マールブルク会談

ツウィングリ

ルータと同時期に活躍した宗教改革の立役者であるツウィングリ。ルターがドイツならツウィングリはスイスで活躍した。スイスの改革派教会の創始者でありチューリッヒに神聖政治を確立しようとした。ルターとは聖書理解や教義において一部合意できなかった部分もある。それを解決すべくマールブルク会談でルター、メランヒトンひかえるドイツ側とツウィングリ、エコランパディウス、ブーツァーのスイス側と食い違いを埋める会談が1529年に行われた。大筋では合意できたが、聖餐と恩寵の解釈ではどうしても合意できなかった。しかし、「聖書のみ」や万民祭司説などの多くの部分で合意することができた。聖餐については、聖餐式のパンとブドウジュースがそもそもキリストの肉(身体)であり血であるとのカトリック的な解釈を含むルターに対しツウィングリはあくまでもこれらが「象徴」であることを譲らなかった。

ツウィングリの人柄、働き、信仰

ツウィングリは次のように言った。「聖書は、人間からではなく、神から来ている。そして、光をお与えになる神が、み言葉が神からのものであることを理解させてくださる。神の言葉は、・・・・誤ることがない。 それは輝き、それ自身を教え、それ自身を啓示し、あらゆる救いと恵み とによって魂を照らし、神にあって慰めを与え、謙虚にする。そこで魂 は、自分を忘れ去って、神を受け入れるのである。」ツウィングリは、こ うした言葉を実際に体験していた。当時の経験を、彼は後にこう書いた。
各時代の大争闘電子版p162 スイスにおける宗教改革

1516年、ツウィングリは、アインジーデルン修道院の説教者とし て招かれた。この地において、彼は、ローマの腐敗をいっそうつぶさに見た。 そして、彼の故郷のアルプスよりもはるか遠方までも、改革者としての 影響を及ぼすことになった。アインジーデルンの主要な呼び物の1つに、 奇跡を行う力があると言われているマリヤ像があった。修道院の入り口 の上には、「ここで罪の大赦が得られる」と書き記されていた。マリ ヤ像の聖堂には、年中巡礼者が集まった。しかも、毎年行われる献堂の 大祭には、スイス全国は言うに及ばず、フランスやドイツからも群衆が やってきた。ツウィングリはこの光景を見て非常に心を痛め、この機会を捕えて、迷信の奴隷になっている人々に、福音による自由を宣言したのである。
各時代の大争闘電子版p163 スイスにおける宗教改革

ドイツにおける免罪符の販売は、ドミニコ会修道士たちにゆだねられ、悪名高きテッツェルによって行われていた。スイスでは、イタリアの修道士サムソンの指揮のもとにフランシスコ会修道士たちの手によって販売されていた。サムソンは、すでにドイツとスイスから莫大な金額を得て、法王の金庫を満たし、教会のためによく働いていた。今や彼は、スイスを巡回し、多くの群衆を引きつけ、貧しい農民のわずかな収入を奪い、富裕な階級からは巨額の献金を搾取していた。しかし改革の影響は、 売買を止めることはできなかったが、すでにその収入を減少させていた。 サムソンが、スイス入国直後に、免罪符をもって近隣の町に到着したのは、ツウィングリがまだアインジーデルンにいる時であった。彼の任務 について知らされたツウィングリは、さっそく彼に反対するために出か けた。この2人は相会さなかったが、ツウィングリは巧みにこの修道士 の欺瞞をあばいたので、サムソンは他の地方に去らなければならなかった。
各時代の大争闘電子版p167 スイスにおおける宗教改革

「神に対する信仰があるところはどこでも、神がおられる。そして、神が宿られるところはどこでも、人々によきわざを勧め促す熱心が存在するのである。」ツウィングリの説教に対する興味は、非常なもので、大聖堂は、彼の説教を聞きにやって来た群衆で満ちあふれた。彼は、彼らが理解できる程度に従って、少しずつ真理を語った。彼らを驚かし偏見を抱かせるような点については、最初に語らないように気をつけた。キリストの教えに彼らの心を引きつけ、キリストの愛によって彼らの心を和らげ、彼らの前にキリストの模範を示すことが、彼の仕事であった。彼らが福音の原則を受け入れるならば、迷信的信仰や習慣は、必然的に捨て去られるのである。
各時代の大争闘電子版p169 スイスにおける宗教改革

疫病、そして復活

1519年、スイス全国に流行した大疫病によって、改革事業に大き な刺激が与えられた。すなわち、人々がこのために死に直面した時、つ い先ごろ買ったばかりの免罪符がどんなにむなしく価値のないものであ るかを、多くの者は感じたのであった。そして彼らは、より確かな信仰 の基礎を得たいと熱望した。チューリヒにいたツウィングリも、疫病に 倒れた。彼は、助かる望みがなかったほど衰弱し、彼は死んだというう わさが広く伝えられた。こうした試練の時にあっても、彼の希望と勇気 はゆるがなかった。彼は信仰をもって、カルバリーの十字架を見つめ、 罪に対する十分な贖いの供え物に信頼した。彼は死の門から帰ってくると、以前にまさる大きな熱情をもって、福音を宣べ伝えた。彼の言葉には、異常な力があった。人々は、瀕死の床から立ち上がってきた敬愛する牧師を、喜びをもって迎えた。彼ら自身も、病人や死にそうな人々の 看護をしていたから、これまでになく福音の価値を感じた。
各時代の大争闘電子版p168 スイスにおける宗教改革

1217日安息日礼拝「不可能が可能になる瞬間」

 

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