ハクソー・リッジ

デズモンド・ドス

昨日、今日と職員礼拝を担当することになった。2日続くので何かシリーズのしようかと思い映画「ハクソー・リッジ」をテーマに「デズモンド・ドス」の話をすることにした。

2016年に公開されたメルギブソン監督の映画「ハクソー・リッジ」。沖縄県浦添市にある100mの断崖。その地形が「弓のこ」の形に似ていることからハクソーの名前が付けられた。リッジが隆起した高台、特に裾野を持たない切り立った断崖の意味を持つ言葉である。映画はこの地における日本軍と米軍の戦いを描写するのでは無く、そこで働いた衛生兵(良心的協力者)であるデズモンド・ドスの生き様に焦点をあてた作品に仕上げられている。

デズモンドは米国テネシーに3人兄弟の真ん中として生まれる。セブンスデーアドベンチストの熱心なクリスチャンである母親と、戦争の喪失感からアルコール中毒になってしまった父親に育てられる。小さい頃、父親が兄弟(デズモンドの叔父)に銃を向けたとこと、そしてその銃口を天井に向けたものの引き金を引いた場面を目の当たりにし「自分は絶対に暴力を使わない、銃を所持使用しない」と誓うようになった。一方で当時18000人を超える兵役拒否者がいる中で、デズモンドは戦争に志願した。このことが大きな問題となった。兵役訓練において銃を持たないことが厳しく咎められ、それでも銃を持たないため連帯責任としてチーム全員が罰則を受けることになる。そのため、上官からは勿論、同期のチームメイトからも軍を去るよう強く求められ暴力を受けることもしばしばあった。

軍法会議

デズモンドの行為が問題となり除隊を決める軍法会議が行われた。デズモンドは銃を持つことを拒否しているが、一方で兵役に就くことは最大の望みであった。軍法会議に訴えられるということは、除隊が決定されることを意味している。絶体絶命の会議で、助け舟を出したのがアル中の父親であった。かつての戦争においての部下が会議の議長をしていることを知った父は息子とのために嘆願書を書きそれを部下に渡してもらう。この手紙が功を奏し、想像された会議の結論が一転してデズモンドの兵役が望む通りの形で認められた。会議では認められたものの、彼が安息日を遵守することと聖書を熟読する点が周囲との溝をつくっていた。部隊にいづらさを感じながらもデズモンドは自身の信仰に従って誠実に訓練を受け続けた。

沖縄戦

1945年、デズモンドが所属する77師団は沖縄に赴く。その前にグアムで従軍するが、彼は毎日夜中になると昼間の戦場を歩いて負傷して生きている兵士を探しては基地に連れ帰り治療を施していた。

沖縄に於いても同じ働きをした。彼の所属する77師団に命じられたのが「前田断崖」ことハクソー・リッジである。自分は妻の実家がこの近くなので映画がつくられる前からこの場所をよく訪れていた。公園になっており遊歩道も整備されている。ただ断崖は当時のまま残っている。断崖の上に陣取るのが日本軍、米軍はこの断崖を登って戦う。100mもの高さがあるので最初はハシゴを中継しながら登っていたが効率が悪く、登っている最中に銃撃されることもあり別の方法が考えられた。次の方法が網を断崖に吊り下ろす方法が採用された。重い網を担いで100m上まで運ぶ仕事にデズモンドが志願した。この網のおかげで上に登ることが今までよりも楽になった。

あと一人を助けさせてください

ハクソー・リッジの上部における戦闘は日に日に激しさを増していくがデズモンドは毎晩負傷兵を探し100m下までつり降ろし手当する、ということを続けた。実は救助した兵士は米軍だけではなかった。日本兵も助けていた。日本兵の証言で治療し包帯を巻いてもらったことが明らかになった。事実その兵士に巻かれた包帯は日本のものではなかったという。またある日本兵は、夜中に歩き回るデズモンドを見つけ遠くから銃を向けるが引き金が引けなかったという。壊れたのかと思い空に向けて打つと確かに弾はでた。なぜかデズモンドに銃口を向けると発砲できなくなるらしい。

そしてある晩、デズモンドはいつものように夜な夜な負傷兵を探し、100m下まで吊り下ろす作業を繰り返していた。疲れがピークに達しどうにも動けなくなった状態で「主よ、あと一人。もう一人を助けさせてください」と祈り自らを励ました。何とこの晩デズモンドが救出した兵士は12時間で75名になる。およそ10分に一人のペースである。

1945年5月5日の総攻撃の日は安息日だった。安息日には出かけないデズモンド。しかしこの頃になると仲間や上官からの信頼は厚く「デズモンドがいかないのであれば登りたくない」との声が兵士から出た。多くの兵士がその気持ちでいた。仕方なく上官がデズモンドに、安息日だけど同行して欲しいと嘆願すると、きちんと礼拝をする時間を確保し兵士達も自分の祈りに参加することを条件にその依頼を承諾した。実際、予定の時間が過ぎても、部隊はデズモンドの礼拝が終わるまでじっと待ち続けた。

1945年5月16日、不死身のデズモンドが手榴弾によって7m吹き飛ばされ重傷を負った。5時間後に発見された時には瀕死の状態だったが、運ばれる担架から突如デズモンドが落下した。意識が朦朧とする中、デズモンドが自らの意思で落ちたのだ。デズモンドの視界に負傷しているが生きている兵士が入った。落下したデズモンドが「彼を、彼を助けて欲しい。自分は良いから彼を助けて欲しい」と訴えた。

映画化

終戦後デズモンドは当時の大統領トルーマンより名誉勲章を授与される。大統領は彼の耳元で「多くの兵士に勲章を与えてきたが、真の英雄は君だけだ」と語ったという。

デズモンドに対して何度も映画化のオファーがあったが、頑なに断り続けた。真の英雄は自分ではなくイエスキリストであると心から信じていたためである。しかし、執拗なオファーに対して条件を飲むことで受けることに方向を転じた。条件は安息日遵守を明確にすること、教会や教団の名前を曖昧にせず明記すること、そして自分の証言に脚色を加えないこと、だった。このような経緯で2016年に世界同時公開となった。

自分は国粋主義者ではないが、米軍目線で展開するストーリーに最初は違和感を感じつつも引き込まれていくとテーマは戦争ではなく一人の信仰者のストーリーであり神の働きの素晴らしさであることが伝わってくる。今更6年前の映画を紹介するわけではない。もしも自分が「あと一人を助けさせてください」と祈るならば神様がどれほど大きな力を与えてくださるかを考えてみたくなった。

映画で語られていないハクソー・リッジ

 

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