手の中にあるもの

ガマ腫

高校1年の長男が中間試験週を迎えている。一週間ほど前から体調を崩しておりかなり厳しい状況で勉強にも集中できず悩んでいるようだ。妻から連絡があり急いで差し入れを送った。妻のように気の利いたものは準備できなかったが、医院にお願いして抗生剤を処方してもらった。長男は小さい頃から気管支が弱く少しの風邪でも喉を腫らせて長引く。自分もそうだったので、遺伝かもしれないと申し訳なく思っている。先ほど電話がきて抗生剤は利いているようだが、いつもとは違う腫れがあるので耳鼻科に行ったとのこと。診断は「ガマ腫」。カエルのように喉が腫れるのでこの名前がついているようだが一時的には注射で落ち着くこともあるようだが抜本的には手術で切る必要がある。舌下腺から唾液が正常に流出できず、それが溜まって腫れるとのこと。これを切るらしい。

諦めること

試験週前になると必ず長男は連絡してくる。今ひとつ調子が出ない、やる気にならない、課題が多すぎて試験準備どころではない、等々。自分は今まで一度も成績(得点数)のことで長男に意見を言ったことはない。勉強はやる気になってから、目標ができてからやれば良い、それまでは遊びも含めてできるだけ色々な経験をして視野を広げるように言ってきたつもりだった。しかし、長男にはわたしが学習で得点できることを期待している父親にうつっているようだ。もしかすると勉強と父親を同一視しているのかもしれない。

父親だから子どもの弱点はある程度分かっているつもりである。長男はとても真面目な性格で学習にも誠実に取り組む。しかし、それが評価には繋がらない。理由はある程度予想できる。「分からない」と言えないことが原因の一つだと思っている。素直に自分が分からないことを認められればもう少し伸びると思っている。本人が望む医学部も決して夢ではないと思っているが、とにかく恥ずかしさからか、あるいは不甲斐なさからか「分からない」と言えない。良い意味で諦めることが次のステップに繋がるのに、と非常に残念な気持ちでいる。何度かやんわりと指摘したことはあるが、強制はしたくない。父親に「分からない」ということが高いハードルになっている以上、自分から促せばそれは圧力になってしまい余計に精神的負担をかけてしまう。

自分も

長男だけではない。自分も同じである。神様に頼るしかなく「主よ、助けてください」と涙ながらに真剣に祈る。しかし、祈っても祈っても不安な気持ちが波のように襲ってくる。「助けてください、この問題をお委ねします」と祈りながら尚悩み続けているということは、手の中にその問題を持ったままなのかもしれないと思わされている。本当の意味で委ねることの難しさを痛感している。決して自分で解決できるなどと思ってもいないのだが、同じ問題で悩み続ける自分の信仰に問題があることに気づき始めた。本当の意味で委ねられる人間に成長したい。

Golden Angels – When I Cry

 

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