価値観の押し付け?

y君との出会い

大学1年の時に教会の牧師先生に1つのことを頼まれた。「自由が丘に君より2つ下の青年が住んでいる。母親と暮らしているが彼は中学1年以来殆ど外に出たことがない。彼に外の空気を吸わせて元気にしてほしい。」と言う依頼だった。早速自由が丘駅近くのマンションに出かけた。どのようなアプローチをしようか、何を話そうかと考えていたがどうにも考えがまとまらない。駅前のマイアミという喫茶店でしばらく考えていたがなかなか良いアイデアが浮かばない。外に出ることが大好き、学校が大好きだった自分には恐らく理解できないことに思えたからだ。当時はあまりそう言う言葉は使われていなかったが今で言う「不登校」「ニート」と言われる青年なのだろう。考えながら歩いていたらいつの間にか目的のマンションに着いてしまった。聞けばy君のお母さんがこのマンションのオーナーとのこと。最上階とその下の階がy君の家だ。特別な操作をしないとその階までは上がれない。エレベーターの扉が家の中に設置されている構造だ。とてつもなく広い家だ。30畳はあるリビング、その他部屋が5部屋ぐらいあったように思う。床面積だけで150畳はあったと思う。それが2フロアーあるわけだからとんでもない広さだ。この家にお母さんとy君の二人が住んでいる。お母さんに案内されy君の部屋に通された。身長168cmの自分がかなり見上げるような青年。185cmぐらいあったと思う。「寝る子は育つ」というがそれは本当なのかもしれないと思った。簡単に自己紹介をすると「では私はこれで」とお母さんが席を外された。外見は全くの日本人だがお父さんはスイス人だという。そんなことから自分のことを少しずつ話してくれた。アルバムを見せ写真で世界中にある自分の別荘や所有するゴルフ場、牧場、射撃場、ヘリコプターなどを紹介してくれた。この自由が丘の家は別荘らしい。y君曰く、所有する住宅で最も貧素で自分に合っている、とこの家が気に入っているらしい。お母さんは日本人でもあるしy君を一人にできないということでずっとふたりで生活している。スイスで育ったようだが日本人の顔をしていることでバカにされ不登校になり、日本にきてからは勉強ができないという劣等感に悩んだという。そんな時自分の心を癒し現実から解放してくれるのがゲームであった。それから彼はゲームにのめり込み現在に至っているとのこと。お金のことを気にする必要はないし彼が一生遊んで暮らしたとしても十分すぎる財産がある訳だから生活に困ることはまずないだろう。でもy君はこのような生活に満足できず自分を変えたいと思っていた。

ゲーム脳

中学、高校で生徒を見ていると明らかに違和感を感じさせる子がいる。発想、視点、人との物理的距離など。だいたいこういう子はゲームや漫画によって脳が侵されている。学習は勿論のこと社会規範や人との接し方など学ばなくてはならないことがたくさんあるがこのゲーム脳になっている生徒を指導するのはなかなか難しい。本校のような全寮制で生活の全てからゲームや漫画を切り離してもかなりの時間がかかるし、折角良いところまで回復しても長期休暇でゲーム漬けになり元に戻ってしまう。そのようなことを繰り返すので結局大きな改善が見られないことも時々ある。日本が経済的に冷え切っていた時、共働きの親御さんは子どもの相手ができずゲームを与えておとなしくさせていた。勿論そうでない家庭もたくさんあったが。彼らにとってゲームは友達であり世界でもあった。だからゲームを取り上げることは彼らの世界を否定することになる。自分は我が子に一切ゲームをさせなかった。テレビも殆ど見せず漫画など買ったこともない。私たち親がそのようなものに全く関心がなかったからである。長男には3歳からサッカーと釣りを教えた。4歳では火の起こし方、火の扱いを教え、5歳で自転車、6歳からはバイオリンを教えた。だから周りの子と全く話が合わない。カードゲームに興じる近所の子を釣りに誘い、ゲーム好きな友達を家族ごと誘ってキャンプをした。我が子に、正しいと思うことを教えるだけでなく我が子と遊んでくれる子やその家族をも変えていかないと子どもが孤立してしまう。幸い、自分と同じ考えを持つ親御さんが多く、子どもを取り巻く環境から徐々にゲームや漫画、カードゲームが無くすことができた。

