家庭の教育

ホームスクール

多くの子どもはまず家庭に於いて教育を受ける。親が意図するしないに関わらず同居する大人の影響を受け大人を真似る。動作を覚え言葉を覚えコミュニケーションを覚える。そしてこども園や幼稚園、保育園に進み小学校に進学する。中には目指すところが異なり公的教育機関に通わせず家庭での教育をそのまま継続するケースもある。所謂ホームスクールである。米国やイギリスではきちんとその存在が認知されているが日本に於いてはまだまだ、という感じである。随分昔に聞いた話だが法律家である父親が病に倒れ長期間入院することになった。父子家庭で面倒を見ることができず、少年は父親の病床で生活するようになった。勿論学校にも通えず、その代わりに父親が勉強を教えた。長い間父親から多くのことを学び結果的にはこの少年も司法試験に合格した。教育方針でホームスクールを選ぶこともあるが家庭の事情でそうせざるを得ない場合もある。

ホームスクールの種類

家庭で学校教育を行う、という程度にしか認識していなかったが米国などでは数種類のホームスクール形態がある。

・家庭にて親が教員となり学校の教科書を用いて学校教育を行う

・学校の教科書を用いず子どもの自由意志に任せて家で過ごさせ必要に応じて親が支援する

・上記ふたつのハイブリッド型

・子どもがメディアを通して影響を受けた人(この人のようになりたい、と思えた人)の真似をすることでその人に近づいていく

・公的機関(第三者)を入れて家庭でのホームスクールを評価してもらい、その評価を元に独自のカリキュラムをつくる

概ねこの5パターンがあるようだ。日本における現状はホームスクーラーの人数をはじめ詳細は分かっていない。

ホームスクールのデメリット?

自分はホームスクールの賛成者であり実践したいと思っている。が、ホームスクールよりも更に良い形態があると考えている。事情も分からないので迂闊なことは言えないが、ホームスクールにもいくつかのデメリットと言えるものがあるかも知れない軽々しくデメリットと言ってはいけないと思うが上手表現ができない。

まずは友達関係。家庭での教育で他との接点がなければ友達関係やそこから学ぶスキルの欠如があるかも知れない。また施設の問題もある。学校であれば飛び箱やマット、実験器具や薬品などがある。が、家庭でそれと同様の経験をさせようとすればかなり大変なことになる。現在のようにオンラインの映像で実験を視聴する手もあるが、実験器具は実際に操作しないと分からないことがたくさんある。またどこが危険なのかも実体験から学べる。要するにリアルの欠如をバーチャルで補うところがある意味でのデメリットになる可能性がある。

家庭教育

聖書の中にアロン、という人が出てくる。出エジプトの際、リーダであるモーセを補佐した人物でありモーセのお兄さんである。昨日も投稿したが、幕屋(聖所)の務めには「レビ族」が任命された。特に聖所で奉仕する「祭司」はこのアロンの子孫であることが条件となった。アロンには4人の息子がいたが、神様の命令に従わず聖所にて、神様が用意した「火」を用いず、自分たちが勝手に用意した「火」を用いたことで神様からの刑罰を受けた。

ナダブとアビウは、少年時代に自制の訓練を受けなかった。父親が相手の言い なりになる性質で、正しいことに対する確固たる態度が欠けていたために、彼は 子供のしつけをないがしろにした。むすこたちは好きなことをするにまかせてあ った。彼らはかってにふるまう習慣が長く続いたために、最も神聖な職務の責任 を負わせられても、その習慣からぬけきれなかった。彼らは、父親の権威を尊ぶ ことを教えられていなかった。そして、彼らは神の要求に厳格に従う必要を認め なかった。アロンがあやまってむすこたちを甘やかしたために、ついに彼らは神 の刑罰を受けなければならなくなった。

人類のあけぼの電子版 p300  ナダブとアビウの罪

家庭の教育の大切さを改めて痛感した。

What Heavenly Music – Golden Angels 16th and 17th Group

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

アザゼルの山羊

聖所

このところ体は疲れているはずなのだが未明に目が覚めてしまう。3時間ぐらい眠ると起きてしまう。眠いのだが寝付けずそのまま聖書を読んで祈る。毎朝のルーティーンが3時間ぐらい早く始まる。祈っているといつの間にか窓の外が白み始める。東北の朝は早い。

今朝読んだ本に聖所のことが書かれていた。聖所制度やその働きについて特に強調する教会に属しているので引き込まれるように読んだ。聖所を強調する教会、という割に自分の理解がいつも曖昧なのできちんと勉強しないといけないと常々思っている。

まだ読み始めたばかりなので十分なことが分からない。が、この聖所の役割がイエス様の十字架で流された血を立体的にしてくれる。

幕屋の建築には、約半年を要した。これが完成したとき、モーセは建築した人々 の工事をことごとく点検し、これを彼が山で示された型と、神から受けた指示に 照らし合わせた。「彼らは主が命じられたとおりに、それをなしとげていたので、 モーセは彼らを祝福した」(出エジプト 39:43)。大勢のイスラエルの民は聖 なる建物を見ようとして、非常な興味をもって群がってきた。彼らが、敬虔な満 ち足りた気持ちでこれに見入っているときに、雲の柱が幕屋の上にたなびき、そ の上にくだり、これを包んだ。そして「主の栄光が幕屋に満ちた」(同・40:34)。 ここに神の威光があらわされ、しばらくの間、モーセも中にはいることができな かった。民は、彼らの手のわざが受け入れられたしるしを感慨深く見つめていた。 人々は、歓喜の声を上げたりはしなかった。厳粛な畏怖がすべての者を包んでいた。 だが、心の喜びは涙となってあふれ、神が降りてこられて、自分たちと共にお住 みになることの感謝が、低くはあったが熱のこもったささやきとなったのである。
人類のあけぼの電子版p209  幕屋の制度と儀式

聖所の建設

モーセがシナイ山に登って神様から律法を受け取った時、同様に聖所についても説明を受けた。神様がイスラエルの民と常に共にいてくださり彼らのうちに住まわれることを約束し聖所を建設するよう命じた。エジプトを脱出する時に持って来た多くの財産を彼らを惜しみなく献げた。モーセがもう十分だ、というまで心から喜んで献げた。

