敵を愛し迫害する者のために祈れ

八街死亡事故

昨日も投稿したが八街のトラック運転手が酒気帯び運転で児童2名を殺しひとりを意識不明の重体、ふたりに重傷を負わせた事件についてずっと考えていた。実は自分の下の子も同じ8歳である。この子がある日突然交通事故でいなくなってしまった、などと考えただけでゾッとする。恐らく日本のどの様な法に触れても構わないので犯人を自分の手で苦しめたい。できることなら命で償わせたい。亡くなられた児童さんもまさか今日が自分の最後の日になるなんて考えもしないで登校しただろう。なのに2度と自宅に生きて帰ることはできなくなってしまったのだ。親御さんだってまさか自分より早く亡くなるなど考えもしないで一生懸命育ててこられただろうに。自分も毎日ハンドルを握る立場なので、同じ様な事故を明日起こしてしまう可能性があることを自覚している。勿論飲酒などはしないしそもそも酒が飲めない。しかし居眠りい運転する可能性はあるかもしれない。運転中に意識を失うことがあるかもしれない。そう考えると加害者、被害者ともに人ごとではない。それにしても本当に悲しすぎる事件である。何でこんなことが起こるのだろう、神様がいるのならなぜこの様なことを許されたのだろうと考えてしまう。多くの方がインタビューに応えていた。涙を流しながら語る言葉の一言一言に重さを感じる。しかし、今と同じ思いを1年後も持ち続ける訳ではない。その家族だけが癒えない心の傷、消せない過去を背負い続けるのだ。正直言ってイエス様が早く来てくださらなければ決して解決しない問題である。どれだけ法が梅澤被告を裁いたとしても親御さんや近親者にとっては何にもならない。

今日の御言葉

いつも励ましに満ちた聖書の言葉が配信されるので今日も朝7時を楽しみにしていた。が、今日は「ハレルヤ!」という感じにはならなかった。今日与えられた聖句は次の言葉だった。

しかし、わたしはあなたがたに言う。敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

But I say unto you, Love your enemies, bless them that curse you, do good to them that hate you, and pray for them which despitefully use you, and persecute you;

マタイによる福音書5:44

勿論この聖句が聖書にあることは知っているし今まで何度も読んだ聖句である。しかしこれを実践するとなるとかなりハードルが高い。すぐに自分の敵、自分を迫害する人を思い浮かべてみた。すぐに4人の人が思い浮かんだ。よくよく考えるとこの倍はいる。これらの人は、思い出すと苦しくなり自分の過去から抹消したい人たちである。彼らが自分にしたことを思い出すだけで心が萎えてくる。権力を振りかざし私利私慾のために公的なものを私物化しあたかも自分が王であるかの様に振る舞う人々。「神様は、彼らの今すぐ裁きを」と祈ったことは何度もある。しかし、この人たちを愛しこの人たちのために祈ることを要求する聖句が与えられてしまった。祈りながら考え込んでしまった。彼らのために祈ることはできるかもしれないが愛することはできない、本気でそう思っている。だから「どうか彼らを愛することが神様の御心ならば、自分にはその愛が全くないのでどうか愛を与えてください」と祈った。これはかなり時間のかかる作業になることだろう。

アーミッシュのこと

2006年10月3日、32歳の男性がアーミッシュの学校に乱入し銃を乱射する事件が起きた。5人の児童が凶弾に倒れ5人が負傷した。犯人は事件後自殺をしてしまった。平和でのどかなアーミッシュの村を突然悲劇が襲った。大事件であるが更に世間を驚かせたのは殺された児童の両親家族が自殺した犯人とその家族を赦す、と表明したことだった。先ほど教会で行われる祈祷会に出席した際、赦しということが話題になった。赦すと言うことがどれほど大きく犠牲の伴うことなのか。赦しには覚悟と決心が要求される。そして痛みと犠牲が払われなくてはならない。それをアーミッシュの人たちはしたのだ。この人たちのしたことに比べたら、自分が自分に害を加えて人を愛することはさほど難しくない様にも思える。更に考えを進めていくと、究極的にはイエス様の示された愛に行き着く。サタンに心を奪われ惨めに生きる弱い存在である自分を心から愛し、赦して犠牲を払ってくださった。

主は、わたしたちのためにいのちを捨てて下さった。それによって、わたしたちは愛ということを知った。それゆえに、わたしたちもまた、兄弟のためにいのちを捨てるべきである。

Hereby perceive we the love of God, because he laid down his life for us: and we ought to lay down our lives for the brethren.

