神にはできる

聖霊様

聖書には、イエス様が公生涯に入られると聖霊に満たされヨルダン川から帰る場面が記述されている。そこで悪魔からの誘惑を受けることになるのだがイエス様は全ての誘惑に対して聖書の言葉を用いて返答されている。荒野の導いたのは聖霊様である。全く状況は違うが、ここ数日自分は聖霊様に導かれる(ひきまわされる)経験をしている。

さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、 2荒野を四十日のあいだ御霊にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。
ルカによる福音書4:1,2

毎晩0時頃には寝ているのだが、早朝4時前から起こされる。決して声が聞こえるわけではないが「祈りなさい」と言われた気がする。本音を言えばもう少し眠りたいのだがいつもより1時間以上前に起こされる。今朝は3時である。普段5時から5時半の間に起きるので3時など言語道断。毎日眠くて仕方ない。が、やはり今日も「祈りなさい」と言われた気がしたのでそのまま起きて聖書を読み祈った。今朝は祈りの途中で何度か眠ってしまった。心は燃えていながら肉体が弱いことを痛感している。

ペンテコステ

イエス様は十字架の死を経験された後3日目に復活された。その後40日間に渡り弟子たちは勿論他の信徒たちにご自身の姿を現された。その後、父なる神様の御もとに帰っていからるが、代わりに聖霊様を与えてくださった。イエス様の弟子と取り巻きの信徒さんたちはこの聖霊様が与えられる約束を信じて祈り続けた。集まって祈った。祈りが聞かれている実感はなかったがひたすら祈り続けた。10日間。そして10日経った時に待望していた彼らに聖霊様がお降りになられた。

わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。 それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら、それはあなたがたと共におり、またあなたがたのうちにいるからである。
ヨハネによる福音書14:16,17

聖霊のバプテスマ

今読んでいる書物に「聖霊様を毎日受けることの重要性」が書かれていた、この章を読んだあたりから毎朝早く起こされるようになった。神様は自分にもお約束通り聖霊様をお与えくださるのだろうか。もう30年以上前から「聖霊のバプテスマ」なる言葉は知っている。当時ペンテコステ系の教会にも興味を持っていたのでそういう集会にも好んで参加していた。が、聖霊様のバプテスマを経験することはなかった。「わたしは聖霊様をいただきました」と言って輝いた顔で聖霊様に倒される様子を見て少し半信半疑になっていた。ベニー・ヒン氏の集会にはかなり違和感を感じていた。聖霊様を受けたいと切望しながら、それを受けたと主張する人たちが信用できなくて冷めた気持ちで傍観していた。が、今はどうしても聖霊様のご臨済の中で生きていたと心から願っている。

人にはできないが神にはできる

「イエスは彼らを見つめて言われた、「人にはそれはできないが、神にはなんでもできない事はない」。」
マタイによる福音書 19:26 口語訳

 

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鼎談

久しぶり

一昨日、久しぶりに兄弟で連絡をとった。母の葬儀から3週間。まだ、3週間しか経っていないことに驚くと同時に1週間前からの時間経過の速さにも驚いている。兄弟3人、それぞれに色々な思いをもってこの時間を過ごしたことを改めて感じた。大きな喪失感の中で苦しむ時間が長く続いているが姉や弟も同じような気持ちだったことを知り少しホッとした。寂しさや空虚感という落とし穴に自分だけが落ちてしまっていると感じていたがそうではなかった。

姉は入院中の母のお世話を一人でしてくれていた。本当に申し訳ないと思いながらも全て任せてしまっていた。その姉が「お母さんが入院中は何を見てもお母さんを連想して涙が出ることが多かった」と話していた。3人の中で最もしっかりしている姉がそのようなことを言ったので弟と一緒に驚いた。再臨までの短い期間、面会できない病院に入院していると思い込もうと現実逃避を決めた自分であるが姉はそうはいかない。春の納骨までは姉の家にお骨と遺影があるからだ。本当に申し訳ないと思いながら、とにかく再臨までの時間が少しでも短くされることを祈るばかりである。

