愛の計画

再び青森へ

母の病状が一進一退ではあるものの大きく変化していないので一度青森に戻ることにした。当初の予定通りの休日期間が過ぎることもあり、また直ぐに呼び戻されることを覚悟しながら新幹線に乗った。自分もこれから先のことを早急に考えないといけない。在宅でできる仕事が有れば直ぐにでも実家に戻りたい気持ちである。何が一番良いことなのかは全くわからないが、しかし最善の道を用意していらっしゃる神様を信じている。こういう状況になる前からきっと神様は道を備えていらっしゃることを考えると、先が見通せない中にあって大きな平安を感じる。

ずっと前から

今日でおよそ3ヶ月間読み続けてきた本も最終章となり読み終わった。最終章に相応しく恐るべきことが書かれていた。

地の基が置かれる前から、天父とみ子は、人がもしサタンに征服されたらこれをあがなうという契約に一致しておられた。キリストが人類の保 証人になられるという厳粛な誓約をお2人はかわしておられた。この誓 約をキリストは果たされたのである。十字架上でキリストが、「すべてが 終った」と叫ばれた時、彼は天父に向かって話しかけられたのであった (ヨハネ 19:30)。契約は完全に果たされた。そしていまイエスは、 こう宣言される。父よ、すべてが終わりました。わが神よ、わたしはあ なたのみこころをなしました。わたしはあがないのわざを完結しました。 もしあなたの正義が満足させられましたならば「、あなたがわたしに賜わ った人々が、わたしのいる所に一緒にいるようにして下さい」(ヨハネ 17:24)
各時代の希望電子版 p887  わたしの神またあなたがたの神であられる方のみもとへ

人類が創造される前から贖いの方法は決まっていたのだ。そしてこの時点で自分という人間が存在しこの恩恵に預かることが決まっていた。小さな、とても小さな存在のためにどれだけ大きく壮大な計画が立てられていたのか。考えただけで気絶しそうになる。自分が祈る時、自分が困って相談する時、その相手がどれほど凄い方なのかをもっと考えないといけない。

私と俺と神様 59 Masamitsu isa

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いつまでですか

預言者ハバクク

聖書に登場する預言者の中に「ハバクク」という人がいる。聖書中にハバククに関する情報があまり無いので詳細は不明だがカルデアの脅威について書かれているので、ユダ王国末期のエホヤキム王の時代に活躍した預言者であると思われる。ハバククはユダの信仰復興、神様に立ち返る道を祈り続けたがその祈りが聞かれない。正確に言えば「ハバククが祈ったようには、あるいは期待したようには聞かれなかった」。神様の対応についてハバククは「いつまでですか」と半ば愚痴のように神様に訴える。

神様の応答

神様はハバククの祈りを無視したのでは無い。むしろその祈りをしっかり聞き届けそのために御手を動かしていた。神様のなさることの意味を人は理解できないので預言者ハバククもカルデア、即ちバビロンを興すことを言われて絶望的な気持ちになる。ハバククには神様のご計画が自分の祈りをあざ笑うかのように真逆に進行しているようにしか見えなかった。

自分も同じ思いになったことが何度もある。不信仰により呟き、不平を言い、「どうでも良い」という気持ちになっていた。祈れば祈るほど悪い方にことが進むのでもう祈らない方が良いのでは無いかと思ったことも何度かある。自分はハバククのような立派な信仰を持っていないのでおこがましいが、それでもハバククの嘆きは非常によくわかる。

しかし

エレミヤ書にはバビロン捕囚が神様のご計画であり、そこに連れて行かれた者たちが甘いイチジクと評されている。さらにエレミヤは捕囚の民に対して神様からの祝福に満ちた言葉を伝えた。

11主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。 12その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。 13あなたがたはわたしを尋ね求めて、わたしに会う。もしあなたがたが一心にわたしを尋ね求めるならば、 14わたしはあなたがたに会うと主は言われる。わたしはあなたがたの繁栄を回復し、あなたがたを万国から、すべてわたしがあなたがたを追いやった所から集め、かつ、わたしがあなたがたを捕われ離れさせたそのもとの所に、あなたがたを導き帰ろうと主は言われる。
エレミヤ29:11-14