ヨハネの第1の手紙3:16

赦すこと、愛を示すことを真剣に考え実践するものとなりたい。自分を苦しめる8名の敵を愛せる愛を与えていただきたい。

赦し――重荷が軽くなりました

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Hold your peace

今日の御言葉

何度も書いているが、毎朝7時にYouVersionから届く聖書の言葉がある。今日の御言葉は次の聖句だった。

モーセは民に言った、「あなたがたは恐れてはならない。
かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされ
救を見なさい。きょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、
もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう。
主があなたがたのために戦われるから、
あなたがたは黙していなさい」。

And Moses said unto the people,
Fear ye not, stand still,
and see the salvation of the LORD,
which he will shew to you to day:
for the Egyptians whom ye have seen to day,
ye shall see them again no more for ever.
The LORD shall fight for you,
and ye shall hold your peace.

出エジプト記14:13,14

とても好きな聖句のひとつである。自分のために神様が戦ってくださる。自分はただ黙していれば良い、そして平安でいれば良いことを力強く教えている御言葉だ。早朝から運転を始めたがこの言葉が頭から離れず涙が止まらなくなってしまった。自分のために神様が戦ってくださる、自分と共にイエス様がいてくださる、そう考えただけで本当に嬉しくて感動した。

八街の事故

仕事が終わって帰り支度をしているときに職場の上司に声を掛けられた。昨日28日に八街で起きた交通事故のことが頭から離れない、と言って泣いていらした。大型トラックを飲酒して運転していたところ小学生5人の下校する列に突っ込んだ事故だという。このことを考えていたら可哀想でたまらなくなったとずっと泣いていらした。自分と何の関わりが無くてもこの方は遠くで起きたこの事故をまるで自分の身の回りで起きたことの様に悲しんで涙を流していた。人間ですらそうであるなら、まして神様は愛する子どもたちのことをどの様に見ていらっしゃるのだろうか。心配で心配で仕方なくいつでも助けられる様に天使を遣わして見守っていらっしゃるのだろう。そして神様自ら戦ってくださり悪の力から解放してくださる。本当にありがたい話である。この様な神様を知る者であることを心から感謝したい。

イエスがいるから (Because He Lives) – A capella Cover by Ruah Worship

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今日の御言葉

詩篇42篇

今日の聖書通読箇所は詩篇33篇から42篇だった。詩篇は42篇から第2巻に入る。第2巻はコラの子孫の歌から始まる。「水求むる鹿のごとく」という讃美歌にもなっている詩である。コラは元々モーセやアロンに対して反逆した。何故自分ではなくモーセやアロンがリーダーになったのか、という気持ちから起きた反逆である。自分に与えられている仕事は自分が正しく評価されていない証拠だ、と言わんばかりの勢いで反逆したのである。いつの時代も同じである。誰が偉いか、そんなことばかり考えている。潰れそうで明日のことも分からない学校であるかつての勤務先でも態度にこそ出さないが「次は自分が教頭か」「自分こそ学年主任に相応しい人間だ」という気持ちで働いている教員が多くいる。コラはそうであったがその子孫はそうではなかった。神様を敬い神様がたてられたリーダーに忠実であった。ダビデはコラの子孫から神殿で讃美をささげる人たちを集めたのである。

聖歌隊の指揮者によってうたわせたコラの子のマスキールの歌 

神よ、しかが谷川を慕いあえぐように、わが魂もあなたを慕いあえぐ。
わが魂はかわいているように神を慕い、いける神を慕う。
いつ、わたしは行って神のみ顔を見ることができるだろうか。
人々がひねもすわたしにむかって
「おまえの神はどこにいるのか」
と言いつづける間はわたしの涙は
昼も夜もわたしの食物であった。

 As the hart panteth after the water brooks,
so panteth my soul after thee, O God.

The LORD will preserve him, and keep him alive;
and he shall be blessed upon the earth:
and thou wilt not deliver him unto the will of his enemies.
The LORD will strengthen him upon the bed of languishing:
thou wilt make all his bed in his sickness.

詩篇42:1-3

何かの書物で読んだのだが、鹿が谷川の水を飲みにくる行為は極めて危険な行為だという。谷は周りの山から見られている場所である。どう猛な獣が、谷川の水を飲む鹿を見つけたならすぐさま襲ってくる。鹿もその行為がいかに危険かは分かっている。しかしそうせざるを得ないほど切羽詰まっている。一刻の猶予もない程の状況下で神を慕いあえぐ、その様な様子をダビデ(おそらく)は描写している。昔はその描写が分からなかったので、鹿が数頭で谷川の水を気持ちよさそうに飲んで平安を得ている光景を思い描いていたがそうではなさそうだ。神様に頼るしか方法がない、ということであれば自分にもその様子は理解できる。いまの自分が毎日その様な状況下で生きている。神様以外に救いを見いだすことができない。何を以ってしても自分の心に平安をもたらすものは無いのである。

