焦り

受験勉強

受験シーズンを間近に控え、大学受験に備えているかつての生徒からの質問もその頻度を増している。わからない問題が次々に送られてくる。昨晩も夜中に問題が送られてきた。たまたま目が覚めて時間を確認しようと携帯を見たときに質問が送られてきていることに気づいた。眠くて半分寝ぼけていたが問題に目を通し解答した。典型的あるいは定番とも言える問題だった。円錐の体積比を求める問題である。円錐を底面と平行に三等分する。その時の体積比を求めよ、という基本的な問題であるがやったことがあれば円錐だろうが四角錐、三角錐なんでも同じ結果になることはすぐに分かる。解答しその説明を書いて送った。しばらくして、理解できたとの返信があったがその後数回にわたって彼女の受験に対する不安や恐怖が送られてきた。この時期は1週間1サイクルの基本的な学習リズムを崩さず、過去問や難しい問題に没頭しすぎないことの大切さをもう一度伝えた。そして、みんなが不安になる時期なので「決して自分だけではない」と言い聞かせ、イエス様に頼って日々やるべきことだけをやる毎日を送るよう伝えた。そして自分は勿論のこと、同じ大学を受ける他の受験生のためにも祈ることを約束してもらった。

浪人時代

彼女の不安や焦り、恐怖が痛いほどよく分かる。自分の浪人生活がまさにそうだった。校内模擬試験では何度も表彰されることはあったがそれは物理だけのこと。数学がまるでだめだった。11月ごろから、夜床に着くと不安な気持ちで涙が流れてしまう毎日だった。模擬試験での表彰は本番の受験に対して何の効力もない。10回表彰されれば希望の大学に無条件で進学できる、などの制度があれば良いのだがあるわけない。不安と恐怖に押しつぶされるので一度は寝たもののすぐに起きて勉強を始める。すると、また自分が理解できていない事に気付かされる。諦めて寝ようとするが結局不安でまた勉強してしまう。そして一睡もできないまま夜明けを迎えるのだ。確かに勉強する事で実力もつくのかもしれない。しかし、当時の自分はそれ以上に勉強を麻薬のように思っていた。勉強をしていないと不安になり勉強する事で更に不安になる。そのようなことを繰り返していた。質問をしてくれる彼女には、かつての自分のようにはなってほしくない。いつもイエス様を見上げ、イエス様にだけ頼る生き方に目を向けて欲しいと思っている。そして、神様を知っている者の責任として他の神様を知らない受験生のために祈ることは責務であると思って欲しいのだ。

意味は違うと思うがある本の中に次のような言葉を見つけた。

答えは、突然に、しかも圧倒的な方法でもたらされるかもしれないが、一方で長く待たされて私たちの信仰が試されるかもしれない。しかし神は、いつ、どのように答えるべきかをご存知である。私たちがすべきことは、常に聖なる関係を保ち続けることである。神は、ご自分の責任を果たされる。神は約束に忠実であられる。私たちにとても大切なことは、心を一つにして、全ての妬みや悪の心を脇に置き、願い求める者として謙虚に待つことである。頭であり、代表者であるイエスは、ペンテコステの日に目を覚まして祈っていた者たちになされたことを、私たちのためになさる備えができておられる。
(3SP 272 1878 )( 終わりの時代の諸事件 p185)

受験シーズンを迎える時期になったが、受験生が困難を通して志望校だけでなくイエス様に出会う経験ができるよう祈るものである。

第1回「洪水はあったのか」講師:山本哲也

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旭川中2女子いじめ凍死事件

事件の概要(文春オンラインhttps://bunshun.jp/articles/-/48013より引用)

今年3月、北海道旭川市の公園で凍った状態で発見された廣瀬爽彩(さあや)さんの遺族の代理人が8月18日、市内で記者会見を開き、遺族の手記を公開した。

 文春オンラインでは、これまで、爽彩さんが凄惨なイジメを受けていたこと、失踪直前までそのイジメによるPTSDに悩まされていた事実などを報じてきた。これらの報道を受け、今年4月旭川市はイジメが実際にあったかどうか再調査を開始した。遺族は今回公表した手記の中で、「爽彩に何があったのか、真相を明らかにして欲しいと願っています」と改めて訴えた。

 真相解明の一助になることを願い、当時の記事を再公開する。(初出2021年4月15日、肩書き、年齢等は当時のまま)

捜索を行った近親者が、遺体発見当時の状況を語る。

「爽彩さんが見つかったのは自宅から数キロ以上離れた公園の中です。発見時の服装は軽装で、薄手のパンツとTシャツ、上にパーカーを羽織っていただけでした。検死の結果、死因は低体温症と判断されました。死亡日時は、2月中旬とまでしか断定できないそうです。

 爽彩さんが家出した日は、氷点下17℃以下の凍てつくような日でした。極寒の中、あの軽装で外にいたのでは、正直3時間くらいしか体力的にもたなかったのではないでしょうか。公園で力尽きたであろう爽彩さんの上に、その後どんどん雪が積もった結果、誰も発見できないまま、3月下旬になってしまいました。

 暖かくなり、少し雪が解けたことにより遺体の一部が見えるようになった。公園の近くに住んでいる住民がその遺体を発見し、警察に通報したのです。駆け付けた警察がスコップで雪を掘って、爽彩さんを外に出しました。彼女の遺体は冷たく、凍った状態でした。

