節 目

オンライン同窓会

本日、2月28日にかつて担任をした学年の同窓会が行われた。海外にいる生徒も多いため日本だけでなく海外時間にも配慮した非常に長い同窓会だった。全体集会は日本時間の午後8時から10時30分まで行われた。グループセッションでいくつかのルームが用意されており適当にお話ができるようになっていた。最近の文明の利器にはなかなか疎いので若い子たちが考えることの緻密さには舌を巻いている。

全ての参加者が近況を語り合った。うまく行っている生徒もいれば大学を途中でやめた者もいる。仕事を辞めたり、留学を一時中断して帰国している人もいる。しかしまだまだ若い。何度でもやり直しができるし、大学を辞めることぐらい失敗でもなんでも無い。是非この同窓会をひとつの節目にこれから将来を見つめて頑張って欲しい。

それにしてもひとりひとりの顔を見ていたら何故か涙が出て来てしまった。懐かしいからなのか。よく分からないがとにかくひとりひとりとネット上とはいえ会えたことが本当に嬉しかった。

息子の誕生日

今日は次男の誕生日でもある。昨日からずっと次男の誕生の過程を思い出していた。27日から陣痛が始まり夜中に病院に行った。出産まではもう少し時間がかかると言われ病室で本格的な陣痛が始まるのを待った。28日のお昼前からいよいよ産まれるような雰囲気になり分娩室に運ばれた。この出産にはいくつかの不思議なことが重なっていた。そのひとつは生まれてくる子どもが逆子だったこと。後半の検診では帝王切開にして出産をしようということになっていた。ところが出産直前になってまた元の逆子では無い状態に戻っていた。お医者さんもこんなことは珍しい、と首を傾げていた。もしこの個人病院で帝王切開で生まれていたとしたら、次男の異常に気づくことができず処置が遅れてしまい命を落としていたかもしれない。自然分娩になったがなかなか産まれない。数時間頑張ったが尋常では無い難産で、この病院の院長が救急搬送を決意した。個人病院に救急車が到着し一番近い高度医療センターに搬送された。そこでも自然分娩で産もうとしたが妻の泣き叫ぶ声が待合室にまで響いて来た。想像を絶する難産であることが分かった。急に胸騒ぎがした。結局医療センターでも自然分娩を諦め帝王切開で出産することになった。午後6時頃、次男が産まれたが抱かせてもらうことができず、「少し検査をします。お父さんだけこちらに来てください」と言われて別室に連れていかれた。まだ検査をしていないので断言はできないがいくつかの問題を抱えていることが考えられる、今から小児外科とNICUがある病院に搬送するので一緒に来て欲しいと言われた。何を言われているのかよく分からなかったが緊迫した状況であることは分かった。出産を終えてぐったりしている妻に心配をさせないよう「少し別の病院で検査があるみたい。でも多分大丈夫だと思うよ。一緒に行くから今日はゆっくり休んでね」とだけ伝えて搬送してくれる救急車の後を自家用車で追いかけた。

息子の状態

すぐに色々な検査が行われたが、搬送の途中で呼吸が苦しそうだったので途中で待ち合わせて乗り合わせた小児外科医が救急車の中で切開などの処置をして搬送したとのことだった。実は小児外科の先生が救急車に途中から同情してくれたことも奇跡だった。普段は病棟にいない時間帯に先生がいらして電話に出てくださったそうだ。状況を聴き危険であると判断し病院まで搬送していたのでは間に合わないかもしれないと判断し途中のサービスエリアまで迎えに来てくださった。これもいくつもあった不思議な出来事の一つだった。
病院に着くなり幾つもの書類にサインをさせられすぐに1回目の手術が行われた。

染色体異常から起こる特異体質で食道や腸、肛門など数カ所が繋がっていない状態だった。病院で簡単な説明を受けたがよく理解できなかったので、言われた通りのことを看護師である姉に電話して聞いて見た。姉はしばらく無言だった。「辛いけど少し覚悟しておいたほうがいいかもしれない」と言われた。これだけ消化器系が繋がっていない症例はそう多くはないとのこと。極めて厳しい状況であるとのことを伝えられた。

妻にも本当のことを伝えられない状況でずっとこの状況を抱えることが重すぎた。でも一番頑張っているのは次男だ。彼が一番辛いはず。だから自分も頑張らないといけない、と自分を奮い立たせた。翌日は手術がないということだったので一度自宅に戻った。気持ちを整理すること、そして子どもの出生届を出したかったからだ。名前は最後まで夫婦間で意見が合わなかったが、あれだけ苦労して産んでくれた妻の考えた名前をつけるのが一番良いことだと思い、出生届にその名前を書いて提出した。風前の灯のような命。いつ消えてしまうか分からないがせめてこの地上に生きた証を残したく出生届を出した。

次の手術は命に関わる大手術であることを告げられた。産後で体調が戻らず入院中の妻に初めて次男の様子を伝えた。そして次の手術が最も危険であることも伝えた。妻は頷きながら静かに泣いていた。「何かあるんだろうな、何かを隠しているんだろうな」とは思っていたという。その大手術の日、妻は1日外出許可をもらってNICUにいる我が子に会った。たくさんの管を外され父母それぞれが抱っこさせてもらい写真を撮った。そして3人でも写真を撮った。これがもしかしたら最初で最期の写真になるのかもしれないという怖さがずっとあり、抱っこしながらふたりとも泣いた。子どもの前で気丈に振舞おうとしたが号泣してしまった。

手術は10時間を超える大手術だったが無事成功した。兎に角泣けた。泣けて泣けて仕方なかった。

そんな状況を乗り越え、受けた手術は大小合わせて10回以上。そのうち命に関わる危険な手術はこの時ともう一度あった。多くの手術を終えた後、1歳の誕生日を迎える前から原因不明の「周期性嘔吐症」に悩まされその後何年も病院で過ごすことになってしまった。しかしそれでも神様はこの子を守ってくださった。そして今日、8歳になった。本当に奇跡である。

辛いことばかりの毎日で、神様が今までしてくださった沢山の奇跡を忘れてしまいそうになる。誕生日を迎えるこの日を節目に、もう一度神様に感謝をささげ心から信じてしたがって生きたいと思っている。

子どものことを考えただけで涙が出てくる

イエス様が自分たちを子どもとして天国に迎えてくれる讃美歌
Welcome Home Children

今日の同窓会を行なった学年と作った卒業記念品のピザ窯
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神を認める

一人静かに

昨日、牧師先生がメッセージと証の文章を送ってくださった。
ふたつの話を紹介してくださったがとても考えさせられる内容で、同時に励まされた。ひとつ目のメッセージは次のような内容だった。

 

『静まって、わたしこそ神であることを知れ。』詩篇46:10

メソジスト運動を起こしたジョン・ウエスレーをご存知だと思います。彼の母はスザンナといいます。彼女にはジョンを含めて19人の子どもがいました。彼女の時代は現代のような便利な時代ではありません。冷蔵庫、洗濯機、掃除機などはありませんでした。

毎日の家事と育児がどれだけ大変だったか・・・。食事を作り、手洗いで洗濯をします。加えて子どもたちに勉強も教えました。想像を超えた忙しさだったことでしょう。彼女は戦争のような毎日の生活の中で、午後一時から二時までの一時間は何をしていても働きの手を止めて寝室に一人こもって祈っていたと言います。

彼女は、神様の前に静まり、祈って聖書を開いてみ言葉に耳を傾けたのでした。この時間こそが彼女の力の源泉だったのです。そして、その祈りの中からウエスレーのような人物が育っていったのです。

