最後の日

ミッション終了

今日で10月も終わり。そして自分の仕事も明日からセクションが変わる。今まで患者さんの送迎を主にしていたが明日からは用度の担当になる。

セクションが変わることで今の送迎は人員が減ってしまうのでかなり苦しい状況になってしまう。本当に申し訳ないと思っている。セクション変更の理由は大きくふたつあった。ひとつは雪道の運転ができないこと。今までも結構雪が降るところで生活していたが、基本的に雪が降れば車には殆ど乗らなかった。また日中に下の街に行けば雪はほとんどない状態。だから雪が降るところではあるが雪道に慣れるほど運転していなかった。雪深い津軽で、しかも患者さんを乗せて定時に送迎をする事は今の自分には難しいので事故を起こす前にセクション変更を願い出た。もうひとつの理由は人間関係。職場の方々とは円満な人間関係を築きながら仕事をしているが、何故か同じ送迎部門に自分のことを嫌っている人がいてその人からの執拗な嫌がらせや頻繁ではないが暴力行為に耐えられなくなってしまった。この人は、送迎の仕事を私に取られると思っているらしく70歳を超えている人だが子どものような嫌がらせをしてくる。また患者さんを乗せて送ろうとすると車を叩いたり、時には車をぶつけようとする。考えられない事をする。ずっと耐えていたし、人事課的な人にも相談してみた。が、その人の返答は「あの人は色々と問題があるけど、土曜日などは無給で送迎してくれる」ので医院としても重宝しているので忍耐して欲しい、とのことだった。そもそもこの職場が一般の常識が通用しないところなのであまり驚かなかったが呆れてしまった。暴力も基本も容認するという。

ならばセクションを変えて欲しいと訴えかなりの時間を要したがやっと明日から新しいセクションに変わることになった。新しいと言っても、今まで用度課がないような医院だったので、また無駄な仕事をさせられるのではないかと覚悟している。少し前まで送迎の合間を縫って一生懸命「手書きのカルテ」をスキャンする仕事をしていた。かなり能率の悪い仕事である。このペースでは全部終わるのに10年はかかるだろうと思っていた。そもそもこの医院は、その人事課的な人が結構力を持っていて、その人が思いついたことを従業員に振り分けるスタイルをとっている。どこかの会議で決定したことではなく全くの思いつきをやらされるのである。結局、そのカルテのスキャンは500人分ぐらいが終わったところで、スキャンをせずに全て廃棄処分することになった。このようなことが当たり前な職場なので、明日からの仕事も3ヶ月後には全て無駄になっている可能性もある。資格も能力もないのだから、何か仕事を当てがおうと周りも気を使ってくれているのだろう。申し訳ないという気持ちも大いにある。

思い出

今後も送迎の仕事をピンチヒッターで頼まれることがあるようだが、とりあえずこれでひと段落。自分に嫌がらせをする人以外は本当に良い人ばかりだったのでセクションを変わるのは少し寂しい。また患者さんも本当に良い人ばかりで大変お世話になった。毎回コーヒーをくださる方、送迎車が家の前を過ぎるまでずっと家に入らず頭を下げて感謝をされる方、いつも冗談ばかり言って車の中で笑わせてくださる方、最後まで何を言っているのか分からなかったけど丁寧に挨拶をしてくださる92歳のおじいちゃん、格言のような言葉を毎回教えてくださる方、津軽の良さを色々と教えてくださるおばあちゃん等々。思い出したらキリがない。後部座席から首を絞められたこともあった。でもこのおばあさんはこの夏熱中症で亡くなられた。何度も道に迷い途方にくれたこと、休憩時間は常に道を覚えるために走り続けた頃が懐かしい。

いつか

なかなか慣れない青森の土地だけど、いつか慣れるときがくるのだろうか。あるいはいつかこの地を離れる時が来るのだろうか。自分には良く分からないが、神様が一番良い事をしてくださるのでそれに従うだけだ。

「天が下のすべての事には季節があり、 すべてのわざには時がある。 生るるに時があり、死ぬるに時があり、 植えるに時があり、植えたものを抜くに時があり、 殺すに時があり、いやすに時があり、 こわすに時があり、建てるに時があり、 泣くに時があり、笑うに時があり、 悲しむに時があり、踊るに時があり、 石を投げるに時があり、石を集めるに時があり、 抱くに時があり、抱くことをやめるに時があり、 捜すに時があり、失うに時があり、 保つに時があり、捨てるに時があり、 裂くに時があり、縫うに時があり、 黙るに時があり、語るに時があり、 愛するに時があり、憎むに時があり、 戦うに時があり、和らぐに時がある。 働く者はその労することにより、なんの益を得るか。 わたしは神が人の子らに与えて、ほねおらせられる仕事を見た。 神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。」

伝道の書 3:1-11 口語訳

2021年10月30日 「神の最後の訴えを伝えるために」 安息日礼拝LIVE配信

(メッセージは9:45から)

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

教団教派を越えて

ウイリアム・ミラー

世界的規模で再臨運動が起こった19世紀半ば。米国ではこの運動に大きな影響を与える人物がいた。その名をウイリアム・ミラーという。年少の頃から貧困と戦い勤勉と自制という大きな教訓を学んだ。敬虔なクリスチャンである母親の影響を多分に受けて育つが、戦争の悲惨さなどを見て徐々に理神論に傾倒して行く。しかし、同じ戦争で周りの人が命を失って行く中自分の命が守られていることに不思議を感じ徐々にキリストを信じ始めるようになる。