信仰による義人

ハバククは「信仰による義人」がどのように生きるべきかを神様から教えていただいた。信じて、待つ。

しかしある人たちは疑った。いつでもそういう人はいるものである。 信仰を働かせるのに困難を感じる人たちがいて、彼らは自分自身を疑問 の側に置く。こういう人たちは不信のために多くのものを失うのである。
各時代の希望電子版 p869  行って全ての国民に教えよ

2022年7月30日 礼拝「信仰によって生きる」藤田 佳大 牧師

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必要な資格

イエス様を愛すること

キリストがペテロにされた質問には深い意味があった。キリストは、 弟子であることと奉仕とについてたった1つの条件を述べられた「わたしを愛するか」と、主は言われた。これが必要欠くことのできない資格である。ペテロがほかのあらゆる資格をそなえていても、キリストの愛がなければ、彼は主の羊の群れを飼う忠実な牧者となることはできない。 知識、慈悲心、雄弁、感謝、熱意はすべてよい働きの助けとなる。しかしイエスの愛が心のうちになければ、キリスト教の牧師の働きは失敗で ある。
各時代の希望電子版 p864   もう一度海辺で

反省

少し前にある方の本を読んだ。本ではあるがキリスト教のメッセージが綴られているものである。その中に非常に考えさせられる言葉があった。

ひとつのことを理解すべきです。イエスキリストは、実に、真理を理解している人たちによって十字架につけられました。イエスキリストは安息日を守っている人たちによって殺されたのです。そして最近になって、安息日を守っている人々によって聖霊の神様が抹殺されています。
 真理を信じているはずの人たち、真理を説き、教えている人たちが、真理に生きていないのです。そういう人たちは世界で最も危険な人たちというべきです。その人たちというのはSDAなのです。残念ながら多くのSDAの人たちが、聖霊の影響を無視し、殺してしまっているのです。真理をただ知的に理解しているだけで、真理に生きることをしないなら、ただ真理の知識だけを持っていて実践しないのなら、そのことによって、真理を破壊してしまっているのです。
(セブンスデー・アドベンチストを外部から攻撃しているわけでは無い。著者はセブンスデーアドベンチストのメンバーである)

どれだけ素晴らしい真理を知っていても愛がなければ一切は無益、ということを反省させられた。

本当の愛など自分の中には無いことを自覚している。イエス様を愛する愛はやはりイエス様からいただく以外に方法は無い。

いま多くの人々がそうであるように、ペテロはそれまで肉体をとられ たキリストしか知らなかった。しかしいまはもうこのような限られた見方はしなかった。彼は、人性をとられたキリストと交わっていた時のような見方はもうしなかった。彼はイエスを1人の人、天からつかわされた教師として愛していたが、今はイエスを神として愛した。彼は、キリ ストが自分にとって何ものにもかえがたいお方であるという教訓を学んできた。いま彼は、主の犠牲の使命にあずかる用意ができた。ついに十字架の前につれてこられた時、彼は、自分からたのんで、さかさまにはりつけられた。彼は主と同じ方法で苦難を受けることはあまりに名誉すぎると考えたのであった。
各時代の希望電子版 p865  もう一度海辺で

57 Naoe Matsuda【私と俺と神様】

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愛の叱責

再会

2日ほど長男に会った。正確には実家に来てくれたので自分も青森から東京に戻った。僅かな時間だったが、外出できない分色々な話ができたし、共にイエス様のことを語り合うことができた。長男とは今年の3月に会っているのでおよそ5ヶ月ぶりの再会。本当は自分の両親に会うために2ヶ月ぐらい前から計画していたのだが、急遽母が倒れてしまったので実家で父(長男いとっては祖父)とだけ会ってくれた。久しぶりの東京なので本人の好きそうなところに一緒に行かないかと誘ってみたが「色々と出歩いてコロナに感染しておじいちゃんを危険な目に遭わせられない」と言って、大学のオープンキャンパスや野球観戦、楽器屋さんめぐりなど全てをせず実家でおじいちゃんの話し相手になってくれた。僅か2日だけだったけどとても幸せな時間を過ごさせてもらった。やはり子どもと一緒にイエス様の話をしたり祈れるのはとても大きな祝福だと感じた。ありがたい。