私たちも多忙な毎日を過ごしています。時間に追われるような日々です。でも、だからこそ神様の前に静まる時間が必要なのです。イエス様は、「私から離れては、あなたがたは何一つできないからである」(ヨハネ15:5)と言われました。このイエス様の言葉の意味を知る必要があります。

神様の前に一人静まる時間を確保しましょう。聖書を開いたら、日常の喧騒の中で聞き逃している神様のみ声が聞こえてきます。その言葉によって私たちは生きるのです。

もう一つの証

イタリアで建設業を営むロバートは、誰から見ても成功者の一人でした。しかし彼は心のなかで、もっと神様に近づきたいという渇きを常に感じていました。身の回りで起きたいくつかの出来事を通して、彼は神がすべてを備え、導いてくださると確信し、安定した職業を捨てて全時間を伝道者として献身する決心をしました。

アフリカでしばらく働いた後で、彼はウクライナにいる貧しい人々を援助するための物資を集める仕事に導かれました。友人にも協力してもらい、彼は4台の大型トラックを用意して衣類や物資をいっぱいに積み込みました。ウクライナ国境を通過するのはかなり厳しいことが予想されましたが、神様がどんな計画を用意してくださるかを考えると興奮して眠れないほどでした。

案の定、国境に着くとすぐに警備員に呼び止められました。

「国境を越えることができるのはスーツケース2個だけ、それ以外の荷物は1キログラムごとに超過料金を払わなければならない」と彼は冷たく言い放ちました。もちろんロバートはそんなお金など持ち合わせていません。自分たちの信仰心が足りないのだ、と考えた彼らは、何度も何度も、渾身の祈りを捧げましたが、警備員の態度が変わる様子はありません。何日経っても、ついにトラックは国境を超えることができなかったのです。

あきらめたロバートは、大型トラック4台分の積荷を何日もかけて降ろすと、国境にある倉庫の中に運び込みました。そしてウクライナ国境からほど近い教会の牧師と連絡を取り、物資を届けに来たが国境を越えられなかったので、荷物はすべて倉庫に一時保管していること、また倉庫の鍵の暗証番号を伝えた後でイタリアに戻っていったのでした。

ウクライナ人の牧師は興奮しながら、6人の屈強な男性と一緒に倉庫に向かいました。一人が2つずつ空のスーツケースをもって倉庫に入り、衣類や物資をいっぱいに詰めこんだあとで、再び国境を越えて戻っていきます。こうして彼らは毎日同じ段取りを繰り返し、倉庫の中の物資を少しずつ国内の困っている人々に配っていったのでした。

しかしこのような作戦が見破られるのも時間の問題でした。ついに警備主任が彼らを呼び止めました。「お前たちは何をしている?」 

男たちは、貧しい人々を助けるために物資を運んでいるのだと説明しました。しかし警備主任は「貧乏人のために物資を運ぶなどと馬鹿げた嘘をつくな! 本当のことを話せ!」と男たちに迫りました。彼らは正直に、自分たちは神を信じるクリスチャンであること、そして神に導かれてこの仕事をしているのだと説明しました。

警備主任は彼らをじっと見つめながら、「神がいるというなら、俺の前でそれを証明できるか?」と挑発してきました。牧師と仲間たちはその場に座り、警備主任を相手に、神と三位一体についての聖書研究を始めました。次の日は別の真理について彼に語り、さらに翌日も同じ様にしました。最終的に、彼らは倉庫から荷物を運び出しながら、1ヶ月間、この警備主任を相手に聖書研究を続けたのでした。

翌月になって、すっかり真理を受け入れるようになっていた警備主任は、他の11人の警備員を呼び集め、彼らにも自分と同じ聖書研究を授けてほしいと牧師に頼みました。さらに1ヶ月が過ぎ、そこにいたほぼすべての警備員が真理を確信し、全員がバプテスマを受ける決心をしたのでした。

「もうスーツケースで荷物を運び出す必要はない! 超過料金も課さない! トラックごと国境を通過することを許可する!」 警備主任は牧師たちに笑顔でそう言ったのです。

2ヶ月間という長い期間が過ぎましたが、神様はウクライナの教会のためだけでなく、国境にいた警備員たちにも救いの手を伸ばしてくださいました。主が行われたこの奇跡を聞いて、ロバートがどれほど驚いたか想像してみてください! ロバートの祈りは瞬時にかなえられることはありませんでしたが、神様は後になって確実に祈りを聞き届けてくださったのです。

私たちも同じです。祈っても、祈っても、道が開かれないときがあります。しかし私たちは、神様が必ず私たちの祈りを聞き届け、栄光の輝きとともに、神のタイミングと方法で答えてくださることを信じなければなりません。その日その時には神が働かれているお姿が見えなかったとしても、それでも私たちは神様に信頼することを学ばなければならないのです。

なぜなら、神のみ心にかなう祈りで答えられないものなどひとつもないからです。

どのような時にも神様のタイミングというのがある。それは全てを円滑に、そして平和にするタイミングである。神様のその時まで信じながら祈り続けることの大切さを学んだ。
静まって神様が誰であるかをもう一度熟考し、その神様の元に立ち返ること。我が家に帰るごとくキリストの元に立ち返ることが求められている気がする。

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Foot Prints 2

先日の投稿から

先日Foot Printsというタイトルの投稿をした。その後この詩に関して色々と調べていたところその背景となるストーリーの動画を発見した。それを読みながらずいぶん前にこの「あしあと」の書籍を購入して読んだことを思い出した。この詩の背景にあるストーリーを是非視聴していただきたいと考え投稿した。

