヨブは「全き人」だったからだ。全き人は自分とは違う、という先入観がある。逆に罪の縁で孤独を味わい悩んでいた取税人ザアカイには同じ匂いを感じる。また、恐怖に苛まれ苦悩を味わったヤコブやエリヤに共感をおぼえる。登場人物に自分の感情や状況を重ねて読むと聖書が非常に立体的かつ現実的に浮かび上がってくる。

ヨハネ

12弟子の中で最も若く、唯一殉教ではなく寿命を全うした人物がヨハネ。兄ヤコブとともに気性の激しい人物で「雷の子」と呼ばれていた。しかしイエス様との出会い、そしてイエス様による弟子訓練の結果、愛の人と変えられていった。

ヨハネは、のちの経験にあらわれているような美しい品性を生まれつ き持っていたのではなかった。彼には生まれつきのひどい欠点があった。 高慢で、身勝手で、名誉欲が強かったばかりでなく、激しい性質で、侮 辱されると憤慨した。彼とその兄弟たちは「雷の子」と呼ばれていた。 短気、復讐心、批判的精神といったようなものがすべてこの愛された弟 子の中にあった。しかしこうしたすべてのものの下に、天来の教師イエ スは、熱心で、誠実で、愛すべき心を認められた。イエスは彼の身勝手 を譴責され、彼の野心をくじいて、信仰を試めされた。しかしイエスは、 ヨハネの魂が求めていたもの、すなわち、聖潔の美、愛の改変力を彼に お示しになった。

患難から栄光へ電子版p415 愛された弟子

イエス様の訓練方法

キリストに対するヨハネの愛情の深さと熱烈さは、ヨハネに対するキ リストの愛を引き起こしたのではなく、かえってヨハネに対するキリス トの愛の結果生じたものである。ヨハネはイエスのようになりたいと望 んだ。そして、キリストの愛の人間を変える感化力のもとに、彼は柔和 で謙遜になった。自己はイエスの中に隠された。ヨハネは仲間たちのだ れよりも、その不思議ないのちの力に服従した。「このいのちが現れたの で、この永遠のいのちをわたしたちは見」たと、彼は言っている。「わた したちすべての者は、その満ち満ちているものの中から受けて、めぐみ にめぐみを加えられた」(Iヨハネ 1:2、ヨハネ 1:16)。ヨハネ は体験的な知識によって救い主を知った。主の教えが彼の魂に刻みつけ られた。彼が救い主の恵みをあかしした時、彼の単純な言葉は、全身に 満ちた愛により雄弁になった。

患難から栄光へ電子版p419 愛された弟子

愛を土台に

ある保護者から相談があった。高校受験の結果が振るわなかった子どもに対してどのように接し、また励ませば良いのかという質問だった。お子様の性格やご家庭の環境、親御さんの教育方針などを伺った。随所に愛情あふれるご家庭であることが確認できた。

「無理に掛ける声を探さなくても大丈夫だと思います。お子様はお母さんが思っている以上に傷ついているし、お母さんが思っている以上の力でその傷を癒そうとしています。まだまだ子どもですが、一方でお母さんが考えられないぐらい大人に成長しています。ご家庭に、お子様を癒す愛があるので普段通りにしていた方が良いと思います。一言『よく頑張ったね。試験は不合格でもその努力は大合格だよ。自慢の子どもだよ』と声を掛けてあげるだけで十分です」

状況もよくわからなかったので、そんな回答をした。子どもの頑張りを思い出したのだろう、お母さんは泣いていた。

愛情で育てられた子どもは必ず強い子になれる、愛情がなければ子どもは育たない、これをモットーに今まで教育活動を行ってきた。やはり最後まで存続するもの。最も大いなるものは「愛」だと思う。

春の祈祷週 1日目朝の集会 河原久先生

 

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帰る

帰省

3学期の学びを終えて、今日長男は全寮制の学校から家に戻った。いつものことながら長男が乗っている飛行機をアプリで追跡していた。帰省する日が近いという嬉しさもあってか一昨日長男は足を痛めた。電話で聞く限りは亜脱臼か十字靭帯の損傷が考えられた。自分の不注意とはいえ、子どもが痛みをおぼえている状況はなんとも堪え難い。今すぐ学校まで行ってあげたい気持ちになる。色々と対応していただき、翌日には整形外科を受診することができ特に大きな問題は無いとのことだった。ホッとした。しかし、痛みはあるようなので大きな荷物を持って搭乗手続きとか荷物の受け取りができるのだろうか、ととても心配だった。それでも何とか頑張ったようで無事に家に着いたとの連絡を受け改めて神様に感謝した。

しっかりと1年間の復習をする春休みにしたいと本人は言っていたが、勉強三昧でもやはり家に戻れるのは嬉しいことだ。自分もかつて全寮制の中学、高校で生活していたのでその嬉しさはよく理解できる。

ふるさと

長男にとって、今回帰る家はほとんど生活したことが無い場所である。冬休みに2週間ほど生活しただけでそれ以来である。周囲の景色に懐かしさがあるわけでも無いのに本人はとても嬉しそうに帰省した。ふるさと、って何なのか。

勿論懐かしい景色や懐かしい自然環境、雰囲気があると思う。東京を離れて何十年も経つのにいまだに下町に行くと懐かしさを感じる。確かにそういうことはあるが、一方で一度も行ったことが無い場所でも懐かしさを感じることはできる。

そこにいる「人」に起因するのだと思う。

懐かしい人、大切な人がいる場所。それもふるさとなのかもしれない。

Homesick for heaven

Homesick For Heavenという讃美歌がある。天国に行きたい、帰りたいという気持ちを讃美歌にしたものである。何度も歌ったこの讃美歌。でも一度も行ったことが無い天の御国に何故「懐かしさ」を持つのだろうかと少し疑問に思っていた時期があった。
ホワイト婦人という19世紀のクリスチャン指導者が、天国に連れて行ってもらう幻を見た。非常に神々しく、豪華絢爛なその様に圧倒されこのまま天国にとどまりたいと案内をしてくれた天使にお願いするも「あなたはもう一度地球に帰らないといけません」と言われなくなく地球に戻ってくる。ところが地球に近づくとあまりにも地球が暗くて寂しさが倍増したと言う。その時の気持ちがHomesick For Heavenに込められているときたことがある。

イエス様に会いたい、会わせてくださいと何度願い祈ったきたことか。勿論聖書を通してイエス様はその御意志を伝えてくれるし、想像力を働かせることでイエス様の姿をイメージすることはできる。しかし、実際にそのお顔を拝見することは今まで叶わなかった。しかし、ご再臨の時にいよいよイエス様にお会いできる。あれほど会いたかったイエス様に会える。初めてお会いするわけだが決して初めてとは思わないのだろう。「懐かしい」と思うのだろう。そういう光景が間も無く展開されるから、今は将来のことであっても「懐かしいイエス様にお会いする」出来事を思ってHomesickと言うのだろう。早く帰りたいなー。

Homesick For Heaven

 

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