神様、あなたに会いたくなった
「神様、あなたに会いたくなった」
非常に短い詩であるが八木重吉さんの作品である。高校生の時にこの詩を知ったがそれ以降何度もこの心境になった。無性に神様に会いたくなる。
今日は久しぶりに仕事が休みになったのでどこかに出かけようかとも思ったがいざ休みをもらうとなかなか行動できないものである。聖書の勉強をしたり部屋を片付け洗濯をして少しヴァイオリンを弾いていたらいつの間にか午後になっていた。どこに行くともなく、とりあえず母の日のプレゼントを見つけようと外出した。その後岩木山の麓まで行ってみた。残念ながら今日は濃い雲が岩木山を覆っており全景をみることはできなかった。運転しながら祈っていたが祈れば祈るほど神様の存在や天国について考えるようになり、無性に神様に会いたくなってしまった。いますぐイエス様がご再臨され、迎えに来てくれないかなと本気で考えていた。
普段、ご高齢の方を車に乗せることが多い。また病院に勤務していることも影響しているのかもしれないが命ということについて今まで以上に深く考えさせられる。外来や透析の患者さんを後ろに乗せて思うことは「この方は天の御国に入れるだろうか」ということだ。本当に不謹慎なことだが「このまま10年生き続けるのは難しいのではないか」と思うような人ばかりを車に乗せている。この人たちに天の御国を紹介し、また神様を紹介できるのは自分しかいないのではないかと思ってしまう。普通の会話でも上手に伝わらないのに聖書に話や神様の話が伝わるのだろうか、と思ってしまう。伝えたいがその勇気もない。毎日そのような悶々とした思いで運転している。
天国のこと
エレン・ホワイトという人が書いた著作の中から天国やそれに関連する記述だけを抜粋した本がある。日本ではその書名を「天つ家郷(あまつふるさと)」としている。この中にとても素晴らしい言葉が掲載されている。
私たちは、自分たちが味わった、最も辛く、大きな試練を思い出そうとして見ましたが、それさえも、天の栄光の尊い価に比べると、あまりにも小さく、取るに足りないものに見え、口にするのもはばかられる思いがしました。そしてただ、「ハレルヤ!天国はこんなにも素晴らしいのに、なんと安く、容易に手に届くのだろう」と、叫び、黄金の竪琴をかき鳴らし、天に響かせました。
天つ家郷 p86 霊の賜物 2巻 p34,35
天を目指す地上の旅人のために、天には家があります。義人のためには衣があり、栄光の冠と勝利のシュロの葉も添えられています。神のみ摂理の内にあって起き、私たちを悩ませてきたすべてのことが、きたるべき新しい世界で明白にされます。理解に苦しんだことが、その日には意味を把握できるようになります。恵みの神秘が私たちの前に明らかにされます。私たちの限りある心と目では、ただ混乱、破綻、約束の不履行としか見えなかったところに、私たちは最も完全で美しい調和を見ることができます。最も苦しい試練のように思われた体験も、実は無限の愛の神がお与えになったのだと言うことを知るようになります。すべてのことが相働いて私たちの益となるようにして下さった主イエスの優しい愛のご配慮を悟る時、私たちは言葉に言い表せないほどの栄光に満ちた喜びにあふれるに違いありません。
天つ家郷 p227.228 教会への証 9巻286-288
安息日を迎えた。今まで以上に神様と交わることのできる祝福の日である。多くのプロテスタント教会の信者さんも真の安息日を守らず日曜日に礼拝を行う。神様が安息日の真理を全ての方々にわかりやすく示してくださることを祈るものである。そしてこの安息日、間も無く行くことのできる天国について考えて見たいと思う。
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