この詩の背景

この詩を生んだのは神を信頼する心でした。

父親に虐待された過去と

殺人の前科を持つ男性と、

育ちの良い女性が結婚を

決意するまでにあった

戸惑いの心は、

神への信頼によって

平安へと導かれたのでした。

その信頼の中から、

この詩は生まれました。

この美しい詩

「あしあと」の作者は

マーガレット・パワーズさん。

1964年、

ご主人のポールさんに

プロポーズされた日

「あしあと」は生まれました。

その日、カナダのエコー湖の

なぎさを歩いていた二人の心は

結婚のことでいっぱいでした。

数時間前に、突然

プロポーズされたばかりでした。

ポールさんはキリスト教の伝道師で

マーガレットさんは教師でした。

二人はともにクリスチャンで

結婚生活への夢も

ふくらんでいましたが、

実は心の奥底には

不安があったのです。

育って来た環境が

あまりにも違う二人が、

果たして一つになれるのだろうか。

マーガレットさんの両親は、

ポールさんのいまわしい過去を

知っても賛成してくれるのだろうか。

殺人の前科を持った男

マーガレットさんは、安らぎのある

家庭環境で育ちました。

一方、ポールさんは父親から

ひどい虐待を受けて育ったのです。

ゴミ処理場の裏に住み、

働かない父親に

5歳で万引きを教えられました。

7歳の冬、父親の不注意で

母親が凍死した朝、

父親が母をゴミに

埋めてしまうのではないかと

怖くなり大声で泣くと、

泣き声がうるさいと

父親から暴力を受け、

手首や肋骨、鼻を骨折、

歯が何本も折れました。

成長しギャングの一員に

なったポールさんは

12歳の時、盗みに

入った先で婦人を射殺。

少年院を転々とし、院内で

聖書をもらうとその場で

破り捨てたのです。

けれど、ポールさんは、その後

刑務所の職業訓練学校で

前向きに学ぶようになり、

出所後、老齢のクリスチャン夫妻宅に

下宿したことでクリスチャンになりました。

イエス・キリストが

自分の罪のために

十字架にかかったと知った時、

母親が死んだ7歳の朝以来、

初めて涙を流しました。

そして1964年のある日、

エコー湖のなぎさを歩きながら

将来を真剣に語り合っていた

二人がいました。

そろそろ戻ろうと砂浜を

折り返すと、二人の足跡が

波に消されて一人分しか

残っていないのです。

それを見て、神が

祝福していないことの暗示かと

不安がるマーガレットさんに、

ポールさんは

「そうじゃない」

「二人は一つになって

人生を歩いて行けるんだ」

と励ましたのでした。

それでもマーガレットさんは不安です。

「二人で処理できないような

困難がやって来たらどうするの」

と聞きます。

ポールさんは答えました。

「その時こそ主が僕たち二人を

背負い、抱いてくださるときだ」。

「主に対する信仰と信頼を

持ち続ける限りはね」。

詩を書くのが好きだった

マーガレットさんは、

その夜、明け方近くまでかかって、

なぎさでの出来事を詩に書きました。

まるで神様を交えて

三人で歩いたような

麗しい瞬間を、

書き留めておきたかったのです。

完成した詩をポールさんに

見せた時には、なぎさでの

出来事と、詩を書き上げた

喜びと感謝で、結婚への

不安はなくなっていたのです。

その後、人前で聖書を

語ることの多いポールさんは、

機会あるごとに

「あしあと」を紹介。

それが、この詩が世界中に広がる

きっかけとなったのです。

苦しい時にこそ信頼を

1989年の夏、

ピクニックに訪れた州立公園で、

夫妻は酷い事故に遭いました。

娘は首を骨折し内臓の損傷が

ひどく、ポールさんは

心臓発作で集中治療室へ。

ポールさんを助けようとした

マーガレットさんも腕を骨折。

その時、病室を訪れ

回復を祈ってくれた

クリスチャン看護師が、

”作者が分からないんですが”

と贈ってくれたのが

「あしあと」だった。

「夫と娘は病院のベッドで、

私の腕にはギブス」。

「私たちの人生にかげりが

覆っているようでしたが、

ポールと娘は奇跡的に

生きていました」。

「私は過去の経験から、

辛い時期には

主が私たちを背負って歩いて

くださるのを知っていました」。

「これまでも背負って

くださいましたし、

今も、私たちを背負って

歩いてくださっているのです」。

それは、エコー湖の

なぎさから25年、

世界中で人々を

励まして来た詩が、

改めて自分の元に届き

大きな慰めを受けた

瞬間だったのです

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将来を考える

高校生の生き方指導

高校生を受け持つ際必ずついてまわるのが彼らの進路・進学指導である。うまい表現ができないので心苦しいが教員は会社勤めをしたわけでもなく自営業を営んだわけでもない。社会に対して疎くそれを隠すために必死に書籍やニュースで勉強する。そしてそれらを全て経験したかのように生徒に語るのである。本当は教員が一番ものを知らない人種なのかも知れない。高校生ぐらいだと将来に対して色々な夢を持っている。音楽家としてやっていきたい、デザイナーとして自社ブランドを立ち上げたい、起業してみたい、今で言うならばyoutuberになりたいと真面目に言う生徒も少なからずいると思う。そこに親と意見の衝突が生まれる。親は自分が通って来た道だから色々なことが見えている。しかし高校生が見る「現在」は見えない。逆に高校生には「現在」は見えるがその先や社会の厳しさが見えない。どうしても両者がぶつかってしまうことが間々ある。両者の気持ちが分かるだけに簡単に自分の意見を述べることはできない。個別にお話しするしかない。

親御さんには、何故自分がそのようなアドバイスをするのかその理由を説明してあげてほしいとお願いする。親御さんも最初から親だったわけではない。高校生の時代があったわけである。その時に描いた夢やそれを断念した理由、もっと言えば挫折や後悔の経験を話してほしいと思う。将来に対して希望もあるが不安が募る時期に、親から頭ごなしに「こうしろ、これはダメだ」と言われるより親の失敗談やこうあってほしいと言う「親心」を聞くことがどれほど彼らを支えるか分からない。

逆に生徒には親御さんの意見は高校生から家庭を持って家族を養う、と言う広い視野での意見だから必ず尊重して聞くように指導する。

しかし、そう言う指導を両者にしながら常に思っていることがある。それは、将来に関する全ては、今の生活や健康、経済活動がこれからも続くと言う前提での話であるということ。子どもに色々な要求をする親御さんを沢山見て来たが、一番望むのは子どもがこのまま事故や怪我、病気から守られて健康に生きられることだと思う。死んでしまっては希望すら託すことができない。なのに当然それは保証されているかのように話を進める親御さんと話していると少しげんなりしてしまう。大事なことはもっと底辺のことなのに。

将来の保証

聖書の中にバビロンという国が出てくる。預言者イザヤと言う人がいるが彼が活躍していた時期はアッシリアという国が大国であった。バビロンは新興国、弱小国で取るに足らない国でしかなかった。その時代にイザヤはバビロンが頭角を表し大バビロンと呼ばれるほどの巨大な国になること、そしてその国が一夜にして滅ぼされることを預言した。バビロンはユーフラテス川の水の恵みによって栄え城壁は高さ90メートル、幅24メートルにも及ぶ城壁を有し、難攻不落の都市と成長した。また20年間籠城できるだけの食料が蓄えられていたと記されている。しかし、メディア・ペルシアのキュロス王によって滅ぼされてしまうのである。ユーフラテス川の水が干上がり、城門が開かれ祝宴に酔いしれるバビロン軍に奇襲攻撃をかけたのである。まさかあの大国が、と思われる出来事だったと思う。

かなり筋違いな例だが、半導体産業ではトップを独占していた米国が中国にその座を譲ってしまう昨今の状況に似ているのかもしれない。米国に住む友人の話ではシリコンバレーから半導体企業が撤退を始めていると聞いた。もしかしたら5年後には「そういえがGoogleとかいう会社が買収したyoutubeっていうのがあったな」「確かにそんな会社があったし、動画もyoutubeで見る人がいたな。今はTikTokの時代なのに」などという会話がなされているかもしれない。

明日も同じ状況だと誰が言ったのか、誰がそれを保証したのか。

最後に残る確かなもの

最終的に頼れる、揺るがない、信頼に応えてくれるものがあるとすればそれは何か?やはりイエス・キリストしかいないと自分は確信している。何度も何度も不信仰に陥り、自分をこんな不幸にするイエス様なんて信じられない、と悪態をついて来たがそれでもやはり信じている。全てが明日どうなるか分からない状況の中で、

イエス・キリストは、きのうも、きょうも、

いつまでも変ることがない。

 Jesus Christ the same yesterday,

and to day, and for ever.