祈り

今日の聖書研究(聖書ではないが)で与えられた書物の箇所が祈りをテーマにしたところだった。いまの自分がささげている祈りを客観的に評価できる多くのことが書いてあった。毎日祈っている時間だけが自分に平安を与えてくれ、神様と交わる時を与えてくれる。それこそ鹿が谷川の水を慕い求める様に祈る。しかし、その祈りがどれほど信仰に裏付けされているかを反省させられる文章が与えられた。

わたしは、神の民が祈りを怠り、特に、密室の祈りを全くといっていいほどおろそかにしているのを、度々見た。また、多くの人々は、彼らの特権であり義務である信仰を働かせることをせず、信仰だけがもたらし得る感情を待っていることがよくある。感情は信仰ではない。この2つのものは全く別のものである。信仰は、われわれが働かせるものであるが、喜ばしい感情と祝福は、神がお与えになるものである。神の恵みは、生きた信仰という通路を経て、魂に達する。そして、われわれは、その信仰を働かせることができるのである。真の信仰は、約束された祝福が、実現しそれを感じることができる前に、それをつかんで自分のものとする。われわれは信仰をもって、第2の幕の中に、われわれの願いをささげ、信仰によって、約束された祝福をつかみ、それを自分たちのものとして主張しなければならない。それから、われわれは、祝福を受けることを信じなければならない。なぜならば、信仰が祝福をつかんでいるのであって、み言葉にあるとおりに、それはわれわれのものだからである。「なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう」(マルコ 11:2 4 )。ここに、われわれが祝福を受けたと感じる前に、受けることを信じる信仰、すなわち、真の信仰がある。

エレン・ホワイト 初代文集 電子版P88,89

御言葉によって大きな祝福をいただけた日を心から感謝したい。

As The Deer 鹿のように 英語賛美日本語訳

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神様からの贈り物

CD

昨晩は色々なことを考えて眠れなくなってしまった。毎朝5:30には起きているので午前2時をすぎてもまだ眠れないことに焦りを感じていた。結局3時間ほど眠って朝を迎えた。日曜の出勤は少し気合いを入れないとエンジンがかからない。朝一の仕事は目屋(めや)というところに透析の患者さんを迎えに行くこと。今日はひとり休みなので外来患者さんも自分が送迎しないといけない。眠そうな目をしていては仕事にならないし第一危険である。祈りながら気合いを入れて出勤。そして送迎。送迎は単独で行動するのではなく受付のスタッフと連携を取りながら仕事をする。既に診察を終えた患者さんがいるかどうかを確認し次の動きを考える。しばらく送りの人が居なさそうならば事務の仕事に入る。いれば勿論そのまま送迎の仕事をする。合間合間で受付さんと連携をとるのだが受付に行ってみると「荷物が届いて居ますよ」とクッション封筒を渡された。見覚えのある字だった。字を見ただけで瞬時に元同僚からの荷物であることが分かった。何が入っているか分からなかったので車に戻って開封してみると中に手紙と2枚のCDが入って居た。自分が孤独で寂しい思いをしているだろうと生徒たちで編成する聖歌隊と教員で編成するカルテットのCDをそれぞれ1枚ずつ送ってくれた。早速カーステレオに入れて聴いてみた。懐かしい歌声である。こんな美しい讃美歌をいつも当たり前の様に聴いていたが今は当たり前ではない。本当に生徒たちの讃美に心癒される思いだった。これを毎日送迎車の中で流し患者さんたちに聴いたもらうことにしよう。本当にありがたいプレゼントである。

神様が何かを

ずっと晴れない気持ちで過ごしているが、一方で日々神様が自分を支えてくださっていることが伝わってくる。毎日本当に必要な御言葉を与えてくださる。毎回の様に書いているがYouVersionという聖書が朝の7時に御言葉を送ってくれるのだがそれが本当にタイムリーなのである。こちらの様子がわかっているかの様な絶妙なタイミングで送られてくる。また、聖書研究や聖書通読でも必要な言葉を与えてくださる。今日通読で読んだところが詩篇23篇から32篇だった。詩篇23篇は非常に有名な箇所であるがその後もずっとダビデの信仰の叫びとも取れる讃美が続くのである。こういうことを通して神様はずっと自分に関心を払ってくださり支えてくださっていることが伝わってくる。それなのに自分に喜びがないのはなぜなのか?神様の御愛を感じているのに何故喜びがないのか。神様に対して申し訳なくて仕方ない。

主はわたしの牧者であって、わたしには乏しいことがない。

主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいのみぎわに伴われる。

主はわたしの魂をいきかえらせ、み名のためにわたしを正しい道に導かれる。

たといわたしは死の陰の谷を歩むとも、わざわいを恐れません。あなたがわたしと共におられるからです。あなたのむちと、あなたのつえはわたしを慰めます。

あなたはわたしの敵の前で、わたしの前に宴を設け、わたしのこうべに油をそそがれる。わたしの杯はあふれます。

わたしの生きているかぎりは必ず恵みといつくしみとが伴うでしょう。わたしはとこしえに主の宮に住むでしょう。

The LORD is my shepherd; I shall not want.

