サッカーW杯

ドーハの奇跡

昨晩の試合で多くの日本人やサッカー日本代表を応援するファンが歓喜したことだと思う。前半はボールを回すことすらままならず完全に遊ばれている印象を持っていた。その割にドイツが得点しないことが解せないところであったがGK権田選手の大活躍があったから、と半ばあまり面白い試合展開にならないことを予想した。諦めてハーフタイムを利用して入浴を済ませた。後半を見るとはなしに観ていたが、交代した選手たちの動きの良さも相まって前半とはボールの支配率が全く違った。そして後半30分、全身が震えるほど感動した堂安選手のゴール。感動して泣きそうだった。このままで良い。ドイツ相手に勝ち点1がもらえればグループ突破のチャンスはある。そう思っていた。そんなことを考えている矢先、フリーキックからのロングを浅野選手が持ち込み絶妙な場所にシュートしこれが得点に。プロだからいとも簡単にやっているが体の向きを前にしたまま後ろからのロングボールを制御することは非常に難しい。ゴールの瞬間、完全に固まってしまった。

感動しすぎて、この状況を誰かと共有したかった。早速広島の友人にLINEを送った。

時計は試合終了の45分を指しているがアディショナルタイム(延長時間)が7分と発表された。長い、長すぎる。今大会からビデオ判定が採用されるようになり、同時に試合が中断した時間も正確に計測されるようになったとのこと。今まではアディショナルタイムはだいたい2,3分。どんなに長くても5分。なのに今回は7分。ふと、W杯アメリカ大会のことを思い出し嫌な予感が脳裏をよぎった。ドーハの悲劇である。

ドーハの悲劇

まだ、日本にとってサッカーW杯本戦が悲願だった頃。1994年のことである。自分もこの試合をテレビで観ていたので鮮明に記憶している。アジア最終予選の最終節での出来事である。4節までの試合結果で日本はグループ1位。5節の対戦相手はイラクだった。前半開始早々、ゴン中山選手のアシストで長谷川健太選手がシュート、これがクロスバーに弾かれたがすぐに三浦カズ選手が反応してヘディングでシュート。これがゴールとなった。その後前後半、一進一退の攻防を続けスコアーは2-1で日本リード。このまま、終了すれば日本は勝ち点3をもらいグループ1位で通過できる。悲願のW杯である。自分もこの頃、サッカー部の顧問をさせていただき選手時代以上にサッカーに夢中になっていた時期である。もう、半泣き状態であった。日本が到底たどり着けないW杯がすぐそこに見えるところまで来たのだ。「ありがとう、釜本」「ありがとう、読売クラブ」「ありがとう、オフト監督」そんなことを心の中で叫んでいた。あの頃、Jリーグが発足して間も無くだったので日本中がサッカー熱で病気のようになっていた。特にヴェルディー川崎(昔の読売クラブ)が大好きだったのでラモス、カズ、北澤、武田などが映るたびに興奮していた。また井原、長谷川健太、柱谷、ゴン、そして話題の森保もピッチにいた。もう、感動の涙を流す準備は完全に整っていた。後半アディショナルタイム(当時はロスタイムと言っていた、と思う)になると早く試合終了の笛を吹いてほしい、と思った。そんな時、ショートコーナーからの展開に日本が一瞬対応しきれずイラクに得点を許し同点に。そしてその後すぐにホイッスルがなり試合終了に。

選手がピッチに倒れ込み長い時間天を仰いでいる姿が印象的だった。先ほど、感動のために準備しておいた涙は失意の涙に変わった。これで得失点差でグループ3位になった日本は本戦出場を逃した。

本音を言えば、イラクはこの試合に勝っても負けても自国が本戦に行けるわけではない。要するにこの時の得点はイラクも得をしない、「どうでもよい得点」だったのだ。しかし、この得点が韓国には福音となった。この時北朝鮮と戦って3-0で勝った韓国は日本の同点により勝ち点で日本を上回りグループ通過することができたのである。

森保監督

ドーハの悲劇をピッチで経験した森保さんが日本代表の監督になった時には少し驚いた。驚いたし若干の不安を感じた。大人しくて、すぎるくらい慎重なので思い切った采配ができるのだろうか、と思ったからだ。森保監督というより自分にとってはサンフレッチェの森保選手、というイメージが大きい。あの頃、サンフレッチェはそこまで強くなかったしグラウンドも西空港隣と交通の便も悪いため、いつでもチケットが買えた。時々観戦しに行った。が、高木選手や森保選手以外にはあまり興味がなくむしろ試合の翌日に広島空港(広島県本郷町)から帰るヴェルディーやアントラーズの選手を見に行くことが楽しみだった。正確な記憶ではないのだが、何かの大きな試合で森保選手(だったと思う)がハーフウェイライン付近からシュートを放ってゴールを決めたことがあった。凄いと思った。その程度の印象しか記憶に残っていないが、国歌斉唱から涙ぐむ気持ちのあつい方であることは聞いていた。そして、今回、元レッズの福田さんが森保監督についてコメントしていた言葉がとても印象に残っている。「確かに、判断が遅いと言われることもあった。しかし彼(森保監督)は選手ひとりひとりとゆっくり対話して、どこまでも選手を信じる男なんです。前半の途中で三苫、浅野、堂安を入れていたらと思われる方も多いと思いますが、森保は信じた人間をどこまでも使い続けたいと思っているんです」

森保監督の人柄は勿論、日本代表の選手が大切にされていることが伝わってきてとても暖かい気持ちになった。

監督

ドーハの悲劇ではハンス・オフト氏が監督だった。どことなく私と似ているらしく当時働いていた学校では生徒から「オフト先生」と呼ばれていた。最初、ラモス選手がオフトとぶつかっていた。読売クラブの長い歴史で培った自由な雰囲気のラモス。弱小日本を何としてもW杯に連れて行きたかく、管理と支配体質だったオフト監督。ぶつかることも多かったようだ。しかし後年ラモス選手はオフト氏に対してリスペクトするようになった。本戦には行けなかったものの、弱小日本をあそこまで導いたのはやはりオフト監督だったからだろう。今では日本人が海外のリーグで活躍するのは当たり前になったが30年前は全く状況が違っていた。

メディア・ペルシャの時代からギリシャが覇権を奪ったのはアレクサンドロスⅢ世こと、アレキサンダー大王だった。破竹の勢いで周囲の国を征服し覇権を得た。早死にしてしまうアレキサンダーだが、彼についてある評価を読んだことがある。出典を記憶していないが次のような文章だった。「ギリシャの軍隊は当時において最強の軍隊であった。しかし、兵士は自分たちが強いとは思っていなかった。彼らは自分たちの王が強いことを信じて疑わなかった。だからギリシャは強かったのだ」というような文章。

人生の監督

自分の司令塔を何にするか。自分の学んだ学問、得た資格や経験。人物。財産や名誉。過去の実績。何を自分の監督にするかについて、聖書の神様は人類に「選択の自由」を与えた。

森保監督が日本をどこまで導けるかは未知数である。しかし聖書の神様を総監督、司令塔、王様にするならば勝利は確実である。

「わたしが主に求めたとき、主はわたしに答え、 すべての恐れからわたしを助け出された。 主を仰ぎ見て、光を得よ、 そうすれば、あなたがたは、 恥じて顔を赤くすることはない。」
詩篇 34:4-5 口語訳

第1回「祈りの力1」

 

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