ヘブル人への手紙13:8

と聖書は教える。

イザヤ書の勉強を解説している動画を見つけた

ぜひ視聴していただきたいと思う。テキストを用いた聖書の勉強であるがテキストがなくても聞きやすく分かりやすい話である。

イザヤ書解説の動画はこちら

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帰ってこられるイエス

運転免許証

昨日投稿したように、神様の力が働き教習所を卒業することができ普通自動二輪免許を取れるようになった。自分にとって卒業検定に合格できたことは、神様が共にいてくださるという確信に繋がる重大な出来事で、昨日は何度も共にいてくださる神様に感謝をささげた。

今日は自動二輪の運転免許証を取得するため免許センターに行った。いくつかの地域ではコロナの感染予防のため予約制になっているようだが自分のところはその措置が取られておらず直接行くことができた。いくつかの手続きをして運動能力テスト(非常に簡易的なもの)と視力検査を行った後写真撮影をして無事免許を交付してもらった。

自分が持っている免許は普通自動車、大型自動車、そして今回取得した普通自動二輪であるが普通自動車の免許をとったのが昭和60年1月28日になっていた。今から36年前のことだ。当時大学3年だったと思うが地元の教習所に通った。地図で調べても出てこないので今はもう潰れてしまったのかもしれない。記憶では板橋区の城北中央公園近くにあった教習所だったと思う。あの当時はとにかく厳しい教官が多かった。必要以上にノッキングするたびに体を震わせる教官や頭を叩く教官など嫌な人が多かった。大型を取ったのは今から20年以上前だがその時も結構怖い教官がいた。何故か当時の教官は趣味の悪そうな金のネックレスやブレスレットをする人が多く、野球選手に教えてもらっている気分だった。

それに比べて最近の教官はとにかく優しい。自分は今回の教習で叱られたことは勿論注意をされたことも無かった。褒めて育てるタイプの教官ばかりだったのでホッとしたし今の教習生は恵まれているな、と思った。経営が難しい昨今教習所も昔のようなやり方ではすぐに潰れてしまうのかもしれない。

それにしても最初に免許を取ってから36年。色々な経験をしたし、これまで乗った車をひとつひとつ思い出していた。車を思い出すとその車で行った場所をなんとなく思い出す。自分のこれまでを振り返るような時間をしばらく過ごした。

恥をさらしながらここまでよくここまで生きて来た、いや生かしてもらったな、と実感した。

仕事の話

そんなことを考えて免許の交付を待っている間に、自分のことを心配して何かにつけて助けてくれる友人から電話をもらった。自分は3月からも休職扱いになっているが、この後のことをなんとかしてくれるよう上司に直談判してくれている友人だ。彼と今後のことや自分の気持ちなどを話しているうちに、自分はこのまま休職ではなく退職になるのではないか、という気持ちに変化して行った。なんとなくそう思ったのだ。そうしたらどうやって生きていこうか。すぐに収入を得る方法を考えないと子どもの学費を支払うことができない。昨日あれほど祝福された経験をしているにも拘らずもう不安になっている。神様は「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」と仰ってくださりその証拠を見せてくださったのに。自分の不信仰を恥じた。しかし、やはり不安でる。心落ち着かないまま免許を交付してもらい家に戻って来た。しばらく祈ってから「ヨハネの黙示録」の勉強をしていたが、世の終わりの「最後の裁き」を学んだ。聖書を読んだことのある方はわかるかもしれないが「7つの鉢」という預言があるがその場所を勉強していた。いよいよ終わりの時がくる。最後に神様の側につく人々が、獣の側につく人々に迫害されるがこの「鉢」の災いが迫害者たちに下るのである。もう改心しても遅い、というタイミングで神の民を守るために迫害者が腫れ物や血に変わった水、灼熱の太陽によって滅ぼされるのである。いよいよイエスキリストのご再臨である。

不安なこと、うまくいかないこと、神様を信じていても恐れてしまうことはあるけれど最後はイエス様が再臨して救ってくださる、これこそが希望である。

不安は尽きないが共にいてくださる神様を意識して再臨に望みをつないでいきたい。

再臨の希望を讃美歌にした「キリストは来りたもう」というものがある

讃美歌の動画はこちら

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教育
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恐れるな、わたしはあなたと共にいる

最近の祈りと嘆き

1ヶ月以上前から妻からの離婚請求が止まらない。メールや手紙、内容証明郵便などでとにかく急げと催促され続けている。本当に悲しい気持ちで毎日を過ごしている。涙を流しながらというよりも、恥ずかしながら号泣しながら叫ぶような祈りをささげている。神様の存在を信じながらも今回の件を祈り始めて1年半、状況は悪い方向にしか進んでいかないことに不信感も持ち始めている。神様に対して言葉は丁寧だが要するに悪態をついている。

「耐えられないような試練にあわせる事なく、試練と同時に逃れの道も備え」てくださると聖書で約束している神様はこれが耐えられる試練だというのだろうか?逃れの道って何?祈ったところで何かが変わる訳でもなく、状況は厳しくなる一方。

「疲れている者。重荷を負っているものはわたしのもとに来なさい」と言うけれど、どこに行けば良いのですか?祈ることが神様の元に行く事ならずっと前から来ています。でも何も助けが無いじゃないですか。」

「恐れるな、わたしはあなたと共にいる」と言うけれど、恐れが止まらない時はどうしたら良いのですか?共にいてくれると約束していますが毎日聖霊を求めて祈ってもそれすら与えてくださらないじゃないですか。共にいるって本当ですか?

こんな感じの悪態である。応えられない祈りをささげ続ける虚しさをずっと感じていた。

昨日のこと

昨日、思うところあって1ヶ月ぶりぐらいに教習所に行ってみた。卒業検定の予約をするためである。精神的に崩れることが良くあるので教習所も一度行かなくなるとしばらく休んでしまう。今回はとても長く1ヶ月以上休んでしまった。卒業検定前の見極めをもらったのが1月だったが離婚の催促が続き教習所どころではなかった。今も状況は変わらないというか日に日に厳しさを増しているが、卒業検定も受けておかないとバイクの乗り方すら忘れてしまいそうだったので、そんな気分ではなかったが昨日卒業検定の予約をした。試験日は本日2月23日(祝日)。

そして夕方にブログの投稿をした。自分の気持ちと信仰を表現したくFoot Printsという詩をモチーフにした文章を書いた。自分の信仰を奮い立たせながら、不信仰を隠して記事を書いていた。Foot Printsをテーマにした讃美歌の動画もリンクさせたが、有名な大和カルバリーチャペルの特別讃美歌の動画を拝借した。それを何度も聴きながらずっと涙が止まらなくなってしまった。イエス様が自分を背負ってくださっているなら、それは今なのか?しかしその実感はない。でももしそんなイエス様が自分のそばにいたら本当に感動的だな、などと思いながらただただ涙を流していた。

今日のこと

昨日は讃美歌の感動と卒業検定の緊張とでなかなか眠れなかった。気づけば午前3時をすぎていた。もう一度聖書を読んでやっと眠れたが、朝7時に電話が鳴った。1年ぶりに妻からの電話だった。勿論内容は「早く離婚届にサインをして送り返せ」というもの。こちらは何も話せないまま30分色々な不満を言われて電話は切られた。今日は休日だから速達郵便以外来ないから妻からの催促も小休止かな、と思ったら思いがけず電話攻撃。怖かったけど1年ぶりに聴く妻の声はひどく懐かしかった。言われている内容は離婚の催促や子ども達は父親を嫌っている、同僚や周りの人からも嫌われる存在が何をしているのかと叱られるばかり。声の懐かしさと内容の辛辣さがアンバランスすぎて、また眠気もありうまく頭に入って来なかった。こんな調子だったので涙から始まる1日となってしまった。1時間半祈って卒業検定のコース(2つのコースのうちどちらかが今日の検定コースとなる)を覚えて「どうでもいいや」という気持ちで教習所に向かった。

自分は一本橋という課題が苦手で何度も橋から落ちている。成功率は40%ぐらい。見極めもそれが原因で2回ほど不合格になっている。15mの一本橋が永遠に続くように思える。途中で「中型ではなく小型免許に変更できないか」と相談に行こうと思っていたくらいだ。小型ならバイクも小さいし一本橋は5秒以上の速度で通過すれば良い。中型だとバイクも大きいし7秒以上かけないといけない。見極めで2回不合格になったときは本気で小型に変えるか、或いは諦めようと思っていた。