 He maketh me to lie down in green pastures: he leadeth me beside the still waters.

 He restoreth my soul: he leadeth me in the paths of righteousness for his name’s sake.

 Yea, though I walk through the valley of the shadow of death, I will fear no evil: for thou art with me; thy rod and thy staff they comfort me.

Thou preparest a table before me in the presence of mine enemies: thou anointest my head with oil; my cup runneth over.

 Surely goodness and mercy shall follow me all the days of my life: and I will dwell in the house of the LORD for ever.

詩篇23篇

2021年6月26日 「小さな献げ物」 礼拝LIVE配信

メッセージは15:32から

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十和田湖と奥入瀬(おいらせ)渓流

道のり

昨日は仕事が休みだった。いくつかやらなくてはならないことがありそれをしていたが、何となく晴れない気持ちをなんとかしたく昼前から出かけた。あてもなく車を走らせたがとにかく車中で神様と交わるべく祈りたかったので遠くへ行こうと思った。それほど遠くではなかったがとりあえず十和田湖方面に向かうことにした。黒石を通過してひたすら102号を走る。この102は黒石のインターを過ぎたところから急に車線が片側一車線になる。そして更に進んでいくと段階的にその一車線が狭くなっていく。いよいよ山道に入ると対向車とのすれ違いが難しい様な場所を何箇所も通過する。廃屋(別荘?)が建ち並ぶ集落をすぎて更に山を登て行く。途中数百メートルだけだが岩手県になる。クマが出てきてもおかしくない様な道で対向車にも出会わない。もしもクマに襲われても誰にも助けられることなく命を落とすのかな、と思った瞬間に見たことの無い生物に出会った。あとで調べたらニホンカモシカだった。ひたすら車を走らせると今度は山を下る道になる。どこまでも下って行くとやがて十和田湖畔を走行するようになる。そして目的地である十和田湖、子ノ口に着く。そこに車を置いて今度は奥入瀬渓流を歩くことにした。田舎で暮らしているが、奥入瀬の自然界は全く別世界であった。釣り好きの自分は最初釣りのことばかり考えていた。が、とにかく素晴らしい自然の中を歩きながら神様による創造のことを考えていた。感動する自然界を写真に収めようとシャッターを切り続けたが、後で見返して本物の1割も再現できていないことに気づきがっかりした。鳥の鳴き声と渓流の音、木漏れ日や匂いなど全てが写真には収まらなかった。その様な自然の中で神様に祈り続けた。

祈り

自分のこれからを考えると不安しかない。このままひとりで生き歳をとっていく決心がまだできていない。仕事もどうなるのか気がきではない。このまましたくもない仕事を続けるのかと思うとどこかで崩壊してしまいそうになる。そして何より寂しくてたまらない。そんな思いを持ちながら神様に泣きながら祈りやってきた十和田湖。自然に触れて少し心が軽くなった気がする。軽くなったというより、神様が共にいてくださることを実感できたという方が正しいかもしれない。神様が共にいてくださる、これ以上に素晴らしいことはない筈なのになぜ自分はうなだれているのだろうか。寂しさや悲しさが完全に払拭できたわけではないが神様の臨在を感じながら過ごせた時間だった。そしてもう少し生きてみよう、と決心した。

すべての訓練は、当座は、喜ばしいものとは思われず、むしろ悲しいものと思われる。しかし後になれば、それによって鍛えられる者に、平安な義の実を結ばせるようになる。

 Now no chastening for the present seemeth to be joyous, but grievous: nevertheless afterward it yieldeth the peaceable fruit of righteousness unto them which are exercised thereby.

ヘブル人への手紙12:11

 

2021年6月26日 安息日礼拝〈ライブ〉
メッセージは54:11から

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什一献金

6月25日

今日は6月の給与支給日だった。今日は仕事が休みだったので昨日のうちに給与明細をいただいていた。なので振り込まれる金額は分かっていた。自分の通う教会はいくつかの特長的な教えがある。全て聖書に基づいているものであるが周りの教会からはその辺が異端視されることもある。その中のひとつに十分の一献金、什一献金というのがある。収入の1割を神様にお返しすべく献金として献げることになっている。自分が今まで働いていた職場は自動的に什一献金が計算され給与支給から天引きされていた。だから什一献金を苦に思ったことはないが今の職場は什一献金を自分で計算して教会で捧げなければならない。これが結構な誘惑になっている。今までの職場より給与が下がり経済的には苦慮しているため、少しでも手元にお金が残る様什一献金の額を勝手に調整したくなってしまうのだ。極端なことを言えば什一献金をしなくても誰かに咎められることもない。誰にも咎められないから、その分神様との関係に基づく真剣勝負でもある。因みに什一献金については聖書に記述があるがその中のひとつを紹介したい。