バプテスト教会に導かれたミラー氏は毎日聖書を理解できるまで熱心に学び続けた。特に聖書を解説する書物は用いず、「聖書は聖書自身が解説する」という確信の元聖書とコンコルダンス(語句辞典)だけで研究を続けた。彼が特に惹きつけられたのはダニエル書に出てくる「2300の夕と朝の預言」であった。彼は何度も何度も計算を繰り返しそれが間も無く起こる出来事であることに気づいた。真理を知りながらも、彼はこの真理を宣べ伝えることはしなかった。計算に対する確証がなかったからではない。これを人々に伝えることで、時の出来事にばかり関心が向きその中心であるキリストに心を向けない人たちが現れるのではないかと思ったからである。しかし、真理を伝えなくてはならないという声が心の中に去来する。結局彼はこの真理を学んでから何年も後になってこう祈った。「主よ、もしもこれが伝えなくてはならない真理であればそれをはっきりと示してください」と。

その祈りから30分ほどで甥が連絡してきた。週末の礼拝で予定していた説教者がこられなくなったので叔父であるミラーに説教を頼みたい、ということだった。ミラーはあまりにも早く祈りがこたえられたことに動揺しながらも、この依頼を神様からの召しであると確信し快諾した。そして週末、安息日の礼拝メッセージは大きな反響を呼んだ。この噂を聞きつけた教会が教団、教派を越えてミラー氏に説教を依頼するようになった。これが米国に於ける再臨運動の発端である。この時、1831年であった。再臨がある、という時の13年前である。この時からミラー氏を中心とした再臨運動が展開され、「ミラーライト運動」と称され世界に飛び火して行く。

宗教改革

1517年、マルチンルターは95ヶ条の提題を突きつけカトリック教会の誤りを正そうとした。彼は決してプロテスタント教会を作ろうとしたわけではない。あくまでもその誤りを認め、正しい道に進みたいと考えていただけだった。しかし、実際にはカトリック教会と道を異にすることとなってしまった。

そしてプロテスタント教会がスタートする。現在、1200ぐらいのプロテスタント教会があると言われている。カトリック教会の誤りを正すつもりだったが、残念ながらカトリック教会の誤った教えのいくつかをそのままプロテスタント教会に持ち込んでしまった。自分は詳しくないので誤りがあるかと思うが

・マリア崇拝
・日曜日礼拝
・教皇無謬説
・復活祭
・霊魂不滅説
・化体説
・クリスマス
・煉獄説
・幼児洗礼
・告解
などがそうだと言える。

大失望の後

実際に1844年10月22日には目に見える形では何も怒らなかった。イエスキリストのご再臨を心待ちにしていた何十万という人たちが失望のまま去って行った。そして僅か50名ほどの人だけが残り、もう一度最初から聖書研究をすることにした。この時、残った人たちはバプテスト、メソジスト、長老派等々色々な教団教派の人たちであった。この人たちが集まり最終的には1863年にセブンスデー・アドベンチスト教会がスタートした。

昔、聞いたことが話だが「多くの教会がそれぞれの祝福を神様から受けている。残念ながら、一つの教会が全ての祝福を持つことはできない」ということだった。

そこに聖書主義のセブンスデー・アドベンチスト教会が登場した事は大きな意味があると思う。手前味噌だが、全ての真理を持ち合わせているこの教会が全世界に宣べ伝える使命を帯びているのだと思う。この教会を「異端」という人たちもいる。根拠のない批判だと思う。

逆にS.D.A.教会はこの使命を真摯に受け止め、実直に宣べ伝えることに専念しなければいけないと思う。それこそこの教会の真骨頂であると思う。

【神を第一にするシリーズ(5):ウィリアム・ミラー】

 

S.D.A.教会に対する正しい評価

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

パパ…

安息日になりもう一度聖書を開いていた。金曜日は高い確率で次男から電話があるが今日はなかった。電話を忘れるくらい充実しているのであればそのほうが安心である。先日の電話では「夏休みの宿題」をいくつか紹介してくれた。中でも「日記」の宿題をいくつか読んで聞かせてくれた。小学3年生ではあるが、結構上手な文章を書いていた。恐らく自分の小学3年時代には同じような事をかけなかったと思う。また音読もかなり上手で驚いた。読書が好きで、その割にYouTubeからも影響を受けているので現代の小学生、といった感じに成長している。読書をしたり宿題をしたりYouTubeでリラックスしたりと充実した日を過ごせたのかな、と思っていたところ夜になって次男から電話があった。19時を回っていたので珍しい時間帯である。

開口一番「パパ…」と言ってその後言葉が出てこない様子だった。

「どうしたの?ゆっくりで良いからなんでも話してね。話せるようになるまでこのまま電話を切らないから安心してゆっくりね」と声をかけると、しばらくして

「今日ね、学校で…蹴られた」と泣きそうになりながら必死に報告してくれた。

廊下を歩いている時に、何の脈絡もなく急に蹴られたという。

しばらく絶句してしまったが、その後こちらの方が涙を流してしまった。泣き声を悟られないように会話をしたが、子どもが傷つくのは耐えられない。蹴った相手を憎む気持ちなどない。ただ子どもが悲しんでいる様子が耐えられない。