聖所の建設が進んでいるあいだも、老若の民はー 男も女も子供もー 捧げ物 を続々と持参したので、工事の監督たちは、もうこれで十分集まり、使いきれな いほどになったと考えるほどであった。そこで、モーセは宿営中にふれさせた。 「『男も女も、もはや聖所のために、さざげ物をするに及ばない』。それで民は携 えて来ることをやめた」(同・36:6)。イスラエル人のつぶやきと、彼らの罪の ためにくだった神の刑罰とは、後世への警告として記録されている。また、彼ら の献身と熱意と物惜しみしない心とは、われわれが大いに学ぶべき模範である。 すべて神の礼拝を愛し、その聖なる臨在の祝福を重んじる者は、神が彼らと会う 家を建てるにあたって同じ犠牲の精神をあらわす。彼らは自分の所有する最善の ものを捧げ物として主のもとに携えてきたいと望む。神のために建てられた家は、 負債を負ったまま放任しておいてはいけない。それは、主のみ栄えではないから である。ちょうど幕屋の建設者たちのように、工事にたずさわる者が、「もう捧げ 物を持ってこなくてもよろしい」と言うことができるように、工事を完成するに 十分の額が豊かに捧げられるようでなくてはいけない。
人類のあけぼの電子版 p287  幕屋の制度と儀式

聖所での奉仕

レビ人が聖所に関わるお世話係に召された。またレビ人の中でアロンの親族は「祭司」という職務を与えられた。日毎の務めや罪を犯した人の贖い、祭りの全てそして年に一度の大贖罪日の務めなど祭司の守備範囲は広い。

日ごとの務めは、朝夕の燔祭、金の祭壇における香の供え物、及び個人個人の 罪のための特別な供え物から成っていた。そして、ほかに、安息日の供え物、新 月の供え物、祭日の供え物があった。
朝に夕に1才の小羊が適当な素祭と共に祭壇で焼かれ、こうして主に対する民 族の日々の献身と、キリストのあがないの血に、彼らが絶えず依存していること が象徴されていた。聖所の務めのために捧げられる供え物は「傷のないもの」で なければならないと、神は言明された(出エジプト 12:5)。祭司たちは、犠牲 として捧げられる動物をみなよく調べ、傷があるものは、ことごとく退けなけれ ばならなかった。「傷のない」供え物だけが、「きずも、しみもない小羊」(Iペテ ロ 1:19)として、ご自身をお捧げになる主の完全な純潔を象徴するものとな ることができた。使徒パウロは、キリストに従う者たちが自分自身を捧げること の例証として、この犠牲を指摘している。
人類のあけぼの電子版 p292  幕屋の制度と儀式

日ごとの務めのうちで最も重要な部分は、個人個人のために行なわれた務めで あった。悔い改めた罪人は供え物を幕屋の戸口にたずさえ、このいけにえに手を 置いて罪を告白し、こうして象徴的にその罪を彼自身から無垢の犠牲の上に移し 変えた。それから動物は、彼の手で殺された。祭司は、血を聖所に運んで、この 罪人の犯した律法を入れた箱の前方にたれているとばりの前に注いだ。この儀式 によって、罪は血によって象徴的に聖所に移された。
血が聖所の中にたずさえられない場合もあった。そのときには、モーセがアロ ンの子らに命じて、「これは・・・・あなたがたが会衆の罪を負(う)・・・・ため、あなた がたに賜わった物である」(レビ 10:17)と言ったように、祭司がその肉を食 べなければならなかった。これらの儀式は、共に、悔い改めた者から聖所へと罪 が移されることを象徴したものであった。
人類のあけぼの電子版 p294  幕屋の制度と儀式

大贖罪日

一年に一度、大祭司が聖所の奥の部屋すなわち至聖所に入り贖いの儀式を行う。

年に1度、祭司は聖所のきよめのために至聖所にはいった。そこで果たされる つとめが、年ごとのつとめを完了した。
贖罪の日には、2匹のやぎが幕屋の戸口に連れてこられ、それぞれにくじが引 かれた。すなわち、「1つのくじは主のため、1つのくじはアザゼルのため」であ った。はじめのくじに当たったやぎは、民のための罪祭としてほふられた。そし て、祭司はその血をとばりの内部にたずさえて、贖罪所の上に注いだ。「イスラエ ルの人々の汚れと、そのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪のゆえに、聖所の ためにあがないをしなければならない。また彼らの汚れのうちに、彼らと共にあ る会見の幕屋のためにも、そのようにしなければならない」(同・16:16)。「そ してアロンは、その生きているやぎの頭に両手をおき、イスラエルの人々のもろ もろの悪と、もろもろのとが、すなわち、彼らのもろもろの罪をその上に告白し て、これをやぎの頭にのせ、定めておいた人の手によって、これを荒野に送らな ければならない。こうしてやぎは彼らのもろもろの悪をになって、人里離れた地 に行くであろう」(同・16:21,22)。このように、やぎが送り出されてはじ めて、民は自分たちを罪から解放された者とみなした。贖罪のわざがなされてい る間、すべての人は魂を悩まさなければならなかった。日常の働きをやめて、イ スラエルの全会衆は、その日を厳粛に神の御前にへりくだって過ごし、祈り、断 食し、心を深くさぐったのであった。
人類のあけぼの電子版 p295   幕屋の制度と儀式

アザゼルの山羊

前出の「アザゼルの山羊」は最後のサタンの様子を描写している。

自分は大切なことを今まで見落としてきた。イエス様の次の位についていた「ルシファー」。これが高慢の罪に負け自分こそが最高位にあるべき存在だと思うようになった。同じ本の別の場所には、周りの天使たちもルシファーの恐ろしい考えを捨てるよう忠告した。自分はルシファーが罪の誘惑に負けた、と思っていた。が、そうではない。それまで全宇宙に罪はなかった。ルシファーが罪の創始者なのだ。

サタンは、罪の創始者であり、神のみ子の死を招いたあらゆる罪の直接の扇動 者であるから、正義は、サタンが最後の刑罰を受けることを要求する。人間を贖 い、宇宙を罪からきよめるキリストのみわざは、天の聖所から罪を取り除いて、 これらの罪をサタンの上に置き、サタンが最後の刑罰を負うことによって閉じら れる。そのように、象徴的奉仕においても1年間の務めは聖所の清めと、アザゼ ルのやぎの頭の上に罪を言いあらわす告白をもって閉じられた。
こうして、幕屋の務めと、のちにこれにとって代わった神殿の務めから、民は キリストの死とその務めに関する心理を日ごとに学び、そして、毎年1度、彼ら の心はキリストとサタンとの間の大争闘の終結、宇宙が罪と罪人から清められる 最終的な清めに向けられたのであった。
人類のあけぼの電子版 p398   幕屋の制度と儀式

