安息日

創造の記念日

ユダヤでは1日を日没区切りで考える。世界共通の時間では1日を午前0時を基準に考えるのでユダヤの考え方とは数時間のズレが生じる。この記事を書いているのは2022年6月3日20:45である。2022年6月3日は標準時刻で考えるならば金曜日である。が、6月3日青森の日没時刻は19:03なのでユダヤ的に言うならば既に土曜日になっている。土曜日、即ち安息日を迎えているのである。

毎日面白く読み進めている本があるのだが、今日は奇しくも「安息日」という章を読んでいた。神様が天地を創られたその時から存在する「安息日」。天地創造の最初から定められているのにこれほど誤解され蔑ろにされ、更に無視された記念日も無いと思う。そしてこの「安息日」に徹底的にこだわる人たちと全く無視する人たちがいる。ずっと昔にイスラエル旅行をした時には安息日を国家として守っていることを痛感した。ホテルでは金曜日のサンセットから全く違う業務体制になる。ユダヤ人は全員仕事を終えて帰宅してしまう。残っている従業員は外国人ばかり。まず驚くのがエレベーター。先ほどまでなかった「特別エレベーター」なるものが設置される。既存のものが各階止まりになるのだ。しかもエレベーター内に設置された行き先階ボタンや開閉ボタンなど全てが操作できなくなる。ユダヤ人にとってエレベーターのボタンを押すことは「労働」でありこれを「安息日」にすることは罪なのである。自分は土曜日、正確には金曜の日没からはじまる安息日を遵守しているが、ボタンを押すことを労働とは考えていないので通常のエレベーター(異邦人用エレベーター)を使っていた。

確かに自分の通った中学、高校ではこの安息日を「○○してはいけない日」とも教えられた。だから授業はないし洗濯もできない。クラブ活動などもってのほかで運動することなどの一切を禁じられていた。自然界を散策して神様の創造に思いを馳せることなどが安息日の主な活動だった。また今は無いけど、近所の小学生を集めて聖書物語の紙芝居をしたり一緒に遊んだりする通称「分校活動」なども安息日にできる活動のひとつだった。今は安息日を祝福の日だと思えるけど若い頃はどちらかというと「行動が制限される日」だった。

回復の日

安息日は回復の日だとも言われている。6日間を過ごして傷ついた心を神様との深い交わりの中で理解し回復していただく日。回復がなければ人間が生きていけない存在であることを神様は既にご存知であったのだろう。天使の世界で罪が発生し神様に反逆する悪天使の存在も明らかになったが、しかしその影響はまだ人類に及んでいなかった。そのような状況下で既に安息日が定められていた。回復の日であるとともに、全てのものが神様によって創造されたことをもう一度再確認する日でもある。全く当たっていない例だが天皇誕生日にも似ているのかも知れない。この日を勝手に変更することはできないし変更したところで本来の意味とは異なってしまう。だから安息日を勝手に変更することも許されていない。人間的ないかなる最高権威によってもこの「安息日」を変更することは決してできない。安息日は単に「礼拝するために教会に集まる日」以上の意味をもつ。この日は礼拝日なのだから、信徒が集まりやすい日を礼拝日即ち安息日にして良いなどという考えは本来の意味から全く逸脱している。

書物より

主はまたこう言われる、「もし安息日にあなたの足をとどめ、わが聖日にあなたの楽しみをなさず、安息日を喜びの日と呼び、主の聖日を尊ぶべき日ととなえ」るならば、「その時あなたは主によって喜びを得」る (イザヤ 58:13、14)。安息日をキリストの創造とあがないの力のしるしとして受け入れるすべての人にとって、この日は楽しみとなる。 彼らはその中にキリストをみいだし、キリストのうちにあってよろこぶ。 安息日は創造のみわざをあがないにおけるキリストの大いなる力の証拠として彼らにさし示す。それはエデンの失われた平和を心に呼びもどすとともに、救い主を通して回復された平和を告げている。こうして自然界の事物の1つ1つは、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」とのキリストの招きをくりかえしている(マタイ 11:28)。
各時代の希望電子版 p286 安息日

全ての人が真の安息日を遵守できるよう心から祈りたい。

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