2019年4月、爽彩さんは地元のY中学校に入学した。学区の関係で、爽彩さんが通った小学校からこの中学校へ進んだのはわずか数名。爽彩さんはクラスになかなか馴染めなかったという。

 きっかけとなったイジメグループとの接点は、中学入学から間もない4月中旬、中学校の近くにある児童公園で生まれた。緑溢れるその公園は付近の小中学生のたまり場だったという。

「爽彩は中学に入学してからはいつも、塾に行く時間が来るまで、そこで勉強をしたり、小説を読んだりして過ごしていました。やがて、その公園で、同じ中学の先輩らと顔見知りになる中で、2学年上のA子と知り合ったのです。

 最初のうちA子とは、公園で話したり、夜に帰宅してからは音声を繋ぎながらネットゲームをしていたようです。ただ、A子の友人のB男と、近隣の別のZ中学校に通うC男がグループに加わると様子がそれまでとは変わっていきました。夜ゲームをしている時も、わいせつな会話をしながら、ということが増えていったそうです。この頃から、A子、B男、C男らによるイジメが始まったようなんです」(同前)

「今までそんなこと言ったことがなかったのに、部屋からぽっと出てきて『ママ死にたい、もう全部いやになっちゃって』と。母親が『何があったの? イジメとかあるんじゃないの?』と聞くと、『大丈夫。そういうのじゃない』と答えたそうです。

 ゴールデンウィークには、深夜4時くらいにB男らにLINEで呼び出された爽彩が、いきなり家を出て行こうとしたところを母親が止めるという出来事もありました。母親がいくら止めても、爽彩は『呼ばれているから行かなきゃ』と、すごいパニックを起こしていた。ようやく引き止めたものの、その後もひどく怯えていたそうです」

一体、爽彩さんの身に何が起きていたのか。のちに母親らが警察やイジメグループの保護者などに聞きとって判明したのは、C男が爽彩さんに対して、しつこく自慰行為の動画や画像を送るよう要求していたことだった。取材班も現地関係者に取材する中で、C男が爽彩さんに対して送っていたLINEのメッセージを確認した。

 6月3日、C男は爽彩さんに対して、次のLINEメッセージを送っている。

《裸の動画送って》

《写真でもいい》

《お願いお願い)

《(送らないと)ゴムなしでやるから》

 C男は爽彩さんに自慰行為の写真を携帯のカメラで撮って送るようしつこく要求。まだ12歳だった爽彩さんは何度も断ったが、上記のような暴力をちらつかせ脅迫するようなメッセージもあり、恐怖のあまり、自身のわいせつ写真をC男に送ってしまったという。それを機に、A子、B男、C男らによるイジメが目に見える形で露骨になってきた。

「A子はそのことがあった後に、爽彩に『大丈夫だった?』『私はあなたの味方だから』と言って、親切な友達のように装っていました。しかし、その一方では、C男が爽彩のわいせつ画像を入手したことを知ると、『私にも送って』と催促。C男はA子に爽彩の画像を転送したそうです。その後、複数の中学生が入っていたグループLINEにその画像が拡散されたこともありました」(前出・親族)

怯える愛娘の異常な様子に心配した母親は、何度も中学校の担任教師に「娘はイジメられているのではないか」と相談したという。

「4月に1回、5月に2回、6月に1回、担任の先生に『イジメられていますよね? 調べてください』とお願いしたが、担任の先生からは『あの子たち(A子ら)はおバカだからイジメなどないですよ』『今日は彼氏とデートなので、相談は明日でもいいですか?』などと言って取り合ってくれなかったそうです」(同前)

イジメは、さらに凶悪で陰険なものとなっていった。6月15日、爽彩さんはA子らにたまり場の公園に呼び出されたという。

「当時、公園には緑が生い茂り、外から園内は見えにくくなっていました。A子、B男、C男に加え、C男と同じZ中学校のD子、E子も後からやってきました。さらに公園で遊んでいた小学生も居合わせ、複数人で爽彩を囲んだのです。

 そして『爽彩が男子中学生に裸の画像を送らされたり、わいせつなやりとりをしていた』という話を男子生徒が突然し始めると、周りを囲んだA子やD子、E子ら女子中学生が『それ今ここでやれよ。見せてよ』と、爽彩にその場で自慰行為をするよう強要したのです。

その後、『公園では人が来るから』とA子らは、爽彩を公園に隣接する小学校の多目的トイレに連れ込み、再び自慰行為を強要しようとしました。複数人に取り囲まれ、逃げ出すことも助けを呼ぶこともできず、爽彩は従うしかなかった」(同前)

 爽彩さんは、この“事件”が起きたころから自暴自棄になり、執拗なイジメに対して「もう好きにして」「わかった」と、答えるようになった。もはや抵抗する気力も残っていなかったのだろう。

自分の子どもを思いながら読んでしまう。涙しか出てこない。何故ここまで獣になれるのだろう。生徒も教員も。

いじめ防止対策推進法

今頃になってやっと調査のメスが入り始めた旭川での凄惨な事件。何故将来のある子どもたちが生きられないのか?本当に悲しい現実である。今から10年前に大津市で起きた中学生のいじめがきっかけでこの法律ができた。