 人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。
マラキ3:8-10

父のこと

小さい頃、自分の家は大家族であった。祖父母、両親、兄弟、そして職人さん8人で暮らしていた。通いの職人さんも居て毎年夏には慰安旅行を父が計画していた。羽振りが良かったのかは分からなかったがいつも忙しそうにしていた。しかし、自分が小学3年生ごろから急に様子が変わった。姉が寮のある私立中学に入学し、それとほとんど同時期に土地を買うことになった。上物は自分の家だったが土地が借地だった。急に出費が増えたのである。両親はそれからいつもお金のことで苦労していた。苦労をしながらも自分を寮のある中学に進学させてくれ弟も同じ様にしてもらった。ある時父が自分に語った話を今でもはっきり覚えている。しばらくして父は銀行から結構な額のお金を借りた。そしてそれを全額教会に献金したのだ。父の話では、土地の購入費用と子どもたちの学費で非常に苦しい生活を強いられ、什一献金どころではなかったという。しかしある時「これではいけない」と思い、借金をして今までささげていなかった什一献金を記憶している限り遡って捧げたという。神様を試みることをいけないことだが、この什一献金だけはそれが許されている。経済状態が好転したわけでは決してなかったが全ての祝福の源である什一献金を誠実に献げることは神様に忠実であることの証になると借金をしたらしい。そんな父を誇らしく思う。このお金が手元に残ればどれだけ生活が楽になるだろう、という誘惑に打ち勝って常に喜んで什一献金をささげられる様になりたい。

聖書研究ガイド21年2期13課

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大いなる人

祈祷会で

昨日、祈祷会で院長先生にあることを言われた。送迎の仕事も良いけれど今後五所川原に伝道拠点となるお店を出店するのでそこを任せたい、とのことだった。実はこの日の午前中に自分が用度課の仕事をする様になることをほのめかされた。小さな医院なので用度課という部門がない。ある部門の人が用度の仕事をかねてしているだけである。それを今後独立させて自分にやらせたいというのだ。1日に2つのビジョンを語られ困惑しているが五所川原の出店の話は少し積極的になれない。内情を話してしまうと問題があるが、実は院長先生は全てを自分の所有と考えているので伝道目的であろうと医療目的であろうと同じ財布から支出してしあうのである。今まで組織の中にいた自分にとってはこれが凄く慣れず未だに悩んでいる。病院が黒字経営ならばまだ良いが病院以外の食品部門や老健施設、介護サービスなど全てが深刻な赤字経営なのだ。赤字が解消されないまま1億近いMRIを入れようとしているし、自分が他の部門に行くことに伴い人員を増やさなくてはならないのである。神様がこの深刻な経済状態の中で後先考えずに伝道目的という名目で前進させるのだろうか。院長のことは尊敬しているが、院長の向こう見ずなアイデアとしか思えない。伝道には祈りとビジョンがなくてはならない。また現実的な資金面も裏付けが必要になる。組織的に動くのであれば教会の理事会や事務会の了承が必要である。もちろんそんな了承など得ていない。院長の独断だから。しかもこれに従わないとクビになる。自分はもっと祈って神様からのゴーサインを印で確認してからスタートしたい方なので今回の話を受け入れるのは難しい。辞めろ、クビだと言われるかもしれないが仕方ない。

義母のこと

自分は義母が大好きである。今は病の床に臥す日々を送っているが数年前までは非常に元気で明るくおしゃべりが上手だった。この母は天国で考えられないほどの祝福を受けると信じている。実は、この母が若い頃に信仰を持ち教会に通う様になった。子どもたちをはじめ親戚や自分の母親にも伝道をして多くの人をイエス様に導いた。残念ながら母が最も福音を伝えたかった義父がまだイエス様を受け入れていない。天国で受ける祝福は、天国に何人の人を連れてきたかで計られる気がしている。だから母は最も大いなる祝福を受けるはずなのだ。母のことを思うとイエス様のことを伝える働きがどれほど大切なことなのかがよく分かる。今日の聖書研究で読んでいた書物に次の様なことが書いてあった。