思いがけず

恥ずかしい話だが、春頃から出費が多くなり結構厳しい生活を強いられていた。別に自分の物欲を満たすために散在しているわけではないのだがとにかく急な出費が増えてしまった。本当に厳しい状況だったので1ヶ月ほど前から時々祈っていた。自分にはもっと究極的な祈りがあったので、経済的な祝福を求める祈りは二の次になっていたがそれでも思い出すたびに祈った。「神様、倹約すれば何とか20万円で乗り切れると思います。どうか20万円を与えてください」と祈っていた。勿論臨時収入が入るあても無いので、祈りながらも諦めていた。祈っておきながら諦めているということは神様に対してとても失礼なことだと思う。

請求書

今朝、長男を羽田に送りにいく前に郵便局で記帳した。27日に長男の学費と保険の引き落としがあるのでその確認をするため。学費の引き落としはおよそ13万円。保険が3万円弱。25日に給与をもらうとゆうちょ口座にお金を移しておく。ところが、今日記帳して焦った。保険料は引き落とされているが学費が引き落とされていない。引き落とされていないということは勿論残高不足である。少しゆとりを持って入金したつもりだったけれど足りなかったらしい。とにかくすぐに学校に連絡し、今日中に振り込む約束をしようとした。懐かしい元同僚の声。「すみません、残高不足だったようで引き落としされていませんでした。これからすぐに振り込むので金額を教えてください」というと「今月は支払わなくて大丈夫ですよ。就学支援金などが入って来たので大丈夫です」とのこと。こちらは残高不足で引き落とされなかったと思い込んでいたが、請求額を超える入金が国からあったということで支払いは発生していないとのこと。明細を送ってもらって驚いた。「就学支援金等入金」との項目で21万円の入金になっていた。20万円を祈り求めていたが、神様は何故か5%上乗せで21万円を与えてくださった。しかも真面目に信じていなかったのに。

トマス

今朝読んでいた書物の箇所が、まさに今日自分が経験したことを言われている気がした。イエスキリストの復活を信じられなかったトマスに対してイエス様は愛を持って優しくたしなめられた。

今日、自分が経験したことは神様からの愛の叱責だと受け止めている。

「これほど毎日御言葉を通して、私が共にいるから心配するなと言っておいたのに何故信じられなかったのか?」と優しく叱られた気がする。

疑いにおちいっている多くの人は、もし、トマスが仲間から与えられ たような証拠を自分たちにも与えられるなら、自分たちは信ずるのだが と言いわけをする。彼らは、その証拠が与えられているだけでなく、も っと多くが与えられていることをみとめない。トマスのように、疑いの 原因が全部のぞかれるのを待っている人々の多くは、その願いが決して 実現されないであろう。彼らの不信はだんだん固まってしまうのである。 暗い面を見たり、つぶやいたり、不平を言ったりするように自分自身を 教育する人たちは、自分のやっていることがわからないのである。彼ら は、疑いの種をまいているのであって、疑いの収穫をかりとることにな る。こうして多くの人たちは、信仰と確信が最も必要な時に、望むこと も信じることもできない無力な自分に気がつくのである。
各時代の希望電子版 p858  安かれ

55 Namie【私と俺と神様】

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エマオ

エルサレムからエマオへ

イエス様の十字架、そして墓からご遺体が無くなっている出来事を通して弟子たちやその周りにいた人たちは大いに失望していた。イエス様は必ず復活することを教えていたが、彼らは失望のあまりその言葉を忘れてしまった。ところがこの言葉を正確に覚えていた人もいた。

ふしぎなことに、この弟子たちは、キリストのことばを思い出して、 キリストが予告された通りのことが起こったのだということに気がつか なかった。彼らは、キリストがうちあけられた話のあとの部分、すなわ ち3日目にキリストがよみがえられるということが、はじめの部分と同 じように成就するということに気がつかなかった。これは彼らが覚えて いなければならなかった部分であった。祭司たちと役人たちはこのこと を忘れていなかった「。あくる日は準備の日の翌日であったが、その日に、 祭司長、パリサイ人たちは、ピラトのもとに集まって言った、『長官、あ の偽り者がまだ生きていたとき、「3日の後に自分はよみがえる」と言っ たのを、思い出しました』」(マタイ 27:62、63)。しかしこの弟 子たちは、そうしたことばをおぼえていなかった。
各時代の希望電子版 p847  エマオへの道