その一部を紹介したい。

第一章 総則

(目的)
第一条 この法律は、いじめが、いじめを受けた児童等の教育を受ける権利を著しく侵害し、その心身の健全な成長及び人格の形成に重大な影響を与えるのみならず、その生命又は身体に重大な危険を生じさせるおそれがあるものであることに鑑み、児童等の尊厳を保持するため、いじめの防止等(いじめの防止、いじめの早期発見及びいじめへの対処をいう。以下同じ。)のための対策に関し、基本理念を定め、国及び地方公共団体等の責務を明らかにし、並びにいじめの防止等のための対策に関する基本的な方針の策定について定めるとともに、いじめの防止等のための対策の基本となる事項を定めることにより、いじめの防止等のための対策を総合的かつ効果的に推進することを目的とする。

(定義)
第二条 この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。

2 この法律において「学校」とは、学校教育法(昭和二十二年法律第二十六号)第一条に規定する小学校、中学校、高等学校、中等教育学校及び特別支援学校(幼稚部を除く。)をいう。

3 この法律において「児童等」とは、学校に在籍する児童又は生徒をいう。

4 この法律において「保護者」とは、親権を行う者(親権を行う者のないときは、未成年後見人)をいう。

(基本理念)

第三条 いじめの防止等のための対策は、いじめが全ての児童等に関係する問題であることに鑑み、児童等が安心して学習その他の活動に取り組むことができるよう、学校の内外を問わずいじめが行われなくなるようにすることを旨として行われなければならない。

2 いじめの防止等のための対策は、全ての児童等がいじめを行わず、及び他の児童等に対して行われるいじめを認識しながらこれを放置することがないようにするため、いじめが児童等の心身に及ぼす影響その他のいじめの問題に関する児童等の理解を深めることを旨として行われなければならない。

3 いじめの防止等のための対策は、いじめを受けた児童等の生命及び心身を保護することが特に重要であることを認識しつつ、国、地方公共団体、学校、地域住民、家庭その他の関係者の連携の下、いじめの問題を克服することを目指して行われなければならない。

(いじめの禁止)

第四条 児童等は、いじめを行ってはならない。

(国の責務)

第五条 国は、第三条の基本理念(以下「基本理念」という。)にのっとり、いじめの防止等のための対策を総合的に策定し、及び実施する責務を有する。

(地方公共団体の責務)

第六条 地方公共団体は、基本理念にのっとり、いじめの防止等のための対策について、国と協力しつつ、当該地域の状況に応じた施策を策定し、及び実施する責務を有する。

(学校の設置者の責務)

第七条 学校の設置者は、基本理念にのっとり、その設置する学校におけるいじめの防止等のために必要な措置を講ずる責務を有する。

(学校及び学校の教職員の責務)

第八条 学校及び学校の教職員は、基本理念にのっとり、当該学校に在籍する児童等の保護者、地域住民、児童相談所その他の関係者との連携を図りつつ、学校全体でいじめの防止及び早期発見に取り組むとともに、当該学校に在籍する児童等がいじめを受けていると思われるときは、適切かつ迅速にこれに対処する責務を有する。

(保護者の責務等)

第九条 保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、その保護する児童等がいじめを行うことのないよう、当該児童等に対し、規範意識を養うための指導その他の必要な指導を行うよう努めるものとする。

2 保護者は、その保護する児童等がいじめを受けた場合には、適切に当該児童等をいじめから保護するものとする。

3 保護者は、国、地方公共団体、学校の設置者及びその設置する学校が講ずるいじめの防止等のための措置に協力するよう努めるものとする。

4 第一項の規定は、家庭教育の自主性が尊重されるべきことに変更を加えるものと解してはならず、また、前三項の規定は、いじめの防止等に関する学校の設置者及びその設置する学校の責任を軽減するものと解してはならない。

定義にあるように「本人がいじめと捉えた時点でいじめ問題」として扱わなくてはならない。第三者が「それはいじめではない」などと勝手に決めることはできない。この法律ができたときに高等学校の教頭をしていたので、かなり高い意識を持つことが期待されていることを痛感した。要するにやった方は「いじり」「からかい」「冗談」であっても学校内で起こることの多くをいじめと考える必要がでてきたのだ。自分がまずしたのは教員の意識改革だった。いじめは生徒間で起こるとは限らない。教員からからかわれたり、集団の前で恥をかかされたりすることもある。意識改革の一例だが「教員が運転するマイクロバスにおいては常に生徒の様子を注視し、酔っている生徒がいないかを確認すること。またトイレ休憩もこまめにとり、途中で一人の生徒だけがトイレに行くことがないように、またトイレに行ってほしいと生徒に言わせないよう細心の注意を払うこと」と指導した。まだ若かった頃、バスで車酔いをした生徒がバスの通路に嘔吐する、ということがあった。このようなことだけでも生徒のプライドを著しく傷つけ、場合によっては学校に居づらくなってしまう。

学校は

教育委員会はこの事件が起こる前から保護者の訴えなどを鑑みいじめの可能性があるからきちんとした調査をするよう指示していた。しかしその声は学校には届かなかった。何故なのか?疑問に思っていたところヒントとなる情報が与えられた。

渦中の学校の元校長はここに赴任する前に教育委員会の次長をしていたという。要するに教育委員会に残っているスタッフは以前の部下であった。その力関係があり教育委員会も当該の中学校には強く言えなかったと言う。また調査を依頼された第三者委員会の中にも、この元校長の影響力が及ぶ人物が2人いたと言うことでメンバーから外された。こうなってくると、誰のための学校なのか良くわからない。こんな大人に育てられる子どもたちが可哀想でならない。自分の長男も「今の学校の教員が、生徒の気持ちに寄り添えない人ばかりだからそのまま付属の高校には行きたくない」と沖縄の高校を受験することになってしまった。どこも大差ないと思うのだが…。

