M7.8

大地震

しばらく前から大地震の予測があった。これは日本に関するもので阪神淡路大震災の前に起きたし自然界や動物界の異変から探り当てたものである。日本の2月6日に大地震が起こると予告されていた。なんとなく嫌な感じがしたので少し身の回りのものを整理したり非常持ち出しを確認していた。が、2月6日、それはトルコ南部で起こった。M7.8。かなり大きな地震エネルギーであるが東日本大震災のM9.0を考えるとまだ最大級では無いのかもしれないが建物の倒壊などをみると尋常では無いことがよくわかる。トルコの建築物に関する脆弱性は以前から指摘されていたがそれにしても凄い地震だ。現在のところシリアとあわせて5000名以上の方が犠牲になったと報道されている。今後、更に増えることも十分考えられることだしこれほどの規模になると余震の心配はしばらく続く。

親日

トルコ共和国は親日家が多いことで有名だが1890年、串本沖で起きたエルトゥールル号沈没によるところが大きいときく。トルコの特使団を乗せた軍艦エルトゥールル号が和歌山県串本沖で沈没した際、多くの犠牲者を出すも日本人が懸命の救助活動を行うことで死者581名を出すも69名を生還させた。勿論日露戦争の影響もある。今回の大地震で日本の先遣隊がトルコに派遣されたが、戦争ではなくこういう派遣はお互いに競ってできたら良いのに、と思う。

自然災害

自然災害のたびに、人間の無力さを痛感する。少々の不満があっても今の幸せが続くと日本人の多くは思っている。いつか誰かがなんとかしてくれると思っている。しかし思い上がってはいけない。いつか終わりがくる。そしてそれが間も無くであることも決して忘れてはいけない。そう自分に言い聞かせている。

思い上がり

教会の中には、絶えず、個人的な独立に走ろうとする傾向の人々がい る。彼らは、独立心というものが、人を自己過信に陥らせ、兄弟たち、 特に、神がその民たちの指導のために任命された職務にある人々の勧告 を尊重せず、また彼らの判断を高く評価しないで、自己の判断に頼らせ てしまう、ということに気づかないようである。神は教会に、特別な権 威と力とをおさずけになった。誰もそれを無視したり軽んじたりする資 格はない。そうする者は神のみ声をあなどることになるからである。

患難から栄光へ電子版p124 彼らはクリスチャンと呼ばれた

自己の判断が最上だと思いがちな人々は、重大な危険にさらされている。 光の通路となり、神がこの地上におけるみわざを築き上げ、進展させる ために働きかけてこられた人々から、そのような人々を引き離すことが、 サタンの巧妙な手口である。真理を前進させるために責任のある指導的 立場を神からゆだねられた人々を、無視したり、軽んじたりすることは、 神がその民を助け、励まし、力づけるために定められた手段を、拒むこ とになる。誰でも神の御目的の中で働く者にとって、この手段を見落と して、自分の光が他の通路を通らず、神から直接に来たものだと思うこ とは、敵に欺かれ打ち負かされやすい立場に、自分を置いているのである。 賢明な主は、すべての信徒が守らなければならない、密接なつながりと いう手段によって、クリスチャン同志、教会同志が1つに結ばれるよう 計画なさった。こうして人間の器は神と協力できるのである。すべての 働きが聖霊に従属し、すべての信徒が組織的に、よい指揮のもとに一致 し、神の恵みの喜ばしいおとずれを世に伝えるようになるのである。

患難から栄光へ電子版p124 彼らはクリスチャンと呼ばれた

Golden Angels 10th Anniversary Concert ‘Singing Missionary’ – We Will Meet Again

 

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ペテロの救出

ペテロ

最初にイエス様の弟子となったペテロが新約聖書に登場する。アンデレの兄である。直情型でお調子者。あまり深く考えずに不用意なことを言ってしまうところもある。が、一方でイエス様の様子やイエス様の信仰生活を間近で見ておりその影響を強く受けた。特にイエス様の十字架の場面ではあれほど深い愛情を示されたにも関わらず師なるイエス様を知らないと言ってしまう。後悔の涙をなんども流しながら反省した。自分なんかもうだめだ、と思ったことも何度もあっただろうがそれでもイエス様の憐れみ深い眼差しに触れて大きな回心を経験する。

そんなペテロが翻ってイエス様のために自分の命をも惜しいと思わない生き方に変えられていった。最終的には殉教するが、イエス様の十字架以降大きな活躍をする。その場面を今朝読んでいた。