もし選ばれた主の使命者が、すべての障害物が取り除かれるまで待つならば、多くの者は散らされた羊を捜しに行くことはないだろう。サタンは彼らに義務を果たさせまいとして、多くの障害物をおくことだろう。しかし、彼らは、神の働きに彼らを召された神を信頼して、信仰をもって出ていかなければならない。そうすれば、神は彼らの幸福となり、神の栄光となるものであるかぎり、彼らの前に道を開いてくださる。大いなる教師であり模範であられるイエスは、枕する所がなかった。彼の生涯は、苦労と悲しみと苦難の一生であった。そして、彼はわれわれのためにご自身をお与えになった。キリストに代わって、神の和解を受けるように人々に願うもの、また、キリストと共に栄光のうちに支配することを望む者は、この地上で彼の苦難にあずかることを予期しなければならない。「涙をもって種まく者は、喜びの声をもって刈り取る。種を携え、涙を流して出て行く者は、束を携え、喜びの声をあげて帰ってくるであ
ろう」(詩篇 126:5、6 )。
エレン・ホワイト 初代文集 電子版P81

 

クルマではなくノリモノにの乗る 2021年5月29日 鈴木聖二

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慰霊の日

沖縄での教員時代

およそ20年くらい前になるが沖縄の中学校で働いていた。自分が最後まで働いていた高校の系列中学校である。名護湾を一望できるロケーションでとても素晴らしい環境にある中学校だった。広島から転勤して中学1年生を受け持った。30名ほどの小さな学級であったが県外(和歌山)からひとりの生徒がきておりそれ以外は県内からの進学者だった。あるとき彼らに「終戦記念日はいつですか?」と質問してみた。意図があってした質問である。ほとんどの生徒が8月15日とは答えなかった。そんなことを聞いたこともある、程度の記憶である。彼らにとって終戦記念日は6月23日なのである。彼らはその内情をあまりよく分かってはいなかったが沖縄では慰霊の日が終戦記念日であると教えられるのである。この日は海で泳がない。また彼らに沖縄戦について聞くと殆どの生徒が答えられなかった。自分は沖縄出身の奥さんと結婚したが沖縄の血は流れていない。ただ、顔立ちから始まって外見全てが沖縄の人の特徴に当てはまるらしくよく沖縄出身者と勘違いされる。名護に住んでいたときは街中で方言で喋りかけられることが非常に多かった。沖縄が大好きな自分にとっては非常に名誉なことであるが方言は分からない。自分が沖縄大好きなので県内出身者の生徒達には是非沖縄の歴史をきちんと学んで欲しかった。特に沖縄戦については。沖縄戦について知って欲しかったので、特別な学習プログラムを考えた。毎週のホームルームの時間を使って沖縄戦についてレクチャーしそれから1ヶ月後に沖縄戦の爪痕を見学するツアーを企画したのだ。見学は「アブチラガマ」「ガラビガマ」「ひめゆりの塔」に行った。現在は当時と違って立ち入れないガマやガイドをつけないと勝手には入れないガマになっている。昔は自由に立ち入ることができた。集団自決の場所も見学した。

沖縄戦は終わったのか

日本で唯一地上戦が行われたのが沖縄である。内地での地上戦を阻止あるいは時間稼ぎをするための捨て駒になったのが沖縄である。この戦争で20万人の人が亡くなったと言われているが、特に最終決戦の場所となった南風原では人口の約半数が亡くなったとされる。本当に悲惨な戦いである。幼い子、自分が引率している中学生と同じ年頃の子達が戦争に駆り出されその犠牲となった。生きられる命だったのに敵に殺されること以上の恥ずかしめは無いと言って自決をさせられた。内地から来た兵士たちにも色々なものを奪われ、理不尽な指示をされアメリカとも日本とも戦った沖縄の人々。この歴史を学んで、自分が内地出身であることを恥じた時期があった。誰も守ってくれない、そんな間で生きる沖縄の人たちが選んだのは、花を愛し歌を歌って踊る文化であった。人を憎まず愛を示す生き方を選んだのだ。そんな沖縄戦から76年が過ぎようとしている。終戦以来、日本は一度も戦争をしていない。素晴らしい国だと思う。本当に平和を享受できる幸せな国だと思う。しかし本当に沖縄戦は終わったのだろうか。自分は25年ぐらい前からダイビングを始めたが当時は北谷、前田岬でも十分綺麗な海を堪能できた。サンゴも綺麗で現実世界から逃れて癒しを経験できた。しかし現在は本当のほぼ全域で潜ることはできない。潜ることはできるが昔の様な綺麗な海ではなくなってしまった。地球の温暖化による海水温の上昇でサンゴが白化しているのだ。また内地の会社がゴルフ場建設で赤土を海に流し海水を濁らせサンゴを死滅させた。自分が沖縄に住んでいた頃は内地のチェーン店など一切なかった。沖縄での食事は居酒屋というのが定番である。だから居酒屋に子どもがいる光景は非常に日常的で健全であった。しかし今や内地のチャーン店が軒を連ねている。沖縄らしいものを食べようと思ったら少し事情通に聞かないと分からなくなってしまった。経済的な沖縄戦はいまも続いているのではないだろうか。沖縄は最低賃金が国内でも最下位に近い。低賃金で働かせ利益をあげる内地のチェーン店。別にイオンが嫌いなわけではないが沖縄にはサンエーがある。沖縄イオンの話は少し複雑な面があるのでここでは割愛するが、できればライカムの様な大型店舗の展開はしないで欲しかった。

