つっかえ棒

散歩

昨晩も遅くなったが姉宅ではなく実家に戻った。母を思いださせるものしか無いので心は乱されるがそれでも安心する。朝起きて、父の状態が気になり姉に尋ねてみた。比較的元気そうだと聞いて少し安心した。午後の新幹線で青森に戻る予定だったが、やはりもう一度父といつものコースを散歩してみたくなり2時間掛けて荻窪の姉宅に行った。

父の様子を確認したのち父と2人で妙正寺公園、またその周辺を散歩した。ここ数日でかなり足腰が衰えたように感じる。

気力

父が殊の外弱気になっている。

「お母さんが亡くなったけど、わたしはこれからどうやって生きて行けば良いのだろう」と言い始めた。

このまま姉のところにいればいいんだ、

と言うも

「この家はお母さんが入院しているから居させてもらっているだけだから、お母さんが亡くなったら、これ以上迷惑も掛けられない」という始末。

父は認知症の母を助け家のことをやるのが日課であり生き甲斐だった。昨年夏から母の入院生活が始まったので、急に生き甲斐を見失いせん妄状態になった。

どんな状態でも、生きているということは誰かを支えているし、生かしている。

生きる使命

自分は今、心の底から悪魔を憎んでいる。悪魔のせいで死が入って来たからだ。悪魔を憎みながら、悪魔の心を持ってしまう矛盾状態の中にいるがとにかくこの死の問題を解決しないといけない。

すっかり落ち込み、生きる気力がなくなりつつある父を何とかしないといけない。

「お父さん、僕たち子どもたちはお母さんを失って悲しみのどん底にいるんだよ。これに加えてお父さんも、なんてことになったら僕たちこそ生きる望みを失うよ。だから、今は僕たちのために生きてね」

こんなことしか言えなかった。本音を言えば、今すぐイエス様に来ていただきたい。自分が救われなくても良いから早く終わりが来てほしい、と思っているくらいだから父の気持ちはすごくよくわかるのだ。

幸い信仰だけは堅く持っているので神様が何とかしてくれるとも思っているようだ。

神様が全ての人を支えている。また全ての人が誰かの命を支えるつっかえ棒になっている。

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