ユダヤ人
神様は人間を真の幸福に導きたいと願っておられた。神様は一人一人を愛しその人生を意味あるものにするために祝福となるものを与え続けていらっしゃる。そしてその計画を実行するためにユダヤ人をお用いになることを考えられた。ユダヤ人を祝福された生活に導くことによって、なぜ彼らが幸せなのかを他国人が見てその生活スタイルを真似しようとする。ユダヤ人が神様を畏れ神様を礼拝しその律法に従う時彼らが祝福を受けているのを見てそれを他国人たちが真似する。神様はこのようにユダヤ人が周りの模範となることで全人類が神様によって幸せになるように計画された。ところがこの作戦が失敗に終わる。ユダヤ人は神様に従うことができなかったのだ。結局イエス様の十字架より少し後から(正確にはステパノが殉教した時から)福音はある特定の民族や世代に限定されるのではなく、異邦人社会も福音の対象となった。勿論国家としてのイスラエルに対する祝福から異邦人社会に対する祝福へと変化したが、依然としてユダヤ人社会に対する福音宣教も続けられた。ユダヤ国家としての祝福から個人に対する祝福に変化した。
ニコデモ
ヨハネによる福音書には「ニコデモ」なる人物が登場する。彼はパリサイ派のユダヤ人で最高法院であるサンヒドリンの議員であった。ある夜、人目を忍んでイエス様のところに来て、救われるためには何をすれば良いのかを問いかける。新しく生まれ変わる、しかも水と霊から生まれる経験が必要だと言われ十分な理解ができないままイエス様の元を立ち去る。
アリマタヤのヨセフ
アリマタヤという場所がどこなのかについては「実在しない場所」というものも含めて諸説存在する。アリマタヤがギリシャ語で「ハリマサイヤ」というところから高い場所、山地をさすらしい。預言者サムエルの故郷であるラマタイム・ツォフィムがアリマタヤなのでは無いかという説が多数ある。通称「ラマ」と呼ばれる場所で「預言者の学校」があったところでもある。ニコデモ同様ヨセフもサンヒドリンの議員でかなりのお金持ちであったらしい。
ニコデモとヨセフ。サンヒドリンの議員であることとイエス様に従うこととは正反対にも思われる。滅びゆく街にも救われるべき神様の民がいたように、サンヒドリン議員の中にもイエス様に従いたい
願う魂がそなえられていることは大きな希望である。
そんなふたりが
ニコデモとヨセフはイエス様の十字架をみており、イエス様の息が絶えた時にそのお身体を埋葬したいと心から思った。サンヒドリンの議員がそのようなことをすれば先がどうなるのか分かったものでは無い。しかし彼らはローマに掛け合いイエス様のご遺体を引き取る。そして自分の埋葬用にヨセフが用意していたゴルゴダにほど近い墓場をイエス様の埋葬に提供した。
ニコデモは、アリマタヤのヨセフと共に、イエスの埋葬の費用を分担 した。弟子たちは自分たちがキリストの弟子であると公に示すことを恐 れていたが、ニコデモとヨセフは勇敢に援助の手を差しのべた。これら の金持ちで尊敬されている人々の助けは、その暗黒の時にはことさら必 要であった。彼らはなくなられた主のために、貧しい弟子たちができな かったことをすることができた。彼らの富と感化力が、祭司や役人たち の敵意から大いに彼らを守ったのである。
いまやユダヤ人たちが生まれたばかりの教会を破壊しようとしてい た時、ニコデモはそれを防ぐために進み出た。もはや警戒も疑問もなく、 ニコデモは弟子たちの信仰を励まし、エルサレムの教会を支え、福音事 業を進めるために、自分の富を用いた。以前に彼を尊敬していた人々は、 いまは彼を嘲弄し、迫害した。そして彼はこの世の富には貧しくなった が、信仰を守ることにはひるまなかった。
患難から栄光へ電子版p79 へだての壁を越えて
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