若い人の力

数年で還暦を迎えるという年齢になってブログを始めることにかなり抵抗があった。何かを残したいのなら自費で本を出版した方が良いのではないか、とかなり悩んだ。難しさがハードルの高さになっていたがそれ以上にブログセンスというか時代の流れと隔絶されたようなものがあると滑稽な気がして手が出せなかった。水族館にフナとメダカのコーナーがあるぐらい滑稽に思えて恥ずかしかった。

しかし背中を押し助けてくれている人たちの存在もある。一人は卒業生でセブ島で活躍する青年。
プロフィールにも色々なことが書いてあるので是非見ていただきたい。特に留学などのアドバイスはピカイチ。お金のないところから這い上がって現在のポジションを築いたsasagu君である。
詳細はこちら→https://sasacebu.com/profile

高等学校で10年ほど「写真部」の顧問をしたことがあった。写真もカメラも好きということが目に止まったのか顧問にしていただいた。多くの学校に「写真部」は存在すると思うが本校のそれは他と少し違う。そもそもクラブ活動ではないのだ。情操教育、知識と技術の習得を目的とした「実業体験学習」というものを取り入れているがその中の一つにこの写真部が存在する。基本的に生徒の希望で配置が決まるが写真部は人気部門の一つ。各学年男女1名ずつ。しかも募集は2,3年のみ。つまり4名しか採用されない。定員に対して応募数が多いときは顧問ではなく別のアレンジをしてくれる部門が決めてくれる。

毎年ユニークなメンバーが集まる。仕事内容はまず基本的なカメラの設定方法、被写体と画角の基本、構図の基本、ライティングなどを一通り教えその後は撮影と編集を繰り返す。特に大きな仕事は卒業アルバムの作成。一般の学校だと修学旅行や遠足などに専属のカメラマンが同行することも多いが本校の場合は写真部員がそれを担当する。結構ハードな仕事である。卒業アルバムのどこに掲載するかをイメージしながら撮影して行く。

ある年の3年生メンバーがyouとmarch。毎年面白いメンバーが集まるがこの年もそうだった。仕事も実直にこなすがとにかくふざけることが大好き。ご当地グルメと称して夏休み中に行ったところのお土産をみんなで持ち寄る企画などもこの年メンバーの発案でやって見た。体育祭は写真部大忙しの行事だが全員参加の競技はそれこそ大変。全員リレーはバトンを渡したらすぐにカメラを受け取る。他の人との何倍も走らないと良い写真は撮れない。最後の競技の綱引きも全員参加の競技だがこのプログラムだけは被写体が多いので写真部は参加せず撮影に専念する。この時、メンバーから「小芝居をしましょう」との提案があり、スターターの雷管の音に合わせて一人が

「なんじゃ、こりゃー」(ジーパン刑事・松田優作風に)
 と言って倒れる。そこに他のメンバーが

「おい、大丈夫か」
「しっかりしろ」
と駆け寄る。それを私が動画で押さえる。
周りでみんなが必死に綱引きをしている最中こんな馬鹿なことをやっているからアナウンスで
「写真部のみなさん、真面目にやってください」と放送されてしまう。写真部の話をしたいわけではない。長くなったがブログを始めるに当たり背中を押してくれたのがweb designerの小悪魔march。彼女も色々と応援してくれている。そして何より卒業生ではないが実務的な助けをしてくれるのが小悪魔marchの彼氏。彼は本職。本当に助けられている。

若い人と関わることで色々なことを学ぶことができ、また気持ちも前向きになる。本当にありがたい話だ。若い人を見て、また色々と助けてもらうことで自分も更にチャレンジしてみたくなった。というわけで先日この歳で自動二輪の教習を申し込んできた。バイクに興味があるわけではないが一度乗ってみたいバイクがある。一つはVespa。普通自動車免許で乗れるものもあるけど自分が乗りたいのは125cc。もう一つがハンターカブ。この免許が取れたら次は趣味に活かせる二級小型船舶免許。自分のことはどうでも良いが若い方々に助けてもらえることは本当にありがたいし勇気付けられる。