危うくチャンスを逃すところだった

イエスに心酔していたふたりの人がエルサレムからエマオに肩を落としながら歩いていた。途中からひとりが合流し3人でエマオに向かっていたが、そのひとりこそイエス様だった。彼らは話している間に少しずつ心が燃えてくるのを感じ、もうひとりの人を強いて家まで来てくれるよう招いた。もし彼らの心の目が開かれなかったら大きなチャンスを逃すところだった。

もし、弟子たちがしいて招待しなかったら、彼らは、旅の道連れがよ みがえられた主であることを知らなかったであろう。キリストは誰にも 交際を強制されない。彼は、ご自分を必要とする者と交際される。彼は どんな貧しい家にも喜んでお入りになり、どんないやしい心も励まされ る。しかし、もし人が無関心で、天のお客のことを考えなかったり、い っしょにいていただきたいと願ったりしなければ、イエスは通り過ぎて おしまいになる。こうして、多くの者が大きな損失をこうむるのである。 キリストが、途中いっしょに歩いておられたのに、弟子たちがイエスに 気がつかなかったように、彼らもまた、キリストに気がつかないのである。
各時代の希望電子版p850. エマオへの道

パンをさく手

簡単な夕食のパンがすぐに用意される。それは、食卓の正面に席をと ったお客の前におかれる。すると彼は、食物を祝福するために手をさし 出される。弟子たちは驚きのあまり、あとずさりする。道連れの人は、 主がいつもされていたのとちょうど同じように手をさし出している。も う1度よく見ると、見よ、その手には釘のあとが見える。2人は同時に、 主イエスだ、死からよみがえられたのだと叫ぶ。

彼らは立ち上がって主の足下にひれふし、主を拝する。しかし、主の お姿は目の前から消えてしまった。彼らは、最近までおからだを墓に横 たえておられたお方が席を占めておられたあたりを見て、互いに言う、 「道々お話しになったとき、また聖書を説き明してくださったとき、お 互の心が内に燃えたではないか」(ルカ 24:32)。
各時代の希望電子版 p850  エマオへの道

喜んで

しかし、彼らはこのすばらしい知らせを伝えなくてはならないと思う と、すわって語っていることができない。彼らの疲れと空腹はどこかへ いってしまった。彼らは、食事に手もつけないで、喜びのあまり、すぐ にもう1度さっきやってきた道を出かけ、都の弟子たちにこの知らせを 伝えるために急ぐ。道は安全でないところもあったが、彼らは、つるつ るする岩にすべりながら、けわしい場所を越えて行く。彼らは、自分た ちといっしょに道を歩かれたお方の保護があることを見もしなければ、 知りもしない。旅のつえを手にして、彼らはもっと早くもっと早くと願 いながら道を急ぐ。彼らは道を見失ってはまた発見する。時には走りな がら、時にはつまずきながら、彼らは目に見えない道連れイエスに途中 ずっとそば近くにつきそわれながら、前進する。
各時代の希望電子版 p851  エマオへの道

夜は暗いが、義の太陽が彼らを照らしている。彼らの心は喜びにおど る。彼らは新しい世界にいるような気がする。キリストは生きておられ る救い主である。彼らは、もはやキリストが死んでおられるといって嘆 かない。キリストはよみがえられたのだと、彼らは何度も何度もくりか えす。この知らせを、彼らは悲しんでいる者たちに伝えるのだ。彼らは、 エマオへの道中のふしぎな話を弟子たちに語らねばならない。彼らは、 途中で誰と一緒になったかを語らねばならない。彼らは、世に与えられ た最高のメッセージ、今も永遠までも、人類家族の望みがかかっている うれしいおとずれをたずさえているのだ。
各時代の希望電子版p851  エマオへの道