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

サタンの嘘

シナイ山麓

モーセ率いるイスラエル200万の民。度重なる神様に対する背信。そしてついに偶像を自ら作りそれを拝むことで自分たちの信仰心に満足を得させようとした。

人間が地上にふえるにしたがって、ほとんど全世界が反逆の側に加わった。今 度も、サタンは勝利を得たように思われた。しかし、全能の力は、再び悪の活動 をさえぎり、地上は洪水により道徳的堕落から清められた。「あなたのさばきが地 に行われるとき、世に住む者は正義を学ぶ・・・・。悪しき者は恵まれても、なお正 義を学ばず、・・・・主の威光を仰ぐことをしない」(イザヤ 26:9,10)と預言 者は言っている。洪水後がそうであった。地の住民は、神の刑罰から解放される と、再び主に反逆した。この世は、神の契約と定めとを2度も退けた。洪水前の 民もノアの子孫も共に天の権威をかえりみなかった。そこで神はアブラハムと契 約を結び、律法の保管者となる民族を召された。この民をいざない滅ぼすために、 サタンはただちにわなを仕掛けてきた。ヤコブの子供たちは異邦の民と結婚し、 その偶像の礼拝に加わるように誘惑された。だが、ヨセフは神に忠実であった。 彼の忠誠は、真の信仰をたえずあかししていた。サタンがヨセフの兄弟たちにヨ セフをねたむ心を起こさせて、彼を異国に奴隷として売らせたのは、この光を消 すためであった。しかし、神は、エジプトの民にも神に関する知識が与えられる ように、これらのできごとを支配なさった。ヨセフはポテパルの家でも牢獄でも、 神を恐れつつ、国家の宰相という高い地位につくにふさわしい教育と訓練を授け られた。彼の感化力は、パロの宮廷から国土全体に及び、神を知る知識は遠く広 くゆきわたった。エジプトにいるイスラエル人も繁栄して富裕となり、神に忠実 な者はみな広範囲に及ぶ感化を与えた。
人類のあけぼの電子版 p276  律法に対するサタンの敵意

エジプトでのイスラエル人

イスラエルの民は元々神様の定めた方法で犠牲をささげていた。ところがヨセフの時代以降エジプトに住むようになりエジプトにおける価値観が犠牲として動物を屠ることを認めていなかった。

エジプト人は動物を迷信的に尊重していたために、ヘブル人は奴隷生活をし ている間、いけにえの供え物を捧げることが許されなかった。こうして、彼らの 思いは、犠牲を捧げることによって、偉大なるいけにえキリストに向けられるこ ともなく、彼らの信仰は弱まった。イスラエル解放の時がくると、サタンは強硬 に神の意志に反抗した。彼はなんとしても、200万人以上をかぞえるこの大い なる民族を無知と迷信の中に閉じ込めておきたかった。神が祝福してその数をふ やし、地上の強国にすると約束された民、そして、神がご自分のみこころを人々 に知らせるために用いようとされた民、すなわち、神が律法の保管者にしようと されたというそういう人々を、サタンは暗黒と束縛の中に置き、彼らの心から神 の記憶をぬぐい去ろうとつとめた。
人類のあけぼの電子版 p277  律法に対するサタンの敵意

異教の習慣

神様が決してゆるされないことがある。そのひとつが人身供養であった。聖書の神様は人身供養を決して要求しないし望んでもいない。恐ろしい罪だとしている。アブラハムがイサクをささげるように命じられたのは人身供養としてではなくアブラハムの信仰心をはかるためであった。が、異教の習慣には恐ろしいことに子どもたちを神にささげる習慣があった。

神の性質をゆがんで考えたために、異邦民族は、神の恵みを得るには人身御供が 必要だと信ずるようになった。そして、最も恐るべき残虐がいろいろな形の偶像 礼拝のもとで行われてきた。その1つは、偶像の前で自分の子供たちに火の中を くぐらせる風習であった。子供たちのなかで、この試練から無傷で出てくること ができたとき、民は自分たちの供え物が受け入れられたと信じた。このようにし て出てきた者は、神々から特に恵まれた者とみなされて種々の恩典を与えられ、 以後は大いに尊重され、どんな大きな犯罪を犯しても処罰されることはなかった。
人類のあけぼの電子版 p280  律法に対するサタンの敵意

似ているかも知れない

人身供養、人身御供など現代日本には存在しない。かつては人柱として自分の子どもや奥さんをささげた歴史もあったようである。何度作り直しても大雨で流される橋。何とかこれが流されないよう神に祈って与えられた啓示が人身御供だった。そのため人柱をたてた。その後その橋は決して流されなかった、という逸話がある沖縄の「真玉橋(まだんばし)」。

これとは全く違うと思うが、現代の教育がこれに似ている気がする。学ぶ意味もきちんと教えられないまま、学校や学問に子どもがささげられる。そこでうまくいく子は出世が約束されそうでない子は・・・。人の命の尊さが叫ばれている昨今ではあるが本当の意味で子どもたちが大切にされているだろうか。自分は時々分からなくなる。

2022827 礼拝「苦難を誇りとする」藤田 佳大 牧師

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

届かない声、届かない想い

家庭教師

先週いっぱいで数週間に渡る補習授業を終えた。今週からまた勉強から離れる生活を送るはずだった。が、今日突然連絡がありもう一人家庭教師を頼まれた。恐らく「無料で勉強を見てもらえる」という話が広まっているのだろう。狭い地域なので「あの子にはやってこの子にはしない」という訳にはいかない。当然引き受けた。9月の後半までおよそ1ヶ月間殆ど毎日お願いしたいと言われた。とりあえず週5日の補習授業をすることになった。また忙しくなるけど苦ではない。はじめて本人と話してみたが、まだ完全に心を開いてくれているわけではないので十分に事情を把握していない。が、周りの大人や友達に自分が投げかけた言葉が通じていないことを悩んでいる。色々と叫んできたようだが、うまく伝わらなかったようだ。「分かってもらえない経験はとても辛かったね。自分は勉強を教えるだけの存在だけど、何をぶつけても必ず受け止めるからそれだけは安心してね」とだけ伝えた。結構利発そうに見えるお子さんだが、満たされていない子は能力を十分に発揮できないことを見てきたので、学習以上に大切なことを誠実にやっていこうと思う。そしてできれば神様を信じるきっかけになってほしいと願っている。