「悔しくて、仕返しした?」

「悔しい、というより悲しかったけど仕返しはしなかった」

「何も手を出さなかったのなら、君の価値だね。よく耐えたね」

「パパに言われた通り、すぐに先生に言ったよ」

「そうか、全部100点だね。よく頑張ったね」

もう涙声である。

何故、この子はからかわれたりいじめられたりするのだろう。親だから客観的な目を持っていないが、少なくとも周りを不快にする子だとは思えない。いくつかの点で遅れはあるかもしれないが、優しくて思いやり深い子だと思っている。それなのに何故こうなのだろう。

いじめ抜かれて

イエス様はいわれのない事で徹底的にいじめ抜かれた。

「それから総督の兵士たちは、イエスを官邸に連れて行って、全部隊をイエスのまわりに集めた。 そしてその上着をぬがせて、赤い外套を着せ、 また、いばらで冠を編んでその頭にかぶらせ、右の手には葦の棒を持たせ、それからその前にひざまずき、嘲弄して、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言った。 また、イエスにつばきをかけ、葦の棒を取りあげてその頭をたたいた。 こうしてイエスを嘲弄したあげく、外套をはぎ取って元の上着を着せ、それから十字架につけるために引き出した。 彼らが出て行くと、シモンという名のクレネ人に出会ったので、イエスの十字架を無理に負わせた。 そして、ゴルゴタ、すなわち、されこうべの場、という所にきたとき、 彼らはにがみをまぜたぶどう酒を飲ませようとしたが、イエスはそれをなめただけで、飲もうとされなかった。 彼らはイエスを十字架につけてから、くじを引いて、その着物を分け、 そこにすわってイエスの番をしていた。 そしてその頭の上の方に、「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげた。 同時に、ふたりの強盗がイエスと一緒に、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。 そこを通りかかった者たちは、頭を振りながら、イエスをののしって 言った、「神殿を打ちこわして三日のうちに建てる者よ。もし神の子なら、自分を救え。そして十字架からおりてこい」。 祭司長たちも同じように、律法学者、長老たちと一緒になって、嘲弄して言った、 「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。 彼は神にたよっているが、神のおぼしめしがあれば、今、救ってもらうがよい。自分は神の子だと言っていたのだから」。 一緒に十字架につけられた強盗どもまでも、同じようにイエスをののしった。」
マタイによる福音書 27:27-44 口語訳

そして

少しイエス様の話をして、できるだけ明るい話をたくさんして最後にお祈りをして電話を切った。毎日必死に祈っているがなかなか学校生活は改善しない。

「心が疲れているときは、無理に学校に行こうとしないでママに相談して休みなさい」といつも言っている。が、本人はそれでも学校に行こうとする。それが健気でいじらしく、親の心を締め付ける。どうしたらこの子を守れるのだろうか。そのような事を考え悶々としている。祈って神様のお助けをいただかないと。

聖書研究ガイド21年4期5課

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

一人を探す

ある患者さんのこと

一昨日、とんでも無いことが起こった。とんでも無いと言っても自分がひとりでパニック状態に陥っただけのことである。

日、火、木はまず遠方の透析患者さんを迎えに行くところから一日の仕事がスタートする。遠方ということと弘前を通過するので信号待ちに時間を要することもあり40分で着くところを50分の計算をして出発する。朝なので1分遅れると捕まる右折信号が一つ多くなる。いつもと同じ時刻に医院を出発し弘前を通過して患者さん宅に着いた。透析でも外来でも患者さんはご高齢の方が多く、玄関先に出て待っていてくださる。これが結構プレッシャーで寒いこの時期や雨の日でも早くから待っていてくださるので遅れないように心がけている。この透析患者さん宅には8時5分前に着くようにしている。自宅前に車を止めているとしばらくして出てこられる。車を停車させてから患者さんが家から出てくるまでの時間がおよそ2分。患者さん宅を出発するのがおよそ8時。医院到着が8時35分になる。

一昨日、いつものように8時5分前に到着して患者さんが家から出てくるのを待っていた。2分を過ぎてもまだ出てこない。少し変だな、とは思ったがもうしばらく待ってみた。が、一向に出てくる気配がない。8時10分になった時に妙な胸騒ぎがしてドアを開けて中を覗かせてもらった。実際には自宅ではなく作業場に隣接する事務所である。中に簡易ベッドやソファー、机などがある。ソファーの上には透析用のいつもの荷物がおいてあった。病院に行く準備をしていたが、何らかの事情で事務所にはいない。

こういう時、何故か最悪な方向に思考が向かって行く。自宅から事務所に来るまでの何処かで事故にあったのか。あるいはこの作業場のどこかで倒れているのか。そんなことを考えた。