変な話

非常にクリスチャン的ではない、というかしてはいけない想像だと十分理解している。が、心の中で少し悶々としていることがある。実は先日、姉が父を連れて実家に行ってくれた。自分も母が亡くなった後数日実家で過ごしたので同じことを感じたのだが、実家は当然のことながら母が脳梗塞で倒れる直前のままの状態になっている。このまま母が戻ってきても全く違和感のない空間があるのだ。そこに行ったので姉父も少し母がいるのかいないのか分からなくなってしまったようだ。自分も全く同じ気持ちになった。最後に実家を使ったのは自分である。1月9日まで使っていた。それ以降誰も実家には入っていない(はず)。姉が「食器棚、随分綺麗に片付けてくれたありがとう」と言ってきた。台所は毎日使っていたのでそれなりに整理整頓はしていたが食器棚を綺麗にした記憶は無い。結構雑然としたまま家を出てしまった。それなのに食器棚が種類ごとにきちんと整頓されていたらしい。自分も姉にこの程度までは片付けたけど・・・と記憶にあることを話したが現状と少し違うらしい。勿論、自分も平常心ではなかったので無意識に片付けた可能性もゼロではない。しかし記憶がない。そしてどちらからともなく「じゃあ・・・お母さん?」と思わず言ってしまった。

岩木山

とんでもない量の雪が降り続いたが今日は久しぶりに朝から青空が広がっている。ずっと見ることができなかった岩木山、今日はとても綺麗だった。朝与えられた聖書の言葉にも勇気付けられた。

「恐れてはならない、わたしはあなたと共にいる。驚いてはならない、わたしはあなたの神である。わたしはあなたを強くし、あなたを助け、わが勝利の右の手をもって、あなたをささえる。」
イザヤ書 41:10 JA1955

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祭壇

初心

自分にも祈りの足跡がある。稚拙で自己中心的な祈りであったと思うが聖霊様が助けてくださり積み上げた祈りの足跡。祈りの場所はとても懐かしくなることがある。茨城の大洗海岸、青森の某所。車を走らせながら祈ることが多いので「祈りのロード」は各地にある。特に広島のある祈りのロードは印象深い。祈っても祈っても道が開かれない。絶対にこうなって欲しくない、という方向に常に導かれた。いよいよ神様にも見捨てられたことを痛感した祈りのロード。でも広島を出発して青森に向かう時、もう一度その祈りのロードを通った。やはり涙が出てきたが、不思議と神様から見捨てられたとは思わなかった。あの祈りのロードが懐かしい。

祭壇

出エジプトの民は神様に立ち返り感謝を表すために各地に祭壇を築いた。ある方が言っていたがアブラム(アブラハム)は行く先々に祭壇を作ったので後からそこを訪れた人が「ここは以前アブラムがいた場所」と分かったいう。ヤコブはベエルシバをたってハランに向かう途中ある場所で眠った。その時夢の中で天使が天から地上にのびる梯子を昇り降りするようすをみた。そして、将来が見えず、人間的には嫌な想像しかできない状況下で神様から特別な約束を啓示される。その約束にどれほど励まされたことか。ヤコブの状況を全く分からない自分が想像しただけでも涙が出て来る。嬉しかっただろうな。はげまされただろうな。
ヤコブは神様から次のように言われた。

「わたしはあなたと共にいて、あなたがどこへ行くにもあなたを守り、あなたをこの地に連れ帰るであろう。わたしは決してあなたを捨てず、あなたに語ったことを行うであろう。創世記28:15

今の時代は祭壇を築くことはしないがそれでもそれぞれに祈りを積み上げた場所があると思う。

ヤコブはこの出来事が強烈な印象として残り翌朝すぐに枕にしていた石をたてて柱としてその頂に油を注いだ。

もう一度

道が見えなくなったり、先が見通せなくなったり、どのようにしたら良いのかがわからなくなった時に聖霊様と一緒に築き上げた祈りの祭壇に戻る必要性を今日のオンライン礼拝で教えていただいた。

2023年1月28日 「祭壇に立ち返る」 安息日礼拝LIVE配信

 