子どもたちが安心して生活できる環境を作り出せる大人はもういないのだろうか?本当に悲しい現実である。大人の身勝手で、いつも犠牲になるのは子どもなのだ。

旭川中2女子凍死 爽彩さん“肉声”が語るいじめの苦悩 2021年10月1日放送

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弟子たちとペテロ

タラント

連日雪が降っているがまだ積もってはいないので車で教会に行った。今日の聖書研究はかなり活発な意見交換がなされた。「悔い改め」がテーマだったのだが、人が悔い改めるのはその罪に対してではなく罪の結果に対してであること、またそもそも人は真の悔い改めが自力ではできないのでは無いか、などの意見があり非常に考えさせられた。

教会から戻り、まだまだみ言葉を心に蓄えたくいくつかのオンライン礼拝を探していた。するとある教会で「タラントのたとえ」を題材にしたメッセージが語られていた。興味があったのでそのまま視聴した。タラント(またはタラントン)とは聖書に出てくる言葉だが神様が人に与える「能力、才能」を表すことば。テレビなどに出てくる人に対していう「タレント」はここからきているらしい。1タラントは当時の労働者1日あたりの賃金6000日分と言われている。仮に1日の稼ぎが1万円なら1タラントは6000万円ということになる。このタラントを、主人が僕に託して本人は長期間旅に出てしまうのである。3人の僕に対して5タラント、2タラント、1タラントを託した。この3人のうち2タラント、5タラントを託された僕はそれを用いて商売し、元金を2倍に増やした。ところが1タラントを託された僕はその元金を失ってはいけない、主人に怒られることを恐れそのお金を土に埋めた。その後主人が戻って来て粗利を聞くのだが1タラントを埋めた僕が、その1タラントを活かさなかったため叱責を受け持っていた1タラントを没収され5タラントを託された僕にあげてしまう、という話である。

「また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。 すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。 五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。 二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。 しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。 だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。 すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。 主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。 主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。 一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。 そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。 すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。 それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。 さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。 おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。 この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。」
マタイによる福音書 25:14-30 口語訳

自分に託されたタラント

今日の礼拝メッセージでは、あなたは与えられたタラントを人々にためにまたイエス様のために用いていますか?と問いかけられた。

本当のことを言うと自分に与えられているタラントが分からない。命、時間、健康、体力、神様を知っていること、等々。考えればいくつかは挙げられるがそれらは自分だけに与えられたものではない。また、ここ数年ずっと否定されてきたので、自分が人や神様のために役に立つなどとは考えられなくなってしまった。しかし、神様はまだ何かを自分に与えてくださっていると思うのでしばらくの間、自分にとってタラントとは何かを考えてみたいと思う。

もしかしたら

こんな自分だが、今の自分に与えられているタラントがあるとするならばそれはもしかしたら「自分のように自己肯定感が低い人、否定され続けた人の気持ちが分かる」ことなのかもしれない。

十字架のあと、イエス様は墓にいる天使を通して次のように言われた。

今から弟子たちとペテロとの所へ行って、こう伝えなさい。イエスはあなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて、あなたがたに言われたとおり、そこでお会いできるであろう、と」。

 But go your way, tell his disciples and Peter that he goeth before you into Galilee: there shall ye see him, as he said unto you.

マルコによる福音書16:7

ペテロはあれほどイエス様に忠誠を尽くし従っていくと言っておきながら鶏がなく明け方までに3度も「イエスという人物と私は全く関係ない」と言ってしまった。ペテロはそんな自分が不甲斐なく、「自分などもうイエス様の弟子でも使徒でもない」と思っていたのだろう。そんなペテロの気持ちを察してイエス様は「弟子たちとペテロのところに行って」と仰った。自責の念と失望、自己嫌悪で自分などイエス様の弟子ではないと思っているペテロに対して「そんなことはない。今でもお前は私の弟子であり使徒であり私の愛の対象なのだ」という気持ちを込めてペテロを名指しで呼んでくださったのだろう。

自分にもその招きが向けられているのかもしれない。

2021年11月27日 「三番目の僕とならないために」(メッセージは5:44から)

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思い出

写真

昨晩遅くに同級生から電話があった。音楽活動、というほどでもないがアカペラの讃美歌を歌うグループを一緒にやっている友人である。中学時代からの旧友であるがクリスマスのオンラインクリスマスコンサートで使いたいので昔懐かしい写真を送ってほしいとのことだった。夜遅かったがすぐに引越しの荷物で開封していないアルバムの入った段ボールを倉庫から持って来て探してみた。

懐かしい写真が次から次へと出て来た。本当に懐かしい。動画が主流になった昨今、ペーパーベースの写真はとても雰囲気があって良いものだと痛感した。実は以前に紙の写真を全てスキャンして保存し、アルバムは全部処分しようと思っていた。実際、かなりの量の写真があるのでなんとかしなくてはいけないのも事実である。が、今回改めて紙の写真が持つ雰囲気に感動した。デジタルは劣化しないが紙の写真はアルバムに収納していても変色などの劣化を起こす。これがまた良い味になっている。

