帰る

帰省

3学期の学びを終えて、今日長男は全寮制の学校から家に戻った。いつものことながら長男が乗っている飛行機をアプリで追跡していた。帰省する日が近いという嬉しさもあってか一昨日長男は足を痛めた。電話で聞く限りは亜脱臼か十字靭帯の損傷が考えられた。自分の不注意とはいえ、子どもが痛みをおぼえている状況はなんとも堪え難い。今すぐ学校まで行ってあげたい気持ちになる。色々と対応していただき、翌日には整形外科を受診することができ特に大きな問題は無いとのことだった。ホッとした。しかし、痛みはあるようなので大きな荷物を持って搭乗手続きとか荷物の受け取りができるのだろうか、ととても心配だった。それでも何とか頑張ったようで無事に家に着いたとの連絡を受け改めて神様に感謝した。

しっかりと1年間の復習をする春休みにしたいと本人は言っていたが、勉強三昧でもやはり家に戻れるのは嬉しいことだ。自分もかつて全寮制の中学、高校で生活していたのでその嬉しさはよく理解できる。

ふるさと

長男にとって、今回帰る家はほとんど生活したことが無い場所である。冬休みに2週間ほど生活しただけでそれ以来である。周囲の景色に懐かしさがあるわけでも無いのに本人はとても嬉しそうに帰省した。ふるさと、って何なのか。

勿論懐かしい景色や懐かしい自然環境、雰囲気があると思う。東京を離れて何十年も経つのにいまだに下町に行くと懐かしさを感じる。確かにそういうことはあるが、一方で一度も行ったことが無い場所でも懐かしさを感じることはできる。

そこにいる「人」に起因するのだと思う。

懐かしい人、大切な人がいる場所。それもふるさとなのかもしれない。

Homesick for heaven

Homesick For Heavenという讃美歌がある。天国に行きたい、帰りたいという気持ちを讃美歌にしたものである。何度も歌ったこの讃美歌。でも一度も行ったことが無い天の御国に何故「懐かしさ」を持つのだろうかと少し疑問に思っていた時期があった。
ホワイト婦人という19世紀のクリスチャン指導者が、天国に連れて行ってもらう幻を見た。非常に神々しく、豪華絢爛なその様に圧倒されこのまま天国にとどまりたいと案内をしてくれた天使にお願いするも「あなたはもう一度地球に帰らないといけません」と言われなくなく地球に戻ってくる。ところが地球に近づくとあまりにも地球が暗くて寂しさが倍増したと言う。その時の気持ちがHomesick For Heavenに込められているときたことがある。

イエス様に会いたい、会わせてくださいと何度願い祈ったきたことか。勿論聖書を通してイエス様はその御意志を伝えてくれるし、想像力を働かせることでイエス様の姿をイメージすることはできる。しかし、実際にそのお顔を拝見することは今まで叶わなかった。しかし、ご再臨の時にいよいよイエス様にお会いできる。あれほど会いたかったイエス様に会える。初めてお会いするわけだが決して初めてとは思わないのだろう。「懐かしい」と思うのだろう。そういう光景が間も無く展開されるから、今は将来のことであっても「懐かしいイエス様にお会いする」出来事を思ってHomesickと言うのだろう。早く帰りたいなー。

Homesick For Heaven

 

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