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聖霊

今も尚

聖霊の約束は一時代や一民族に限られたものではない。キリストは、 み霊の聖なる感化は世の終わりにいたるまで、キリストに従う者の上に あると宣言なさった。ペンテコステの日から現代にいたるまで主とその みわざに自分のすべてをささげてきた人々に、助け主が送られてきた。 キリストを個人的な救い主として受け入れたすべての者に、聖霊は助言 者、聖別する者、導き手、証人としてのぞんだ。信ずる者たちは、神に 密接につながって生活すればするほど、あがない主の愛と救いの恵みに ついて一層はっきりと力強くあかしした。幾世紀にもわたる長い迫害と 試練の時代に生きて、生涯、聖霊が豊かにとどまった人々は、この世に おけるしるしとなり、不思議となった。彼らは天使や人々の前で、人の 心を変えるあがないの愛の力をあらわしてきた。
患難から栄光へ 電子版p35 聖霊の働き

どんな時も

神のために献身した働き人がどんな場所にいようと、み霊は共に住ん でくださる。弟子たちに語られたことばは、同時にわれわれにも語られ ている。助け主は彼らのものであるばかりでなく、われわれのものであ る。どんな緊急の際でも、この世の憎しみのまっただ中にあっても、み 霊は、もがき、格闘している魂をささえる力をさずけられる。また彼らの失敗や誤りに気づかせてくださる。悲しみや苦しみの中で、 見通しは暗く、未来は難問題ばかりのように見える時、また、どうしよ うもない孤独感におそわれている時、こうした時こそ、聖霊は信仰の祈 りに答えて、心を慰めてくださるのである。
患難から栄光へ電子版p36 聖霊の働き

イエス様と聖霊様

キリストでさえこの地上でのご生涯に、毎日必要な恵みを神に求めら れたということは、献身的な働き人にとって、すばらしい慰めである。 神とのこの交わりから、イエスは力を受けて、人々を力づけ、祝福する ために出て行かれた。神のみ子が父の前にこうべをたれて祈っておられ る姿を見よ。イエスは、神のみ子であったが、祈りを通してご自分の信 仰を強め、天との交わりによって、悪に抵抗し、人類の必要に奉仕する 力をお受けになった。人類の長兄としてキリストは、弱さに取りまかれ、 罪と誘惑の世に住みながらなお、主に仕えたいと望む者たちの必要をご ぞんじである。また、主がつかわすにふさわしいと思っておられる使者 たちが、弱く過ちをおかしやすい人間であることもごぞんじである。し かし主の働きに全く献身するすべての人に、主は神からの援助を約束し ておられる。神に頼りきって、みわざに惜しみなく献身する信仰、この 信仰をもって神に熱心に、忍耐強く懇願すれば、罪との戦いにおいて聖 霊の助けを必ず受けることができる。このことを主ご自身の模範は保証している。患難から栄光へ電子版p40 聖霊の働き

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働く方

寒い日

昨日、今日ととにかく寒い。10年に一度?とにかく寒い。外にいられないほど寒い。10年に一度の大寒波が来るということで身構えてはいたがここまで寒いとは想像していなかった。今日の津軽地方、最高気温がマイナス5℃、最低気温がマイナス11℃。一瞬外で作業する時間もあったが生命の危険を感じるほどの寒さだった。

働く方

寒いとどうしても起こるのが「水が出ない」トラブル。情けない話だが自分も昨晩水抜きをしないで眠ってしまったので今朝は水が出なかった。職場でも少し水のトラブルがあり業者さんにいらしていただいた。今日はたくさんのご家庭から同様の「水回りトラブル」が発生しているようで朝から忙しく動き回っているという。こういう方が日本の社会と経済を守ってくださったいるのだな、と思う。以前、職場が落雷によって全面停電になったことがある。その時、まだ落雷と雨は続いていたのに修理業者さんが5,6名でこられて黙々と働いておられた。本当に頭が下がる。家の内外問わず一切の修理をしてくださる方は自分にとってヒーローである。

当たり前

なんでもやってもらうことに慣れている人は、誰かが助けてくれることが当たり前になっているのかもしれない。自分ができないことを誰かがやってくださっている。そのことを決して忘れないでいたい。