不都合なペテロ

「そのころ、ヘロデ王は教会のある者たちに圧迫の手をのばし」た。当時、ユダヤの政府はローマの皇帝クラウディウスの支配下にあったが、ヘロデ・アグリッパ王が実権を握っていた。ヘロデ王はまたガリラヤの領主でもあった。彼はユダヤ教への改宗者であると公然と名のり、うわべだけはユダヤのおきての祭儀を熱心に守った。ヘロデはユダヤ人の支持を受けて、自分の地位と栄誉を確保したいと思い、ユダヤ人の望みどおりにキリスト教会を迫害し、信者の家や所有物を破損し、教会の指導者らを投獄した。彼はヨハネの兄弟ヤコブを 獄 に投げ込んで、もう1人 のヘロデ王が預言者ヨハネを打ち首にしたように、剣で彼を殺すために 死刑執行人を送った。このような行為が、ユダヤ人を喜ばせたことを知 って、彼はペテロをも投獄した。

患難から栄光へ電子版p109 牢獄から救われたペテロ

刑の確定

ついにペテロの処刑の日が決まったが、信者たちの祈りはなお天にのぼっていた。彼らが精力と同情の気持ちを注ぎつくして熱心に助けを祈 り求めている時、神のみ使いたちは投獄されている使徒を見守っていた。

ヘロデは以前に、使徒たちが獄から逃げたことがあるのをおぼえていたので、今度は用心に用心をした。どうみても救われる可能性がないように、 ペテロは16人の兵卒に夜昼寝ずの番で監視された。また獄房では2本 の鎖につながれて2人の兵卒の間におかれ、その鎖はそれぞれ兵卒の手 首に結びつけてあった。ペテロが少しでも動けば必ず彼らに気づかれた。

患難から栄光へ電子版p110 牢獄から救われたペテロ

処刑前夜

処刑が予定されていた前夜のことである。ペテロを助けるために力強い天使が1人送られる。神の聖徒ペテロを閉じ込めていた頑丈な門は人 手によらずに開く。至高の神のみ使いがそこを通り抜けると、門は音も なくしまる。天使が獄房に入っていくと、ペテロは神を信頼しきって安 らかに眠っている。

天使をとりまいていた光が獄房いっぱいにひろがるが、ペテロは目をさまさない。天使の手が触れるのを感じ、「早く起きあがりなさい」という声を聞いてはじめて目をさました彼は、天の光が獄房に輝き、大いな る栄光の天使が前に立っているのを見る。彼は語りかける言葉に機械的 に従い、立ち上がりながら両手をもちあげた時、鎖が手首から落ちてい るのにぼんやり気がつく。

再び天使の声が「帯をしめ、くつをはきなさい」と命じると、ペテロ は天使を不思議そうに見つめながら、機械的にその命令に従い、夢か幻 を見ているにちがいないと思う。またもや天使が「上着を着て、ついてきなさい」と命じる。天使が戸口のほうへ歩き出すと、日ごろおしゃべ りなペテロも、この時ばかりは驚いて物も言えずにだまってついていく。 彼らが番人をまたいで通り過ぎ、錠前の頑丈な門のところに来ると、門 はひとりでに開いて、すぐまた閉じる。その間、内側と外側の番人は動 かずにその部署についている。

患難から栄光へ電子版p111 牢獄から救われたペテロ

次にまた内外とも見張りのついている2番目の門に来る。それははじ めの門と同じように開き、蝶つがいのきしる音も鉄のかんぬきのガチャ ガチャいう音もしない。2人はそこを通り抜ける。門はまた音もなく閉 じる。第3の門も同じようにして通り過ぎ、表通りに出る。1言も声は なく、足音もしない。まばゆい光につつまれた天使は音もなく前を歩い ていくので、ペテロはとまどい、夢ではないかと思いながら、そのあと からついて行く。こうして2人が1つの通りを過ぎると、自分の任務を 果たした天使は突然姿を消す。

天来の光が消えると、ペテロは真のやみの中に取り残されたように感 じた。しかし暗やみに目がなれて来ると、その暗さも次第にうすらいで きた。彼はただ1人静かな通りに立って、冷たい夜風にさらされていた。 ようやく彼は自分が自由の身となって、なじみの深い町の一角にいるこ とを悟った。彼は自分のいる場所がわかった。そこは彼がたびたび来た ところで、翌朝はそこを通って刑場に向かうはずであった。

