パン職人に!

いきさつ

本校は開校45年を迎えるがその前身は千葉県にて同じ学校名で教育活動を行ってきた。小学校から大学までが同じキャンパス(中学だけ少し離れていたが)にあった。宣教師が設計しただけのことはあり広い芝生のスペースがキャンパスの中央にありそれぞれの建物に向かう小径(サイドウォーク)を生徒たちが行き交う。屋根が高く平家でも二階かと思うほどである。キャンパス内には立派な天文台もあり皇室の方も見学に来られたことがあった。その広大なキャンパスの一角に健康食品を扱う工場があった。そこでは全粒粉を基本としたパンやクッキー、豆乳、肉のような食感のグルテンなどが作られキャンパスで消費する他全国に流通していた。教会では「聖餐式」という儀式が行われる。キリストの最後の晩餐(過越の晩餐)を記念して行う儀式だがその時にイースト菌を使わないパン(実際はクラッカーのようなもの)が使われるがそのパンもこの食品工場で作られていた。今ではかなり有名でどこのスーパーにも多くの種類がおかれている「グラノーラ」などもここで作られていた。しかし建物の老朽化や環境問題で学校ごと移転することになり45年前に現在の場所に移転してきた。しかし移転したのは小学校から高校まで。大学と食品工場は千葉県の他の場所に移転した。そのような経緯があり移転後は食品を自己生産できなくなり外注に頼るようになった。当然パンも外注がメインになった。歴史のいくつかの場面で職人さんが校内のベーカリーでパンを焼いていた時期はあるが基本的には外注していた。それは私たちの学校の姿では無いと、15年ぐらい前に職人を招いて本校の職員がパン職人の研修をすることになった。1年半あまりの修行期間であったがその職人さんも居なくなり、いよいよ研修を受けた本校職員がパンを焼くこととなった。開始当初はそこそこのパンを焼いていたが1年もするとまたパンが外注になってしまっていた。その職員が他の仕事も兼ねており忙しくて手が回らないのが理由だった。折角職人さんに教えていただいたのに勿体無い、と思いながらしばらくそのままの状態になっていた。が、やはりこれは学校の財産の問題だと気づき、当時教頭をしていたが自分が製パンの研修を受けることを申し出た。期間は1年。その間に修行しその技術を他の職員に継承していくシステムを作ろうと思った。これがパン職人を志すようになった経緯である。

研 修

いよいよ製パンの研修が始まった。職人から習った本校職員が教えてくれる。一度に食パンを15本(45斤)ぐらい焼くので材料はミキサーを使って混ぜ、こねる。グルテン質が出てくるまでこねるのだが温度が高くなってはいけない。途中で温度を確認しながら生地がガムのように伸びる頃合いを見計らって作業を終える。因みに本校のベーカリーで使うのはもちろん強力粉であるがかなりの割合で全粒粉を使う。またドライイーストではなく天然酵母を使う。「ドライイーストを使いたいな」と思うことが何度もあった。天然酵母はホシノ酵母などの既製品を使うのではなくレーズンを発酵させて作る、所謂自家製天然酵母である。毎日2,3回発酵の状態を確認しながら一番良い状態の酵母を使う。まさに酵母を育てるのだ。また使う酵母が決まったら今度は全粒粉に混ぜて種作り。この種が半日強で膨らめば美味しいパンの出来上がりが期待できる。だからパンを焼きたいと思ってもその前の工程が約1週間ぐらいかかるので、1週間先の作業を見越して仕込みをしなくてはならない。ドライイーストなら焼きたい時にいつでも焼けるし発酵ムラもない。最初は何度も失敗した。もともと才能がないことは分かっていたが失敗が続くとやはり落ち込む。しかし自分がパン職人にならなければこの学校のパンの文化は継承されなくなると心に言い聞かせ頑張った。本を読みなぜうまく行かなかったのか、その原因を探った。食パンの次に覚えたのがカンパーニュ。これは考え方によっては食パンよりも優しいのではないかと思った。食パンにしても何にしても全てのパンに手ごねの過程がある。この手ごねの技術を習得するのにも結構な時間がかかった。空気を抜くだけでなく慣れてくると生地の感触からどのようなパンになるのかが想像できた。手の感触で「あ、少し硬い」と思ってもこの段階での修正は効かない。「失敗かも」と思ってもとにかく焼き上げるしかないのだ。因みに自分はパンが大嫌いで自分から進んで食べることはない。焼きあがったパンの試食をして味を確認したこともない。別の人に味見してもらい意見を聞く。正直な気持ちはパン職人ではなくそば打ち職人を目指したかった。

良いパンを焼くために

1年の研修期間を終えてまた教頭職に戻った。が、製パンはそのまま続けた。毎日空いた時間にパンを焼いていたのだがほとんどんが夜中に作業をすることになる。またその頃から同僚で製パンを学びたいという人が数名いたので協力してもらい作業をしていた。生地を作る作業だけは人に任せられなかったがそのほかの工程は任せていた。同じ材料、同じ方法で作っているが毎回違ったパンが焼きあがる。勿論酵母の状態が良い時期と悪い時期という季節的なものもあるがそれ以外の要因でも違ってくる。生徒に提供するパンなので素人ながら少しでも美味しく健康的なパンを目指すのであるが毎回同じようにはできない。パンがまさに生き物であることを物語っているようである。拙い経験しかない自分が言うのもおこがましいが、少しの「まぁ、いいだろう」が各工程にあるとそれは最終的にとても大きな妥協になってしまう、ことを学んだ。どの工程においても「これで大丈夫」と言えないと最終的に美味しいパンにはならない。また作るとにきは生き物を扱うように愛情を込めることも美味しいパンを作るのに大切な要因だと思う。少し気持ちが苛立っている時に焼いたパンは決して美味しいパンには仕上がらない。また時間にゆとりがない時は決してパンを作らないようにしている。パンは生き物であるからこちらが急いでいる様子が伝わってしまう、そのように感じることが多い。パンは決して急いで作ってはいけない、これは常に守っている。パンの種類や数量によって焼き上がりまでの時間は異なるが必要時間の1.2倍の時間がない時には決して作らないようにしている。工程に4時間かかる時は5時間弱の作業時間が無いと作れない。

パンと教育

パンを作っていて常に考えていることがある。それは教育の働きとパンを作るプロセスが似ていると言うことである。パン、特に本校のように自家製天然酵母で作るパンの場合思いつきではできない。事前に良いプランを立てそれに向けて最低1週間以上前から準備する。愛情をかけ決して焦らず、こちらにいつも時間的精神的ゆとりがあることをパンに示すことが良いパンを作るコツだと思っているが教育現場でもこれと全く同じ理屈が通じる。生徒を思いつきではなく良く見極める。特にその良い部分を見極めるところからスタートする。時間をかけて準備して愛情を注ぎ続ける。どのような時にも寄り添えるように時間的、精神的ゆとりを必ず持って接する。これを繰り返すことが教育では不可欠である。パンを作るようになって大切なことをたくさん学ばせてもらっている。これからも製パンの奥深さから多くのことを学ばせてもらえることだろう。