安息日の祝福

与えられた言葉

神様が書物や礼拝メッセージを通して語りかけてくださった安息日、多くの祝福をいただくことができた。あまりにもたくさんの考えさせられるメッセージをいただいたのでゆっくりとその意味を考えながら咀嚼してみたいと思っている。

サムエルの書物より

ハンナは、人を責める言葉を出さなかった。地上の友に打ち明けられない重荷 を、彼女は神に委ねた。ハンナは、神が恥を除いて、彼女にむすこという尊い賜 物を賜わり、その子を神のために養育し、訓練することができるようにと熱心に 願い求めた。そして、彼女は、自分の願いがかなえられるならば、その子を生ま れた時から神に捧げることを厳粛に神に誓った。ハンナは、幕屋の入口近くに寄 って、深く悲しみ、「祈って、はげしく泣いた」(同・1:10)。しかし、ハンナ は、何も言わずに静かに神と交わった。当時の邪悪な時代にあってこうした礼拝 の光景はめったに見られなかった。宗教的な祭りの時でさえ、神を敬わない飲食、 酔酒などはいつものことであった。そして、大祭司のエリは、ハンナを見ていて、 彼女が酒に酔ったものと考えた。彼は、譴責のつもりできびしく言った。「いつま で酔っているのか。酔いをさましなさい」と(同・1:14)。
人類のあけぼの電子版 p498  幼児サムエル

彼女は、照っても曇っても輝くみ国へ行く子供たちの足のために、まっすぐな道 を備えるのである。しかし、それは、母親が自分自身の生活において、キリスト の教えに従おうとする時にのみ、子供たちの品性を神のみかたちにかたどって形 成することを望みうるのである。世の中には、腐敗的感化がみなぎっている。流 行や慣習が青年たちに強く働きかけている。もしも母親が、教え、導き、制する 義務を怠るならば、子供たちは、自然と悪に従い、善から離れていく。すべての 母親は、たびたび救い主のみもとに行って、「どのように子供をしつけ、子供に何 をしたらよいかを教えてください」と祈らなければならない。母親は神がみこと ばの中にお与えになった教えに心を向けるとよい。そうすれば、必要に応じて、 知恵が与えられることであろう。
人類のあけぼの電子版 p500  幼児サムエル

サムエルは、エリの指導のもとにおかれた。そして、サムエルの美しい品性に ひかれて、年老いた祭司は、非常に彼をかわいがった。サムエルは、親切、寛大、 従順、ていねいであった。エリは、自分の子供たちのわがままに心を痛めていた が、サムエルが彼に委ねられてから、休息と慰めと祝福とが与えられた。サムエ ルは、よく手助けをし、愛情がこまやかであった。そして、エリはこの地上のど の父親よりも優しくサムエルを愛した。国家の政治をつかさどる者とほんの少年 との間に、このような暖かい愛情が通い合うとは、不思議なことであった。エリ が老齢のためにだんだん衰弱してくると、彼自身のむすこたちの放縦な生活を憂 えて苦しむのであったが、彼は、サムエルに慰めを求めた。
人類のあけぼの電子版 p501  幼児サムエル

サムエルと同様に、現代の青年も神の御目に尊いものとみなされることができる。 彼らは、クリスチャンとしての忠誠を保つことによって、改革の働きのために強 い感化を及ぼすことができる。こうした人が今日必要である。神は、彼らの1人1人 のなすべき働きを持っておられる。今日、神の信頼に忠実である者は、これまで どんな人もなし得なかった大きなことを、神と人類のためになしとげるのである。
人類のあけぼの電子版 p502  幼児サムエル

礼拝メッセージ

イエス様が弟子たちだけに船を出させてご自分は山で祈っている場面が福音書に出てくる。強風のために漕ぎ悩んでいる弟子たちに湖上を歩いて近づいたイエス様。ペテロが真似をしたくイエス様の方に行きたいと願うと「来なさい」との召がありペテロも湖上を歩くことができた。しかし、ふと足元の荒れた海に目をやるとそれが恐ろしくなりその瞬間に溺れ始めた。イエス様がすぐに手を伸ばしてペテロは助けられる。この場面が非常に好きで読むたびに新しい教訓が与えられる。が、今日伺った礼拝メッセージでは自分が今まで考えなかった切り口でこの部分を解説されていた。ペテロの一連の行動とイエス様の助けは自分たちの信仰生活を象徴している、という解釈である。確かにそうだと思わされた。そして深い感動に包まれた。ありがたいメッセージである。

2022年9月24日 「来なさい」 安息日礼拝LIVE配信

 

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