53 Jane Takizawa【私と俺と神様】

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勘違い

勘違い

目の前の出来事を、自分の考えたストーリーになぞって悲しんだり失望することがよくある。「~であるに違いない」と勝手に思い込んで落ち込む。2000年前、イエスキリストの弟子たちが大きな失望落胆をおぼえ、かねてからイエス様が言っておられたことを忘れてしまった。本当は大いに喜ぶべきことを、大失望にしてしまった。

何故泣いているのか

「わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをか けていました」ということばを、彼らはしばしばくりかえした(ルカ 24:21)。さびしい、悲観した気持ちで、彼らは、「もし、生木でさ えもそうされるなら、枯木はどうされることであろう」と言われたキリ ストのことばを思い出した(ルカ 23:31)。彼らは二階の部屋に集ま り、愛する師の運命がいつ自分たちの運命となるかも知れないことを思 って、戸口を固くとざした。ところがその間じゅう、ずっと彼らは、救い主がよみがえられたこと を知って喜んでいられたはずである。園では、イエスがそば近くにおら れた時、マリヤは泣いていた。彼女の目は涙にくもっていたので、イエ スがわからなかった。また、弟子たちの心は悲しみでいっぱいだったので、 彼らは天使たちのことばも、キリストご自身のことばも信じなかった。
各時代の希望電子版p844,845 なぜ泣いているのか

ああ、うなだれた頭をあげ、目を開いてイエスを見、耳にイエスの声 を聞くことができるように「。急いで行って、弟子たちにこう伝えなさい、 『イエスは・・・・よみがえられた』」(マタイ 28:7)。大きな石でとざ され、ローマの封印をされたヨセフの新しい墓を見るなと彼らに告げな さい。キリストはそこにおられない。からっぽの墓を見るな。望みなく、 助けなき者のように嘆くな。イエスは生きておられ、彼が生きておられ るがゆえにわれわれも生きるのである。感謝の心で、聖なる火にふれた くちびるで、キリストはよみがえられたと喜ばしい歌をひびかせなさい。 主は生きてわれらのとりなしをしてくださる。この望みをとらえなさい。 そうすれば、それはたしかな、あてになる錨(いかり)のようにわれらの 魂をつなぎとめるであろう。信じなさい、そうすればあなたは神の栄光 を見るであろう。
各時代の希望電子版 p845  なぜ泣いているのか

51 Melissa Hokama【私と俺と神様】

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改組

中国経済

経済をGDPだけで評価することはできないが2021年のデータでは1位が米国、2位中国、そして3位が日本である。米国のGDPが22,675,271(百万US$)、中国は16,642,318(百万US$)、そして日本が5,378,136(百万US$)。3位といっても桁が違う。中国の1/3である。自分が中学生の頃、中国を「眠れる獅子」と評した言葉があったがなかなかそのような状況に無かったので別の表現をしていたことを思い出す。

自分の仕事に関係することだけ見ても中国経済の凄さを実感している。例えばクーラーの入れ替えをした時。中国からの製品が入ってこないため1ヶ月工事が延期になった。また、病棟のコイン乾燥機が不調で業者さんに来ていただいた。「アクア」という元々SANYO系列の会社が作っている乾燥機なのだが、現在はハイアール傘下の会社になっている。SANYOは解体の際、主にPanasonic傘下に落ち着いたが、白物家電部門は中国のハイアール傘下になった。日本のメーカーが中国に吸収されその傘下に入ることを誰が予想しただろうか。

ハッセルブラッド

自分はカメラとか時計が大好きで、特に機械式には目がない。ライカ(Leica) M4とM6という機械式カメラを使うことで機械式にのめり込んで行った。今は機械式カメラは殆ど無いが、Leicaと同時期にハッセルブラッド(hasselblad)というカメラも使っていた。こちらは中判カメラでフィルムのサイズが35mmよりも大きい。60mm×60mmという正方形のフィルムを使う。非常に繊細な色表現ができ風景写真、特にコンテストの写真は必ずハッセルブラッドを使用していた。前田真三さんという写真家がいらしたが、この方が長年自分の所属する教会が発行する「サインズ」という月刊誌に写真を提供してくださった。表紙が毎回正方形フォーマットの写真でとても美しかった。前田真三さんがハッセルブラッドを使用されていたので自分も大いに影響を受けハッセルブラッドを使うようになった。ちなみにハッセルブラッドはアポロ計画で正式採用され月面撮影でも大いに活躍した。宇宙に行った最初のカメラがハッセルブラッドである。

