創世記
50章ある創世記であるが今朝創世記の全てを読み終えた。昨年12月30日から始めた「新共同訳聖書」での聖書通読。何度読んでも創世記は小説のように引き込まれていく。上手な表現ができないが、とにかくその時代に自分が存在しているかのような視点で読むことができる。多くのことを学んだが、3度目となる今回の聖書通読で初めて気づいたことがたくさんある。その中の1つが「善悪を知る木の実」についての背景である。自分はアダムとエバが同時に神様からの命令として「どの木から食べても良いが善悪を知る木の実からは食べてはいけない」と言われたと思っていた。ところが今回注意深く読んでみると、アダム一人に対して言われていることに気づいた。もし聖書が時系列順の書かれているのなら、神様からのこの忠告のあとにエバがつくられている。基本的なことだが勝手な思い込みで解釈していたことに気付かされた。
ノア、アブラハム、イサクの物語が大きな柱となっているが、それぞれの波乱万丈な生き方から多くのことを教えてもらい、また励まされた。
イスラエル
ヤコブの人生もまた波乱万丈でどこか共感できるところがある。兄を騙して長子の権利を受けてしまい兄エサウから逃れる人生が始める。叔父であるラバンの元に逃げるもこちらでは自分が騙され搾取される。謝罪するため兄エサウの元に行く道中で不思議な経験をする。そして格闘で関節を外されても尚祝福を求める不撓不屈の精神は神様から喜ばれたことだろう。ふたりの奥さんとそれぞれの召使いに子どもが与えられ子沢山の祝福を得る。が、娘が強姦される試練にも耐えなくてはならなかった。最愛の末息子ヨセフを失い生きる気力を無くしふさぎこむ日々。多くの試練を強いられた人生だったが、一方で神様からの祝福と約束もいただいていた。特に子孫の繁栄が約束されていたのは大きな支えになっていたのではないかと思う。ヤコブからイスラエル(神の支配)に改名されたことも信仰の分岐点になったと思う。130歳で最愛の息子、死んだと思っていたヨセフに再会できその後17年間エジプトで子や孫に囲まれて生活することができた。
生まれてから今日まで
「アブラハム、イサク、ヤコブの神」と先祖たちに名を連ねることができるほど祝福された存在となったヤコブ。その最期は非常に感動的である。ヨセフのふたりの子どもを招き彼らを自分の子とすると宣言し、このふたりとヨセフを祝福して祈った。
「これらの事の後に、「あなたの父は、いま病気です」とヨセフに告げる者があったので、彼はふたりの子、マナセとエフライムとを連れて行った。 時に人がヤコブに告げて、「あなたの子ヨセフがあなたのもとにきました」と言ったので、イスラエルは努めて床の上にすわった。 そしてヤコブはヨセフに言った、「先に全能の神がカナンの地ルズでわたしに現れ、わたしを祝福して、 言われた、『わたしはおまえに多くの子を得させ、おまえをふやし、おまえを多くの国民としよう。また、この地をおまえの後の子孫に与えて永久の所有とさせる』。 エジプトにいるあなたの所にわたしが来る前に、エジプトの国で生れたあなたのふたりの子はいまわたしの子とします。すなわちエフライムとマナセとはルベンとシメオンと同じようにわたしの子とします。 そしてヨセフを祝福して言った、 「わが先祖アブラハムとイサクの仕えた神、 生れてからきょうまでわたしを養われた神、 すべての災からわたしをあがなわれたみ使よ、 この子供たちを祝福してください。 またわが名と先祖アブラハムとイサクの名とが、 彼らによって唱えられますように、 また彼らが地の上にふえひろがりますように」。 イスラエルはまたヨセフに言った、「わたしはやがて死にます。しかし、神はあなたがたと共におられて、あなたがたを先祖の国に導き返されるであろう。」
創世記 48:1-5, 15-16, 21 口語訳
読んでいるだけで感動してしまう。波乱万丈の人生だったけどヤコブには神様に対する絶対的な信頼、そして常に共にいてくださった感謝しかなかったのだろう。そして自分の亡き後、子どもや孫を神様にお委ねする姿が、まるでヤコブが目の前にいるように想像できる。
自分も、もし神様のお許しがあれば最期の時に子どもたちや家族を集め「必ず神様は共にいてくださるから信頼しなさい。神様が必ず意味ある人生を送らせてくださるから委ねなさい。そして御国に導いてくださるから従っていきなさい」と告別のメッセージ、遺言を残したい。
【聖書講座 #4】モーセが紅海を割った?イスラエルの民はこうしてエジプトから脱出した!(10分みるだけEasy Bible:旧約聖書編)
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