今日の受験者は自分を含めて5名。ひとりは大型なので自分と同じ中型は4名。自分の順番は2番だった。順番が受験番号となる。

順番を待っている間中、コースを確認しながら祈っていた。合格は諦めているので「イエス様が共にいてくださることがどういうことなのかを教えてください」と祈っていた。足が震え、腕も震えて運転できるような状態ではなかった。落ち着こうとすれば余計に震える。待っている時間は永遠にも思えるくらい長かった。そしていよいよ自分の番になった。後方確認をして乗車、ミラーを調節してエンジンスタート。左右と後方を確認して出発。最初の課題は直線で40km/hを出すこと。これは問題なかったが震えが止まらない。次がクランクとS字。少しウインカーのタイミングが遅れた。踏切の一時停止から坂道発進。その後外周の内回り。前に教習車がいたので速度が出せず低速になり、腕が震えているから車体も揺れているのが分かった。次が問題の一本橋。いつも目線を向ける目標があるが緊張しすぎてうまく見えない。一本橋の前で「イエス様、共にいてください」とヘルメットの中で叫んだ。途中で「ニーグリップ、イエス様助けて、ニーグリップ」と連呼していた。緊張しすぎて何秒で通過したのかは分からなかったが恐らく7秒より早かったと思う。そして次がスラローム。これが鬼門だった。実はスラロームは一番得意な種目であったが今日に限って大失敗をしてしまった。スラロームコースには右折で進入するするが丁度対向車(教習車)があり一度停止した。その際1速にしそのまま発信したためスラロームを1速で進入してしまった。スラロームは2速走行が基本である。最初の立ち上がりでギアが違うことに気づき2速に変速したが時すでに遅し。8秒を大幅に上回る時間をかけてしまった。そして最後の急制動。合図があってから発進しようとした時に、ギアがニュートラルになっていた。1速にしたつもりだったのに。急制動はやり直しもなくそのまま終わり出発点に戻って検定終了となった。

すぐに採点官が評価をしてくれる。やはり一本橋とスラロームは時間がまずかったらしい。また車体が震えているのも良く見えていたとのこと。スピードに緩急がないなどたくさんの指摘を受けた。基本的にスラロームと一本橋で恐らく30点以上の減点になっているはずなので不合格は決まった。

合格発表を待ちながらも「どうせ落ちているから早く帰って今後のことを考えたい」と内心思っていた。朝の電話が掛かってきた件もあるので兎に角全てから解放されたく逃げ出したくなった。1時間ぐらい待ったと思うが合格発表のため再度集合させられた。

「合格者は3名。2番、3番、4番。大型は合格者なし」と発表された。「やっぱりな」と思った。自分は不合格者が呼ばれたと思っていた。なのでそのまま帰ろうとしたら教官から「あなたは隣の部屋で書類と卒業証書を受け取ってください」と言われた。

また泣きそうになった。合格が嬉しかったのではない。合格発表から数時間が経つが未だに合格を嬉しいとは思っていない。不合格の運転をしたのは間違いのないことで、それは自分自身が一番よく分かっている。教官がおまけしてくれたという人がいるかもしれない。しかし、全ては見ていないが1番の人の方が遥かに上手な運転をしていた。なのに彼は合格していない。今日の走行が自分の力でないことは明白である。

あまりにも悪態をつく祈りをする自分に、「イエス様が共にいてくださる」ことの意味を教えてくださった、それ以外に考えられない。家に戻って、また号泣した。イエス様が共にいてくださることをこんな自分に示してくださったことが嬉しく、また感動したのである。妻は今週中に着くよう絶対に離婚届を送り返すよう強く迫っていた。状況は悪くなる一方だが、しかしイエス様が共にいてくださることも事実である。愛する妻がこのイエス様に触れていただけたらどんなに良いだろうか。

Stillという讃美歌がある。逆巻く大波や嵐の時もイエス様の翼の下で憩うことが出来るという讃美歌である。

Stillの動画はこちら

 恐れるな、わたしはあなたと共におる。
Fear not: for I am with thee:

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Foot Prints

医療費控除の準備

時節柄、医療費控除を受けるため1年分の医療費領収書をまとめていた。2020年1月からの12月までの領収書なのでコンピュータに打ち込みながら色々なことを思い出していた。家族が出て行ったのが2020年3月6日。だから1,2月の領収書には妻や子どものものが含まれている。「この時は自分が病院に連れて行ったな」とか「歯医者さんでも我慢して泣かずに治療を受けた次男は偉かったな」などと当時のことを懐かしく思い出していた。蓄積したものを後で振り返ることは当時のことを色々と思い出し、当時の気持ちにさせてくれる。

ポートフォリオ

高大接続を軸にした大学入試でも、調査書の他に受験生の学習記録を評価できるようにポートフォリオが進められている。自分も受験のためという訳ではなく足跡として何かを残したい気持ちからこのポートフォリオを実施していた。

長男が卒園する時、幼稚園から色々なものを頂いた。卒園式の後に担任の先生が最後の読み聞かせを涙を流しながらしてくださった絵本や卒園アルバムなど。その中でも特に自分が感動したのが子どもの書いた絵をずっとためておいてくださり20枚以上の束をリボンで綴じたものだった。首しかない人間がだんだんと胴体を持つようになり、全身が同じ色だった人間が上下や顔で色別されるようになっていき子どもの成長が一瞬でわかるものだった。このプレゼントは本当に最高だった。できればこれと同じことを高校生にもしたいと考え、自分と関わった生徒の面接の記録をとるようになった。またその子の行動や表情で特筆すべきものがあればメモするようにしていた。そして機会あるごとに彼らにそれを伝えていた。

ある年、高校2年生を担任していたが隣の学級担任と相談してポートフォリオをやることにした。12個のテーマに沿った作文で、毎回ひとつずつテーマを決めて書いてもらっていた。ある時のテーマが「自分史」だった。始めは恥ずかしがる生徒もいたがひとつの動画を観せたところ全員がスラスラと自分を振り返る文を書いていた。授業が終わり全員に提出してもらい保管する前にこっそり読ませてもらった。学級に、ひとり左目を失明している生徒がいたがその子の自分史は読んでいて本当に泣けた。ある日、家族でデパートに出かけ買い物を済ませて屋上で遊んでいたらついつい楽しくなって思いっきり走り回ってしまったこと。そしてその後ポールのようなものに目をぶつけて顔中が血だらけになったことなどが書いてあった。本人も苦しかったが特に近くにいたお母さんが半狂乱になりその後もずっと自分を責めるようになったことが書かれていた。彼は誰にも負けない優しさの持ち主でオルガンやピアノは凄い技術を持っている。大きな教会のパイプオルガンを弾く事もあり片目が失明していることを感じさせないほどの人物である。

またある生徒は小学校時代にひどいいじめに遭っていたことを綴っていた。生徒ひとりひとりに深く重い歴史があることを知り、その中で必死に生きてきたことに感動した。教員は生徒をある瞬間の点でしか見ることができず、その一点を評価する。明らかに間違っているし教育現場の限界でもある。人格を持つひとりひとりに尊重すべき歴史があることを意識する必要がある。

Foot Prints

キリスト教の世界では結構有名な詩がある。「あしあと FootPrints]という詩である。以下引用

ある夜、わたしは夢を見た。

わたしは、主とともに、なぎさを歩いていた。

暗い夜空に、これまでのわたしの人生が映し出された。

どの光景にも、砂の上にふたりのあしあとが残されていた。

ひとつはわたしのあしあと、もう一つは主のあしあとであった。

これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、

わたしは、砂の上のあしあとに目を留めた。

そこには一つのあしあとしかなかった。

わたしの人生でいちばんつらく、悲しい時だった。

このことがいつもわたしの心を乱していたので、

わたしはその悩みについて主にお尋ねした。

「主よ。わたしがあなたに従うと決心したとき、

 あなたは、すべての道において、わたしとともに歩み、

 わたしと語り合ってくださると約束されました。

 それなのに、わたしの人生のいちばんつらい時、

 ひとりのあしあとしかなかったのです。

 いちばんあなたを必要としたときに、

 あなたが、なぜ、わたしを捨てられたのか、

 わたしにはわかりません。」

主は、ささやかれた。

「わたしの大切な子よ。

 わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。

 ましてや、苦しみや試みの時に。

 あしあとがひとつだったとき、

 わたしはあなたを背負って歩いていた。」

 

One night I dreamed a dream.