DJI

現在、映像関係の機器や環境が昔と比べて大いに変化して来た。昔なら飛行機をチャーターして航空写真を数十万円で撮影してもらっていたが今はドローンで気軽に高品質な映像を撮影できる。またアクションカメラの存在も映像の世界を変えた。ダイビングで水中写真を撮影していたが、ニコノスというカメラを使っていた。勿論フイルムでの撮影だから一度潜ったら撮影できる枚数は最大で36枚。これ以上は撮影できないのでサブのカメラを持って潜る。ストロボもカニの足のようなブームがついているのでかなり大掛かりなセッティングになる。ところが10年ぐらい前から自分の撮影環境は全く変わった。Goproというカメラ1台で潜る。しかもこのGoproはとても小さく、更に高感度なのでライトが無くてもある程度の写真を撮影できる。勿論動画も。また、スマートフォンで動画を撮影する人も多いが手ブレを抑えるために「ジンバル」なるものも多く販売されている。ドローンやアクションカメラ、ジンバルというアイテムが最近の撮影環境とその可能性を全く変えてしまった。そしてこれらを作る大手メーカーが中国のDJIである。中国の勢いが凄いことがよくわかる。

再びハッセルブレッド

先日DJIのカメラを紹介しているチャンネルがあり視聴していたら、その映像品質(色味やボケなど)についてハッセルブラッドが監修していると説明していた。「え?」と思った。スウェーデンの大手老舗メーカーであるハッセルブラッドが中国の新参企業に協力をしているのが不思議だった。よくよく調べてみると更に驚いた。何と、ハッセルブラッドがDJIに買収されていた。自分の中ではどうしても理解できない事実だった。ハッセルブラッドが売られるなど想像したこともなかった。このままだともしかしてLeicaも危ういのか?

改組、色々な状況が複雑に絡み合う昨今、生き残るためには必要なことなのか。そしてこの改組や大掛かりなテコ入れができない企業は淘汰されていく時代なのか。デジタル化って凄い技術だと思うが、こういう側面もあることをおぼえておきたい。

時代や状況に左右されずいつも同じ状態で存在し続ける絶対的なもの・・・。それは唯一絶対の神様以外ないのだろう。

49 Naoto Kuniyoshi【私と俺と神様】

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心破裂

死因

イエスキリストの磔刑による死はおよそ6時間と言われているが、この時間はとても短い時間だという。磔刑の残酷なところは絶命までに長い時間を要する、という点だと言う。長時間苦しむことが気の毒だということで「ギロチン」が発明されたと聞いたことがある。

祭司たちと役人たちはキリストが死なれたことを知って驚いた。十字架による死は長引くのであった。いつ息がたえたかを決定するのは困難であった。誰でも十字架につけられて6時間以内に死ぬということは例のないことであった。祭司たちはイエスの死を確かめたいと思った。そこで彼らに言われて、1人の兵士が救い主の脇腹にやりを突きさした。 するとその傷口から、血と水がおびただしいはっきりした2筋となって流れた。目撃者たちの全部がそれをみとめたが、ヨハネはこの出来事を はっきり述べてこう言っている「、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た。それを見た者があかしをした。そし て、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていること を知っている。それは、あなたがたも信ずるようになるためである。こ れらのことが起ったのは、『その骨はくだかれないであろう』との聖書の言葉が、成就するためである。また聖書のほかのところに、『彼らは自分が刺し通した者を見るであろう』とある」(ヨハネ 19:34―37)。
各時代の希望電子版 p821  ヨセフの墓の中に

イエス様の生死を確認するために、脇腹から槍をさしたところ血と水が流れたと記述されている。

しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た。 ヨハネによる福音書19:34

しかしイエスの死の原因はやりで突かれたことでもなければ、十字架の苦痛でもなかった。死の瞬間にイエスが「大声」で叫ばれたことと、 その脇腹から血と水が流れ出たことは、イエスが心臓の破裂でなくなられたことを物語っていた(マタイ 27:50、ルカ 23:46)。イエスの心臓は精神的な苦悩のために破裂したのである。彼は世の罪によって殺されたのであった。
各時代の希望電子版 p822  ヨセフの墓の中に

