同じようで違うこと

「じゃない」ほう

レコード時代の話。シングルレコードとアルバムがあったがともにA面とB面があった。盤面をひっくり返して両面が聴けるようになっていた。シングルレコードの場合A面にはヒットしそうな曲を入れB面にはそれとは曲想の違う音源を吹き込むのが一般的だったように記憶している。だからB面はA面に比べてさほどパッとしない。

しばらく前からだと思うが、コンビの漫才師などで片方が割とよく喋れてもう片方があまりぱっとしなかったりする時にパッとしない方を「じゃない方」という言い方をしていた。人気がある芸人に対してその相方を「じゃない方」というわけである。

考えさせられたこと

数日前から、聖書の他に毎日読む本を違う本に変えた。以前読んでいた本を読み終えたからだ。今日読んでいたところにとても興味深いことが書かれていた。

人間は、審判のときに、偽りを本気で信じたからではなくて、真理を信じないで、真理を学ぶ機会をのがしたために罪に定められる。サタンは、正反対の詭弁を弄しているが、神に従わないことは、常に悲惨なことである。われわれは、真理が何であるかを知るように心がけなければならない。神が、み言葉のなかにお書かせになったすべての教訓は、われわれを警告し教えるためである。それらは、われわれを欺瞞から救うために与えられた。それを学ばないならば、身の破滅をもたらす。神のみ言葉に反するものは、みな、サタンから出たものであると思ってまちがいない。
人類のあけぼの電子版 p31  エデンの園の悲劇

人間が罪に定められるのは「偽りを信じた」からではなく「目の前の真理から目を背けた」ためだという。同じようにも思えるが大きな違いがあるように感じた。折角目の前に置かれ信じるチャンスがあったのにそれには目もくれず・・・、というところに問題がある。自分の目の前に置かれている真理にしっかりと向き合うことの大切さを教えられた。

Pastor Minoru Inada 【俺と神様 牧師編】

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