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師匠と弟子

師匠

もう現役を退いてしまったが少し前まで父はハンドバッグ職人だった。おそらく今でもその腕はそれほど落ちていないと思う。父の元には職人の見習いさんがいつもいた。数ヶ月或いは数年住み込みで修行して独り立ちして行く。住み込みなので、小さい頃から家族以外の人が一緒に生活することが当たり前だった。作業場は自宅の一室で10畳ほどの部屋。そこにミシン2台、皮すきの機械や裁断の機械などが所狭しと置かれていた。更に父を中心に母や職人さん、そして祖父の作業台があった。父は見習いさんのすぐ隣にいていつでもアドバイスできるようにしていた。

弟子を見守る師匠にはふたつの立ち位置があるように思う。弟子が道を行くときに後ろからついて見守る場合と、導くために弟子の前を歩く場合のふたつである。そのどちらも弟子訓練には必要かつ有用な立ち位置なのだと思う。

イエス様の弟子訓練

イエス様は決して人間の力を必要としていなかった。イエス様のされたことは人間の力がなくても全て完結するものばかりであった。が、イエス様は敢えて「使徒」と呼ばれる弟子を集められた。特にいつも行動を一緒にしていた12名の弟子は有名である。彼らの能力に応じた役割を与え、絶えずイエス様ご自身がいなくなったときに独り立ちできるように訓練し教えていた。イエス様は弟子を必要としていなかったが、人間が弟子訓練のために師匠なるイエス様が必要だった。弟子たちについて次のような文章があった。

キリストはご自身にゆだねられた仕事をなし遂げられた。そして、そ のみわざが人々の間で続けられるように、弟子たちを召集されたのであ る。主は言われた、「わたしは彼らによって栄光を受けました。わたしは もうこの世にはいなくなりますが、彼らはこの世に残っており、わたし はみもとに参ります。聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼ら を守って下さい。それはわたしたちが1つであるように、彼らも1つに なるためであります」。「わたしは彼らのためばかりではなく、彼らの言 葉を聞いてわたしを信じている人々のためにも、お願いいたします。・・・・ それは・・・・みんなの者が1つとなるためであります。・・・・わたしが彼ら におり、あなたがわたしにいますのは、彼らが完全に1つとなるためで あり、また、あなたがわたしをつかわし、わたしを愛されたように、彼 らをお愛しになったことを、世が知るためであります」(ヨハネ 17: 10、11、20―23 )。
患難から栄光へ電子版p15 12弟子の訓練

イエス様の弟子訓練は人々に対する行為や祈り、癒しの業など重要なことばかりであるが特に力点を置いていたのが「一致」であることに気付かされる文章である。

一致できないものが一致する

自分は自尊心が強い割に争うことが苦手なので、攻撃されたり違う意見を強く言われると黙ってしまう傾向がある。特に妻に対してその傾向が強い。「何を言ってもどうせ分かってもらえない」という気持ちになり話すことが不毛に思えてしまうのだ。黙ると妻の感情はヒートアップする。それに耐えられなくなり黙ってその場を離れる。このようなことを何度もまた何年も繰り返していればその関係も冷え込んでくる。会話が減る反面、子どもや趣味に費やす時間がより一層楽しくなる。少し前までの自分たち夫婦の姿である。親の介護などもっともらしい理由づけをしてしばらく離れて暮らしている。が、最近になって少し変化があった。双方の変化である。イエス様だけを頼りにし、その御言葉に対して絶対的な信頼をもつ姿勢が少しずつ芽生えてきた。お互いを責めることもなくとにかく祈ることで一致しようとしている。イエス様が弟子訓練をしてくださっている分かりやすい証拠である。

本来一致できるはずのない者が一致する、これはイエス様にしかできない弟子訓練である。

静まって知れ 歌詞 | Still Hillsong Worship Japanese Version Cover Lyrics | プレイズふらいで~♪ Praise Friday

 

