記者会見
安倍元首相の事件について色々なことが分かってきた。容疑者の母親がある宗教団体に対して多額の献金をしたことで家庭経済が破綻し、そのことに対して容疑者は恨みを持っていたという。その特定宗教団体と安倍元首相が関係を持っていると思い込み犯行に及んだとされている。特定された宗教団体が世界平和統一家庭連合である。旧称は世界基督教統一神霊協会、一般には「統一協会」と言われることが多い団体である。記者会見や報道などで「統一教会」と掲げられることが非常に多く解せない気持ちでいるが、自分の記憶では「統一協会」が正しい表記と思っている。「教会」ではない。
自分の知る人の中に「統一協会」を脱会してこられた方が多くいらっしゃる。自分の所属するキリスト教会に「カルトから人々を救出する」働きをする方がいらっしゃるのが大きな要因だと思う。救出の最前線で働かれる牧師先生からお話しを伺うことが数回あったが、命を狙われることも度々あったという。山手線のホームで電車を待っている時に背後から突き飛ばされ危うく入線電車に突っ込むところだったという。幸い、ホーム上にいた方がガードしてくださり難を逃れたと話しておられた。だから自分は「統一協会」という団体に対して悪いイメージしかない。しかし、統一協会を脱会しキリスト教会に来られた方は非常に真面目で熱心でおくゆかしい方が多い。人間的に非常に魅力を感じる方々である。
什一
2年前にあるYouTubeを視聴していた。宗教を斬る、という趣旨のチャンネルで女性ふたりが顔を出さずに毎回ひとつの宗教団体を取り上げて、そこを批判するのが主なコンテンツである。ある回に自分が今のところ所属しているキリスト教会が登場した。どのような批判が飛び出すのか注意深く聴いていたが、ネット情報など一般的な内容にしか触れておらず、ネットの書き込みから想像して批判している様子だった。もっと潜入して情報を得ているのかと思ったがそうではなかった。ネットにも出ていないような誰も知らない情報、信徒にもひた隠しにされていることがいくつもあるのに・・・と思ってしまった。そんな彼女たちの批判の中で「什一」について挙げられていた。
什一というのは、天地創造の時から定められている制度である。全てのプロテスタント教会がこの制度を取り入れている訳ではない。むしろ、什一の制度を取り入れているプロテスタント教会は少ないのかもしれない。
教会では「什一献金」と言われることがあるが、自分はこれを「献金ではない」と習ってきたしそれが正しいと思っている。そもそも人は全て神様からの祝福をいただいて生活できるわけであるが、そのいただいたものの1/10を神様にお返しすることで自分が誰のおかげで生きられるのかを思い起こす行為である。自分の気持ちや経済状態と相談して金額を決める「献金」とは違い、什一は神様にお「返しする」行為である。前述のふたりの女性が「このキリスト教会は収入の1/10を献金させるだって。これ、やばくない」と言って盛り上がっていた。やばくない。神様のものを全て自分のものだと言っている方が「やばい」。
什一を通して、誰が自分の主であるかを表明しているのである。だから什一をお返しすることはそのまま礼拝行為なのである。
聖書に登場するイスラエルの指導者ヨシュアは煮え切らない200万人とも言われる民に対して「あなた方の仕えるものを今日決めなさい。ただし私と私の家族は主に仕える」と言った。
世界中の全ての人が神様の主権を認めて、神様を自分の主と表明できたら良いのに。
人は神の物を盗むことをするだろうか。しかしあなたがたは、わたしの物を盗んでいる。あなたがたはまた『どうしてわれわれは、あなたの物を盗んでいるのか』と言う。十分の一と、ささげ物をもってである。 あなたがたは、のろいをもって、のろわれる。あなたがたすべての国民は、わたしの物を盗んでいるからである。 わたしの宮に食物のあるように、十分の一全部をわたしの倉に携えてきなさい。これをもってわたしを試み、わたしが天の窓を開いて、あふるる恵みを、あなたがたに注ぐか否かを見なさいと、万軍の主は言われる。
マラキ3:8-10
われわれの行為に性格を与え、これに不名誉もしくは高い道徳的価値 の印をおすものは動機である。神は、すべての人の目が見、すべての人 の口が称賛する偉大な事がらを、最もとうといものとしてごらんになら ない。快活に果たした小さな義務、何の見せびらかしもなく、人間の目 には無価値に見えるような小さなささげ物が、神の御目には最高に見え ることがしばしばある。信仰と愛の心は、神にとって、最も高価なささ げ物よりもとうといのである。この貧しいやもめのしたことは小さなこ とであったが、彼女はそのために自分の生活費をささげた。彼女は、愛 するみわざにあの2枚のレプタをささげるために食物を節約した。しか も彼女はそのことを信仰をもって、天父が自分の大きな必要を見のがさ れないことを信じてやったのである。救い主からおほめのことばをいた だいたのは、この無我の精神、子供のような信仰であった。
各時代の希望電子版 p645 パリサイ人たちよ、あなた方はわざわいである
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