2021年
まさか2021年がこのような年になるとは思ってもみなかった。年があけてすぐに妻から離婚届が送られて来た。別居はしていても近い将来また一緒に暮らせると思っていたので非常に落ち込んだ。その後何度も離婚請求され精神的にまた病状が悪化してしまった。祈っても祈っても道が開かれず途方にくれた。そのような中で、2020年から通い始めたバイクの教習で奇跡的に合格し無事中型自動二輪の免許が取れた。バイクの免許はどうでも良かった。ただ絶対に不合格だと思っていた試験に合格できたことが嬉しかった。その前に、「神様が確かにいらっしゃるのなら奇跡をみせてください」祈っていたのでそれに応えてくださったことが嬉しかった。その後、前職の学院長がかなり高圧的に「復職は不可能なので3月30日をもって退職となる」旨を伝えに来た。これでも牧師か、と牧師に対して強い不信感を抱いたのもこの時が初めてだった。それから10日ぐらいの間に新しい仕事を見つけ引っ越し先を決め実際に引っ越さなくてはならなかった。本気で死のうと思った。教職にこだわりたかったけど時間の関係で好みの仕事を選ぶことができなかった。結局青森に行くことになった。しかも教育伝道しかしたことがない、興味がない自分が病院の送迎をすることに。全てが初めてで絶望的な気持ちで毎日を過ごしていた。ただ一つだけ、子どもの教育費を支払うためだけに働いた。理不尽な理由で叱られ、叩かれ、患者さんからも文句を言われ怒鳴られ嫌われてきた。勿論優しい同僚や感謝の気持ちを忘れない患者さんがほとんどだったが、青森とか津軽という土地が心の底から嫌いになった。そして徐々に職場や教会がとんでもないところだと気づくようになった。クリスチャンとか教会組織というものに対して不信感を抱くようになり誰も信じられなくなってしまった。そして相変わらず続く妻からの攻撃。どうしたら良いのか。仕事を終えてアパートに戻ると涙しか出てこない毎日を過ごして来た。そんな一年だった。
それでも
今振り返ってみると本当に色々なことがあり、ここまでこられたことが奇跡に思えてくる。城ヶ倉大橋から飛び降りようと何度も足を運んだことが思い出される。9月のある金曜日に突然次男から電話がありその後この子と連絡が取れるようになった。これは自分を城ヶ倉から引き離す制御力になった。7月からかつての教え子が自分の上司として赴任して来たことも大きな支えになった。常識が全く通じない職場で唯一話ができる戦友となってくれた。冷静に考えてみると神様は特別な方法で小さく弱い自分を助け続けてくださった。何より、毎日聖書を10章読み、長い祈りを献げ、聖書研究を怠らない生活に導くことで「神様と共に歩む」ことがどういうことなのかを教え訓練してくださった。およそクリスチャンの集まりとは思えない教会で、求道者や信仰をもって日の浅い人を通して献金の喜びや聖書通読の尊さを教えてくださった。涙が枯れるほど祈り、それでもその祈りが聞かれず不信仰に陥る。でも「もう一度」と気を取り直して再び祈る。しかし泣こうがわめこうが祈りは聞かれない。それでもまた祈る。そんなことを繰り返して行くうちに、祈りは聞かれていないけれど神様と一緒に歩いている実感は味わえるようになった。
2021
これだけ大きく心が揺さぶられる時を過ごしたこともなかったこの1年。2021年はとんでもない年であり、考えられないほど祝福された年でもある。2021年、何度も繰り返し暗唱したのが創世記の言葉だった。
「わたしはあなたと共にいて、
あなたがどこへ行くにもあなたを守り、
あなたをこの地に連れ帰るであろう。
わたしは決してあなたを捨てず、
あなたに語った事を行うであろう」。」
創世記 28:15 口語訳
この聖句に支えられ、またこの言葉を疑い、この言葉と共に生きて来た2021年。やはり祝福の1年だったと思う。神様、ありがとうございます。
新しい年を前にして私は行く道を知りません
しかし過去を支えてくださった神は
その哀れみで将来を明るくしてくださる
離れていれば暗く見えるものも近寄れば明るいように
他を望まず、知らなくてもただ進みます
一人で光の中を行くよりは
主と暗闇を行きたいのです
見える道を行くよりは
信仰で主と共に歩みたいのです
私の心は閉ざされた将来の試みにひるみます
しかし愛する主が選んでくださったものならば
悲しみません
「主がご存知なのです」とささやいて
私は涙をおしとどめるのです
E.G.White
キリストの香り(4) – 人生の穴と向き合う
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