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ヤマコウバシ

受験

入試の方法も多種多様で実施時期も異なる。が、一般入試はやはりこの時期。10日ほど前に「共通テスト」が実施された。興味本位で数学と物理を解いてみた。問題自体はそこまで難しくないがその本質を知らないと解けない問題が増えている印象がある。物理も数学もそのもつ意味を十分に理解していなくても公式を駆使して解けてしまうこともあるが共通テストに関しては少し難しいかもしれない。

落ちない

以前に地元の「落ちないりんご」について投稿したが、今年も「落ちないシリーズ」を見つけた。以前に住んでいた広島県三原市のニュースで見つけた.2018年の「豪雨災害」で甚大な被害を受けた本郷町。ちなみに広島空港も本郷町にある。

決して珍しい木ではないが「ヤマコウバシ(山香ばし)」の葉は枯れても木から落ちないそうだ。そこに目をつけ「本郷緑と水を守る会」の方々がその葉をラミネートして無料配布している。

実を結ぶ

リンゴや葉ではないがイエス様がご自分とわれわれ人間との関係をぶどうの木とその枝に例えているところがある。

1わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。 2わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。 3あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。 4わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。 5わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 6人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。 7あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。 8あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。 9父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。 10もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。 11わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。
ヨハネによる福音書15:1-11

全国の受験生にエールを送りたい。また受験生だけでなく現役の児童生徒学生さんたち、また様々な理由で学校に行けない皆さんにも神様が働いてくださるようにと祈りたい。

河原久先生講演会 「苦しみの解説者」

 

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まもなく

書物

およそ6週間前から読み始めた書物が今朝で終わった。時間をかけて一冊の本を読むのはどこか旅をしているような気分になる。この本は以前にも何度か読んでいるので構成や展開は分かっているのだがそれでも「このあとどうなるのだろう」と思いながら読み進めることができた。

イエス様とサタンとの戦い、そしてイエス様のご再臨に際しどのような順番で何が起こるのかが事細かに説明されているこの本は読み進むたびに痛快な気持ちになる。

さて、明日からは毎朝何を読もうか。なんとなく候補はあるのだが今晩祈りながら考えてみよう。

サタンの後悔

サタンは、自分から進んで反逆したことによって、自分が天に適しな い者になったことを知る。彼は神と戦うために自分の能力を訓練してき た。彼にとっては、天の純潔と平和と調和とはこの上ない苦痛となるで あろう。神の憐れみと正義に対するサタンの非難は、今こそ沈黙させら れた。彼が主に浴びせようと努めてきた非難は、全部彼自身に向けられ る。そして今、サタンはひれふして、自分の上にくだった判決が正しい ことを認める。
「主よ、あなたをおそれず、御名をほめたたえない者が、ありましょうか。あなただけが聖なるかたであり、あらゆる国民はきて、あなたを伏し拝むでしょう。あなたの正しいさばきが、あらわれるに至ったからであります」(黙示録 15:4)。長年にわたって争われてきた真理と誤謬 のすべての問題が、今明らかにされた。反逆の結果、すなわち神の律法 を廃することの結果が、すべての知的被造物の目の前で明らかになった。 神の統治と対照的なサタンの支配が行われた結果が、全宇宙の前に公開 された。サタン自身の行為が、彼を罪に定めたのである。神の知恵と正 義といつくしみとが、完全に擁護される。大争闘における神のすべての 処置は、ご自分の民の永遠の幸福のために、そして神の創造されたすべ ての世界の幸福のために行われたものであることが明らかになる。
各時代の大争闘電子版p670 大争闘の終結

悪人の末路

悪人はこの地上で報いを受ける。「万軍の主は言われる、見よ、炉の ように燃える日が来る。・・・・その来る日は、彼らを焼き尽して、根も枝 も残さない」(マラキ 4:1)。一瞬のうちに滅ぼされる者もあり、多く の日の間苦しむ者もある。みな「彼らの行いにしたがって」罰せられる。 義人の罪はサタンに移されたので、サタンは自分自身の反逆の罪だけで なく、神の民に犯させたすべての罪のために苦しむ。彼の受ける刑罰は、 彼がだました者たちの刑罰よりずっと重い。サタンの欺きによって堕落 した者たちがすべて滅びたのちも、彼はまだ生き残って苦しみを受ける。 きよめの火によって、悪人たちは根も枝もついに滅ぼされた。サタンが 根であり、サタンに従う者たちが枝である。律法の刑罰は全部くだり、 正義の要求は果たされた。天と地はこれを見て、主の義を宣言する。
各時代の大争闘電子版p673 大争闘の終結