個人差もあるが透析患者さんの殆どが透析治療の後かなりぐったりしている。場合によってはすぐに動けず1時間ぐらい休んでから車に乗り込むこともある。そんな大変な状況を毎日見ているので、この患者さんも作業場の何処かで倒れているのではないかと不安になった。石材やさんなのだが作業場に入らせてもらい大声で患者さんの名前を呼びながら探した。が、居なかった。ということは自宅から作業場兼事務所のこの場所に来る途中で交通事故にあったか。そうなれば救急搬送される。弘前中の救急病院に問い合わせるべきなのか。意識がなく、普通の治療をしてしまい透析治療が遅れて最悪の結果に…などと不安なことばかり考えてしまった。

とりあえず、電話で院長先生にこのことを報告した。院長先生からは「再度こちらから指示を出すのでそれまで近隣を探してほしい」とのことだった。

もう泣きそうである。今までこういうことは一度もなかったので焦る気持ちでいっぱいになり半ばパニック状態になってしまった。15分ぐらいしてから、透析の看護師から電話があった。

恐縮しながら「すみません。連絡するのを忘れて居ました。今日はその患者さん、お休みです」…。

文字通り腰が抜ける状態になってしまった。良かった。患者さんは無事だ。透析治療を1回休むことなどできるのか疑問に思ったがとにかく良かった。

探す、待つ

状況は全く違うが、羊飼いなるイエス様は100匹のうち1匹が居なくなると99匹を安全な野に伏させ、居なくなった1匹を血眼になって探しに行く。イエス様は今も自分を探していらっしゃるのだろうか?もしそうなら一刻も早くここにいる事を知らせないといけない。

「そこでイエスは彼らに、この譬をお話しになった、 「あなたがたのうちに、百匹の羊を持っている者がいたとする。その一匹がいなくなったら、九十九匹を野原に残しておいて、いなくなった一匹を見つけるまでは捜し歩かないであろうか。 そして見つけたら、喜んでそれを自分の肩に乗せ、 家に帰ってきて友人や隣り人を呼び集め、『わたしと一緒に喜んでください。いなくなった羊を見つけましたから』と言うであろう。 よく聞きなさい。それと同じように、罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう。」
ルカによる福音書 15:3-7 口語訳

また自分の受け継ぐべき財産(遺産)を生前分与してほしいとねだった息子の帰りを、家の前で毎日待ちわびた父親の話が聖書には紹介されている。

「また言われた、「ある人に、ふたりのむすこがあった。 ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代をふたりに分けてやった。 それから幾日もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩に身を持ちくずして財産を使い果した。 何もかも浪費してしまったのち、その地方にひどいききんがあったので、彼は食べることにも窮しはじめた。 そこで、その地方のある住民のところに行って身を寄せたところが、その人は彼を畑にやって豚を飼わせた。 彼は、豚の食べるいなご豆で腹を満たしたいと思うほどであったが、何もくれる人はなかった。 そこで彼は本心に立ちかえって言った、『父のところには食物のあり余っている雇人が大ぜいいるのに、わたしはここで飢えて死のうとしている。 立って、父のところへ帰って、こう言おう、父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。 もう、あなたのむすこと呼ばれる資格はありません。どうぞ、雇人のひとり同様にしてください』。 そこで立って、父のところへ出かけた。まだ遠く離れていたのに、父は彼をみとめ、哀れに思って走り寄り、その首をだいて接吻した。 むすこは父に言った、『父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません』。 しかし父は僕たちに言いつけた、『さあ、早く、最上の着物を出してきてこの子に着せ、指輪を手にはめ、はきものを足にはかせなさい。 また、肥えた子牛を引いてきてほふりなさい。食べて楽しもうではないか。 このむすこが死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから』。それから祝宴がはじまった。」
ルカによる福音書 15:11-24 口語訳

放蕩息子

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

頼ってほしい

怒られたこと

以前にも書いたことだが、高校を卒業して浪人時代、恥ずかしながら反抗期を迎えた。その矛先は決まって母親だった。家内工業を営む家だったので常に両親、祖父母が一緒にいた。家族仲はすごく良かったと思う。そして両親、祖父母ともにとても優しく出来損ないの自分にも愛情を注いでくれた。どのような時も殆ど叱らず愛情だけを注ぐ父親は本当に優しく、仕事場に行っては父から色々な話をしてもらうのが大好きだった。母のことも大好きだった。注意が多く叱られることが多かったが、母はどんなに叱っても翌日には全く覚えていない様子で新しい気持ちで接してくれていた。本当に家庭環境に恵まれていたと思う。

そんな優しい母に対して反抗的な態度を取るようになってしまったのは本当に恥ずかしいことである。何故あそこまで反抗的になったのか自分でも理解できない。

浪人生活から解放され大学に入学するも、第一志望の大学ではなかったため気持ちは悶々としていた。親に内緒で大学を退学しもう一年浪人しようかと真剣に考えていたぐらいだ。反抗期のピークは過ぎたもののまだ母親にはぎこちない接し方をしていた。というか何かを話せば母を傷つけてしまう気がして、できるだけ会話をしないようにしていた。どちらかといえば無視していたのかもしれない。無視や素っ気ない返事をくる返していたある日、大学1年の前期試験の前だったと思う。普段は優しい母が急に怒るというか感情的になって「少しは何か喋りなさい。お金がないとか、困ったことがあるとか」とこちらが驚くほどの剣幕で怒られた。

