イチジク桑の木

父の教会

姉から連絡があった。姉からの連絡はあまり良い知らせでないことが多い。家に戻ってみると父がいないとのことだった。姉夫婦は共に働いており日中は父が一人で姉夫婦の家で留守番をしている。週に3回、デイサービスを利用しているがそれ以外の日は庭を掃除したり近くの公園まで散歩に出かけ、あとは家の中で過ごしている。姉夫婦が家に戻って父がいない、などということは今まで一度もなかった。慎重派なので道に迷う経験を何度もしてから近くの公園以外には決して出かけなくなった。なのに、昨日は父が家におらず姉夫婦もかなり焦ったらしい。車で探しに出かけるもなかなか見つからず、自分に連絡してきた。しばらくしてから、荻窪の駅前でウロウロしている父を発見できたと再度連絡があった。

先日、父は何十年も通い慣れた原宿にある教会に数年ぶりに行った。姉たちが車で連れて行ってくれた。普段は天沼(荻窪)の教会に行っているが、母の逝去後挨拶にも行っていないので姉夫婦が父を連れて行ってくれた。久しぶりに会う顔が懐かしかったようでとても喜んでいたという。そこで、父はこれから姉たちの力を借りないで、毎週安息日に原宿の教会に行ってみようと思いたった。姉の家から荻窪駅まで徒歩だと15分ぐらいかかる。父ならその倍はかかる。しかも歩き切れるか怪しい。実はこの日、自力で歩けるかを試してみたようだ。人に道を聞きながら荻窪駅を目指して歩いていた父を思うと胸がつまる。母がいなくなり、本当に寂しくなってしまった父だが教会だけが唯一の支えになっているようだ。

イチジク桑の木

新約聖書、ルカによる福音書に「ザアカイ」という取税人が出てくる。ユダヤを支配していたローマに媚を売り入札制で取税の職を得ていたが、主に取り立てていたのは通行税。どうやら、ある一定金額をローマに支払う義務さえ果たせばそれ以上の金額についてはいくら儲けようが取税人に自由に任されていたようだ。ユダヤ人でありながら同胞から搾取してローマにお金を流し、便乗して自分の懐にもお金を入れる不届きものと散々嫌われていたこの取税人。まともなユダヤ人からは相手にされないので、同業者や遊女などユダヤ社会から排除されるような人とばかり関わっていた。そんな背景のあるザアカイも、往来の人々が噂しているイエス様について何となく聞いており興味を持っていた。満たされない心に反比例して増える富。無性に空虚な気持ちに支配されいつかイエスキリストなる人物に会ってみたいと思っていた。そんな矢先、ザアカイの近くにイエス様ご一行が現れた。背の低いザアカイはひとめイエス様を見たいと思ったが人々に視界が遮られイエス様をみることができなかった。ふとみると、一本のイチジク桑の木があった。イエスキリストなる人物と出会う唯一の手段であるイチジク桑の木に登ってみた。そして、イチジク桑の木でイエス様と出会う経験をした。ザアカイの人生はその時から全く変わってしまった。

人生のイチジク桑

ある教会で信徒による証の講演会がありその様子がYouTubeに紹介されていた。聴きながら、その迫力に圧倒され何度も再生をとめて涙を拭いた。ある方の証の中で、「自分にとってのイチジク桑の木はあのスキーでの怪我だ」おっしゃっていた。神様が先回りして全てを用意しておられる様子を伺い心の底から感動した。

イエス様は確かに今も生きて働いてくださっている。本当にありがたい。自分のイチジク桑の木を考えてみた。1本じゃない気がする。

【証5*小川勝一さん ~ わたしと神様との出会い】

 

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