元気そうで何より

不承不承

このところ、予定外の仕事を依頼されることが多くなかなか自分のペースで仕事ができない。そう書くと、いかにも自分が職場に於いて無くてはならない存在のように思われてしまうかもしれないが実際にはその逆である。自分が仕事をしてもしなくても大勢に影響はない。その程度の仕事しかしていない。昔の表現を借りるなら「給料泥棒」である。

今日も予定外の仕事を依頼された。自分が所属する教団のトップに連絡を取ってほしいと院長から頼まれた。「それはご自分でされないといけないと思います」「相手は立場のある方です。その方に対して職場の隅っこにいる小さな者が連絡することは失礼に当たるし、うちの医院が常識のない機関だと評価されます」と申し上げたがどうしても、と依頼された。教団のトップといっても高校時代の1つ先輩であり、お子さんのことでは色々と相談に乗った間柄でもある。とりあえずうちの医院の代表では無く友人として、本意ではなかったが電話をしてみた。

Kくん

電話にでたのはかつての教え子であり、色々な困難な状況を一緒に乗り越えた人物であった。電話に出たKくんの声を聞いてすぐに分かった。「もしかしてKくんですか?」と自分も名乗るとKくんはしばらく絶句していた。しばらくしてから「先生、お久しぶりです。お会いしたかったです。その節は大変お世話になりました」と挨拶された。

心が少し風邪をひいてしまい元気がなかったKくんをしばらく預かった。一緒に出かけ日常とは違う空間で心を休ませる努力をした。勉強が遅れることを気にしていたので、できる範囲で補習もした。教員としての義務感からしたのではない。彼の必死に未来を見ようとする目に感動してそうさせてもらったのだ。親御さんは「薬を使いたくない」と強く希望されたので、ならば自分にできることは愛情をかけて祈ることだけだった。日中は他の生徒の目もあるので自宅で学習してもらい、夜に補習を行いそれが終わると0時ごろからファミレスに繰り出す。それが日課だった。そんなKくんのことがずっと気になり色々な方面からKくんの情報を集めていた。ある仕事に就いたが事情があって他の部門に異動になったと聞いていた。それがどこなのかははっきり聞いていなかった。だから電話にでたKくんの声を聞いて驚いたし安心した。とても元気そうで明るい声だった。近況も話してくれ、異動になった部門で楽しく働いている様子も教えてくれた。本当に嬉しかった。

今までも祈り続けて来たが、再度祈りのノートに記録してKくんのために祈ることを約束し電話を取り次いでもらった。

院長からの理不尽な依頼だったが、神様はKくんと電話で再会することを計画していたのだと思うととても不思議な気持ちになる。全てが神様の御手の中で導かれていることを痛感する出来事だった。

わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると/主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。
イザヤ55:8、9

Midnight Cry 主、来たりたもう

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