中距離弾道ミサイル

Jアラート

今朝、仕事中にJアラートがなり始めた。以前にも聞いたことがあるが何度聞いても嫌な音である。時計に「ミサイル発射。ミサイル発射。北朝鮮からミサイルが発射されたものとみられます。建物の中、又は地下に避難してください。」(総務省消防庁)と出ていた。今日は少しだけ焦りを感じた。が一方で「これで全ての悩みから解放されるのかな?」とも考えてしまった。

何れにしてもただでさえ世界情勢が戦争に向かおうとしているのに、また正恩である。今年に入ってから何回やっているのだろう。

ミサイル

今回のミサイルはこれまでと違い青森県上空を飛び越えて太平洋に落ちた。「東北地方の東およそ3200kmの地点に落下」と報道された。飛行距離は4500kmとも報道されているが太平洋に落ちたのは久しぶりのことだと思う。警告、威嚇なのか、本当に怒っているのか。或いはアントニオ猪木さんが亡くなられたので追悼の意味なのか、いなくなったから何でもありという感じでやったのか。理由は分からないが、このミサイルを国民の食料にしたらどれだけの人が飢えを凌げるのだろうと思った。このミサイルにかけた費用を発電や送電に用いたならどれだけ多くの人の生活が支えられるのだろうと思った。

職場にてクリスチャン有志が集まり特別なお祈りをした。青森には三沢基地もあり、またロシアや北朝鮮からの脅威もある。神様の特別な憐れみにより世界が戦争に向かわないように、そして何よりも子どもたちの世代に戦争の無い日本を継承できるようにと心から祈った。しかし戦争は聖書の預言にもあるので避けられないのだろう。剣、疫病、飢饉、地震、これらが聖書には出てくる。

昨晩のこと

昨日も帰りが遅くなった。職場に近いところに住んでいるが、昨晩は車中で祈ってから家に帰りたくなりあてもなく車を走らせていた。自分の不安や自分では解決できない重荷を神様にお委ねする祈りをささげている時に、南東の方角の雲が光っているように見えた。あれ、と思ってよくみてみるとやはり曇り空なのにその部分だけが光っていた。「ご再臨かもしれない」と一瞬心が踊った。ある書物には「東の空に人の手の半分ほどの雲が現れて・・・」とご再臨の光景が描写されている。運転しながら光る雲に向けると手のひらの半分ほどであった。「これなのかもしれない」と思った。が、しばらくしてそれが月を隠していた雲が乱反射して光っているだけだと気づきがっかりした。

早く、ご再臨にならないかなとつくづく思った。そして今日もとなりで飼っている普段おとなしい犬がずっと吠え続けている。地震の前兆か?昨日も小さな地震があったので巨大地震が起こる可能性も否定できない。

わが助けは

ダビデ王がサウル王に何度も命を狙われ追われているところを解説する書物を読んでいた。ダビデに油を注ぎ助言し導いたサムエルが同じタイミングで亡くなった。

「さてサムエルが死んだので、イスラエルの人々はみな集まって、彼のために ひじょうに悲しみ、ラマにあるその家に彼を葬った」(同・25:1)。サムエルの 死は、イスラエルの国にとって、とりかえしのつかない損失であると思われた。 偉大で善良な預言者、すぐれた士師が世を去ったので、人々は心から深く悲しん だ。サムエルは若い時から、イスラエルの人々の前で誠実に歩んだ。サウルは、 王として人々に認められてはいたが、サムエルは、忠実と服従と献身の生涯を送 ったために、サウルよりはいっそう大きな影響を及ぼしていたのである。彼は、 一生の間イスラエルをさばいたとしるされている。

人々は、サウルの生涯とサムエルの生涯とを比較してみた時に、彼らが回りの 国々と異なっていてはいけないと言って、王を要求したことがどんなまちがいで あったかを知った。多くの者は、社会情勢が急速に不信仰で無神的になっていく のを見て驚いた。王の行動が、広く人々に影響を与えていた。主の預言者サムエ ルの死を、イスラエルが悲しむのは当然であった。
人類のあけぼの電子版 p583 ダビデの寛容

国家が内紛に苦しみ、サムエルの沈着で敬虔な勧告が最も必要であると思われ た時に、神は、彼の老僕に休息をお与えになった。人々は、彼の休息の場をなが めて、自分たちが彼を支配者として受け入れなかった愚かさを思い出して、痛く 後悔した。彼は、天と密接な交わりを保って全イスラエルを主のみ座に結びつけ るように思われたのであった。彼らに神を愛し、服従することを教えたのは彼で あった。しかし、彼は、もう死んでしまったので、人々は、サタンと結束して彼 らを神から引き離そうとする王のなすがままになってしまったと感じたのである。
人類のあけぼの電子版 p584 ダビデの寛容

心から信頼する師を失ったダビデはとても不安になったことだろう。そしてこの時に詩篇120、121篇を書いた。

ダビデは、サムエルの葬儀に出ることはできなかった。しかし、彼は、忠実な むすこが慈父のために悲しむように、真心から深く悲しんだ。サムエルが死んだ ことは、サウルの行動を抑制するもう1つのきずなが絶たれたことであるから、 ダビデは、預言者が生きていた時よりも、いっそう身の危険を痛感した。サウル が、サムエルの死を悲しんでいるのをよい機会に、ダビテは、もっと安全な場所 を捜し求めた。こうして、彼は、パランの荒野にのがれた。彼は、ここで詩篇 120篇と121篇を作った。その荒涼としたさばくの中で、預言者の死と自分 に敵対する王のこととを考えて、彼は歌った。

「わが助けは、天と地を造られた主から来る。 主はあなたの足の動かされるのをゆるされない。 あなたを守る者はまどろむことがない。 見よ、イスラエルを守る者は まどろむこともなく、眠ることもない。・・・・ 主はあなたを守って、すべての災を免れさせ、 またあなたの命を守られる。 主は今からとこしえに至るまで、 あなたの出ると入るとを守られるであろう」。
(詩篇 121:2―8)
人類のあけぼの電子版 p584 ダビデの寛容

自分の支えが神様だけであることを改めて考えさせられた。

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