届かない想い

出エジプトをしたイスラエルの民はシナイまでやってきた。シナイ山はモーセが神様から律法を与えられた聖なる場所である。しかし、その聖なる山の麓ではなかなか帰ってこないモーセらを待ち焦がれて、愚かなことにアロンをたぶらかして偶像を作ってしまった。そしてそれを拝んでいる時にモーセが山から降りてきた。というより、神様から民が偶像礼拝をしているからすぐに山を降りるように言われた。

今日でも快楽を愛する心が「信心深い様子」のかげに隠れていることがなんと 多いことであろう。礼拝の儀式を守りながらなおかつ人々が利己心または、肉欲 の満足にふけることを許す宗教は、イスラエルの時代と同様に今日でも、多くの 人々に喜び迎えられている。そして、教会の権威ある地位の人が、清められてい ない人々の欲するところを受け入れて、彼らが罪を犯すのを助長する柔弱なアロ ンのような人々が、まだいるのである。
人類のあけぼの電子版 p263  シナイでの偶像礼拝

神様の優しさ、そして仲介者なるモーセの忍耐がイスラエルの民にはどうしても伝わらない。イスラエルの民を半ば見捨てるような発言が神様からあった。これに対して怒り心頭のモーセは急に態度を変え仲裁に入る。

「わたしをとめるな。・・・・わたし(は)・・・・彼らを滅ぼしつくすであろう」と神は 言われた。もし、神がイスラエルを滅ぼそうとなさるならば、いったいだれが彼 らのために嘆願することができようか。たいていの人は、罪人が滅びるのを、そ のまま放任しておくものである。人々の忘恩とつぶやきの声しか聞くことのでき ない苦労と重荷と犠牲の生活を捨てて、それに代わって安楽と栄誉ある地位とに 喜んでつかない人間がいったいあるであろうか。神ご自身がモーセを解放すると 言っておられたのである。
しかし、モーセは失望と怒りしか感じられないところに、希望を見いだした。 モーセは、「わたしをとめるな」という神の言葉を、哀願を禁じるのでなくて、そ れを奨励するものと解した。そして、モーセの祈りだけがイスラエルを救い得る ものであって、そのような祈りによって、神は、ご自分の民をお救いになるもの と考えた。「モーセはその神、主をなだめて言った、『主よ、大いなる力と強き手 をもって、エジプトの国から導き出されたあなたの民にむかって、なぜあなたの 怒りが燃えるのでしょうか』」(同・32:11)。
人類のあけぼの電子版 p264  シナイでの偶像礼拝

仲介者

自分は教員をしている頃、後輩の先生方に「生徒が親子でうまくいかなくなった時には教員が祈りながら知恵をいただいて通訳になることが大切である」と言ってきた。生徒(子ども)が「ぼく、親のことがあまり好きじゃないんです。おそらく親も自分のことを好きじゃないと思うので」と言った場合、親御さんに対してどのように伝えるのか。そのまま言葉を伝えるだけでは通訳ではない。言葉が通じないのに通じない言葉をそのまま伝えて良いわけがない。本当に嫌いな親に対して「自分は親が好きではない」と言うだろうか。本当に嫌いなら話題にすることすら嫌がると思う。また、嫌いな親が自分のことをどう思っても構わないはずなのに「親も僕のことを好きじゃない」と言うだろうか。

自分なら「お子さんは親御さんが大好きですが今はその気持ちをうまく表現できなくて悩んでいるようです。そして『僕のことをそのまま愛して欲しい』と叫んでいらっしゃいますよ」と通訳すると思う。生徒も親御さんもお互いにお互いをおもう強い気持ちを持っている。しかしそれがうまく伝わらない時がある。そんな時に周りの大人が上手に通訳してあげられると良いのだが。本来は、その役は学校が担うべきだと思っている。

恐らくモーセは神様の思いと民の思いの両方を理解していたのだろう。だから、上手に通訳できたのだと思う。

最終的に

モーセは史上最高に寛容な人、と評される。

あまりにも神様に背中を向けてばかりのイスラエルの民に対して「いい加減にしなさい」と言う気持ちに何度なったことだろうか。実際、モーセは2度目の水の奇跡の時に岩に対して命じれば良いところを怒りに任せて杖で叩いてしまった。これがモーセが約束の地に入れない決定打になってしまう。しかし、イスラエルの民に真剣に向き合うモーセはやはり彼らを心の底から愛していた。そのことが書物に書かれていた。
モーセの祈りの言葉は、われわれに天の記録のことを考えさせる。それにはす べての人の名がしるされ、善悪ともにその行為が正確に記録されている。命の書 には、神に奉仕したすべての者の名がしるされている。もしそのうちの誰かが神 から離れたり、または、頑強に罪から離れず、ついに聖霊の働きに心を堅く閉じ てしまったりするならば、彼らの名は、審判のときに命の書から消され、滅ぼさ れてしまう。モーセは、罪人の運命がどんなに恐ろしいものであるかを知ってい た。しかし、モーセは、もしイスラエルの人々が主に拒否されるならば、彼らと 共に自分の名も消されることを願ったのである。彼は、それほどまでに恵みに満 ちた救いにあずかった人々の上に、神の刑罰がくだるのを見るにしのびなかった のである。イスラエル人のためのモーセのとりなしは、罪人のためのキリストの とりなしを代表している。しかし主は、キリストが負われたような罪人の罪をモ ーセが負うことはお許しにならなかった。主は言われた。「すべてわたしに罪を犯 した者は、これをわたしのふみから消し去るであろう」(同・32:33)。
人類のあけぼの電子版 p270 シナイでの偶像礼拝

人がもし、自分の気持ちを上手に通訳してくれる存在に出会えなかったとしても、イエス様は唯一にして最高の仲保者である。望みさえすればこの方に間違いなくお会いすることができる。

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

主の戦い

ヨシャパテ

「聖書研究ガイド」なる本がありこれを用いて聖書の学びをする。過ぎた1週間は究極の事態にあってもなお賛美することの大切さ、を学んだ。多くの信仰者たちが極限状態で神様を賛美した。逃げ惑うダビデや獄中のパウロ。そしてヨシャパテ王も追い詰められても尚神様を讃美した人物の一人として紹介されていた。