それからだったと記憶している。毎年母の日と誕生日にはプレゼントを渡すようになったのは。自分には、そういう表現しかできなかった。大好きで感謝しているけど面と向かって話すと照れ臭くなってしまう。面と向かって和気藹々と話す自分を、もう一人の自分が「お前はそういう人間じゃ無いだろ」と笑い者にしているように感じてしまうのである。

何かを話してほしい、頼ってほしいと言われて本当に嬉しかった。それからも何かを相談することはあまりなかったと記憶しているが、それでも嬉しかった。

そういえば、荻窪でアルバイトをするようになったのだが、ある日ラッシュで右往左往している自分に向けられている視線を感じて、あたりを見回した。するとガラス張りの向こう側、外から両親が自分の働いている姿を見ていることがあった。この時はすごく恥ずかしかったが、とても励みになった。ありがたいものである。

頼ってほしい

現在、聖書通読2回目に入っている。今日(10月27日現在)読んだところが詩篇79編までだった。先日読んでいたところだが、思わず涙が出てきた聖句がある。

普段は口語訳聖書を使っているが2回目の通読にはリビングバイブルを使っている。

口語訳では

感謝のいけにえを神にささげよ。あなたの誓いをいと高き者に果せ。
悩みの日にわたしを呼べ、わたしはあなたを助け、あなたはわたしをあがめるであろう」。
詩篇50:14-15

と書かれている。

これがリビングバイブルだと

「わたしが求めているのは、真心からの感謝、 わたしへの誓いを果たすことである。 苦難のとき、わたしを頼みとしてほしい。 そうすれば、わたしは助けの手を差し伸べ、 あなたがたはわたしをほめたたえるだろう。」
詩篇 50:14-15 リビングバイブル

「わたしを頼みとしてほしい」というところで涙がこぼれた。

「少しは何か喋りなさい。お金がないとか、困ったことがあるとか」

昔母親が言っていた言葉を思い出した。

「わたしに頼りなさい」ではなく神様は「頼ってほしい」と思ってくださっているのだと理解できた。

【鹿児島教会・礼拝】私のもとに来なさい

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

価値7

変化する価値

物事の移り変わりがとても早くなった昨今、地元のイオンでは2週間くらい前からクリスマスの装飾に入っている。またおせち料理の注文も受付中。いたるところで年賀状印刷予約の案内を目にするようになった。何でも早くなっている気がしてならない。

物の流行り廃りのペースも早くなっている。今ではその殆どを処分してしまったが、根っからの写真マニアだったので沢山のカメラやレンズを所有していた。Canon F1、NikonF2,F3,FE,FM2、ハッセルブラッド500C/M、Leica M4,M6。ここまでがフイルムを使う所謂銀塩カメラ。その後デジタルカメラを沢山所有したが、Canonのシステムで撮る写真が好きでデジタルになってからCanonばかり買っていた。最後に買ったCanonの一眼レフは5D-MarkⅡ。これに2.8のズームLレンズを付けて撮るスタイルが一番好きなのだが、最近カメラの調子が少し思わしくない。ダイヤルが空回りすることがあるのでオーバーホールに出そうとしたが、修理を受け付けられない商品に挙げられていた。買った当時は結構な値段だったし、一世を風靡するサブフラッグシップ的なカメラだったが数年で修理できない物になってしまった。銀塩カメラは寿命が長いがデジタルになると短命である。爆発的はヒット商品が数多く存在するが、それらの商品が3年後もヒット商品である可能性は非常に低くなっている気がする。それが特に電化製品、デジタルガジェットであればなおさらだと思う。昨年大好評だったiPhone12は、iPhone13の登場により影に隠れてしまった。自分はiPhoneXRを使っているが、これなどはカタログにすら載らない。買ってからまだ2年半。docomoの支払いがまだ終わっていないのにその価値はほぼ無い、というところまで落ちている。

スピード感が要求される今日、物の価値も短時間で変動するようになってしまった。

変化しない価値

自分の持ち物で価値が変化しない(下がらない)ものはあまり無いが、Rolexだけは金銭的な価値は上がり続けている。買った時の3~4倍近くまで上がっていると思う。

物でなかったらどうだろうか。命、時間、思い出などはその価値を殆ど変えていない気がする。その中でも最たるものは「神様が認めた価値」だと思う。

神様は反抗しようが、敵対しようが、どのような状態でも人間を「価値あり」値踏みしてくださった。有用性、従順さ、真面目さ、献身的な態度などの尺度で測って「価値あり」と認めたのでは無い。全く価値のない者を、愛の対象として認め「価値あり」としてくださった。

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。
イザヤ43:4

単に口先だけでそう言っているのでは無い。

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。

 For God so loved the world, that he gave his only begotten Son, that whosoever believeth in him should not perish, but have everlasting life.
ヨハネによる福音書3:16

どれだけ価値があり、神から愛されているかを示すためにその命を投げ出されてしまった。

人間は時事刻々変わる不安定な存在である。調子の良い時は「神様、あなたを愛しています。あなたに心から従います」と言い、少し雲行きが悪くなると神様に対して呟き、不平不満を漏らすようになる。そんな人間の側の状態に拘わらず、神様は常に愛してくださっている。そして価値のない者に価値があると宣言してくださった。