過去の自分に

過去の写真を見ながら、色々なことを考えさせられた。「この時代は純真だったな」「このとき山に松茸を探しに行くのが楽しみだったな」「この時○○さんのことが好きだったな」等々。その時の自分に戻って多くのことを思い出す。そんなときふと思ったのが「この時の自分に忠告できたらいいのに」ということだ。

「今が一番調子に乗っている時だからサタンの囁きに耳を貸さず神様に従っていないと大変なことになるぞ」「今は受験勉強で苦しいけど必ず来年合格できるから信仰をもって頑張れ!」など忠告と激励をしてあげたい。そして失敗人生を送ることがないよう支えてあげたい。現実的ではないそのようなことを考えるひと時だった。

「愛する兄弟たちよ。このことを知っておきなさい。人はすべて、聞くに早く、語るにおそく、怒るにおそくあるべきである。 人の怒りは、神の義を全うするものではないからである。 だから、すべての汚れや、はなはだしい悪を捨て去って、心に植えつけられている御言を、すなおに受け入れなさい。御言には、あなたがたのたましいを救う力がある。 そして、御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて、ただ聞くだけの者となってはいけない。 おおよそ御言を聞くだけで行わない人は、ちょうど、自分の生れつきの顔を鏡に映して見る人のようである。 彼は自分を映して見てそこから立ち去ると、そのとたんに、自分の姿がどんなであったかを忘れてしまう。 これに反して、完全な自由の律法を一心に見つめてたゆまない人は、聞いて忘れてしまう人ではなくて、実際に行う人である。こういう人は、その行いによって祝福される。」
ヤコブの手紙 1:19-25 口語訳

こんな忠告を真剣にしていたら今のような自分にはならなかったと思う。

三本の十字架にかかった人たち | イエスの最後の四日間から学ぶ人間関係(最終話)

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補機バッテリー

昨晩のこと

昨日、祈祷会に行こうとして車に乗ったがエンジンがかからない。ハイブリッド車(プリウス)なのでキーを回して威勢良くエンジンが回転ような車ではないのだがいつもと違う。ギアがドライブに入らない。インジケーターには何やら警告めいたメッセージが書かれていた。「補機バッテリー(始動バッテリー)の電圧が下がっています。バッテリーを交換してください」という内容のメッセージだった。とりあえず急いでいたので傘をさして歩いて教会に行った。また、祈祷会が盛り上がってしまい、通常なら19時に始まり20時半頃終了するのだが昨日は23時までみ言葉にふれる時をもった。非常に恵まれたのだが徒歩での帰り道は寒くてとても厳しかった。

昔のこと

運転免許をとって最初に買ったのがいすゞの「ジェミニ」という車だった。何故かあの頃ディーゼルエンジンが好きで丸目のジェミニに乗っていた。そのつぎもジェミニ。いわゆる「ジェミニ イルムシャー」というモデルだ。お金がなかったので中古車を買ったのだがこれが大外れだった。寒冷地に住んでいたのだが冬になるとエンジンがかからない。ガソリン車に比べてスタート時に大電流を要するディーゼル車はバッテリー自体がとても大きい。加えて少しでも電圧が下がるとエンジンがかかりにくくなる。バッテリー以外にも問題があり、外観は気に入っていたこのジェミニは冬場になると修理工場にいることが多かった。そして次がまたまたいすゞ。少し大きめのASKA(アスカ)に乗り換えた。が、これもやはりバッテリー問題が課題になった。あの頃のいすゞは電気系統が弱かったのだろうか。とにかく冬場は悩まされた。その頃は冬になると「今日はエンジンがかかるかな?」と不安な気持ちで車に乗ったものだが最近の車でそのような心配はいらない。エンジンがかかって当たり前。酷暑でも極寒でも同じように走れる性能をどの車も兼ね備えている。その「あたりまえ」に慣れすぎて今回のプリウスバッテリー問題ではかなり焦ってしまった。久しぶりに車が動くことは当たり前ではない、というあの頃のことを思い出し今の時代に感謝した。

不足に目を向け当たり前に感謝できない自分

祈ったことがなかなか聞かれず、そのことにばかり心が奪われる毎日だが叶えられている祈り、聞かれている祈りに感謝することがあまりにも少ない。急に職を失い途方に暮れている状況だった8ヶ月前。しかしその時の必死の祈りが叶えられ今は仕事が与えられ収入を得ることができている。信仰面、健康面、経済面での祝福をいただき子どもとも電話やYouTubeでつながれるようになった。毎週教会に行くことができ、霊的な祝福を毎日いただいている。これらは決してあたりまえではないことなのに神様に感謝することを忘れている。本当に申し訳ないことをしている。神様に対して失礼極まりない。
今朝与えられたみ言葉を急に思い出した。

「主に感謝せよ、主は恵みふかく、 そのいつくしみはとこしえに絶えることがない。」
歴代誌上 16:34 口語訳

もう一度自分の身の回りを見渡して神様に感謝していないことを思い出してみたい。

裏切ろうとするユダ、その足を洗おうとするイエス | イエスの最後の四日間から学ぶ人間関係⑥

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中3男子刺殺

何故

仕事中にネットニュースが入ってきた。愛知県で中学3年生の男子生徒が同学年の生徒に刺され意識不明の重体、というニュースだった。悲しすぎた。同い年の子どもを持つ親としてとても他人事とは思えない重大な事件である。状況や動機などはどうでもよかった。とにかく命が助かることをひたすら祈り求めた。が、それから数時間後にこの男子生徒が亡くなったことを知らせるニュースが入ってきた。