I was walking along the beach with my Lord.

Across the dark sky flashed scenes from my life.

For each scene, I noticed two sets of footprints in the sand,

one belonging to me

and one to my Lord.

When the last scene of my life shot before me

I looked back at the footprints in the sand.

There was only one set of footprints.

I realized that this was at the lowest and saddest times in my life.

This always bothered me and I questioned the Lord about my dilemma.

“Lord, you told me when I decided to follow You,

You would walk and talk with me all the way.

But I’m aware that during the most troublesome times of my life there is only one set of footprints.

I just don’t understand why, when I needed You most,

You leave me.”

He whispered, “My precious child,

I love you and will never leave you

never, ever, during your trials and testings.

When you saw only one set of footprints

it was then that I carried you.”

イエス様に抱かれ過去を振り返ることの素晴らしさ。自分は今困難の極みを過ぎている気がするがそれは勘違いなのかもしれない。イエスに抱かれ最も安全な人生を進んでいるのかもしれない。

この詩をモチーフにした讃美歌がある。

讃美歌の動画はこちら

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イエスキリストに忠実な人たち

キリスト教の歴史1

キリスト教の歴史を調べてみると、宗教的堕落の時代や世俗との結びつきで教会が力を無くした時代、また教皇が自分を神の代理人と言って聖書の内容を変えたり聖書に無い教えを教義にした時代、教皇が更迭される時代など様々な時代があることがわかる。しかしいつの時代においても神様に忠実であろうとする人たちは存在する。聖書に誠実であろうとするかつての信仰者たちが現代に、キリスト教の真理を伝えてくれているのだと思い心から尊敬と感謝の気持ちを持つものである。

聖書に忠実な人たち…。すぐに思いつくのがアーミッシュである。2006年に、のどかなアーミッシュに村の学校に銃を持った犯人が無差別に子どもたちを撃つという悲惨な出来事があった。ある少女は自分よりも幼い子の身代わりになると言って凶弾に倒れその妹も銃殺された。その父親が、犯人を赦すというとんでもない声明を出すことで一躍話題となったことがある。昔ながらの信仰を継承し世俗に染まることなく、ただただ神に対する忠実な信仰を持ち続けるグループだ。

キリスト教の歴史2

キリスト教にはカトリックとプロテスタントという大きなグループがふたつあると言われることがある。自分はこの表現が正しくないと常に思っている。自分のような者が語る資格もないが、聖書に忠実なグループをキリスト教とするなら、語弊を恐れず言うと、カトリックはキリスト教ではない。まず聖書の教えが違う。十戒が既に違う。聖書はどこを探しても霊魂不滅を教えてはいない。更に昔の聖人に対して祈ることも、聖書の教えではないし色々な形あるもの(絵画、聖骸に関するもの)を礼拝や祈りの対象にすることも聖書の教えではない。教皇も人間であり決してイエスキリストの権能を授かった代理人ではない。勿論、偽りの教えに惑わされているカトリック信者がキリスト教信者の大半を占めていることも理解しているしその方々を責めるつもりは全くない。事実カトリックの方で素晴らしい生き方をされている方、学ぶべき生き方をされた方は非常に多い。私が言っているのは教皇権やその教え自体のことを指しているのであり、それがもはやキリスト教ではないと言っているのである。

このキリスト教に似た偽りの宗教に苦しめられながらも信仰を清く保ち、神の前に誠実であろうとした人々がいた。また現在もその流れをくむ方々がいる。ワルド派(ワルデンセス)と言われる人たちである。12世紀後半、ワルドーによって組織されたグループであるが世俗に染まることなく、それまで司教しか手にすることができなかった聖書を丁寧に写し(写本)、その中の多くの言葉を暗唱していた人たちである。現在も北イタリヤ地方に2万人ほどのワルド派の人たちがいると言う。

このワルド派に関してエレン・ホワイトという人が「各時代の大争闘」という本で次のようなことを述べている。

ワルド派の人々は、ヨーロッパにおいて最初に聖書の翻訳を手にした人々の1つであった。宗教改革の数百年も前から、彼らは、自国語で書かれた聖書の写本を持っていた。彼らは混ぜ物のない真理を持っており、そのために、特に憎しみと迫害とを受けたのであった。彼らは、ローマの教会は黙示録の背教したバビロンであると宣言し、生命の危険をもかえりみず、その腐敗に抵抗するために立ち上がった。長期にわたる迫害のために、信仰の妥協をしたり、独特の主義を少しずつ放棄したりする者もあったが、真理に堅く立った人々もいた。暗黒と背教の全時代を通じて、ローマの至上権を否定し、聖画像崇敬を偶像礼拝だ

として拒み、真の安息日を守ったところのワルド派の人々がいた。最も激しい弾圧のさなかで、彼らはその信仰を保った。サボア人たちのやりに深手を負い、ローマの火刑柱で焦がされようとも、彼らは神の言葉と神の栄光のために、ひるまず堅く立ったのである。そびえ立つ山々のかげに―それはいつの時代においても、迫害され圧迫された人々の避難所であったが―ワルド派は隠れ場を見いだした。

そしてここで真理の光が、中世の暗黒のただ中にあって燃え続けた。ここで、1000年以上もの間、真理の証人たちは昔ながらの信仰を保持したのであった。

青年たちは牧師たちから教育を受けた。普通の学問の諸分野に注意が向けられる一方、聖書が主要な科目であった。マタイやヨハネによる福音書は、多くの使徒書簡とともに、暗記された。彼らはまた、聖書の写本に従事した。聖書全体の写本もあれば、短い部分的なものもあり、それには、聖書の解説ができる人々による簡単な聖句の説明がついていた。こうして、神よりも自分たちを高めようとする人々によって長く隠されていた真理の宝が明らかにされた。忍耐強くたゆまぬ努力によって、時には暗い洞窟の奥深くで、たいまつの光をたよりに、聖書は1節ずつ、また1章ずつ書き写されていった。こうして働きは続けられ、あらわされた神のみ旨は純金のように輝き出た。試練を経たために、神のみ旨がどんなにかいっそう輝かしく、明らかで強力なものとなったかは、その働きに携わった者たちにしかわからない。そして天使たちが、これらの忠実な働き人たちを取り囲んでいた。

キリストの精神は、伝道の精神である。心が新たにされた人のまず最初の衝動は、他の人をも救い主に導こうとすることである。これが、ワルド派キリスト教徒の精神であった。彼らは、単に自分たちの教会内において真理を純潔に保つだけでなくて、それ以上のことを神が要求しておられると感じた。彼らは、暗黒の中にいる人々に光を輝かす厳粛な責任が自分たちに負わされているのを感じた。こうして彼らは、神のみ言葉の偉大な力によって、ローマが人々に負わせたくびきを砕こうと努めた。ワルド派の牧師たちは宣教師としての訓練を受け、牧師の職務にたずさわる者はみな、まず伝道者としての経験を持たなければならなかった。各自は、本国の教会の責任を負うに先だって、どこかの伝道地で3年間奉仕しなければならなかった。この奉仕には、まず克己と犠牲とが要求されたが、困難をきわめた時代に牧師の生活をする者にとって、まことにふさわしい出発であった。聖職に任じられた青年たちは自分たちの前途に、世俗の富と栄光ではなくて、労苦と危険の生活、あるいは殉教者の運命を見た。宣教師たちは、イエスが弟子たちをつかわされたように、2人ずつで出かけた。青年たち1人1人に、たいていの場合、年長で経験に富んだ人が組み合わせられ、青年たちは、彼を訓練する責任を負った同伴者の指導の下でその教えに従わねばならなかった。こうした同労者たちは、いつもいっしょにいたわけではなかったが、たびたび祈りと相談のために集まって、互いに信仰を強めあった。

