緊張

受験

大学受験を明日に控えたかつての生徒から連絡があった。緊張し過ぎて心臓が飛び出しそうなので一緒にお祈りしてほしい、とのことだった。毎日補習をしながら彼女のことを祈り続けていたから共に祈れるのは殊更に嬉しいことである。緊張し過ぎて心臓が飛び出そう、って共感できる表現である。自分も受験の時にそんな気持ちだった。東京電機大の受験の日だったか記憶が曖昧だが、羽田沖で片桐機長が操縦する日航機が逆噴射をして滑走路手前で墜落する事件が発生した。重苦しい気持ちで会場に向かったのを思い出す。とても寒い日で、確か東京でも雪がちらついていた記憶がある。

年齢的には1浪した年齢だが、昨年はどこも受験しなかった彼女にとって今回が初めての受験となる。不安な気持ちでいっぱいだと思う。本当に代わってあげたい。

緊張といえば

受験も緊張したが、手術の前の緊張はまた格別だ。12年ぐらい前に生まれて初めて手術を受けた。手術日は1ヶ月以上前から決まっていた。当時広島に住んでいたが、隣の岡山県で手術を受けることになっていた。手術日が近くなるにつれて緊張というより暗い気持ちになっていった。あまりにも不安が大きかったので、手術の1週間前に岡山の病院まで行ってみた。院長先生自ら執刀してしてくださる予定だったので、院長先生に面談を申し込み術前の不安な気持ちを正直に告白した。大病院の院長先生なのでお忙しい方であるが、わざわざ自分のために時間をとってくださり麻酔をどこに打つか、その針の太さがどれくらいなのかを丁寧に説明してくださった。説明でも不安の一部は払拭されたが、一番大きかったのは説明してくださる先生が手術の時に一緒にいてくださるということだった。一緒にいてくださるだけでなく執刀してくださる。これほど安心なことはない。

裁きの時

やがて全ての人間が裁きを受ける。「裁き」と聞くとすごく冷たく恐ろしいものに感じられるが、実際にはその人が天国で生活することが果たして幸せかどうかを判断してくださる「裁き」である。その根底には神様の愛がある。今まで自分のためにずっと弁護をしてくださったイエス様がいてくださる。これほど安心できる裁判はない。受験と違って不合格にするための裁きではない。受験と違って成績上位の人から合格する裁きではない。

受験のためには一生懸命準備するが、最後の裁きのために自分がどれだけ準備しているかをもう一度考えておかないといけない。

「神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、御子によって、この世が救われるためである。」
ヨハネによる福音書 3:17 口語訳

聖書研究ガイド22年1期3課

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