何故?何故?何故?と頭が混乱してきた。自分の子どもが生まれた同じ年度にこの男子生徒も生まれた。心からの歓迎と祝福につつまれて望まれて生まれてきたことだと思う。親御さんにとってかけがえのない愛の対象であり自分の命をかけてでも守りたい存在だったはずだ。それなのに何故?神様はこの状況を見ておられたはずなのに何故止めてくださらなかったのか。命を繋ぎとめるべく癒しを施すことができたのに何故命がとられることを許されたのか。そして刃(やいば)を向けた少年を何故事前にとめて下さらなかったのか。少年が殺人者になることを何故許されたのか。殺されるために生まれてきたわけじゃないのに。殺人者になるために生まれてきたわけじゃないのに。本当に悲しい出来事である。

長男のこと

同じく中学3年の長男。手前味噌だが優しくて素直で真面目で努力家。どこをとっても申し分のない大切な宝である。勉強はできる方ではないし少し主体性に欠けるところもある。しかし長所や能力で長男を宝と思っている訳ではない。彼が悪いことばかりして親に迷惑をかけ続けても彼は大切な宝である。本人は高校受験に向けて必死に勉強している最中である。進学先については本人と母親に意見は一致しており、自分だけが違う考えを持っている。沖縄の公立高校を第一志望にしている。現在の学校で、複数の先生から傷つけられてことで付属の高校に進学することを拒否している状態である。確かに教員の質には問題があるのかも知れないが、良い仲間、特に同じ信仰を持つ仲間がいる学校に進学してほしいというのが自分の願いである。一度その気持ちを手紙では伝えたが、本人が違う道を目標にして頑張っているのに水を差すのは良くないとそれ以降は言わないことにしている。どんどん学力もつけているのでこのまま合格して沖縄の公立高校に進学するのだろうか?毎日、特に力を入れて祈る課題である。

お友達

先日、長男と電話で話した時にお友達のことを紹介してくれた。そのお友達は将来「牧師」になる夢をもっており、今からその準備をしている。この友達が長男のところに来て話してくれたそうだ。

お友達曰く
「君も一緒に系列の高校に進学することを願っているけど、それが叶わないなら僕は君のために毎日寮の礼拝や祈祷会で話されたメッセージを要約してLINEで送るよ。そしてもしも土曜日に行事などがあって教会に行けない時も、こちらの礼拝メッセージを送る。そして『何故教会に行かないんだ』と愛を込めて注意するから覚悟しておいて」。

このお友達の話を聞いて涙が出た。父親以上に長男のことを気にかけてくれている。そんな素晴らしい友達に巡り会えて長男は本当に幸せ者だと思った。

愛知の刺殺事件に於いて、加害者と被害者になった2人にそのような心が通う、真剣に思って愛情を注いでくれる友達はいなかったのだろうか。本当に残念でならない。先生との出会いも大切。でも友達との出会いはもっと大事。

悲しくて悔しくて落ち込むだけの事件だった。

責め、攻撃してくる人の前で | イエスの最後の四日間から学ぶ人間関係③

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能力のある人

Mac

今日もベーカリーで仕事をさせていただいた。女性の職員さんが休みなので男性職員と2人体制だったが色々な点で趣味があうので話に花が咲いた。色々な苦労をされてきた方なので学ばせていただくことが多い。自分よりも20歳ちかく年下ではあるがとにかく能力に溢れている。共通の趣味というか話しが合う点としてお互いにAppleのコンピュータを使い同じようなソフトを使っていることが挙げられる。音楽系ソフトのLogic ProXや動画編集ソフトのFinal Cut Pro Xについて色々なことを教えていただいた。また実際に自分のコンピュータを持参したのだがすぐに見てくれ不具合をなおしてくれた。自分もMacを30年ぐらい使っているがまだまだ知識が少ない。なので本当に多くのことを教えてもらった。正直な話、何故このような能力の高い人がここでパンを作っているのだろうと思ってしまう。パンを作ることがどうこうではなく、彼は特にパン作りを好んでこの世界に入ってきたわけではない。職がなくこの医院に入ってきたのが10年前。それから色々な部門を転々としたようだ。そしてある日突然医院長から「健康的なパンを作って欲しい」と言われたそうだ。それから試行錯誤に繰り返しでかなり苦労したらしい。今のようなパンができるまでに2年近くかかったようだ。それでも努力し続け職人としてやっている。作曲の才能があり、それをデモテープにする技術があり、ギターが弾けてコンピュータに明るい。また簡単なプログラムならすぐにかけてしまう。それだけの能力があれば独立して起業すれば良いのに、と思ってしまう。

米粉パン

色々なことを教えていただいた1日だったが、仕事の後半で今後の方針を話し合っている時に「主力商品のひとつに米粉100%のパンを作ってみよう」ということになった。今まで自分も何度か挑戦したことがあるがあまりうまくいかなかった。グルテン粉の力を借りないと上手にできなかったのだ。なので米粉100%は難しいのではないかと思っていたが、実際に作ってみると結構完成度の高いものができた。正直言ってこれには驚いた。今後これをもう少し工夫して商品にしたいと話し合った。小麦粉アレルギーの方でも食べられるパン、そのようなものができたら理想だし嬉しい。

正義の剣を抜いたつもりだった | イエスの最後の四日間から学ぶ人間関係②

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パン作り

何年振り?