ペテロは過ぎ去った数分間の出来事を思い起こそうとした。彼はくつ も上衣も取り去られて2人の兵卒の間につながれ、眠ったことを思い出 した。今自分の身のまわりをよく調べてみるとちゃんと上衣を着て、く つもはいていた。残酷な鉄かせをはめられてはれあがっていた手首は自 由になっていた。彼は自分の救われたのが気の迷いでも夢でも幻でもな く、喜ばしい現実であることをさとった。あすは死刑に処せられるはず であったのだが、見よ、天使が彼を獄屋と死から救い出したのである。 「ペテロはわれにかえって言った、『今はじめて、ほんとうのことがわか った。主が御使をつかわして、ヘロデの手から、またユダヤ人たちの待 ちもうけていたあらゆる災から、わたしを救い出して下さったのだ』」。

使徒は、兄弟たちが集まって、彼のためにその瞬間も熱心に祈ってい る家へとすぐさま向かった。「彼が門の戸をたたいたところ、ロダという 女中が取次ぎに出てきたが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり、 門をあけもしないで家に駆け込み、ペテロが門口に立っていると報告し た。人々は『あなたは気が狂っている』と言ったが、彼女は自分の言う ことに間違いはないと、言い張った。そこで彼らは『それでは、ペテロ の御使だろう』と言った。

患難から栄光へ電子版p112 牢獄から救われたペテロ

守り

天使に命じられたところに行って、真理を求めている1人の人に会っ たピリポの経験、神からの使命をもった天使の訪問を受けたコルネリオ の経験、投獄され死刑の宣告を受けながらも無事に天使に助けられたペ テロの経験、どの経験もみな、天地間のつながりの密接なことを物語っ ている。

こうした天使のおとずれの記録は、神の働き人に力と励ましを与える にちがいない。今日、使徒時代と全く同じように、天の使者たちは地上 くまなくおとずれて、悲しむ者を慰め、罪びとを守り、人々の心をキリ ストに導いている。われわれは天使たちを見ることはできないが、彼ら はわれわれと共にいて導き、守り、行く手を示しているのである。

天はその神秘的なはしごにより、地へと近づけられている。その 土台は地に固くすえられ、その頂点は神のみ座にまで達している。

患難から栄光へ電子版p115 牢獄から救われたペテロ

試練に会っている者、苦しんでいる者、誘惑に陥っている者の近くに 来るのが天使の働きである。彼らはキリストが身代わりにいのちをささ げられた人々のために、たゆみなく働いている。罪びとが悔い改めて救 い主のみもとに行くと、天使たちはそのおとずれを天に携えて行く。す ると天使たちのあいだに大きな喜びが起こる「。罪人がひとりでも悔い改 めるなら、悔改めを必要としない99人の正しい人のためにもまさる大 きいよろこびが、天にあるであろう」(ルカ 15:7)。暗黒を追いやっ て、キリストについての知識をひろめるわれわれの努力が成功するたび に、天にそのことが知らされる。父なる神のみ前にその行為が取り上げ られると、全天軍は喜びにわくのである。

天の支配者や権威者たちは、神のしもべたちが、見たところ思わしく ない状況のもとでつづけている戦いを見守っている。クリスチャンが救 い主のみ旗のもとにはせ参じ、信仰の戦いをりっぱに戦いぬく時、新し い勝利が遂げられ、新しい名誉が勝ちとられているのである。天使たち はみな神のつつましい信徒たちに仕えている。

患難から栄光へ電子版p116 牢獄から救われたペテロ

Golden Angels Reunion Concert 2012 ‘One Voice, One Mission’ 01 Blessed Assurance’ HD

 

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向上心

進学

職場で、ある方と話している時に「4月から学校に通うことになりました」と報告された。上級資格を取得するために進学を希望しており少し前に受験していたことは知っていた。受験後いくつかの試験問題の正答を教えて欲しいと言われたことがあった。その時は結果について自信なさそうだったが今日合格を知り自分の方が嬉しい気持ちになった。向上心をもって何かにチャレンジする人は年齢に関係なく素晴らしいと思うし尊敬してしまう。知識欲や向学心はあっても環境をかえて何かに取り組もうとする真剣さは自分には無い。だからそれができる人が羨ましい。自分も取りたい資格、チャレンジしたいことはあるのだがなかなか前に進めない。

人を用いる神

人々の中での神の代表者として、神は誤りを犯したことのない天使を お選びになるのではなく、救いの対象とされている人々と同じ感情を持 った人間をお選びになる。キリストは人類に近づくために人間性をとら れた。この世に救いをもたらすためには、神性と人性をとられた救い主 が必要であった。そして男にも女にも「キリストの無尽蔵の富」を宣べ 伝える仕事が、神からゆだねられているのである(エペソ 3:8)。