戦争

前述の通り日本は本当に平和だと思う。先人たちの努力と犠牲、そして現在色々な問題はありながらも政治家の皆さんが頑張っているお陰だと思っている。そして命がけでこの国を守ってくださる方々のお陰である。自分が教員だった頃、どうしても気持ちが前向きになれないことがあった。それは担任する生徒が自衛官を目指したいと言ったときだ。自衛官を心から尊敬している。有事の際には国民と国家を守ってくれる素晴らしい人たちである。心から素晴らしいと思っているが、自分が関わる生徒が自衛官になりたいといえば話は変わってくる。やはり危険な任務もあるだろうし、有事の際は武器を持たなくてはならない。武器を持って丸腰の人を相手にするわけではない。武器を持った人と対峙する。そんな危険なところに自分の生徒を行かせるわけには行かない、と思ってしまうのだ。自衛官を尊敬しながら、自衛官を目指す生徒には最後まで他の道が模索できないか話し続ける。慰霊の日に思うこと。子どもたちに、どうしたら平和で戦争のない国を残せるか。本当の意味で平和な国は「天の御国」しかない。今日の祈祷会でその場面を聖書で読んだ。

わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは消え去り、海もなくなってしまった。また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意をととのえて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。また、御座から大きな声が叫ぶのを聞いた、「見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と共にいまして、人の目から涙を全くぬぐいとって下さる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである」。

ヨハネの黙示録21:1-4

 

ドキュメンタリー「平和の礎」 6月23日の「声」を集める

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究極の二択

選択肢1

自分の家は東武東上線の中板橋駅から7分ほど歩いたところにある。川越街道を渡るとすぐに自宅がある。子どもの頃は買い物といえば大山商店街か池袋である。池袋はどこに行くにも通過点になるので週に何回と無く行っていた。そういえば昔は鉄道のストライキというのがあって、ストの日は放課後必ず東上線の線路上を歩いた。何故だか分からないがとにかく線路上を歩くのが好きだった。池袋での買い物は西口の東武百貨店か東口の西武百貨店である。が、東口を出たところにキンカ堂という小ぶりのデパートの様な店があった。東口はまだトロリーバスが走っていた。母と買い物に行くと必ずキンカ堂にも寄っていた。買い物もあるのだが喫茶店に入るのだ。自分はあまり喫茶店というものを知らなかったのでそんなところに連れて行ってもらえることが凄く嬉しかった。まだコーヒーの味を知らない小学生なので注文は母に任せる。基本的には「クリームソーダー」か「レモンスカッシュ」の二択である。当時子どもが飲めるものと言ったらそれぐらいしかなかった気がする。自分はいつもクリームソーダーにしていた。母はレモンスカッシュかコーヒーを注文していた。まだものが今の様にたくさんある時代ではない。限られたもので満足することを強いられる時代だった。そんな時代だからクリームソーダーもレモンスカッシュもご馳走でありありがたいものだった。

選択肢2

自分には9歳違いの従兄弟がいた。よしたか君。彼と遊んだ記憶が殆どない。彼は3歳の時に白血病になってしまった。今でこそ白血病は治る病気になっているが当時は極めて難しい病とされていた。彼の家は練馬区だが少しでも先端の医療を受けられる様にと自分の家から近い日大病院に入院していた。よしたかくんはヤクルトが好きだった。今でこそヤクルトはどこでも買えるが当時は定期購入をしている人以外は買うことが難しかった。幸い自宅のそばにヤクルトの販売所があったので朝の配達が終わったおばさん達からあまりを買っていた。そしてよしたかくんのところに持って行くのである。持って行くのは小学6年生の自分の仕事。数個のヤクルトをおばさんに手渡して帰ろうとするといつも決まって「少し休んで行きなさい」と言って一階の喫茶店でレモンスカッシュをご馳走してくれる。クリームソーダーよりも少し大人になった気分である。3年間の闘病生活ののちよしたかくんは亡くなってしまう。無邪気で、少しでも体調が良いときは「イエス様が治してくれた」と笑顔で言う可愛らしい少年だった。今は喫茶店でレモンスカッシュを注文することはまずないが、それでも喫茶店のショーウインドウにレモンスカッシュが並んでいるとよしたかくんを思い出す。