今日からとりあえず1週間は食品部門で働くことになった。一応名目としては「用度課」として食品部門の収支や作業工程などを知っておく必要があるから、と言うことだが回されたのはベーカリー部門。パン作りは3年振りになるだろうか。以前は嫌という程パンを焼いていたが、最近はパンを作りたくて仕方なかった。久し振りに生地に触れる感触がひどく懐かしかった。人の作った生地だし、自家製天然酵母ではなく白神酵母なので感触はかなり違ったがそれでも嬉しかった。衰えている勘を少しずつ戻すように昔を思い出しながら作業した。明らかに腕は落ちている。腕が落ちていると言うと、昔がかなり凄かったように聞こえてしまうが全くそんなことはない。素人が俄かに修行して作り始めただけなので商売ができるほどの腕は全くない。

職場環境

久しぶりのパン作りに興奮しながら、その職場環境の良さにも感謝している。年下の男性職員1人、年上の女性職員1人と私と言う3人体制だが気さくで楽しい話をしてくれ、特に男性職員は自分との音楽の趣味も合い意気投合した。この男性はかなり本格的に音楽活動をしており、詳しくは言えないがいくつかの団体に楽曲を提供している。未知だが興味ある音楽、特に楽曲提供の現場の話を色々と聞かせていただいた。非常にためになる話ばかりで、若いのに着実に自分のワールドを広げているところがとても眩しかった。そう言うことを夢見る人は多いけれど、実際にその道を切り拓ける人はそう多くはないと思う。本当に素晴らしいことだと思う。

とりあえず1週間ほどこのベーカリー部門で働かせてもらうが、その後も週に1,2回のペースでパン作りをさせていただきたいと思っている。

久しぶりに「仕事をした」と言う気持ちに慣れた。

総督ピラトから引き出そうとされた | イエスの最後の四日間から学ぶ人間関係④
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バビロン

バビロンから逃れ出て命を救え

聖書の中にバビロンという場所がでてくる。実在した場所だが、物理的な場所だけではなく当時の権力を掌握した場所でありその勢力のことを指している。

Wikipediaには次のように説明されていた。

バビロンは、紀元前18~6世紀の古代メソポタミア地域における主要な王国だった。その名をとどろかせる首都が、ユーフラテス川沿いに建設された。都市は、川をまたいでその両岸に、ほぼ同じ面積で建設され、時に襲う季節的な洪水を防ぐため、川沿いには険しい堤防が築かれた。元々は、バビロンはアッカドの小さな町で、その起源は紀元前2300年頃のアッカド帝国にまでさかのぼる。

紀元前19世紀にバビロン第1王朝が興ると、町は小さな都市国家の一部に組み込まれた。紀元前18世紀にアムールの王ハンムラビが帝国を築いてから間もなく、彼はバビロンを一大都市に造り替え、その王となった。メソポタミア南部地方はその名にちなんでバビロニア地方と呼ばれるようになり、宗教の中心都市は、ニップルからバビロンへ移行する。ハンムラビの息子、サムス・イルナの時代になると、バビロニア帝国は衰退し、その後、バビロンは長らくアッシリアカッシートエラムの支配に甘んじることとなった。破壊とアッシリア人による再建の後、紀元前609~539年の短期間ではあったが、バビロンは新バビロニア帝国の首都となった。バビロンの空中庭園古代の七不思議の1つだが、多数の学者は、実際にはアッシリアの首都ニネヴェにあったと考えている。新バビロニア帝国の滅亡後は、アケメネス朝ペルシアセレウコス朝パルティアローマ帝国、そしてサーサーン朝ペルシアと、バビロンの統治者は変遷していった。

バビロンが世界最大の都市だった時期は 紀元前1770~1670年頃と、紀元前612~320年頃と見られている。おそらく、一番早く人口が20万人に到達した都市であった。その区域の最大範囲は、890~900ヘクタールに及ぶと推測される。

 

ダニエル書や黙示録の、世界の支配勢力の第一番目に出てくるのがこのバビロンである。ネブカデネザル王が自分の国を見て悦に入っている様子も聖書には記述されている。

毎朝牧師先生とオンラインで早天祈祷会(早朝祈り会)を行っているがそこで、今の職場である医院について祈っている。牧師先生はこの医院を「バビロン」と評している。冗談で言っているのではない。実際に医院で行われていることがあまりにも聖書の教えに基づいていない、この世の価値観に支配されすぎている状況を憂いてそのように評価しているのである。キリスト教の医療機関として建て上げられ、その使命を担ってきたが今は創生当時の精神を見失ってしまっている。

聖書にはそのようなバビロンから逃げ出すことを強く勧告している。自分もそう長くはこの場所にいられない、いてはいけないことを感じている。

「バビロンのうちからのがれ出て、 おのおのその命を救え。 その罰にまきこまれて断ち滅ぼされてはならない。 今は主があだを返される時だから、 それに報復をされるのである。」
エレミヤ書 51:6 口語訳