神はその英知で、真理を求めている人々を、真理を知っている仲間た ちと交わるように導かれる。光を受けた者たちが、それを暗黒の中にい る者たちに分け与えることは、天の計画である。人間性は、知恵の偉大 な源から能力をひき出し、福音がそれを通して、心と思いを変える力を 働かせる媒介、すなわち実際的な仲立ちとなるのである。
患難から栄光へ電子版p102 神は人をかたより見ない

世の中の宝石

この世にはわれわれが考えているよりも、神のみ国に近づいている者 がたくさんいる。神はこの暗い罪の世にも多くの貴重な宝石のような 人々を知っておられ、彼らにご自分の使者をお送りになる。キリストの 側に立とうとする者はどこにでもいる。地上のどんな特権よりも神の知 恵を尊んで、忠実に光をかかげる者となる人が大勢いる。キリストの愛 に迫られた彼らは、キリストのみもとに行くように他の人々に迫るのである。
患難から栄光へ電子版p107 神は人をかたより見ない

2023年2月4日 礼拝「心を強くし勇気を出しなさい」藤田 佳大 牧師

 

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神様と60年

同い年

今日、何気なくお財布の中を見ていたら自分の生まれ年の十円玉を見つけた。この十円玉が今までどれぐらいの人の手を通って来たかを考えていた。自分もこれまで多くの人に出会ってきた。間も無く60歳。母のお腹にいた時間を考えればすでに生命を頂いてから60年になる。長いような、また一瞬のようにも感じるこの60年。自分の生まれ年に誕生した物で現存するものって何があるのか考えたことがある。鉄道の車両。車。おそらく買えないけれど、1963年製のMartin D-28っていくらぐらいするのだろう?お金持ちだったら買ってみたい。

同級生

中学や高校の仲間は比較的近いところにいる。青森にいると言うことではなく、いつでも連絡が取れる友人が何人もいる。彼らは自分と同じように歳を重ねてくれる。同級生っていつまでも心の支えになっている気がする。

誕生日

実は今日は妻の誕生日である。沖縄が本土復帰を果たした年に生まれた。数えで10歳、学年で9つ年下の妻も大台に乗った。神様は妻の人生にずっと寄り添い、導いてくださったのだと思うととても感動する。その導きの計画の中に、自分の様な者と出会うことも予定してくださった。東京と沖縄、生まれた時期も場所も全くちがう二人を出会わせてくれるのだから神様のご計画は奥深い。

一人

妻の誕生日に際し、もう一度神様の前で自分を見つめる必要を感じた。今朝読んだ書籍の引用である。

パウロは砂漠のさびしい所で、静かな研究と瞑想の時を十分に得た。 彼は静かに自分の過去をふりかえり、悔い改めの確かなわざをなした。 彼は真心から神を求めて、彼の悔い改めが受け入れられ、罪がゆるされ たことを確かめるまで気を安めなかった。彼はこれから伝道するにあた って、イエスが彼と共にいてくださるという確証を得たいと切望した。 彼はこれまで彼の生活を形造っていた偏見や言い伝えを一切捨てて、真 理の源なる神の教えを受けた。イエスはパウロと交わり、彼の信仰を固 め、知恵と恵みを豊かにお与えになった。

患難から栄光へ電子版p96 砂漠での内省の日々

 

人の心が神の心と交わり、限りあるものが無限の創造主と交わる時、 身体や精神や魂に及ぼすその影響は計り知れない。そのような交わりの 中に最高の教育がある。それが神ご自身の教育方法である。「あなたは神 と和ら・・・・ぐがよい」これは神が人類にお与えになった教えである( 22:21)

患難から栄光へ電子版p96 砂漠での内省の日々

 

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パウロ

葛藤

これらすべてのことが声を大にしてサウロの心を動かし、時には、イ エスこそ約束のメシヤだという、抗しがたい確信が彼の心を突き通した。 そのようなとき彼は幾夜もこの確信に抵抗してもがき、いつでも、イエ スはメシヤではなく、彼の信者たちも惑わされた狂信者だという自己の 信念を公言することによって内心の葛藤をしずめていた。