y君と外出

大学生の頃、理系でなかなか遊ぶ時間も取れず空いている時間はアルバイトと教会の仕事でいっぱいという状態だったが、なんとか時間を捻出してバンド活動をしていた。一番好きなバンドがTOTO(トト、便器メーカーのトートーではない)。ギターや鍵盤を演奏していたことからSteve LukatherやSteve Porcaro、RainbowのギタリストRitchie Blackmoreが特に好きだった。y君を訪問するようになってしばらくした頃TOTOの来日コンサートが武道館で予定されていたのでふたりで行ってみようとチケットを購入した。当時はネットで買える時代ではなかったので246沿いにあるウドー音楽事務所に行って直接買う。アリーナはなかったがA席が残っていたのでふたり分を購入した。そしてそれからTOTOの音源(今度のライブで演奏されるであろう曲を予想して)をカセットテープに録音してy君に渡し、ゲームをやるときにはいつも流すようにしてもらった。それから数週間後に二人で武道館に行った。記念すべきy君が外出できた日である。お母さんは涙ぐんで喜んでくれた。帰りに「どうだった?今日のライブ。」と聞くと「結構面白かった。聞いたことがある曲もあったから。でもやっぱりゲームをしている方が楽しい。」と率直な感想を話してくれた。それから何度かy君を外に連れ出し、外食もできるようになった。お母さんとふたりで自由が丘の街を歩くこともできたという。大きな成長だ。とても嬉しかった。

釈然としない気持ち

y君とはその後もしばらく交流が続いた。が、何か引っかかるものを感じていた。やはりy君はゲームがしたかったのだ。そんな彼に合わせて自分も教えてもらいながら一緒にゲームをしてみたこともあった。「一番優しいやつにしよう」と言って「女子バレー」というゲームを教えてくれた。しかし全くのド素人である自分にはコントローラーの操作もままならずy君の望む対戦相手にはなれなかった。彼はゲームを通して繋がれる友人を求めていたと思う。しかし自分はそれ以外のフィールドに彼を連れ出そうと必死になっていた。結局彼の肉体を外に連れ出すことはできたけど、彼の心はどうだったのか?疑問である。彼の心はあの広くて誰にも邪魔されないでゲームができる自由が丘のマンションに居続けているのではないか。もしも自分がy君と対戦できるほどゲームに通じている人間であればもっと違うアプローチで彼の体も心も外に出すことができたのではないかと思う。「ゲームは悪だ」という考えは間違っていないと思うしこれからも自分はその価値観を持ち続けると思う。しかしそれに興じる人にしかアプローチすることのできない領域があることも確かだと思う。自分と違う考え、価値観だと言って否定することは簡単である。しかしそこにも何か別の世界があり、自分が否定したものを必要とする人がいるのだとy君と出会って考えさせられた。その後y君はお母さんと一緒に米国の家に移り住むことになった。英語を学びもう一度高校からやり直すと言っていた。今頃彼はどこで何をしているのだろう。時々ネットで彼のフルネームを検索してみるが彼らしい人にはヒットしない。因みに少し前にこのTOTOが近くで来日コンサートを開催した。ふたりの仲間と一緒に観に行った。メンバーはみんな60代だし老けてはいるが迫力はあの時のままだった。ただ、観客の多くがあの頃からのファン。1曲目、メンバーが登場すると一斉に立ち上がって盛り上がっていたが2曲目では殆どの観客が座っていた。その後アンコールのシュプレヒコールまで立ち上がる人は殆どいなかった。観客も老齢化、高齢化しているのだ。