(エレン・ホワイト「各時代の大争闘」より)

聖書の学び

難しくてなかなか進まないが現在「ヨハネの黙示録」を勉強している最中である。竜(サタン)がキリストに勝てないことを知り、その腹いせにキリストの側につこうとする人間を騙したり迫害することでサタン側につかせようと画策している。そこで登場するのが竜の実働部隊となる「海からの獣」と「地中からの獣」である。また後に獣の像という存在も出てくる。これらが何を意味しているのかは今日の本題からずれるので明言を避けるが、終末時代にあって教皇権とアメリカの動きには要注意である。

サタンが本気で人々を惑わし、キリストのような奇跡を行って自分に従い自分を礼拝することを強要する時代が間も無くやってくる。自分は無神論者だ、と言っても通用しない。神の側につくか、サタン(獣)の側につくかのどちらかを選択しなくてはならないのである。勿論そのような迫りは自分にもくる。その時に各々自分の立場を明確に表明しなくてはならない。神の側につくことは目先のことだけを考えると不利益なことばかりがあるように見える。しかし最終的な勝利もまた神の側にある。

自分ひとりが迫られたら「自分は真の神を選ぶ」と言えそうな気がするしそうしたいと願っている。しかし、もしも「神を選んだらお前の子どもたちを皆殺しにする」と言われたらどうだろうか。目の前で自分の子どもが迫害の末殺されることを考えたらその決心は鈍くなってしまうのではないだろうか。正直なところ自信が無い。が、ワルド派の生き方に倣って最後まで忠実に生きたいものである。

アーミッシュに関する動画はこちら

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曳航

遊園地の思い出

小さい頃、豊島園か多摩テックかどこか忘れたが友人数名とその保護者とで遊びに行ったことがあった。自分は高所恐怖症なので高いところから落下する乗り物に乗れない。友人たちがジェットコースターで楽しむのを下で見ていた記憶がある。乗り物の名前は定かではないが「マッドマウス」のような名前の乗り物に乗った。レールの上を小型の乗り物が動く簡単なアトラクションだが、少し怖いのは車輪が車体の中央から後ろに付いている。そのため直角に曲がるようなカーブでは車体が半分飛び出して今にも落ちそうになる。これが怖くて乗り物についているハンドを思いっきり切るが勿論このハンドルはダミー。車輪とレールによってハンドルを切ろうが何をしようが動きは全く変わらない。子どもながらにハンドルが効かないことに焦り絶叫したのを覚えている。

曳航。大きな船が港に着岸するときや安全な深さのところまで小さなボートによって引かれることをいう。曳航と言うほどの距離ではないが英語の意味からすると、後退できない飛行機が離陸前に駐機場からバックする際にトーイングカーで押されるのもトーイング(曳航)である。このとき曳かれる方は舵はあっても機能しない。飛行機も方向を変えられる前輪がロックされてしまうので自分では何もできないのである。マッドマウスのハンドルと同じである。

聖書の話

エジプト人の奴隷として生活していたイスラエル人を解放するために、神はモーセという人を用いようとした。しかしモーセにはその荷が重く感じられ色々な理由をつけて断ろうとする。が、結局兄弟のアロンを助け手に与えられその大役を引き受けることになった。そして、エジプトの王様パロにイスラエル人を解放するよう話しに行く。しかしパロは簡単に首を縦にふることはなく理由をつけてイスラエル人の解放を拒むのである。この時の様子が聖書に記されているが面白い記述があることに気づかされる。

主はモーセに言われた、
「あなたがエジプトに帰ったとき、
わたしがあなたの手に授けた不思議を、
みなパロの前で行いなさい。
しかし、
わたしが彼の心をかたくなにするので、
彼は民を去らせないであろう。

 And the LORD said unto Moses,
When thou goest to return into Egypt,
see that thou do
all those wonders before Pharaoh,
which I have put in thine hand:
but I will harden his heart,
that he shall not let the people go.

出エジプト記4:21

神様はパロの前に行って直談判するようモーセに指示するが、神ご自身がパロの心を頑なにするのでその交渉はうまくいかないと言っているのである。何ともおかしな話であるがこのやりとりが後々イスラエルの民にとって必要な経験となるのである。

人生において

人生においても「これは全て神様の計画が遂行されているな」と思うことがある。現在の自分もそのような境遇にいる気がする。このようなときはいくらもがいてハンドルを切ったところで何も変化は起きない。ちゃんと神様が敷いたレールの上を自分の車輪がたどって行くのである。どう頑張ってもどうにもならない。が、神様がどこかはわからないけれど確実にどこかに導いてくださっている。信仰の眼で神様と自分の人生を振り返った時にその足跡が綺麗な軌跡を描いていることに気づくのである。どこに導かれるのかという不安を持ってしまうのも不信仰者の故であるが、一方で自分にとって必要なものが何であるかを全てご存知の神様が最善の場所に導いいてくださるはずという信頼もある。自分がトーイングされている時、神様を信じ切ることができるようただひたすら祈るのみである。

荒海でトーイングされる船をイメージした「主よ荒海を導きたまえ」という讃美歌である。

歌詞

1. 主よ,荒海あらうみ
を導きたまえ
岩も浅瀬も 波は隠せど
磁石と海図で 導きたまえ

2. 子をあやしたる 母のごとくに
荒海あらうみ
鎮しずめ み旨むね
に添わす
王よ,わが主よ 導きたまえ

3. 岸に近づき 休やす
らうときにみ旨むね
によれば 聞かしめたまえ
「恐るな,われは汝な
れ導く」と

讃美歌の動画はこちら

読んでくださりありがとうございます。
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道しるべ

道を見失うとき

日本には3000基以上の灯台がある。が、GPS技術の進んだ現在、灯台の役目も昔ほど貴重ではなくなってきているという。確かにカーナビは行ったことのない場所に自分を連れていってくれる。カーナビだけではない。現在はスマホのアプリでもナビゲーションシステムがあるので音声案内に従えば確実に目的地に着くことができる。事前に地図を確認する必要はなくなりつつある。

人生においても道を見失うことがある。これからどのように進めば良いのか考えあぐね立ち止まることも多々ある。そのような時、どのように対処すれば良いのだろうか。自分も毎日のようにその方法を知りたく祈り続ける日々を送っている。

最良の方法は聖書の神様に聞くこと。漠然とした言い方だが、要するに聖書はなんと言っているか、何が神様の御心(みこころ)なのかを聖書の言葉から類推することが道しるべとなる。そして祈ること。何が御心であるのかを熱心に求めることが必要である。

今、「ヨハネの黙示録」を勉強しているが欺瞞者であるサタンがイエス・キリストのように再臨し、人々を惑わすことを学んだ。キリストがご自身の身分証明として用いられた「奇跡」「不思議な業」「しるし」の3つをサタンも真似て自分こそキリストだと言って出現する。イエスキリストは世の人々がはっきりと分かる形、「稲妻が東から西へひらめき渡るように人の子も来る」のでインタネットやテレビで世界中の人が再臨の光景を確認するとか、秘密に来られて人々を携挙するというものではない。しかしこれも聖書に照らし合わせて吟味しないと、本物の再臨と間違えてしまう。サタンの欺瞞に対抗できるのは個人的な神様との交わりと聖書研究しかない。これこそが終末時代のナビゲーションシステムなのだ。

本物に委ねる

今日、牧師先生からひとつのお話をシェアしていただいた。以下その内容である。

どれくらい祈ればよいのでしょう?