いまキリストはサウロにみずから声をかけ、「サウロ、サウロ、なぜ わたしを迫害するのか」と言われた。そして「主よ、あなたは、どなた ですか」と尋ねると、同じ声が「わたしは、あなたが迫害しているイエ スである」と答えられた。ここでキリストは、ご自身をその民と同一視 しておられる。キリストに従う者たちを迫害した時、サウロは直接、天 の神にたてついていたのである。キリストの弟子たちを告発し、彼らに 敵して偽証を言いたてた時、サウロは世の救い主に対して同じことをし ていたのである。

患難から栄光へ電子版p88 迫害者から弟子へ

苦悶の3日間

サウロは3日間「目が見えず、また食べることも飲むこともしなかっ た」。この魂の苦悩の日々は彼にとっては長い年月のようであった。ステ パノが殉教した時に自分が受け持った役割を、彼は苦悶しながら何度も 思い出した。ステパノの顔が天の光に照らされていた時でさえ、祭司や 役人の悪意や偏見に彼自身ふりまわされてしまった罪を、ぞっとする思 いで思い出した。最も印象的な出来事に目や耳をふさいでいたこと、ナ ザレのイエスを信じる人々への迫害を冷酷にせき立てたことが幾たびあ ったか、サウロは悲しみに打ちひしがれながら繰り返し数え上げた。

患難から栄光へ電子版p89 迫害者から弟子へ

服従

サウロは聖霊の罪を認めさせる力に全く屈服した時、自分の人生の過 ちを知り、神の律法の広範囲に及ぶ要求を認めた。自分の良い働きによ って義とされると確信していた高慢なパリサイ人であった彼は、いま謙 遜に幼な子のように単純な気持ちで神のみ前にぬかずき、自己の無価値 さを告白し、十字架にかけられ、よみがえられた救い主の功績を、自分 のために懇願した。サウロはみ父やみ子との完全な一致と霊的な交わり に入りたいと思い、自分がゆるされて、受け入れられるようにと切に願 って、恵みの座に熱心な祈りをささげた。

このパリサイ人の後悔の祈りはむだにはならなかった。彼の心に奥深 くあった思想と感情は、神の恵みによって変えられた。彼のより高貴な 才能は神の永遠の目的に調和していった。キリストとその義は、サウロ にとって全世界よりも価値のあるものとなった。

患難から栄光へ電子版p90 迫害者から弟子へ

選ばれた器

サウロの改宗の記録の中に、われわれが常に心に留めておかなければ ならない重要な原則が与えられている。サウロはキリストのみ前に直接 に導かれた。彼こそキリストが最も大事な仕事をゆだねようとされた人、 主のために「選ばれた器」となる人であった。しかし神はゆだねておら れた仕事を、すぐには彼にお告げにならなかった。神はサウロを道の途 中で捕らえて、罪を認めさせられた。しかしサウロが「なすべき事」を 尋ねた時、救い主はこの探求心の強いユダヤ人をご自分の教会に引き合 わされ、そこで彼に対する神のみこころをお知らせになった。

サウロの心のやみを驚くべき光で照らしたのは、主のお働きであった。 しかし弟子たちにも、サウロのためにしなければならない働きがあった。 キリストは啓示し罪を悟らせる働きをなさった。今この悔い改めたサウ ロは、神の真理を教えるよう任命された人々から、教えを聞く用意がで きていた。

患難から栄光へ電子版p91 迫害者から弟子へ

アナニヤの働き

サウロは盲目的な誤りと偏見のさ中に、彼が迫害していたキリストの 啓示を与えられたとき、世の光である教会と直接交わることができるよ うに導かれた。この出来事においては、アナニヤはキリストを代表し、 また、地上において主の代わりに行動するよう任命されている、キリス トの使者たちを代表する。キリストの代わりにアナニヤは、サウロの目 が見えるようになるために、彼の目に触れる。彼がキリストの代わりに サウロの上に手を置き、キリストのみ名により祈ると、サウロは聖霊を 受ける。すべてのことはキリストのみ名と権威においてなされるのであ る。キリストは源泉であり、教会はその伝達経路である。