ヨシャパテ王は北イスラエルと南ユダ王国に分断されてから4代目のユダ王国の王である。

ヨシャパテ(ヨシャファト)はアサ王の子として生まれ35歳で王位についた。前述の通りイスラエルは3代目の王ソロモンが王位を退くと南北に分断された。ユダの王位に就いたヨシャパテは北イスラエルとの交流復興、和解を目指し自身の子ヨラムと北イスラエルのアハブ王の娘とを結婚させた。しかし、これは神様のご計画ではなかった。そのため同盟国となった北イスラエルからラモテ・ギルアデを奪還する戦いに参戦するよう要請されるとそれに応じた。しかしこれが負け戦となりヨシャパテは敗走する。アハブと手を組んだことがそもそもの間違いだったことを預言者エヒウを通して神様から叱責を受ける。が、基本的には神様に従う気持ちを持っていたのでその後ヨシャパテは王位を退く60歳まで25年間、神様に従いユダ王国を導いた。

ヨシャパテの祈り

ヨシャパテの在位中にモアブ、アンモンらが攻めてくる事態が起こった。大軍だったことからヨシャパテは恐れをなして神様に祈った。国民には断食をしてもらい共に祈った。

この後モアブびと、アンモンびとおよびメウニびとらがヨシャパテと戦おうと攻めてきた。 2その時ある人がきて、ヨシャパテに告げて言った、「海のかなたのエドムから大軍があなたに攻めて来ます。見よ、彼らはハザゾン・タマル(すなわちエンゲデ)にいます」。 3そこでヨシャパテは恐れ、主に顔を向けて助けを求め、ユダ全国に断食をふれさせた。 4それでユダはこぞって集まり、主の助けを求めた。すなわちユダのすべての町から人々が来て主を求めた。
5そこでヨシャパテは主の宮の新しい庭の前で、ユダとエルサレムの会衆の中に立って、 6言った、「われわれの先祖の神、主よ、あなたは天にいます神ではありませんか。異邦人のすべての国を治められるではありませんか。あなたの手には力があり、勢いがあって、あなたに逆らいうる者はありません。 7われわれの神よ、あなたはこの国の民をあなたの民イスラエルの前から追い払って、あなたの友アブラハムの子孫に、これを永遠に与えられたではありませんか。 8彼らはここに住み、あなたの名のためにここに聖所を建てて言いました、 9『つるぎ、審判、疫病、ききんなどの災がわれわれに臨む時、われわれはこの宮の前に立って、あなたの前におり、その悩みの中であなたに呼ばわります。すると、あなたは聞いて助けられます。あなたの名はこの宮にあるからです』と。 10今アンモン、モアブ、およびセイル山の人々をごらんなさい。昔イスラエルがエジプトの国から出てきた時、あなたはイスラエルに彼らを侵すことをゆるされなかったので、イスラエルは彼らを離れて、滅ぼしませんでした。 11彼らがわれわれに報いるところをごらんください。彼らは来て、あなたがわれわれに賜わったあなたの領地からわれわれを追い払おうとしています。 12われわれの神よ、あなたは彼らをさばかれないのですか。われわれはこのように攻めて来る大軍に当る力がなく、またいかになすべきかを知りません。ただ、あなたを仰ぎ望むのみです」。
歴代志下20:1-12

主の戦い

アサフの子孫で名をヤハジエルという人が神様の霊に満たされてヨシャパテに言った。

15ヤハジエルは言った、「ユダの人々、エルサレムの住民、およびヨシャパテ王よ、聞きなさい。主はあなたがたにこう仰せられる、『この大軍のために恐れてはならない。おののいてはならない。これはあなたがたの戦いではなく、主の戦いだからである。
歴代志下20:15

主の戦い、という表現は聖書の色々な場所に出てくる。ヨシュアにもダビデにもそのような表現で「神様が戦ってくださるから黙していなさい」と言われた。そしてヨシャパテにも同様の言葉が与えられた。

そして主の戦いであるから全てを任せ、「果報は寝て待て」というように何もしなかったわけではない。ヨシャパテは戦ってくださる神様を讃美すべく聖歌隊を編成したのである。讃美したのだ。

随分前に「マーリン・キャロザース」の著書を好んで読んでいた時期があった。多くの著書を著しているが一貫して「讃美することの大切さ」を教えてくれる書物である。最初に読んだ「讃美の力」には特に感銘を受けた。讃美が状況ではなく意思によるものであることを学んだ。もう一度自分の信仰を見つめ直したい。

2022年8月27日 「ヨシャファト王の讚美と勝利」 安息日礼拝LIVE配信

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

約束の地カナンへ

出エジプト

モーセに率いられ、イスラエル民族が奴隷生活を強いられたエジプトを脱出し約束された土地カナンへ向かった出来事は有名である。特に葦の海を渡った経験は映画にもなっているので多くの人が知るところだと思う。成人男性だけで60万人、ある計算では総勢200万人の大移動と言われているこの脱出ストーリー。そのまま最短距離を進むことができれば2週間程度で行ける距離だとも言われている。しかし最短距離ではなく遠回りをし40年という期間をかけて大移動する。例外を除いてエジプトを脱出した時の世代、所謂第一世代ではなくその次の世代が約束の地カナンに入ることができた。

不平不満

こんなに苦しい旅ならエジプトにいた方が良かった、とモーセに不満をぶつけ仲介者モーセが神様にどうしたら良いかを相談し神様の奇跡的なご介入により問題が解決しイスラエルの民が神様を崇める。しかししばらくすると新たな不満が募りそれをモーセに訴え・・・ということをずっと繰り返す。イスラエル民族の資質なのか。何回奇跡を体験しても同じ不平や不満を持ってしまう。出エジプトの時代だけではない。士師記にもこれと同じようなことが繰り返されている。

自分だったらこんな愚かな生き方はしない、神様を忘れる生き方はしないと思ってしまいがちであるが今日読んだ書物には鋭い指摘がされていた。

イスラエル人の経験をふりかえってみて、彼らの不信とつぶやきに驚き、自分 たちであったら、あんなに忘恩的にはならなかっただろうと思う人たちが多い。 しかし、彼らの信仰がちょっとした試みによってためされてさえ、彼らは古代イ スラエルと同じように信仰も忍耐も発揮しないのである。苦境に陥ると、彼らは 神が彼らを清めるために選ばれた道についてつぶやく。現在の必要は満たされて いるのに、多くの者は将来のことを神に信頼しようとしないで、貧乏になりはし ないか、子供たちが苦しみはしないかと絶えず心配する。ある人たちは、いつも 悪いことを予想したり、実際に困難なことがあると、それを大げさに考えたりす るので、彼らの目は、感謝しなければならない多くの恵みに対して盲目になっている。 彼らは、困難に出会うときに、唯一の力の源であられる神に助けを求めようとし ないで、不安とつぶやきの心を起こし、かえって神から離れてしまうのである。
人類のあけぼの電子版 p239  紅海からシナイヘ

