馬鹿塗
先日、漆塗りのお箸をいただいた。津軽塗である。津軽塗は以前から聞いたことはあるが実際にどのようなものかは知らなかった。津軽塗は津軽藩4代目藩主、津軽信政の時代にいた漆匠である池田源兵衛・源太郎親子によって創作されたという。弘前に行くと何軒か津軽塗のお店があるので気になっていたが、値段が尋常ではないのであまり近づかないようにしていた。
別称「馬鹿塗」とも言われる津軽塗り。漆は何度も重ね塗りをするのだが、津軽塗はその回数がすごい。36回から48回も塗りこむという。なので高級な漆器になると塗る工程で3ヶ月から半年以上かかるという。採算がとれない、或いは馬鹿みたいに重ね塗りするので「馬鹿塗」と言われる。昨年だったか、青森発の映画「バカ塗りの娘」という映画の撮影が終了したとニュースが報じていた。ストーリーは分からないが津軽塗職人の父とその娘のドラマのようである。
調べれば調べるほど津軽塗の凄さを認識するようになり、いただいたお箸を使うことに抵抗を感じ始めている。
オネシモ
パウロの生涯とその背後で働く神様の力を描いた書物を毎日読んでいるが、今日読んだところはパウロの違った一面がみられるところだった。
聖書と併せて読んで行くとオネシモという人物が出てくる。コロサイにいたクリスチャン「ピレモン」のもとで働く奴隷だったオネシモ。しかしピレモンの元で働くことが嫌になりお金を持ち逃げしたようである。逃亡中に、偶然ではなく神様の摂理のうちにパウロと出会う。
パウロがローマで働いた結果、神に心をささげた者の中にオネシモがいた。オネシモは異教徒で奴隷の身であったが、その主人にあたるコロ サイの信者ピレモンに不都合なことをしたためにローマに逃げて来てい た。パウロはあわれな逃亡者が困って苦しんでいるのを親切に助けてやり、 それから彼の暗い心に真理の光を照らそうと努めた。オネシモはいのち の言葉に耳を傾け、罪を告白して、キリストを信じる信仰へと改心した。
オネシモは信心深く、誠実であったので、パウロに愛された。パウロ を慰めるやさしい心づかいや、福音の働きを進める熱意も、パウロの好 むところであった。パウロは、オネシモが伝道の働きに非常に役に立つ 性質をもっているのを認めて、すぐピレモンのところへ帰ってゆるしを請い、そして将来の計画をたてるようにすすめた。
患難から栄光へ電子版p349 ローマにて
ピレモン
もともとピレモンの奴隷だったので元の場所に帰るのが良いと考えたパウロは書状にてオネシモを受け入れて欲しい旨の手紙を丁寧に書いた。これが「ピレモンへの手紙」である。
支払いも自分がするので、クリスチャンとしての愛情をもって何とか受け入れて欲しいと嘆願する。
ピレモンへの手紙
パウロはピレモンあての手紙をオネシモに持たせた。その手紙の中で、 使徒はいつものように上手に、真心をこめて、悔い改めている奴隷のた めに弁護し、これからも彼の奉仕を受けたいという願いを表明した。そ の手紙は友人として、また共労者としてピレモンに愛情をこめたあいさ つで始まっている。
「わたしたちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安とが、 あなたがたにあるように。わたしは、祈の時にあなたをおぼえて、いつ もわたしの神に感謝している。それは、主イエスに対し、また、すべて の聖徒に対するあなたの愛と信仰とについて、聞いているからである。 どうか、あなたの信仰の交わりが強められて、わたしたちの間でキリス トのためになされているすべての良いことが、知られて来るようになっ てほしい」。使徒は、ピレモンが身につけているしっかりした意図や立派 な品性は、みなキリストの恵みによるものであることを彼に思い起こさ せた。このキリストの恵みだけが、彼を邪悪な者や罪深い者たちとは違 うものにしていたのである。同じ恵みが、悪質な犯罪者を神の子とし、 役に立つ福音の働き人とすることができた。
パウロはピレモンに、クリスチャンとしての義務を果たすよう勧める こともできたが、そうせずに懇願の言葉を選んだ。「すでに老年になり、 今またキリスト・イエスの囚人となっているこのパウロが、捕われの身 で産んだわたしの子供オネシモについて、あなたにお願いする。彼は以 前は、あなたにとって無益な者であったが、今は、あなたにも、わたし にも、有益な者になった」。
使徒は、ピレモンがオネシモの改心を認めて、その悔い改めた奴隷を、 自分の子供として迎え入れ、「もはや奴隷としてではなく、奴隷以上のも の、愛する兄弟として」、オネシモが自分から以前の主人と共に住みたい と思うようになるほどの愛情を、彼に示してほしいとピレモンに頼んだ。
患難から栄光へ電子版p350 ローマにて
パウロは、この罪を犯した者が罰を受けずにすむように、また、失っ た特権を再び得ることができるように、オネシモの負債を支払うことを 進んで申し出た。「そこで、もしわたしをあなたの信仰の友と思ってくれ るなら、わたし同様に彼を受けいれてほしい。もし、彼があなたに何か 不都合なことをしたか、あるいは、何か負債があれば、それをわたしの 借りにしておいてほしい。このパウロが手ずからしるす、わたしがそれ を返済する」とパウロはピレモンに書き送った。
これは悔い改めた罪人に対するキリストの愛をあらわすのになんと ふさわしい実例であろう。主人のものを横領した奴隷は、それを償うべ き何ものも持たなかった。神に仕えるべき年月を横取りしてきた罪人に は、その負債を取り消す方法がない。イエスは、罪人と神の間に入って、 わたしが負債を支払います、罪びとを赦してください、彼の代わりにわ たしが罰を受けます、と言われる。
パウロは、オネシモの負債を引き受けると申し出てのち、ピレモン自 身が使徒に負うところがいかに大きいかを思い起こさせた。神がパウロ を、ピレモンの改心に力を貸すものとされたのであるから、ピレモンは 自分自身をパウロに負っていることになった。それからパウロは、やさ しく熱心に訴えて、ピレモンが惜しみなく聖徒たちを元気づけたように、 喜びとなるこの申し出を聞き入れて、パウロをさわやかな気持ちにさせ てほしいと懇願した。
患難から栄光へ 電子版p351 ローマにて
救済者と漆塗り
パウロのアグレッシブな伝道活動の背後に、オネシモに見せたような細かい配慮があることは大いに勉強になる。弟子訓練という言葉があるが、パウロがオネシモを何度も何度も漆を塗るように教育し、いよいよ完成したところで推薦状と負債の全てを自分が支払うと推薦状、鑑定書までつけて弟子を伝道地に送る。とても考えさせられる。
J.S.Bach BWV 731 Liebster Jesu, wir sind hier – 最愛のイエス、われらここに – J.S.バッハ
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