虐待 abuse


 現在訳あって一人暮らしをしている。誰とも話すことなく一日が過ぎて行く。日課は聖書の勉強と祈り、そしてジムで汗をかくこと。冷蔵庫が無いので毎日翌日の食材をだけを買って帰る。今日もそうだった。

23時を回ってはいたがスーパーの店内にはまだ若干のお客さんがいた。はじめは気にしていなかったけどずっと聞こえる子どもの泣き声。段々気になり出し買い物を中断して泣き声のする方へ近づいてみた。食品コーナーからかなり離れた化粧品コーナーで母親と思しき女性と小学3年生ぐらいの男の子がいた。男の子は何かを買って欲しいわけでは無さそうだがお母さんと一緒に帰りたく無いようで「帰りたく無い」と泣き叫んでいた。買い物カートには男の子のものと思われるランドセルが乗せられていた。そもそも休前日でも無いのに小学生がこの時間にスーパーにいること自体少し見慣れない光景だしランドセルがあると言う事はこの子は下校してからこの時間まで家に帰っていない事になる。急に胸騒ぎがして女性を時々睨みながらこの二人から離れないようにしていた。数名の買い物客も何か異様な雰囲気を感じたのか付かず離れずの距離を保っていたが私はもっと露骨に近づいた。余程男の子に声をかけようとしたがこの女性のなんとも言えない不自然さに圧倒されただついて行くことしかできなかった。私の執拗な尾行を振り切るかのように二人は店外に出て行ってしまった。

 こういう時どういう対応をすれば良かったのだろうと今も悩んでいる。男の子を見てまず思ったのが「虐待」だった。この子がそういう被害を受けていないことをただただ祈るばかりである。今まで山奥の田舎に住んでおり会う人も顔見知りばかりなのでそのような場面を見た事は一度もなかったが街中で一人暮らしをするようになってから、お母さんから思いっきり叩かれている子どもを何度も見かけた。先週も歩道を歩いている時に向こうから小学1年生ぐらいの男の子とお母さんらしい女性が仲良さそうに手を繋いでこちらに向かっていた。ところが私の20mぐらい手前でこのお母さんが急に男の子を往復ビンタを数回繰り返したのだ。思わずその親子に走り寄ってしまった。男の子は慣れているのか泣きもせずただ耐えていた。胸が締め付けられこちらが泣いてしまった。

 私には子どもが泣いたり悲しんだりするのを堪えることができないのだ。全寮制でお子様を預かっていると色々な背景がある事に気づく。ネグレクトを受けている生徒は結構いる。暴力的な虐待を受けている子も若干いるかもしれない。

 

思い出されるのがK君である。

彼のお母様は彼が小さい頃に病死されその後お父さんは再婚した。女のお子さんがいる女性と再婚したのだ。K君とこの再婚相手のお子さんがひとつ違いということもあり、特にこのお母さんがK君との距離を気にした。はじめはそれほどでもなかったようだが彼が中学に入学してからは食事はお父さん、お母さんそしてこの女の子の三人でとりK君は自室の前に食事が置かれるという対応を受けた。高校生になった彼と私は出会ったがそのような家庭環境を話してくれた。基本的に自室から出る事は禁止で、実のお父さんもお母さんに対して何も言えない関係だったらしい。

 彼はいつも「僕がいると家庭が壊れてお父さんが苦しむんです。早く高校を卒業して新聞配達をして新聞奨学生になりたいんです。」と言っていた。何で子どもが「自分は不要」だなんて思わなくちゃいけないのか、私には理解できない。いつだってそう。いつも子どもが泣かされる。本当に悲しいし涙が出てくる。「そんな事ないんだよ。君が生まれた時、君の家庭がどれだけ明るくなったか。君はみんなから望まれて生まれてきたんだよ。」って全ての子どもに言ってあげたい。育児ノイローゼとか精神疾患とか色々あるのも現実。お母さんだって必死、それも理解しているつもり。でもやはり子どもを苦しめないで欲しい。本当にお願いしたい。虐待を自覚しているなら自分を保護して欲しいと助けを求めて欲しい。もう子どもが苦しむのは耐えられない。