人生と出エジプト

イスラエル民族の出エジプトの経験は人生そのものを表しているように思う。困難に陥り必死に神様に祈る。神様の特別なご計画と深い憐れみによりその祈りがきかれる。感謝に溢れそに奇跡的な経験を心に持ちながら信仰生活を歩む。しかししばらく進むと、前回よりも更に難しい問題に直面する。そして「こういう状況に追いやるのが神様の御心だったのですか?」とつぶやき「こんなことならもう生きている意味がありません」と自暴自棄になる。しかし、憐れみ深い神様は聖書の言葉や周囲の愛情、自然界の美しさなどを通して神様の愛を示してくださりもう一度祈りに導いてくださる。そして祈り、その祈りがこたえられ信仰を更に篤くする。しかし・・・。とこんなことを繰り返す。自分の歩みこそ出エジプトのイスラエルの民であることがよくわかる。

前出の書物には次のようにも書かれていた。

しかし、彼らは困難に出会い、欠乏に耐えることが必要であった。神は彼らを堕 落の状態から引き出し、彼らが諸国民の中で尊敬される立場を占め、重要で神聖 な責任を負わされるのにふさわしいものにしようとしておられた。もし彼らが、 彼らのために神が行われたすべてのことを考えて神を信じていたら、彼らは、喜 んで不便と欠乏と、実際の苦難にも耐えたのである。しかし、彼らは神の力の証 拠を常に目で見ることができないかぎり、神に信頼しようとしなかった。彼らは エジプトでの苦しい仕事を忘れた。奴隷の境遇から救済されたときに彼らのため に神の恵みと力があらわされたことを彼らは忘れた。死の天使がエジプトの長子 を全部殺したときに、イスラエルの子らは生かされたことを彼らは忘れた。彼ら が開かれた道を安全に渡ったときに、追跡してきた敵の軍勢が海の水にのまれて 滅びたことを、彼らは忘れた。彼らは、目前の不便と試練だけを目にとめてそれ を感じた。そして、「神はわれわれのために大いなることをしてくださった。
われわれは奴隷であったのに、神はわれわれを大いなる国民にしてくださるのだ」 と言わないで、彼らは、途中の困難について語り、このたいくつな放浪はいつ終 わるのだろうと思った。
人類のあけぼの電子版 p238  239  紅海からシナイヘ

学ぶべきこと

同じような過ちを何度も何度も繰り返しながら、神様の忍耐に甘えながらほんの少しだけ学ぶことがある。それは「神様に頼る」こと。

われわれは、このように不信であってよいだろうか。どうして感謝しなかった り、信頼しなかったりしてよいだろうか。イエスはわれわれの友である。全天は われわれの幸福に関心を持っている。われわれの心配と恐れは神の聖霊を悲しま せる。いらだたせ、疲れさせるだけで、試みに耐える助けとならない心配をして はならない。われわれの幸福が地上の事物にあるかのように、将来の必要に対す る備えを人生の主要事として、神への不信をいだいてはならない。神の民が、心 配事にうちひしがれることは、みこころではない。しかし主は、われわれの道に なんの危険もないとはいわれない。神はご自分の民を罪と悪のこの世から連れ出 そうとは言われず、われわれに確実な避け所をさし示される。主は、重荷を負っ て疲れている者に、「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきな さい。あなたがたを休ませてあげよう」と招いておられる(マタイ 11:28)。
人類のあけぼの電子版 p239  紅海からシナイヘ

心配ごとをすべて神にまかせて、神のうちに休みと平安をみいだすことができ るのである。「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思い わずらいを、いっさい神にゆだねるがよい」(Iペテロ 5:7)。
人類のあけぼの電子版 p240   紅海からシナイヘ

聖書研究ガイド22年3期9課

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

こんど、君と

迷いながら

先月小田和正さんのライブに行った。以前から気になっているライブやコンサートがありそれらに行きたいとずっと考えている。小田和正さんのライブはその中のひとつである。仙台でライブがあるのでダメ元で応募したところ抽選に当たった。チケットよりも何倍も高い宿泊費と交通費を捻出して出かける予定だったがその直前に母が倒れた。何度も何度も、本当に何度も迷ったが結局色々な状況を鑑みて仙台のライブを観覧してその足で東京に向かうことにした。音楽史上伝説に残る1982年のOff Course 武道館コンサート。10日間のコンサートには残念ながら行けなかった。その他のTOTOやRainbowなどの武道館ライブは何度も行ったがこのコンサートだけはチケットが手に入らなかった。その後解散した後のライブには2回行ったことがあった。またフイルムコンサートなるものもありそれにも行ったことがある。が、完全なソロになってからのライブが今回が初めて。お互いにとっておそらく最後になるであろうライブだったので若干の罪悪感を感じながらも仙台から少し入った利府に行った。

Early Summer 2022

今回のコンサートツアーが「こんど、君と」というタイトルだがツアーの前にアルバムが発売された。随分長いことCDを買っていなかったが今回ダウンロードではなく盤面を買った。コンサートはこのアルバムからの曲が結構多かったが昔からの曲、或いはOff Course時代の曲も多く含まれていた。以前に行ったライブでは殆どの曲をKeyboardを弾いていたが、今回は会場を縦横無尽に走り回れるように通路が設けられピアノを弾く曲が2,3曲あったがその時だけピアノが通路の一部からせり上がるようになっていた。編成は鍵盤、弦(バイオリン、ビオラ、チェロ)、ベース、パーカッション、ギター、コーラスだった。はじめ若干んの違和感を感じた。何となく動きが鈍いというか躍動感にかける印象があったがメンバー紹介でその違和感が分かった。ベース(Eベース)が椅子に座って演奏していたのだ。何でもツアー中に腰を痛めて、立って演奏することができないと言っており会場からはくすくすという笑いが起こっていた。本当に75歳?と思うほどあちらこちらを駆け回る小田さんの姿に本当に励まされた。殆どの曲をギターを抱えるかマイクだけを持って歌うスタイルだった。ギターはMartinやGibsonの生ギターの他お気に入りのFender テレキャスターを抱えて走り回っていた。

コロナ

宮城のライブは無事に行われたが、その後メンバーがコロナに罹患しその後で小田さんも罹患してしまった。代々木や沖縄でのライブが延期になった。そして今回の広島からまた再開する形になった。今回のコロナは感染力が強い割に症状は軽いと言われていたが決してそんなことはないと思う。現に今回コロナで命を落とされた知り合いもいるし、また回復後も後遺症に悩む職場の同僚もいる。そのような中で小田さんが完全復帰しツアーが再開できることは決して当然のことではない。