自分のそばに「自分自身の価値を見失ってしまった人」がいる。その人にどのように人の価値を説明できるかを考えながら1週間「価値」について考えてきた。

そしてイエスキリストの十字架が人間の価値だという結論に至った。

勿体無い。申し訳ない。

十字架より叫びきこゆ

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

価値6

「だいぶ覚えたね」

今日、患者さんを乗せて車を運転しているときに、いくつかの出来事があった。ひとつは「白鳥」が群れで稲刈り後の田んぼにいたこと。自分の記憶では白鳥をここまで間近で見たのは初めてだと思う。水上を優雅に泳ぐ姿は見たことがあるが田んぼにいる白鳥など見たことは無かった。同乗していた患者さん曰く、稲刈りが終わった田んぼに餌を求めて飛来してくるのだそうだ。確かに津軽地方には何箇所か白鳥の飛来地があることを思い出した。白鳥がこれほど大きい鳥だとは思わなかった。愚かな自分は白鳥を見た瞬間に「ペリカン?」と思ってしまうほど大きかった。これが群れているから結構な迫力であった。

もうひとつ、ある患者さんを乗せて自宅まで送る途中のこと。透析の患者さんは終わる時間や同情する人も多くて2人なので勝手がわかるのだが、外来患者さんはそうはいかない。終わる時間もまちまちだし、終わった患者さんが都合よく皆同じ方向の人とは限らない。というかそんな都合の良いことなどまずない。方向がかなり違う人に同乗してもらうこともたくさんある。今日もそうだった。ひとりの人を除いて他の4名は皆一筆書きで行けるコース上に家がある。しかし、この一人の人をお送りするためにかなりロスが多くなり同じ道を2回通らないといけなくなる。そのような中で、最後に92歳のおばあさんを送ることになった。「今日はお送りが一番最後になってしまい申し訳ありません」と詫び、最後の迷路のような道に入った。この道は何度も迷った道だ。今でこそ簡単に通り抜けられるけど、曲がるところを一箇所間違えると畦道の袋小路に入ってしまう。何度となくそこに入ってしまい、この92歳のおばあさんに不安な思いをさせてしまっていた。が、今は迷うことはない。すると「だいぶ覚えたね」とお褒めの言葉を後部座席からかけてくださった。

頼られることで確認できる価値

このおばあさんは少し前に小学校から一緒だったお友達を亡くされた。自分も何度も送り迎えをしたSさんだ。目がご不自由だが、当院ができた頃からの患者さんで20年以上通院されていた。今年の夏、畑で熱中症で倒れているところを発見され救急搬送されたがそのまま亡くなられた。Sさんとずっと一緒だったこのおばあさんはSさんが亡くなって本当に寂しそうにしておられる。口数も減ったし表情にも笑顔がなくなった。そんなおばあさんからかけられた声だったのでとても嬉しかった。自分の仕事は運転免許さえあれば誰にでもできる仕事だとずっと思ってきた。確かにそうなのだ。しかし一旦患者さんとしてこの車に乗ったら、自分のような者に頼り託すしかないのだ。道に迷ってもとにかく頼るしかない。そう考えた時、「誰にでもできる仕事ではあるが走り出したら自分しかできない仕事をしている」とも言える。

人に必要とされ、頼りにされることで人の存在価値が顕になる。

20211023礼拝 説教 東清志

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

価値5

相対的価値と絶対的価値

自分は言葉を知らないので、表現が正しくないことを承知しているが価値にはいくつかの種類があるように思う。「相対的な価値」とはもっと違う意味があると思うのだが、ここでは「お金などの価値に置き換えることによって誰もが認める客観的な価値」と定義しておきたい。

例えば高級車の価値はその販売価格で査定することができる。お金には客観的な価値がありそれは多くの人にとって共通認識であるから、30万円の車と3000万円の車では3000万円の車の方が相対的に価値があると判定できる。

これに対して絶対的価値というのは、ここでは「だれかがその程の価値があると認めた故」の価値のことである。オンボロのポンコツ車であっても、世界一クルマに精通している人が「これは1億円以上の価値がある」と言えば、誰にもそう見えなくてもその価値になる。この場合価値を決める人自体に価値(権威)がある、と言うことになる。

はてな茶碗

自分は落語が大好きである。最近は機会がないのでほとんど行っていないが、落語好きな父と一緒に、浅草演芸ホールや東洋館、新宿末廣亭、上野は鈴本演芸場などによく足を運んだ。一人で行くことも多く、行けば最終まで過ごしてしまう。

古典落語に「はてなの茶碗」と言う演目がある。うまく説明できないのでwikipedieからそのあらすじを引用させていただきたい。

京都、清水の音羽の滝のほとりで、大阪出身の油屋の男が茶屋で休憩していた。そこに京では有名な茶道具屋の金兵衛、通称「茶金」が、茶屋の茶碗のひとつをひねくり回しながら、しきりに「はてな?」と首をかしげた後、茶碗を置いて店を出た。それを見ていた油屋は、あの茶金が注目していたことからさぞかし値打ちのあるものに違いないと考え、茶屋の店主にその茶碗を買いたいと申し出る。断る店主であったが、油屋は最終的に二両を提示し、茶碗を手に入れる。