患難から栄光へ電子版p93 迫害者から弟子へ

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All or Nothing

ユダヤ人

神様は人間を真の幸福に導きたいと願っておられた。神様は一人一人を愛しその人生を意味あるものにするために祝福となるものを与え続けていらっしゃる。そしてその計画を実行するためにユダヤ人をお用いになることを考えられた。ユダヤ人を祝福された生活に導くことによって、なぜ彼らが幸せなのかを他国人が見てその生活スタイルを真似しようとする。ユダヤ人が神様を畏れ神様を礼拝しその律法に従う時彼らが祝福を受けているのを見てそれを他国人たちが真似する。神様はこのようにユダヤ人が周りの模範となることで全人類が神様によって幸せになるように計画された。ところがこの作戦が失敗に終わる。ユダヤ人は神様に従うことができなかったのだ。結局イエス様の十字架より少し後から(正確にはステパノが殉教した時から)福音はある特定の民族や世代に限定されるのではなく、異邦人社会も福音の対象となった。勿論国家としてのイスラエルに対する祝福から異邦人社会に対する祝福へと変化したが、依然としてユダヤ人社会に対する福音宣教も続けられた。ユダヤ国家としての祝福から個人に対する祝福に変化した。

ニコデモ

ヨハネによる福音書には「ニコデモ」なる人物が登場する。彼はパリサイ派のユダヤ人で最高法院であるサンヒドリンの議員であった。ある夜、人目を忍んでイエス様のところに来て、救われるためには何をすれば良いのかを問いかける。新しく生まれ変わる、しかも水と霊から生まれる経験が必要だと言われ十分な理解ができないままイエス様の元を立ち去る。

アリマタヤのヨセフ

アリマタヤという場所がどこなのかについては「実在しない場所」というものも含めて諸説存在する。アリマタヤがギリシャ語で「ハリマサイヤ」というところから高い場所、山地をさすらしい。預言者サムエルの故郷であるラマタイム・ツォフィムがアリマタヤなのでは無いかという説が多数ある。通称「ラマ」と呼ばれる場所で「預言者の学校」があったところでもある。ニコデモ同様ヨセフもサンヒドリンの議員でかなりのお金持ちであったらしい。

ニコデモとヨセフ。サンヒドリンの議員であることとイエス様に従うこととは正反対にも思われる。滅びゆく街にも救われるべき神様の民がいたように、サンヒドリン議員の中にもイエス様に従いたい

願う魂がそなえられていることは大きな希望である。

そんなふたりが

ニコデモとヨセフはイエス様の十字架をみており、イエス様の息が絶えた時にそのお身体を埋葬したいと心から思った。サンヒドリンの議員がそのようなことをすれば先がどうなるのか分かったものでは無い。しかし彼らはローマに掛け合いイエス様のご遺体を引き取る。そして自分の埋葬用にヨセフが用意していたゴルゴダにほど近い墓場をイエス様の埋葬に提供した。

ニコデモは、アリマタヤのヨセフと共に、イエスの埋葬の費用を分担 した。弟子たちは自分たちがキリストの弟子であると公に示すことを恐 れていたが、ニコデモとヨセフは勇敢に援助の手を差しのべた。これら の金持ちで尊敬されている人々の助けは、その暗黒の時にはことさら必 要であった。彼らはなくなられた主のために、貧しい弟子たちができな かったことをすることができた。彼らの富と感化力が、祭司や役人たち の敵意から大いに彼らを守ったのである。

いまやユダヤ人たちが生まれたばかりの教会を破壊しようとしてい た時、ニコデモはそれを防ぐために進み出た。もはや警戒も疑問もなく、 ニコデモは弟子たちの信仰を励まし、エルサレムの教会を支え、福音事 業を進めるために、自分の富を用いた。以前に彼を尊敬していた人々は、 いまは彼を嘲弄し、迫害した。そして彼はこの世の富には貧しくなった が、信仰を守ることにはひるまなかった。

患難から栄光へ電子版p79 へだての壁を越えて

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医学部医学科

予備校事情

職場には時々医学部進学塾のパンフレットが届く。職場としては殆ど不要なのだが個人的に興味があるので目を通す。以前に「北○○予備校」という学校が各地に学校を展開して話題となったが前職の生徒も数名お世話になった。自分が受験生だった頃には両国予備校が似たような形態をとっていた気がする。生活も含めて管理し徹底した受験指導を行う。いくつか手元に届いたパンフレットもやはり同じようなものだ。それにしても費用がすごい。学費だけで550万円。そのほかの諸費用でおよそ100万円。更に寮費と食費でおよそ150万円。1浪したら800万円である。自分の通った大学にも医学部はあったが、記憶しているのは年間800万円ぐらいだったこと。物価の上昇に伴いこれぐらいが妥当なのかもしれない。しかし、この金額を払える家庭は非常に限られていると思う。この辺から医学部受験が始まっているのかもしれない。