イエス様の肉体的な死因は心破裂によるものだという。

心破裂とは

よく分からないので「心破裂」を調べてみた。

心破裂(しんはれつ, 英: Myocardial rupture または 英: Heart rupture)とは、心臓の心室壁もしくは心房壁が裂けることである。最もよく見られるのは急性心筋梗塞に続発する心破裂であり、心筋梗塞の重大な合併症である。その他には、外傷も原因になる。( wikipediaより)

心筋梗塞からの続発と書かれているので心筋梗塞を調べてみるとその原因の中に「極度のストレス、うつ」とあった。想像もできないほどの心の重荷、そしてこの罪のために神様との断絶を覚悟するような状況が心筋梗塞、そして心破裂を引き起こしたのだろう。

うさぎ

真偽のほどは分からないが、「ウサギは寂しさに耐えられない」と聞いたことがある。卯年の自分もそうなのかもしれない。

イエス様が寂しさで亡くなられたとは思えないが、悲しさや神様との断絶の苦しみなど全てに痛みを負われたことは間違いない。

神様の義を曲げることはできず、また悪を容認することもできない。一方で人間に対するどうしても諦めきれない愛がある。そのふたつを矛盾なく両立させる方法はこれしかなかったのだと思う。そしてこの方法は、まだ人類に罪が入る前から考えられていた救済計画だという。そしてもっとずっと先に生まれる自分のような者のために、この救済計画が実行されたことを思うとただ呆然としてしまう。愛の規模が凄すぎて理解できない。その愛を示してくださったイエス様に何をお返ししたら良いのだろう。

47 Yoshiko Iwasaki【私と俺と神様】

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摂理

摂理とは

「摂理」、日常的によく使う言葉ではない。キリスト教界ではよく使われることばのひとつである。仰々しいので「神のご計画」などと言い換えることもあるが、神様のお考えとそれに伴う計画全てのことを指す。一般的には「偶然」と思える出来事も神様のご計画のうちに起こった「摂理」と考えるのがクリスチャンの思考である。

自分の祈り、自分の願い、また自分の考えるベストタイミングは神様のお考えとは異なることが多い。自分の祈った道が開かれないので、自分のような不信仰者は神様を疑い更に神様に不満をこぼすのである。

摂理

一瞬でも神様以外のことを考えたくなくずっと聖書を読んだりオンラインの礼拝説教を視聴して過ごしていた。心励まされるメッセージばかりでとても大きな恵みを受けた。その中でも特に感動したメッセージがあったので紹介したい。拝聴しながら、涙が溢れて仕方なかった。

神の愛は、憐れみのうちにばかりでなく義のうちにもあらわされた。 義は神のみ座の基礎であり、神の愛の実である。憐れみを真実と義から 引き離そうとするのがサタンの意図であった。彼は神の律法の義が平和 の敵であることを証明しようと努力した。しかしキリストは、神のご計 画のうちにあってこの両者は離すことができないほど密接に結合してお り、一方がなければ他方は存在し得ないことを示しておられる。「いつく しみと、まこととは共に会い、義と平和とは互に口づけ」する(詩篇 85:10)。
各時代の希望電子版 p814  全てが終わった

「神のわざ」斉藤宣人長老

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カルバリー

カルバリーとは

イエスキリストはAD31年の過越祭で十字架にかかったと思われるがその場所はエルサレム城外の「カルバリー」という小高い丘だとされる。この丘が頭蓋骨に似ていたのか、刑場であるため人骨がそこらへんの落ちていたからなのかは分からないがアラム語で「頭蓋骨」を表す「ゴルゴダ」がこの丘の名称となった。ゴルゴダのラテン語がカルバリア。何れにしてもイエスキリストが磔刑で死を経験された特別な場所である。

クレネ人シモン

イエスは磔刑の横木を自ら担いで刑場に向かったが、それ以前に鞭を打たれ心身ともに限界を迎えていた。ついに倒れこみ横木を運べなくなった時に、外国j人であるシモンにその横木を強いて担がせた。