油屋はさっそく京の茶金の店へ押しかけ、千両の値打ちがあると言って茶碗を売り込むが、どう見てもただの数茶碗に番頭は買い取りを拒否する。しかし、自信がある油屋はごね、番頭と押し問答となり、最終的に金兵衛自ら出てくる。茶碗について聞かれた金兵衛は、ヒビも割れもないのに、どこからともなく水が漏れるので、「はてな」と首をかしげていただけだと明かす。油を仕入れる金も残っていないと意気消沈する油屋であったが、通人でもある金兵衛は、油屋から三両で茶碗を買い取り、いつか親元へ帰って孝行できるよう、地道に励むように諭す。

後日、この話が評判となり、茶碗を実見した関白・鷹司公によって「清水の 音羽の滝の 音してや 茶碗もひびに もりの下露」という歌が詠まれる。さらには時の帝も興味を持ち、この茶碗から滴った水は御裾を濡らした。茶碗には帝の筆による「はてな」の箱書きが加わり、好事家の鴻池善右衛門が千両の保証金と引き換えに預かるという体裁で、金兵衛から茶碗を買い取る。思いがけない展開であったが、やはり通人である金兵衛はこれを自分だけのものとせず、油屋を探し出すと半分の五百両を渡し、残りを慈善の施しに使い、余った分で家中の者たちのための宴を開きたいと告げる。油屋は深く感謝し、金兵衛のもとを辞する。

すると後日、再び油屋が金兵衛の元に現れ、「十万八千両の大儲け」だという。理由がわからない金兵衛が問いただすと油屋はこう答えた。

「今度は水の漏る瓶(水瓶)を持って来ました」

「茶金」が「はてな」と首を一度傾げたらいくら、と言う価値があると言われていた。茶碗の価値というより「茶金」のネイムバリューによってこの茶碗が価値あるものと勘違いされたのである。

本当に価値あるもの

聖書では「真に価値あるものは目に見えない」とある。目に見えるものは一時的であり、目に見えないものは永遠に続くとされている。

神、存在、命、時間、言葉等々。全て大切なものであるが、いまの自分にとって価値あるものはやはり神様の言葉だろうか。勿論「神様」という存在があるという前提だが。これがなければ自分は生きていくことができない。

感謝します【リモート賛美】

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

1844年10月23日

大失望からのスタート

今日は2021年10月23日。今から177年前のこと。この水曜日の朝を重苦しい気持ちで迎えた大勢の人たちがいた。

19世紀は米国に限らず多くの国で「再臨運動」が展開された。米国ではウイリアム・ミラーを中心にこの運動が広まった。最終的には北米だけでも10万人規模の「イエスの再臨を待ち望む」群が出来上がった。聖書に「ダニエル書」と言う書物があるがその中にイエスキリスト出現や死、またそれに関する複数の預言が書かれている。ミラー牧師らに代表される「再臨運動」はダニエル書のある言葉が発端となっている。

それから、わたしはひとりの聖者の語っているのを聞いた。またひとりの聖者があって、その語っている聖者にむかって言った、「常供の燔祭と、荒すことをなす罪と、聖所とその衆群がわたされて、足の下に踏みつけられることについて、幻にあらわれたことは、いつまでだろうか」と。 彼は言った、「二千三百の夕と朝の間である。そして聖所は清められてその正しい状態に復する」。
(ダニエル書8:13,14)

この「聖所が清められる」と言う部分を再臨と理解したミラー牧師だったが、その起算点さえ分かればイエスキリストの再臨の日を求めることができると考えた。何故起算点が分かれば再臨の日がわかるかと言うと、「2300の夕と朝」から理解できる。預言では1日を1年と読み解くのが聖書の一般的な解釈なので、ある起算点から2300年後再臨があると言える。その起算点は、同じくダニエル書に書かれていた。

それゆえ、エルサレムを建て直せという命令が出てから、メシヤなるひとりの君が来るまで、七週と六十二週あることを知り、かつ悟りなさい。その間に、しかも不安な時代に、エルサレムは広場と街路とをもって、建て直されるでしょう。
(ダニエル書9:25)

バビロン捕囚によって捕らえられ、エルサレムの街は廃墟と化してしまったがその後、クロス王が帰還の許可を下しイスラエルの民の一部は故郷に帰還した。クロス王は神殿の再建を指示したが、その後エルサレムに関する再建命令や確認は何度となく発令される。ただ、ダニエル書のこの部分に記されているのは「神殿の再建」ではなく「エルサレムの街の再建」である。これを発令したのは、アルタシャスタ王(アルタクセルクセス王)である。BC457年のことである。これを起算点とした時、BC457年から2300年後は1844年となる(BC1年の次の年はAD1年となり0年なるものは存在しないので2300-457+1=1844となる)。過越の祭りとキリストの十字架が同日であったことからその日がユダヤ暦の7月10日、これを現在の太陽暦に変換すると1844年10月22日、が算出できる。

ちなみに、ウイリアム・ミラーを紹介したが、この計算についてはミラー以前にも多くの人がこの計算を試みていた。物理学者、数学者で有名なアイザック・ニュートンもこの計算を成功させている。