ふるさと

聖書の中では、救われた者の嗣業が「ふるさと」と呼ばれている(ヘブ ル 11:14―16参照)。そこでは天の大牧者イエスが、ご自分の群 れを生ける水の源に連れて行ってくださる。いのちの木は月ごとにその 実を結び、その葉は万民のために用いられる。水晶のように透きとおっ た川が永遠に流れ、そのそばにはゆれ動く木々が、主に贖われた者たち のために備えられた道の上に影を投げている。広々とひろがった平野の 果ては、美しい丘となって盛りあがり、神の山々が高くそびえ立ってい る。この平和な平原に、また生ける流れのほとりに、久しい年月の間旅 人であり寄留者であった神の民が、そのすまいを見いだすのである。
各時代の大争闘電子版p675 大争闘の終結

ただ一つの記憶

思い出させるものがただ1つある。われわれの救い主は、永遠に十字 架の傷跡をとどめられるのである。主の傷ついたみ頭に、その脇腹に、 その手と足に、罪の残酷なしわざの唯一の跡がある。預言者ハバククは 栄光のキリストを見て、「その光は彼の手〔脇腹― 英語訳〕からほとば しる。かしこにその力を隠す」と言っている(ハバクク 3:4)。人類を 神に和らがせる真紅の血潮がほとばしり出た、主の突き通された脇腹 ― そこに救い主の栄光があり、そこに主の力が隠れている。主は贖い の犠牲によって、「救いを施す力ある」おかたとなられたので、神のあわ れみをあなどった者たちに対しては、強い態度でさばきを執行されたの である。救い主の屈辱のしるしこそは、救い主の最高の栄誉である。カ ルバリーの傷跡は永遠にわたって、主への賛美を示し、主の力を宣言する。
各時代の大争闘電子版p674 大争闘の終結

David Hobson – The Holy City – Carols by Candlelight 2012

 

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神様のみ

厳粛な警告

牧師たちと人々は、自分たちが神との正しい関係を持ってこなかった ことを悟る。彼らは、自分たちが、すべて公正で義である律法の創始者 に反逆してきたことを知る。神の戒めを破棄したことが、無数の罪悪、 不和、憎悪、不正の原因となり、ついに地上は一大戦場、腐敗の巣くつ となった。これが、真理を拒み、誤りを信じることを選んだ者の目に写 る光景である。神に従わず、忠誠を保たなかった人々が、永遠に失った もの、すなわち永遠の生命に対して感じる渇望は、言葉では表現するこ とができない。世からその才能と雄弁をもてはやされて崇拝された人々 は、今、そうしたものの真相を見る。彼らは、罪によって何を失ったか を悟る。そして彼らは、自分たちが軽べつし、あざ笑っていた忠実な人々 の足もとにひれ伏して、彼らが神に愛されていたことを認める。

各時代の大争闘電子版p656 千年期と地上の荒廃

滅びに導く

人々は、今まで自分たちが欺かれていたことを知る。彼らは、破滅に陥ったことを互いに責め合う。しかし彼らはみな一致して、最も激しい非難を牧師たちに浴びせる。不忠実な牧師たちは、耳ざわりの良いことを言ってきた。彼らは、聴衆に、神の律法を無視させ、律法を聖く守る 人々を迫害させた。今、これらの教師たちは、絶望して、自分たちの欺 瞞行為を世の前に告白する。群衆は激しい怒りに燃える。「われわれは失 われてしまった!われわれの滅びの原因はあなたがただ」と彼らは叫ぶ。そして彼らは、偽りの教師たちにつめ寄る。かつて彼らを最も賞賛して いたその人々が、最も恐ろしいのろいの言葉を浴びせるのである。かつ て彼らに栄冠を与えたその手が、彼らを滅ぼすためにあげられる。神の 民を滅ぼすために用いられることになっていた剣が、今、その敵を滅ぼ すために用いられる。至るところに、争闘と流血が起こる。各時代の大争闘電子版p656 657千年期と地上の荒廃