後期高齢者

Off Course 時代のコンサートやその他の映像を観ても小田さんの語りがあまり上手でないことは伝わってくる。なので、今回も語りには期待していなかったが、ところが驚いたことにMCがとても面白い。毎回笑いを取っているのでとても驚いた。
小田さん:「今日ここにいる人の中で小田和正より年上っていう人、いたら手を挙げて」
会場:しーん
小田さん:「みたところ、ひとりもいないようだね。そうか、後期高齢者の僕が最高齢か」
会場:大笑い
〜曲〜
小田さん:「さっきの質問で、僕よりも年上の手が挙がらなかったけど、本当は2,3人ぐらい年上がいるんじゃないかな?」
会場の誰か:「気にするな〜」
会場:大爆笑

職場の院長は73歳。小田さんはそのふたつ上だが印象は全く違う。本当に若いと思う。ただ、会場の全方向にスクリーンがあり歌詞カードが流れる仕掛けになっているがとても行き届いた気配りだと思っていた。が、よく考えてみると小田さんが歌詞を忘れた時のためのものなのかも。

希望

毎日聖書の言葉に励まされ力をいただいて生かしていただいている自分にとって、聖書や讃美歌の言葉ほど力あるものはない。しかし、今回のライブで人が作った言葉や詩が人を励ますこともあるのだと知った。
楽曲の中に詩に

「明日は必ず いい日になるから」

とあった。

また他の曲には

「それでも けんめいに
生きていくと そう決めた・・・
その道はどこへと
つながって行くのか
未だ見ぬ その場所は
どんな風が 吹くんだろう・・・
晴れ渡る 広い空に
明日が確かに見える
どんなに険しくても
この道を信じて行く
守るべきもの それはただひとつ
それを 知った」

文脈ではなくその部分だけを切り取れば讃美歌の歌詞にもなりそうである。小田さん綺麗な高音と感動的な詩により自分の頬に熱いものが流れるのを感じた。そしてライブの途中ずっと考えていた母に対して心の中で「ありがとう」と言ってみた。

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

夏休みの学習

家庭教師

夏休み期間中、ふたりの家庭教師をしていた。今回は中学生と高校生。英語、数学、物理の復習授業を一緒にしていた。

忘れていること

30年以上教壇に立っていたので自分の教えてきた科目についてはある程度の知識があると思っていた。実際、自分が「問題を解く」側になれば解けるものばかりである。しかし、問題と解法の説明となると事情が変わってくる。理解できない表情をしている時にどのような説明をしていたかを忘れている。いや、それ以前に理解しているかいないかを見極める勘がなくなっている。「これは分かりますか?」と直接的に聞かないようにしていたはずである。直接的に聞けばこちらに気を遣って理解していなくても「分かります」と言ってしまう可能性があるからだ。いくつか別の質問をして理解度を判断していたはずなのだがその質問を忘れてしまった。自分の力が大いに衰えていることを痛感した。

塾にかかる費用

世の中には様々な形の学習塾がある。学校の授業と同じような形式で大人数に対して講義形式で授業を展開するタイプ。少人数に対して補習するタイプ。公文のように教材を黙々と自分のペースで仕上げるタイプ。明光義塾をはじめ多くの授業で取り入れている、自学自習に対して個別に質問できるタイプ。オンラインやタブレットを用いた所謂IoTで授業を展開するタイプ等々。そしてそこにかかる費用も様々である。リクルート社が提供する「スタディーサポート」はオンライン配信型の授業で毎月2000円ほどで視聴できる。特別な授業を除いて何科目受講しても料金は変わらない。スタディーサポートを導入したことがあり数名のスタッフと親しくなり色々な事情を教えてもらったことがある。「居住する地域や家庭の経済が教育を受ける側の格差につながらないために」というコンセプトでスタートした。当時は「勉強サプリ」という名称で費用も980円だったと記憶している。驚くほどの安さである。その後コンテンツも増え著名講師陣を採用することで更に発展している。なかなか使いやすい教材だと思う。ただ、慣れてくるとスタッフさんが自分に対して人生相談を持ちかけるようになり会社のブラックな面などを話してくれていた。そして会社の不満を言いだすとそれから3ヶ月、長くても半年以内に辞めてしまう。そして新しい担当者になる。当時は広島、岡山そして四国をひとりで担当するのがリクルート社のやり方だったようでかなり苦労していた。あまりにも大変そうなので、面談の後「一緒にお祈りしましょう」と持ちかけると涙を流していた社員さんもいた。スタディーサプリ は良い教材だが社員さんがあまり大事にされない会社なのかもしれない。

横道にそれたが、塾にかかる費用は私立中学か公立中学かでも変わるようである。

学  年 全国平均 公立中学に通う場合 私立中学に通う場合
中学1年 11万3958円 11万774円 11万7141円
中学2年 16万7526円 17万8404円 15万6644円
中学3年 31万3780円 31万3780円 18万6569円

「ベスト塾ガイド2021年12月」より引用https://bestjuku.com/article/3874

20220820礼拝 説教 稲田豊

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

益と損失

トラブル

職場ではしばらく前からペンキ塗りに勤しんでいる。非常階段(建物の外側)が錆びてきており早急に対応する必要があった。業者さんに相談したところ数十万円の見積もりが出たので丁重にお断りして自前で塗ることにした。何もこの暑い夏にやらなくても良いと思うのだが、とりあえず取り組んでいる。道具から揃えるのでその分の費用は掛かるがそれでも5万円もあれば塗れると思う。一方で毎回熱中症になりかけることもあり自己管理が要求される。今は塗装に入ったので少しは楽になったが以前の剥離作業、錆び落としはとてもきつかった。

連日ペンキの作業が多いのだが、時々トラブルがあると解決するように言われる。医療現場ならではのトラブルもある。保険金に関することや訴訟に関することがその例である。自分には全く知識も経験もないのだがこれらの問題を任されることがあり毎回ドキドキしながら対応している。対応していると言うより、対応できないので弁護士を含め知り合いの専門家に相談している。