リサ・ロシアン

(ニューヨーク州ウエストチェスターに勤務する看護師。人々のための執り成し、特に女性を励まし弟子訓練することをライフワークとする。彼女の望みは、人々との交わりの中でキリストの祝福の証人となることであり、それを日々の目標にしている)

あなたはこれまで、一つのことをどれくらいの期間祈り続けるべきかについて悩んだことはありませんか? 多くの人がこのジレンマを抱えていますが、正直に言えば、私も何度も自問した経験があります。

私は数年前から祈りの日誌をつけるようにしています。答えられた祈りもたくさんありましたが、明確に答えられなかった祈りも数多く記載されています。このような祈りについて、私たちはあきらめて祈るのをやめるべきでしょうか?

あるとき私は、聖書の登場人物の経験の中にその答えを見つけられるのではないかと考えました。その一人が、サムエル記上1章に登場するハンナという女性です。彼女はエルカナの二人の妻のうちの一人でした。聖書によれば、主がハンナの胎を閉ざしたために彼女には子どもが生まれませんでしたが、それでも夫のエルカナはハンナを愛し続けました。エルカナは毎年、主を礼拝し、犠牲を捧げるためにシロに上りましたが、ハンナともう一人の妻ペニンナ、そして子供たちも一緒でした。ペニンナはハンナに子どもができないことを理由に彼女をあざ笑いました。泣きっ面に蜂とはこのことです。ハンナにとっては、これ以上ないほどの屈辱的な旅だったはずです。

ハンナは心を痛めて泣き通し、食事ものどを通らないほどでした。エルカナは彼女を愛していましたが、彼女の悲しみを十分理解してはいませんでした。彼は良かれと思って妻に思いやりを示し、彼女の気持ちを楽にすることで、心に空いた穴を埋めることができると考えていましたが、実際には問題の本質を見逃していました。人生において、私たちはしばしば誰にも理解してもらえない痛み、苦しみを経験することがありますが、人には理解できなくても、神様はすべてを理解してくださるお方です。

聖書によれば、ある年のシロでの犠牲の食事の後で、ついにハンナは祈るために神殿に向かうのです。私の想像では、ハンナはおそらく何年も何年も、神様に子どもを与えてくださいと祈り続けてきたのだと思います。あまりに真剣に声を上げて祈る彼女の姿を見て、祭司エリは彼女が酔っぱらっているのではないかと勘違いするほどでした。エリから励まされたハンナは、ようやく立ち上がることができました。そして聖書は、その後ハンナが身ごもったと記録しているのです。彼女は自分の願いに、神様が明確な答えを与えてくださるまで祈り続けたのです。

もう一人の登場人物はダビデです。バテシバとの不倫の末、男の子が生まれました。預言者ナタンはダビデに向かって、「主はあなたの命を取ることはしないが、その子は確実に死にます」と言い残して去っていきました。聖書によれば、主がその子を打たれたので、子どもは重い病にかかります。ダビデは断食して主に祈りました。一晩中、地の上に腹ばいになって真剣に祈り続け、ハンナと同じように食べることさえしませんでした。7日後にその子は亡くなるわけですが、ダビデも神様が答えてくださるまで必死に祈り続けたのです。

一方はハッピーエンドで、もう一方はとても悲しい結末となりました。しかし二人とも、神様が答えてくださるまで真剣に祈り続けたのです。ハンナは、待ち望んだ赤ちゃんを手にすることができましたが、ダビデはそうではありませんでした。しかし興味深いことに、ダビデは自分の祈りが答えられなかった時にも驚くべき態度をとったのです。従者たちが彼に悲報を告げたときにも、ダビデは落ち込んだり、怒り叫んだり、恨みを口にすることはありませんでした。彼は立ち上がると身を洗い、油注ぎをし、身なりを整えて主の家に入り礼拝した、と記録されているのです。

詩篇に見いだされるように、ダビデの生涯は喜びの感情と悲哀とに満ちていて、良いことも悪いこともすべてが豊かに表されています。この日、ダビデが主に捧げた礼拝は、たとえ失望や悲しみの只中にあっても、目の前で起きていることに目をとめず、ただ永遠に真実であられる神様のみ顔を見上げて、賛美と感謝と忠誠を尽くした行為ではなかったかと想像するのです。

ハンナの祈りの推移についても考えてみましょう。彼女はおそらく、祈りが答えられない現状の中でもあきらめずに祈り続けるうちに、ただ子どもがほしいと切望する祈りから、たとえ子どもが与えられた後でも、神様への献身を忘れることがないようにとの祈りに変えられていったのではないでしょうか? 神様よりも、子どもを優先してしまう誘惑に陥ることがないように、自分の信仰を守ってほしいと懇願するようになっていったのではないかと思うのです。この心の変化が、苦しみの祈りの中で彼女に「もし男の子が生まれたなら、その子を主に捧げます」と躊躇なく言わせた原因であったのではないかと想像するのです。

祈る目的とは、自分が願ったものを手に入れるだけではなく、神様が望んでおられる状況(状態)を手にするためでもあるのではないでしょうか?

「神様が望まれるとおりにしてください」と私たちが祈りはじめたならどうなるでしょう。個人の願いや欲求を脇へ置いて、ただ神様が望まれる姿に私たちを造り変えてくださいと祈るのです。そして、その祈りが明確に答えられるまであきらめずに祈り続けるのです。周りの状況に変化があってもなくても、私たちの心に神様が明らかに答えてくださるまで祈り続けるのです。

神様にもっと信頼できるように、さらに清く謙遜な心になれるように、たとえ痛みや失望、悲しみが襲ってきたとしても、神様をより近くに感じられる経験に導かれるように、あなたも共に祈りはじめてみませんか? 祈る行為そのものが私たちを造り変え、私たちを主のみもとにひきあげてくれるのです。祈りは神様と取引することではありません。神様との関係を築くための交わりなのです。信仰とは、結果がどうであっても、神様に信頼し続けるという意味であって、ときには答えが与えられるまで何十年も祈り続けなければならない場合もあるでしょう。たとえ祈りの結果与えられた「答え」が、自分が当初求めていたものと違っていたとしても、それは神様のみ言葉に注意深く耳を傾けることで謙虚にされ、忍耐強くされ、神の愛をさらに深く知る経験にあずかった「自分自身」であるかもしれないのです。

ルカによる福音書18章1節は「常に祈り、心を失わないように」と教えています。キリストは私たちの信仰を成長させたいと願っておられます。何を祈るときにも、先のことがまったく見えなかったとしても、決してあきらめないでください。神様はご自分のなさろうとすることをすべてご存じであるという事実にもっと目をとめるべきです。この祈りの経験は、あなたの当初の願いよりも、さらに深く、さらに豊かに祝福を受けるための機会となるかもしれないからです。

主があなたに明確な答えをくださるまで、どうかあきらめずに祈り続けてください。

祈ること、と祈ったことの結果は全て神様に委ねることを教えてくれている。神様は自分にとって最高のものしか与えられないという信仰が必要である。熱心に祈り続け結果を委ねる信仰、これが自分には欠けている。

道を見失った時、という日本語訳で昔歌っていた讃美歌がある

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