バビロンになるまで

医院長先生は確かに教団の教理、教義に真っ向から反対する独自の聖書解釈をしている。またその正当性を書いた書物も出版している。聖書を少し勉強しているとその矛盾点に気付けるのだがこの考えに惹かれてしまう人も若干数いるようである。本当に残念な話である。何が医院長先生を変えてしまったのか。医療伝道でイエス様だけを宣べ伝える決心をして22年前に津軽のこの地に居を構えたのに何故?と思ってしまう。昔からの事情を知る人がそのヒントとなることを教えてくれた。何でも隣接する教会との折り合いがそもそもの発端だったらしい。医院長先生を「長老」職に任命しその仕事を担って貰っていたが教会員の一部に不満が広がり、ある年から医院長先生を長老職から外してしまったという。教会員がそのようなことを決定してしまったようである。実はこの教会は土地柄のせいか、教団の指導が入りにくく教会員が牧師抜きで重大なことを「理事会」で決定してしまうことがあったようだ。長老職を外された医院長先生はその後ひどく落ち込んだが、教会外に伝道地と自分の居場所を見つけ、独自の伝道方法でクリスチャンを増やすようになっていった。クリスチャンを増やす、伝道というと聞こえはよいがその殆どに金銭や土地が絡む。「洗礼を受けたら入院費を安くしてあげる」「洗礼を受ければお金を貸してあげる」等。それにしても教会の判断も結構ひどいと思う。本来長老職は簡単に取り消すことはできない決まりになっている。その時に大声を上げた人たちはもう教会にはいないようだが一人だけ現在も理事として残っているらしい。医院も教会も神様を冒涜している気がして悲しい気持ちになった。バビロンから出る。そうしないといけない。しかし、何故出なければいけないバビロンに自分は来たのだろう?神様のご計画は何だったのだろう?

 

裏切ろうとするユダ、その足を洗おうとするイエス | イエスの最後の四日間から学ぶ人間関係⑥

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身代りの愛

今日の出来事

朝から姉が実家に来てくれた。母は昨晩痛みがありほとんど眠れなかったようで朝もなかなか起きることができなかった。姉を交えてオンライン礼拝をしていたが途中から母が起きて来て礼拝に合流した。母の認知症は前回帰省した時よりも更に酷くなっている。元々会話が成立しないぐらいのこともよくあったので慣れてはいるがそれでも受け答えがはっきりせず記憶も曖昧なのでかなり心配な領域になっている。両親には毎日お惣菜が届くように手配しているが土日は配達が休みなので、今日は昨日から仕込んでいたおでん、豆腐ハンバーグ、餃子、すき焼き、けんちん汁などを完成させ自分が実家を離れてもしばらく生活できるようにしておいた。礼拝が終わってから昼食をとりしばらくお茶を飲んで歓談していたが時間になったので実家を出ることにした。ちょうど姉も一緒に出ると言うことで二人で駅に向かおうとした時に、母が「駅まで送りに行く」と言い出した。家の中を歩くのも困難なのにどうして駅までいけるのだろう、と思いとどまらせようとしたが母は一向に聞かない。結局父も付き添うことで一緒に駅まで送ってもらうことにした。実家から駅まではゆっくり歩いて5分ほどの距離だが、結局15分ぐらいかけて母も一緒に駅まで行った。心配なのだが母の気持ちをいただくことにした。今回の帰省で色々なことを考えさせられた。何度断ってもお金を渡そうとする両親。結局受け取ることにしたが、生活費は毎月子どもたち3人で出し合って両親に仕送りしている。だから兄弟に内緒でお金を両親からもらうことはできない。後で事情を話して姉にもらったお金を託した。いつになっても子どものことが心配なのだろう。「困ったことがあればなんでも言って来なさい。できる限りの事をするから」と言うのが両親の口癖である。申し訳ない。

一枚の写真

姉と乗った電車、およそ20分ぐらいの乗車時間であったが色々なことを話した。両親のことは勿論、仕事や家族のこと、今後のこと等々。いよいよ電車を降りる時になって姉が手帳を探って何かを取り出した。一枚の写真であった。「これ覚えてる?」。勿論覚えていない。そこに写っているのは2歳ぐらいの自分と小学校に入りたての姉。そしてほぼ同い年のいとこ姉妹。写っている場所から母方の祖母の家で撮った写真であることはすぐに分かった。懐かしくて涙が出そうになった。まだまだ純朴で素直だった頃の自分が写っていた。あれから色々なことを経験して、両親に育ててもらった。とても愛情に溢れた家庭であったが経済的には非常に苦労していたと思う。子どもたちが全寮制の学校に行くのと、土地の購入が重なった。上物は父が建てた家だったが土地は借地だった。そのため地主さんが土地を処分したいので買ってほしいと言って来た。全寮制の学校に行かせなければ家計はそこまで行き詰まらなかったと思うが「子どもに残せるのは教育と信仰だけ」と言うのが父の口癖で全寮制のミッションスクールはどんなに家計が左前になっても辞めさせなかった。そう言う犠牲があって今の自分が存在する。犠牲とは思っていないだろうが、いつも子どもにはできる限りのことをしてあげたいと思ってくれていたと思う。今回の帰省で改めて両親の愛、それも犠牲的な愛を実感することができた。

そして、そのような両親のことを思いながら新幹線に乗り他の教会の礼拝メッセージを視聴していたところ「身代りの愛」を実践されたイエス様のことをお話ししている教会を見つけた。受ける資格の無い自分に自らの命を捨てる愛を注いでくださったイエス様のことを考え胸が熱くなった。

2021年11月20日 安息日礼拝〈ライブ〉(メッセージは24:30から)

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