開示請求

診療録という言葉から、その意味は何となく「カルテ」ではないかと思っていた。が、実際には色々な書類がありそれらの総称を「診療録」というそうだ。カルテはもちろん看護記録、検査結果、CTやX線、MRIのデータ、検査所見、手術記録、処方箋等々すべてのことをさす。これらの保管義務は診療最終日を起算点として5年とされている。恐らく多くの病院がこれ以上の期間、保存していると思う。当院もかなりのデータを保管しており、恐らく開院当時からの殆ど全てが揃っていると思われる。この診療録は法律で「開示請求」があった場合に開示する義務がある。勿論誰もが請求できるわけではない。患者さん本人、ご遺族、法定代理人、後見人、また特別な委任を受けた人のみである。そしてこの開示請求に対応するのが結構難しい。例えば医療ミスなどを疑って開示請求をしてきた場合はそのまま発行すれば良い。勿論それが医療現場の不利になったとしても然るべきところで何らかの判断をしてくれるのでとにかく開示すれば良い。しかし問題は「診療録」によって第三者同士が争うこともある。例えば心肺停止で緊急搬送されてきた場合、カルテや所見、死亡診断書が遺産相続の重要資料になってしまうこともある。争う第三者同士がともに「開示請求権」を持つ人であり、片方が開示を希望し他方がそれを望まなかった場合。請求してきた人の願いだけで果たして発行しても良いのか、と悩んでしまう。ある人の益がある人の損失に繋がる。双方ともに開示請求権を持つ人であれば悩んでしまう。多くの病院で死亡の場合開示期限は2ヶ月ぐらいに定められている。これが10年ぐらい前のことで今だに遺産相続で争っているとなれば、やはりこちらも弁護士の判断を仰ぐ必要がでてくる。

遺産と保険金に関する相談は結構多い。

裁判

身内がお金や土地などの財産で争うと言うことは、間々あるだろうが前職の教育現場では殆ど無関係であった。ところが医療現場で働くようになってこれらの問題が結構頻繁にあることを知りとても驚いているしショックでもある。財産は人を変えてしまうこともあるようだ。

一方で今現在自分の裁判が行われている自覚を持つことも大切だと思っている。天において史上最強の敏腕弁護士が自分のために弁護をしてくださっている。命をかけた弁護をしてくださっている真っ最中である。人間同士が些細な財産で争うことの寂しさ。もっと広い視野で、永遠の命というチャンネルでこの法廷を見なくてはいけないとつくづく感じる。

神は、そのしもべを通して人間に語り、注意や警告をお与えになり、その罪を 非難なさる。神は、すべての人の品性が決定される前に、そのあやまちを正す機 会をお与えになるが、もしその人が正されることを拒否するならば、神のみ力は、 その人の行為の傾向をほかに向けるために干渉することをしない。彼には同じこ とをくり返すことが容易なのである。彼は、聖霊の感化に反対して心をかたくな にしている。光を退け続けると、さらに強力な感化力であっても永続的な印象を うけつけなくなるのである。
人類のあけぼの電子版 p216  エジプトの災害

20220820礼拝 こども 稲田豊

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング

津軽花火大会2022

夏の終わり

連日雨模様の青森も昨日、今日と久しぶりに晴れた。しばらく前から外のペンキ塗りをしているので熱中症対策を心がけながら暑さと戦っている。日中はものすごく暑いが日が暮れると急に涼しい風が吹く。そして夜ともなると若干肌寒く感じるようになって来た。夏の終わりである。夏の終わりといえば「ツクツクボウシ」の鳴き声であるが、自分が住んでいる周辺ではその鳴き声を聞いたことがない。汗を大量にかく自分にとって、夏は苦手な季節であるが「夏の終わり」はなぜか寂しい気持ちになる。お盆の終わりには灯籠流し、精霊流しがありそして花火。灯籠流しや精霊流しは経験ないが、花火には心が踊る。昔は花火大会を見つけてはどこにでも観に行く元気があったが最近は近場だけで十分。しばらく前に弘前で行われた花火大会に行ったが今回は藤崎町で行われる「津軽花火大会」。この辺では一番大きな花火大会である。

花火大会

8月20日は朝から雨が降っていた。「今日は花火大会があるかな?」と考えていた。日没過ぎからネットで開催状況を調べていたが「確認中」とだけ書かれていた。こういう時の判断は非常い難しいのだと思う。天候だけでなく風速や風向きも計算に入れているのだろう。最終的に開催の40分ぐらい前に「本日開催」となったので出かけてみた。津軽花火大会は医院の病棟からも見える。が、入院患者さんに紛れて花火を観るのも申し訳ないので、家から徒歩5分ぐらいにある「川部駅」手前の開発中の新興住宅地で観ることにした。距離はかなりあるが、徒歩で行けるので駐車場や帰りの混雑を気にしなくて済む。津軽平野、今の所この新興住宅地から花火まで遮るものが殆どないので助かった。現在ものすごい勢いで住宅が造られているので恐らくこの場所で見学できるのはこれが最後になるだろう。周りには全く人がいない場所で贅沢に観覧できる。

玉屋、鍵屋

海外も含めると花火の歴史はものすごく古い。日本でもイエズス会の大分で打ち上げた花火などが比較的初期のようである。江戸時代になると戦争も無くなり「火薬屋」が登場する。江戸は昔から火事の多い所だったので花火を禁じる時期もあった。また失火に対する罰も重く今のようにどこでも花火が上がる時代ではなかった。岡崎を中心とした三河地方は江戸幕府から唯一花火の製造と保管が認められた場所であり、現在もこの地方には花火関連の会社が軒を連ねる。江戸で言うと、鍵屋初代弥兵衞が奈良から江戸に出て来て花火を作り始めたのが1659年。屋号を「鍵屋」として両国横山町に店を構えた。現代も続く「隅田川花火大会」は1732年、徳川吉宗が大川(隅田川)で大飢饉とコレラで亡くなった人の霊を鎮めるために行った花火を1733年以降幕府は継続し現代に至るという。鍵屋の6代目「清吉」が鍵屋から暖簾分けをして「玉屋」を作った。が、1843年に玉屋から失火。幕府から財産没収と営業停止命令を受け残念なことに1代で消滅してしまう。花火の掛け声と言えば「たまやー」の方が有名だが実際には鍵屋が本家であり、また現在も続いている。両国橋を挟んで上流が玉屋、下流が鍵屋。交互に打ち上げられる花火をみて綺麗な方の屋号を言うのが「たまやー」「かぎやー」のルーツ。

花火

とても綺麗な花火であるが、その命は非常に短い。その一瞬で人の心を和ませたり、勇気付けたり、感動させたりできる。とても感慨深い。

津軽花火大会2022

 

宜しければこちらのクリックもお願いいたします
↓↓↓↓↓↓↓

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
にほんブログ村

にほんブログ村 教育ブログへ
にほんブログ村


キリスト教ランキング


プロテスタントランキング


その他ランキング