この1844年が迫るに従って多くの人たちが家や土地を売り、仕事を辞め、全財産を貧しい人に施し、全てを捨てて山に集まってきた。そしていよいよカウントダウン。1844年10月22日の1週間目に亡くなったある牧師がいた。家族は家長を失った寂しさもあったが1週間後に父親、夫に会える希望を持っていたので悲しむことはなかったと言う。そしてついに10月22日。朝、そして昼を迎えたが何の変化もなかった。夕方になり夜になった。そしてついに10月22日が終わってしまった。再臨を待望していた10万人を超える人々が「大失望」を経験した。ある人たは「始めからこんな預言は嘘だったのだ」と思いその群れから離れた。ある人たちは「イエスキリストは確かに来られた。自分たちの心の中に」と言って自分の心が壊れない努力をした。そして非常に少数ではあったが(ある記録では50名ほどとある)「計算に間違いは無かった。間違っていたのは計算ではなく、その出来事だった」ともう一度聖書研究に没頭したグループがあった。実は自分が所属しているキリスト教団はこの大失望の後、聖書研究に没頭したグループである。

そして、レビ記から「聖所が清められる」の意味が「再臨」ではなく「大祭司なるイエスキリストが至聖所に入られた」と解釈するに至った。

10月23日

今から177年前の今日。大失望を経験したうちの僅かな人たちが集まって聖書をもう一度研究した。大失望の朝、しかし新しい方向に向かう朝、神様はこの小さな小さな群れを心から愛し励まし支えてくださったのだと思う。

あれから177年、現在この小さな群れは全世界規模のネットワークをもちおよそ2000万人の信徒を有する教団になった。

この教団は「土曜日に礼拝する特殊な集団」と言われることがある。しかし、イエスの十字架直後にできた初代教会から始まってずっと安息日は土曜日であると信じそれを守ってきた。それがそもそもクリスチャンの伝統だった。「時と法を教会の権威で変更した」存在によって日曜日が礼拝日になり定着してしまっただけのことである。因みにこの安息日の教理はセブンスデー・バプテストから私たちの教団は学んだ。だから、安息日の教理は私たち独自のものではない。私たちの教理の根底にあるのは、1844年に何が起きたかに関係する。つまりイエスキリストが至聖所に入られたことを含む「聖所と救いの教理」、これこそが自分の属する教団の真骨頂である。

信仰の大先輩たちが築き上げた大いなる遺産を後世に、またイエス様を知らない方々に伝えるのが自分の使命であることをこの日、改めて確認した。

2021年10月23日 安息日礼拝〈ライブ〉(メッセージは1:05:35から)

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村

価値4

お金

お金は大切のものであり、お金があれば「なんでも」ではないが多くのことが可能になる。お金があって働かなくて良ければ両親と同居して介護ができる。お金があって自由に使える余裕があれば毎週実家に帰省することができる。「お金があれば幸せになれる」などとは思っていないが、「お金がある」ことでより快適で不可能を可能にする生き方ができることも事実だと思う。

大切なお金だが、背後にある「真のお金の価値」を教えてくれる話を読んだことがある。確か、田中信生牧師の書かれた「人生は舞台、あなたは名優」と言う本に書かれていた話だったと記憶している。

洋子ちゃんの10円玉

仙台に身寄りのない「知的障がいを抱える子」を預かる教会があった。その教会では子どもたちの自立のため15歳になるとある試験をすると言う。硬貨をその価値が高いものから並べる、と言うもの。

1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉の6種類。ある時、洋子ちゃんがこの試験を受けることになった。洋子ちゃんは小さい頃にお母さんを亡くし、現在は病床にある父親がいるだけ。そのような境遇だが洋子ちゃんは笑顔を絶やさない子だと言う。

洋子ちゃんに、価値のある順に並べるように言うとただひとつの間違いを除いて全て完璧に答えられた。

10円玉、500円玉、100円玉、50円玉、5円玉、1円玉

何故か一番価値のある500円玉の前に10円玉を持ってきてしまう。指導スタッフは何度も何度も根気強く教える。実際に買い物に連れて行って10円玉で買えるものと500円玉で買えるものとを見せてその価値の違いを教えるが、何度教えても洋子ちゃんは10円玉を「一番価値ある硬貨」にしてしまう。何故だろう、どうして10円玉なのだろうとスタッフは悩み考え続けた。そして、あるスタッフが「もしかしたら」とあることを思い出した。

洋子ちゃんは毎日就寝前に寮のにある公衆電話でお父さんと話をする。現在では公衆電話自体が少なくなり見かけることもあまりなくなったが、この頃はまだ公衆電話が多く、しかもテレホンカードではなく10円玉なども硬貨を入れるタイプが主流だった。寮にあった公衆電話はその中でももっとも古いタイプの赤電話。10円玉しか入らないタイプの電話だった。

洋子ちゃんにとって10円玉は、世界一大好きなお父さんとお話しできる最も価値ある硬貨だったのだ。

「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。 むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。 あなたの宝のある所には、心もあるからである。 目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいだろう。 しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。 だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。 それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分のからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさるではないか。 空の鳥を見るがよい。まくことも、刈ることもせず、倉に取りいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養っていて下さる。あなたがたは彼らよりも、はるかにすぐれた者ではないか。 あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。 また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。 きょうは生えていて、あすは炉に投げ入れられる野の草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ、信仰の薄い者たちよ。 だから、何を食べようか、何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。 これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。 まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう。 だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。」
マタイによる福音書 6:19-34 口語訳

聖書研究ガイド21年4期4課

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村