この時、いなかからやって来たクレネ人のシモンという他国人が群衆 に行き会う。彼は群衆の口汚いののしりの声を耳にする。いかにも軽蔑 したように、ユダヤ人の王さまのお通りだぞということばがくりかえさ れるのが聞こえる。彼はその場の光景に驚いて立ちどまる。シモンが同 情した顔つきをしていると、人々は彼をつかまえて、その肩に十字架を のせる。
シモンはイエスのことを聞いていた。彼の息子たちは救い主の信者で あったが、彼自身は弟子ではなかった。カルバリーまで十字架をかついで行ったことは、シモンにとって恵みであった。彼はその後いつもこの 摂理を感謝した。彼はこの経験から自ら進んでキリストの十字架を背負 い、その重荷によろこんで耐えるようになった。
各時代の希望電子版 p790  カルバリー

犯罪者とともに

磔刑にあったのはイエスだけではなく他二人の囚人がいた。

イエスと一緒に十字架につけられたどろぼうたちは、「イエスをまん 中にして、・・・・両側に」つけられた(ヨハネ 19:18)。これは祭司た ちと役人たちの指図であった。どろぼうたちの間のキリストの位置は、 彼が3人の中で最も重い罪人であることを示すのであった。このように して、彼は「とがある者と共に数えられた」との聖句が成就した(イザヤ 53:12)。しかし祭司たちは自分たちの行為の意味が十分にわからな かった。
各時代の希望電子版 p800 カルバリー

人類全ての罪

われわれの身代りまた保証人としてキリストの上にわれわれ全部の 者の不義がおかれた。律法による有罪の宣告からわれわれをあがなわん がために、キリストは、罪人にかぞえられた。アダムの子孫1人1人の 不義がキリストの心に重くのしかかった。罪に対する神の怒り、不義に 対する神の不興の恐るべきあらわれが、み子の魂を非常な驚きと恐れで 満たした。一生の間、キリストは、天父の憐れみとゆるしの愛について のよい知らせを堕落した世に宣伝してこられた。罪人のかしらの救いが キリストのテーマであった。
各時代の希望電子版p802  カルバリー

しかしいま、自ら負っておられる不義の恐るべき重さで、キリストは、 天父のやわらぎのみ顔を見ることがおできにならない。この最高の苦悩 の時に神のみ顔が見えなくなったために、救い主の心は、人にはとうて いわからない悲しみに刺し通された。この苦悩は、肉体的な苦痛などほ とんど感じられないほど大きかった。
各時代の希望電子版 p803 カルバリー

しかもキリストは、この恐るべき時に、天父のご臨在によって慰めを 受けられないのであった。主は1人で酒ぶねを踏まれ、もろもろの民の なかには彼と事を共にする者がなかった(イザヤ 63:3参照)。
各時代の希望電子版 p804  カルバリー

神の性質、能力を一切用いず

けがれのない神のみ子は、その肉体はむち打ちで裂け、しばしば祝福 のうちにさし出されたその手は横木に釘づけられ、愛の奉仕に疲れを知 らなかったその足は木にうちつけられ、王の頭はいばらの冠で刺され、 ふるえる唇は苦悩の叫びにかたどられて、十字架にかかっておられた。 しかもイエスがしのばれたすべてのこと― その頭と手と足から流れた 血のしたたり、その肉体を苦しめた苦痛、天父のみ顔がかくされた時に その魂を満たした言いようのない苦悩、― それらは人類の子らの1人 1人に向かって、神のみ子がこの不義の重荷を負うのを承諾されるのは あなたのためであり、死の支配をたちきって、パラダイスの門を開かれ るのはあなたのためであると語っている。
各時代の希望電子版 p805 カルバリー

荒れ狂う波をしずめて、泡立つ大波の上をあるかれたお方、悪鬼をふ るえあがらせ、病気を追い出されたお方、めくらの目を開き、死人をい のちによみがえらせたお方― が、いけにえとしてご自分を十字架上に ささげられる、しかもそれはあなたを愛されるからである。罪を負うお 方であるイエスが、神の正義の怒りをしのび、あなたのために罪そのも のとなられる。
各時代の希望電子版 p806 カルバリー

42 Izumi Meichi【私と俺と神様】

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