逃亡者ヤコブの夢

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自己矛盾

二週間

金曜日が来ると突然寂しさと空虚感が襲って来る。それ以外の日にも寂しさと空虚感はあるのだが金曜日は特別である。

2023年が明けて2日、母の容体が悪くなったとの知らせを受けて病院に駆けつけた。その後、少し安定したのでこのまま回復することを日々祈り続けた。虫の良い話だが、昔から「自分の家族は生きてイエス様のご再臨を迎えられますように」と祈ってきた。今まで何度も奇跡的な生還を果たした母だから今回も癒されると信じて祈り続けた。が、ゆっくりだが容体が悪くなっていって。実は今回の帰省は母が危ないから、ではなく父を実家で預かるためのいつもの帰省だった。だから礼服も持参していなかったし何より心の準備もしていなかった。徐々にその時が近づいていることを何となく悟り1月5日、礼服を買いに出かけた。そして裾上げが翌6日の10時以降の仕上がりとのことだったので6日は9時半に荻窪を出発して吉祥寺に向かった。裾上げが終わった商品を受け取ったタイミングで姉から連絡がありすぐに戻るように言われた。その後父と二人で正午前に病室に行き、それからおよそ1時間半後に母は亡くなった。診断書の時刻は13時39分だが実際には13時6分の段階で呼吸は止まっていた。

あれから二週間。この間のことを点では記憶しているがその記憶が繋がらない。その瞬間瞬間をただ流れに任せて生きていただけ、というのが正直なところである。毎日「24時間前はまだお母さんが生きていた」「1週間前はまだお母さんがいた」と少し前と全く違ってしまった現実をなかなか受け入れることができないでいる。

矛盾

母が亡くなって、まず思ったのがイエス様の再臨のこと。悲しみの淵にいる今こそイエス様に来ていただきたいと心の底から思った。告別式の最中にも何度となく「今イエス様がきてくださらないかな」と思った。ご再臨、永遠の命を心の底から渇望するようになった。

そしてもうひとつの思い。それはサタンに対する憎悪の念。こいつがいたからのこ地球に「死」が入り込んでしまった。サタンを心の底から憎いと思った。今自分の目の前にサタンが肉体をもって現れたなら間違いなく刺し違えるだろう。本当に憎い。こいつのせいで愛する母と一時的とはいえ別れなくてはならなかったのだから。

そんな憎いサタンなのだが、一方でサタンの巻いた罠、餌に魅力を感じてしまう。サタンを憎みながらこの世での幸せを願い寂しさを埋めるためにこの世的な幸福を求めようとしている自分に気づく。サタンを憎みながら愛している、自己矛盾である。

間もなく

もう少しでイエス様が来られる。それまではこの地上で忍耐しないといけない。その忍耐の時間をできればイエス様を紹介する働きに使いたい。イエス様が間も無く来られることを知らない、信じない人のそばにいて何かの役に立ちたいと思っている。

父と妙正寺公園を散歩している時の会話を思い出す。あまりにも悲しくて耐えきれず父に「再臨はいつかな?」と聞いた時に「いつかは分からないけれど、そんなに先ではないと思うよ。今年なのか、来年なのか。何れにしても5年も10年も先ではないと思うよ」

イエス様のご再臨こそ今の自分に与えられた希望である。

贖われた群衆の前には、聖都がある。イエスは、真珠の門を広くあけ られる。そして、真理を守ってきた諸国の民がその中へ入る。そこに彼 らは、神のパラダイス、すなわちアダムが罪を犯す前のふるさとを見る。 その時、人間の耳が今まで聞いたどんな音楽よりも豊かな美しいあの声 が、「あなたがたのたたかいは終わった。」「わたしの父に祝福された人た ちよ、さあ、世の初めからあなたがたのために用意されているみ国を受 けつぎなさい」と言われる。
各時代の大争闘電子版p647 神の民の救出

はるかの部屋「君もそこにいたのか」

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