ものはなかったけど

昭和40年代、50年代。ものは少しずつ増えてきたけれどまだまだ今の様に多くのものがあった時代ではない。レモンスカッシュとクリームソーダーがご馳走な時代である。ものはなかったけど、何故か豊かだった気がする。少なくても今の様にものがある時代よりも豊かだった気がする。持ち物、所有物と豊かさは必ずしも比例しないのか。今日、読んでいた初代文集の言葉に気になるものを見つけた。

もし彼らが、財産に執着し、自分たちの義務について主に尋ねることをしないならば、主は彼らに義務を知らされない。そして、彼らは財産 を持っていることを許される。そして、悩みの時に、それは彼らを押し つぶす山のように、彼らの前にあらわれるだろう。そして彼らは、それ を処分しようとするのであるが、もう、それはできないことをわたしは見た。わたしはある人々が次のように嘆くのを聞いた。「働きは衰微していた。神の民は真理に飢えていた。それなのに、われわれはその欠乏を 満たそうとしなかった。今、われわれの財産は役に立たない。ああ、わ れわれはそれを手放して、天に宝を蓄えておいたらよかったのに。」わたしは、犠牲が増加せず減っていき、燃えつきるのを見た。また、神はすべての神の民が同じ時に、財産を処分することを望まれないことを見た。 もし彼らが喜んで聞き従うことを望むならば、神は必要に応じて、いつ、 またどれだけ売るべきかを示してくださるのである。過去において、再 臨運動を支えるために、財産を処分するように要求された人々があった。 またその反面、必要な時が来るまで財産を持っていることを許された 人々もある。働きが必要とする時が来るならば、売ることが彼らの義務 なのである。

初代文集 電子版 p75

今あるもので満たされて生きることを学びたい。

『饅頭のような聖書の22の話』第11回「キリストはまもなくもう一度来る。」10月13日 講師:河原 久

 

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思い出

子どもからの電話

仕事中ではあったが長男から電話があった。何事かと思って電話に出ると別に用はなかった。昨晩も父の日ということで律儀に電話を掛けてくれた。「暇だから掛けた」というときは必ず何か話したいことがあるときだ。これを上手に聞きださないといけない。仕事中ではあったが運転中ではなかったので少し話を聞いていると体調が思わしくないと言い始めた。喉の調子が悪く少し怠いという。明らかに風邪の初期症状だ。小学生であればすぐにあれしない際、これしなさいと指示できるが離れているし既に中学生である。あまり指示的でも聞かないだろう。もう少しゆっくり話を聞くうちにやっと「どうすれば治るかな」と本音が出てきた。「カズくん(子どもの呼び名)の場合は昔から気管支炎になりやすかった。少し薬を飲み始めるタイミングや休むタイミングが遅れるとそのまま1週間ぐらい学校を休むことになったから気をつけて」と言い、今日の自習時間は先生に理由を話して寝させてもらった方が良いのではないかと話した。これまで1ヶ月近く休んでしまったので欠席だけは避けたい様である。ならば、今日薬を飲んでたくさん水を飲んで早めに眠るしかない。

思い出

長期にわたる次男の入院生活で、長男と2人で生活することが数年続いた。毎晩一緒に眠るのだが時々「眠れない」と不安そうな声でいうことがある。また今回みたいに体調を崩したときも自分が長男の隣で眠る様にしていた。そして「何かお話をして」というので昔話をする。昔話と言っても日本昔ばなしではない。自分が保育園、小学生の時の話である。子どもの頃は体が弱く食が細かったので少しのことですぐに体調を壊していたこと、なかなか太れなくて死ぬのではないかと心配されたこと、体力をつけるためと柔道を習う様になったことなどを長男に話すのである。特に自分は頭痛が激しくなるので、ひどいときは入院をしたことも話した。子どもながらに、自分の体力のなさに愕然としてなんとか元気になりたいと常に考えていたことも付け加えた。そして母親が近くの診療所に連れて行ってくれたことが良い思い出になっていることを話すと少し安心して長男は眠る。子どもの可愛すぎる寝顔を見ているうちに自然と涙が出てくることが何度もあった。長男の場合は昼間は比較的元気なのだが夕方ごろから咳が止まらなくなることが常だった。昼間は一緒にルアーを作ったりして遊び、夕方からは咳が出る前に胸を温め始める。子どもが寝付くまで胸を温めおでこを冷やしタオルを交換し続ける。元気ない子どもを見るのは辛かったが、子どもとずっと一緒にいられることは幸せだったし良い思い出である。今回の体調不良は自分1人で乗り越えるのかと思うと切なくなる。そばにいてあげたい。

これほどまでに胸が熱くなる始球式、あなたは見たことがありますか?Have you ever seen such a heartwarming first pitch?

 

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