弱者
今日は教会で短いメッセージをすることになっていた。先日職員礼拝で3年前に被災した「西日本豪雨災害」について話したのだが同じ内容で教会でも話して欲しいとの依頼を受けたためだ。先日話した時はノンクリスチャンの方が多かったが今日は基本的にクリスチャンばかりの集会だったので切り口やまとめ方も少し変えてお話しした。実は昨日からとても悲しい気持ちを抱えていた。福岡で起きた保育園児が送迎バスに置き去りにされ死亡するという悲惨な事件を知ってしまったからだ。これから小学校に入学する時期で出来ることがどんどん増える成長段階である。ネットでもこの子が無邪気に笑っている姿などが何度も映し出され涙が止まらなかった。なんで?どうして?という疑問しか出てこない。なぜこういうことが起きてしまうのだろう。この子が暑くて苦しんでいる姿を想像するだけで心が張り裂けそうになる。鍵を開けてドアを開ける術が分かっていたら簡単に出られたのに。保育園で出欠確認をしていたら大人が気づけたはずなのに。表現が悪くて申し訳ないが大切な命の無駄死にの様な気がしていたたまれない。誰が悪いとかではなく、朝家を出るときにまさか自分が今日命を落とすなど考えもしなかったこの子を生き返らせて欲しい、お母さんにこの子を返して欲しい。その思いだけである。いつも立場の弱い人、力の弱い人が犠牲になる。本当に悲しいことである。実は自分もこれに似た経験をしてしまったことがある。昔、家族で宮崎に行ったことがあった。自家用車で行き数日宮崎で過ごして広島に戻ってくる途中でのこと。この日は寒波で山口県に入ってから雪が路面を覆う様になっていた。高速を降りて海沿いを走らないといけなくなり高速を降りる前にサービスエリアで少し休憩し今後の方針を練り直すことにした。この時、ほんの一瞬だったが運転席から降りてドアを閉めて体を伸ばした。そして助手席にいた当時の奥さんも同じ様に車を降りた。すごく寒かったので子どもを助手席に乗せてそのまま降りたのだがそのすきに子どもが運転席に移って集中ドアロックを閉めてしまったのである。エンジンはかけっぱなしで鍵はついたまま。一瞬でパニックになった。ドアを開ける様に色々と言ってみるがまだ幼い子どもには意味が伝わらずどうしようもなかった。JAFを呼ぶか。不幸中の幸いだが暖房をつけた状態なので外に出された親たちは凍えそうだったが子どもは暖かい車内で終始笑顔でいてくれた。が、次の瞬間思い出した。この様なときのためにフロントのナンバープレートの裏側にスペアーキーを磁石で貼り付けていたことを。それを取り出してことなきを得たが一瞬パニック状態になってしまったことを思い出す。
試練
コロナの感染者も東京ではいよいよ4000人を超えてしまった。全国の感染者も12000人を超えてしまった。何か先が見えない長い長いトンネルに入り込んでしまった気分である。新たな感染症、疫病がこの冬に流行らないとも限らない。これから地球はどうなってしまうのだろう。聖書の預言によれば、残念だがこれから先世界が良い方向に進むことはないことが記されている。もっと危機的な状況を通過する様になるのだろう。本当に恐ろしいことである。世界や地球の状況もそうであるが、自分たちの個人的な生活にも多くの試練や困難がおとずれる。絶体絶命の状況を経験されている方もいるかもしれない。旧約聖書には信仰の父と言われたアブラハムという人が登場する。この人も数々の試練を経験する。例えばイシュマエルという子どもがいたのだが、これは奥さんとの間に生まれた子どもではなかった。そして神様が子どもを与えると約束されたのは正妻であるサラとの間に生まれることになっていた。先走って女奴隷ハガルとの間に生まれたのがイシュマエルであった。正妻との間にイサクが生まれたことによりサラはこのイシュマエルがイサクに悪影響を与えると言ってハガルとイシュマエルを家から追い出す様にアブラハムに要求するのである。子どもと別れる辛さを経験したことがあるアブラハムであるが再び子どもを取られる試練が襲ってくる。神様が与えると自ら約束してくださったイサクを燔祭として捧げる様に、という命令だった。イシュマエルに続いてイサクもか、とアブラハムはひどく落ち込んだに違いない。しかし、アブラハムは神様を全的に信頼していたのでその命令に従った。いよいよイサクをささげるべく刃物を振り上げた時に神様は「そこまで」と言ってくださった。物凄い苦悶の時を過ごしたに違いない。色々な試練を経験するとき、それでも神様を信頼して委ねることが出来るかが問われているのだと思う。難しい。
これらの事の後、神はアブラハムを試みて彼に言われた、「アブラハムよ」。彼は言った、「ここにおります」。神は言われた、「あなたの子、あなたの愛するひとり子イサクを連れてモリヤの地に行き、わたしが示す山で彼を燔祭としてささげなさい」。アブラハムは朝はやく起きて、ろばにくらを置き、ふたりの若者と、その子イサクとを連れ、また燔祭のたきぎを割り、立って神が示された所に出かけた。
創世記22:1-3
メッセージは16:50から
【熱中症】5歳男児死亡…保育園バスで意識不明 福岡(2021年7月30日放送『news every.』より)
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