大学事情

現在医学部医学科をもつ大学は82校。国立大学が42、公立8、私立31と防衛医科大学である。合計定員は令和4年で9374名。平成19年(増員前)の定員が7625人だったので1509人増えている。現在は工学系や情報系大学が人気を集めているので若干そちらに流れる傾向はあるものの受験生はほぼ横ばいである。また受験者、進学者ともに女性が増加しているところも注目すべき点かもしれいない。

背景

コロナの影響があった上でのデータなのか、或いは直接的な因果関係は無いのか分からないが医学部に限らず将来に対して資格や技術でチャレンジしようとする姿勢が若者世代にあるような気がしている。「無難」や「でもしか」という言葉の中で育った自分世代は大きな企業や国に抱え込んでもらえれば安全だと思っていた。が、今はそういう時代では無い。大手大企業が倒産したり改組、或いは他社に吸収される時代である。自分の身は自分で守る、という観点から資格や技術の取得習得に向くのは至極当然のことと言える。併せて、コロナが医療を脅かす昨今「何かの役に立ちたい」という思いから医療に志願する若者もいると思う。

医療だけではないが、全ての学生、生徒、児童さんたちが夢をもって将来を考えられることを願い祈りたい。

「わたしは耐え忍んで主を待ち望んだ。 主は耳を傾けて、わたしの叫びを聞かれた。 主はわたしを滅びの穴から、泥の沼から引きあげて、 わたしの足を岩の上におき、 わたしの歩みをたしかにされた。」
詩篇 40:1-2 口語訳

 

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神にはできる

聖霊様

聖書には、イエス様が公生涯に入られると聖霊に満たされヨルダン川から帰る場面が記述されている。そこで悪魔からの誘惑を受けることになるのだがイエス様は全ての誘惑に対して聖書の言葉を用いて返答されている。荒野の導いたのは聖霊様である。全く状況は違うが、ここ数日自分は聖霊様に導かれる(ひきまわされる)経験をしている。

さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、 2荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。
ルカによる福音書4:1,2

毎晩0時頃には寝ているのだが、早朝4時前から起こされる。決して声が聞こえるわけではないが「祈りなさい」と言われた気がする。本音を言えばもう少し眠りたいのだがいつもより1時間以上前に起こされる。今朝は3時である。普段5時から5時半の間に起きるので3時など言語道断。毎日眠くて仕方ない。が、やはり今日も「祈りなさい」と言われた気がしたのでそのまま起きて聖書を読み祈った。今朝は祈りの途中で何度か眠ってしまった。心は燃えていながら肉体が弱いことを痛感している。

ペンテコステ

イエス様は十字架の死を経験された後3日目に復活された。その後40日間に渡り弟子たちは勿論他の信徒たちにご自身の姿を現された。その後、父なる神様の御もとに帰っていからるが、代わりに聖霊様を与えてくださった。イエス様の弟子と取り巻きの信徒さんたちはこの聖霊様が与えられる約束を信じて祈り続けた。集まって祈った。祈りが聞かれている実感はなかったがひたすら祈り続けた。10日間。そして10日経った時に待望していた彼らに聖霊様がお降りになられた。

わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
ヨハネによる福音書14:16,17

聖霊のバプテスマ

今読んでいる書物に「聖霊様を毎日受けることの重要性」が書かれていた、この章を読んだあたりから毎朝早く起こされるようになった。神様は自分にもお約束通り聖霊様をお与えくださるのだろうか。もう30年以上前から「聖霊のバプテスマ」なる言葉は知っている。当時ペンテコステ系の教会にも興味を持っていたのでそういう集会にも好んで参加していた。が、聖霊様のバプテスマを経験することはなかった。「わたしは聖霊様をいただきました」と言って輝いた顔で聖霊様に倒される様子を見て少し半信半疑になっていた。ベニー・ヒン氏の集会にはかなり違和感を感じていた。聖霊様を受けたいと切望しながら、それを受けたと主張する人たちが信用できなくて冷めた気持ちで傍観していた。が、今はどうしても聖霊様のご臨済の中で生きていたと心から願っている。

人にはできないが神にはできる

「イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。」
マタイによる福音書 19:26 口語訳

 

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鼎談

久しぶり

一昨日、久しぶりに兄弟で連絡をとった。母の葬儀から3週間。まだ、3週間しか経っていないことに驚くと同時に1週間前からの時間経過の速さにも驚いている。兄弟3人、それぞれに色々な思いをもってこの時間を過ごしたことを改めて感じた。大きな喪失感の中で苦しむ時間が長く続いているが姉や弟も同じような気持ちだったことを知り少しホッとした。寂しさや空虚感という落とし穴に自分だけが落ちてしまっていると感じていたがそうではなかった。

