国民の休日
元旦から始まって「成人の日」「建国記念日」等年に16日の休日がある。5月のゴールデンウィークは曜日の関係で休日が増えることもあるが「国民の休日」として定めらえれているのは16日である。が、今日6月23日は沖縄の主な学校や会社が休みとなる。「慰霊の日」である。海辺の木陰で次男がスターバックスの飲み物を飲みながら海を眺めている写真が送られてきた。
慰霊の日
第二次世界大戦中、地上戦が行われた沖縄。本土決戦を先延ばしにするための「捨て石」とも言われた沖縄。悲惨な状況下でそれでも国に認められたく国のために戦った沖縄の人々。勿論戦没者の中には県外の方も大勢いらっしゃる。外国の方もいらっしゃった。この地上戦が終わったとされるのが1945年6月23日である。
「1945年6月23日に、第32軍司令官牛島満中将(後の大将)と長勇参謀長(後の中将)が自決し、旧大日本帝国陸軍司令部の機能が崩壊および全軍の組織ある防衛戦闘が終結し、玉砕に相当する」(wikipediaより)
沖縄では終戦記念日である8月15日を知らない人もいる。知っていても6月23日が終戦記念日だとする人も多い。昨年もこの日について投稿したがやはり戦争は悲惨であるし、日本においてその戦争が終わったのかどうかも怪しい。強者が弱者を食い物にする構図は今も残っているように感じる。
観光立県である沖縄においては今のコロナ騒動は大変なダメージになっている。併せて軽石問題もあり沖縄の経済は疲弊している。コロナ禍にあって少しは人の移動にも柔軟性が出てきている。これで多くの人が沖縄を訪れ経済が少しでも上向きになれば良いがそれと引き換えにまたコロナの蔓延があっては元も子もない。
誰かのおかげ
慰霊の日もそうであるが今自分が生きていられるのは誰かの犠牲があってのこと。そのことをつい忘れてしまう。誰かの命の上に自分が生きていることを思うときにもっと謙虚に、もっとへりくだって生きないといけないことを痛感する。あわせて、自分が生きることで誰かに迷惑を掛け誰かがそれを許容してくれていることも忘れないようにしたい。
わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んで下さったのである。 正しい人のために死ぬ者は、ほとんどいないであろう。善人のためには、進んで死ぬ者もあるいはいるであろう。 しかし、まだ罪人であった時、わたしたちのためにキリストが死んで下さったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。 わたしたちは、キリストの血によって今は義とされているのだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。 もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。 そればかりではなく、わたしたちは、今や和解を得させて下さったわたしたちの主イエス・キリストによって、神を喜ぶのである。ローマ人への手紙5:6-11
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