姉は入院中の母のお世話を一人でしてくれていた。本当に申し訳ないと思いながらも全て任せてしまっていた。その姉が「お母さんが入院中は何を見てもお母さんを連想して涙が出ることが多かった」と話していた。3人の中で最もしっかりしている姉がそのようなことを言ったので弟と一緒に驚いた。再臨までの短い期間、面会できない病院に入院していると思い込もうと現実逃避を決めた自分であるが姉はそうはいかない。春の納骨までは姉の家にお骨と遺影があるからだ。本当に申し訳ないと思いながら、とにかく再臨までの時間が少しでも短くされることを祈るばかりである。

変な話

非常にクリスチャン的ではない、というかしてはいけない想像だと十分理解している。が、心の中で少し悶々としていることがある。実は先日、姉が父を連れて実家に行ってくれた。自分も母が亡くなった後数日実家で過ごしたので同じことを感じたのだが、実家は当然のことながら母が脳梗塞で倒れる直前のままの状態になっている。このまま母が戻ってきても全く違和感のない空間があるのだ。そこに行ったので姉父も少し母がいるのかいないのか分からなくなってしまったようだ。自分も全く同じ気持ちになった。最後に実家を使ったのは自分である。1月9日まで使っていた。それ以降誰も実家には入っていない(はず)。姉が「食器棚、随分綺麗に片付けてくれたありがとう」と言ってきた。台所は毎日使っていたのでそれなりに整理整頓はしていたが食器棚を綺麗にした記憶は無い。結構雑然としたまま家を出てしまった。それなのに食器棚が種類ごとにきちんと整頓されていたらしい。自分も姉にこの程度までは片付けたけど・・・と記憶にあることを話したが現状と少し違うらしい。勿論、自分も平常心ではなかったので無意識に片付けた可能性もゼロではない。しかし記憶がない。そしてどちらからともなく「じゃあ・・・お母さん?」と思わず言ってしまった。

岩木山

とんでもない量の雪が降り続いたが今日は久しぶりに朝から青空が広がっている。ずっと見ることができなかった岩木山、今日はとても綺麗だった。朝与えられた聖書の言葉にも勇気付けられた。

「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」
イザヤ書 41:10 JA1955

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祭壇

初心

自分にも祈りの足跡がある。稚拙で自己中心的な祈りであったと思うが聖霊様が助けてくださり積み上げた祈りの足跡。祈りの場所はとても懐かしくなることがある。茨城の大洗海岸、青森の某所。車を走らせながら祈ることが多いので「祈りのロード」は各地にある。特に広島のある祈りのロードは印象深い。祈っても祈っても道が開かれない。絶対にこうなって欲しくない、という方向に常に導かれた。いよいよ神様にも見捨てられたことを痛感した祈りのロード。でも広島を出発して青森に向かう時、もう一度その祈りのロードを通った。やはり涙が出てきたが、不思議と神様から見捨てられたとは思わなかった。あの祈りのロードが懐かしい。

祭壇

出エジプトの民は神様に立ち返り感謝を表すために各地に祭壇を築いた。ある方が言っていたがアブラム(アブラハム)は行く先々に祭壇を作ったので後からそこを訪れた人が「ここは以前アブラムがいた場所」と分かったいう。ヤコブはベエルシバをたってハランに向かう途中ある場所で眠った。その時夢の中で天使が天から地上にのびる梯子を昇り降りするようすをみた。そして、将来が見えず、人間的には嫌な想像しかできない状況下で神様から特別な約束を啓示される。その約束にどれほど励まされたことか。ヤコブの状況を全く分からない自分が想像しただけでも涙が出て来る。嬉しかっただろうな。はげまされただろうな。
ヤコブは神様から次のように言われた。

「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語ったことを行うであろう。創世記28:15

今の時代は祭壇を築くことはしないがそれでもそれぞれに祈りを積み上げた場所があると思う。

ヤコブはこの出来事が強烈な印象として残り翌朝すぐに枕にしていた石をたてて柱としてその頂に油を注いだ。

もう一度

道が見えなくなったり、先が見通せなくなったり、どのようにしたら良いのかがわからなくなった時に聖霊様と一緒に築き上げた祈りの祭壇に戻る必要性を今日のオンライン礼拝で教えていただいた。

2023年1月28日 「祭壇に立ち返る」 安息日礼拝LIVE配信

 

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