家庭訪問

準備

今日、午後から次男の家庭訪問があることを事前に知らされていた。朝から少し準備というか掃除をしていた。特に汚いわけではないが、それでも入念に掃除機をかけて普段はあまりやらないフローリングシートを使って床を拭き上げた。初めてお会いする先生なので少し緊張もするし、そもそも昼間から父親が家庭訪問に同席すること自体息子の不名誉になるのではないかと迷いもあった。無職のお父さんが、担任の先生にはどのように映るのだろう。いささかの心配もあったが妻をフォローするだけの意味で同席することにした。

中学教員時代

ずっと昔になるが沖縄の中学校で教員をしていたときに、ゴールデンウィークを利用して学級全員の家庭訪問をした。およそ30名いる生徒のご家庭を1週間かけて訪問する。当時担任していた生徒の多くが南部(那覇、浦添地区)に集中していたので毎朝名護を早めに出発して午前2軒、午後4軒を目安に訪問した。当時乗っていた車にはナビが付いていなかったので地図を頼りに訪問した。初日で気づいたのだが、とにかく1家庭にかかる時間が長い。それでも30分の面談時間と移動時間30分を計算に入れていたがそれでも間に合わない。できれば生徒さんのお話をしたいのだがなかなかそうはいかない。家、門中の話から始まって沖縄のどこどこには行ったか?なになにを食べたことはあるか?等々とにかく話が核心に進んでいかない。保護者の皆さんとも非常に仲良くさせていただいていたこともあり大幅に時間が遅れてしまうことも度々。申し訳ない気持ちでいっぱいだが非常に楽しい家庭訪問であった。

家庭訪問

次男を受け持ってくださる担任の先生も、自分たち夫婦が元教員であることでかなり緊張しておられたとのこと。こちらは学校での様子を伺い、平身低頭謝罪するばかりの面談になると思っていたので少し拍子抜けした。次男はどうしても自慢の部屋や自称「秘密基地」を担任の先生に見せたかったらしい。また上手に乗れるようになったブレイブボードも披露したかったようでこれら全てができて満足そうではあった。が、なぜか父親に対してはずっと怒りモード。どうやら父親の顔を見ただけで怒りたくなるようで本人も苦しんでいる。次男に頼まれ、同居を決意したがそれが次男を傷つけている現状に毎日落ち込んでいる。神様のご計画はどこにあるのかな?とひたすら祈り続ける毎日を過ごしている。

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ついに

10年

およそ1週間前からコンピュータの挙動がおかしくなり、次第に充電できなくなった。それでも色々な方法を試みて対応していたがついに全く動かなくなった。Macの修理をしてくれる業者さんを調べてみると国際通り近くに1店舗あることが分かりすぐに持ち込んでみた。診断をしてから見積もりして連絡をいただけるとのことでとりあえず預けてみた。A1502というモデルで丁度10年前に生産されたものである。AppleHDDからSSDに変更した最初の機種で3年前にSSDを交換し2年前にバッテリーを交換した。老体ではあるが決して手放せない存在である。そんなMacが手元からなくなり何とも寂しい数日を過ごした。

診断

昨晩、やっと修理業者さんから連絡がきた。最初はバッテリー交換で済むと思っていたがその後いくつかのテストをしてメインの基板であるロジックボードの不具合であることが分かったという。しかしそれも確定では無いので今後修理を進めるかどうかを判断して欲しいとのこと。費用は恐らく10万円を超えるだろうと言われた。それでもなおる保証は無いとのこと。

とりあえず考えさせてくださいと言って電話を切った。

こういう日がくることは何となく分かっていたが、本当に突然だったので動揺した。

人格

こんなことは絶対にあり得ないが、昔からあることを疑っている。もしかしたらMacには人格があるんじゃないか、という事。勿論あり得ない。が、Macを使い始めて30年以上経つが今まで例外なく「次のMacを購入したいと思うと急に今使っているMacが不調になる」。これは本当に不思議なのだが今まで必ず同じことが起きてきた。使用しているMacが嫉妬するかの如く、急に不調になる。

adobe

Macを新調できずにいた理由は幾つかあるが、その中のひとつがadobeソフト。illustraterPhotoshopindesighnAcrobatを頻繁に使っているがこれは買い切りのモデル。現在は月額料金を毎月支払って使う仕様に変更されている。格安プランでも毎年数万円が掛かる。これが嫌で、買い切りのソフトを入れている現在のMacが手放せなかった。

コンピュータを新調したりソフトのサブスクを利用することは無職の自分にとって過ぎるほどの贅沢であるし不可能に近い。さてどうするか?

しばらく祈りながら、考えてみたい。コンピュータから離れなくてはならない時が来ているのかも知れない。

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自主教材

梅雨?

このところ沖縄も天気がすぐれない。昨晩は若干恐怖を感じるほどの雷雨で眠るタイミングを逸した。今日も朝から雨が降り続いているが、雨よりも蒸し暑さが気になる。久しぶりに沖縄の梅雨を思い出した。当時は教員をしていたがプリントが全て湿気をおびて使いづらくなる。だから教材用のプリントは授業直前に印刷していた。持って来た楽器も気になる。特にバイオリンとギターは湿気に弱い。経済的通しが立ったら乾燥室のレンタルを考える必要がありそうだ。

学習

次男と毎日関わることで多くの気づきが与えられている。また自分自身の弱さが示され問題点が明確になっていく。性格、考え方、行動パターンなど改めないといけないことがたくさんある。この次男を少しずつゲームから引き離すことが結構難しい。次男の個性から、無理上げ取り上げることが難しい。自分の意思で自らゲームから離れることを選択しない限りうまくいかない。そのため、毎日ゲームより魅力的なことを考えている。毎日これを考えるのが苦労であり楽しみでもある。また自信を持たせながら器械運動や勉強にも取り組んでいる。勉強は自分の専門領域と思っていたが、そんなことはない。むしろ教員でない方がうまくいったかもしれない。また父親ということが障壁になっているのかもしれない。とにかく毎日机に向かわせるまでが一苦労である。学習環境が整っていなかったので、沖縄で同居するようになってすぐに次男の学習机を購入した。長く使えるシックなものを提案したが、子どもはゲーミングデスクのようなものを選んだ。収入の無い自分にはかなり痛い出費であったが背に腹はかえられない。

教材

次男は目に入ったものをかなり正確に一瞬で記憶する能力があるように感じている。そのためか、かなり難しい漢字も読むことができる。しかし、書くことが苦手である。また算数が少し苦手である。数の概念が中途半端になっている印象がある。このあたりは1年半前から気になっていたので、毎日学習用の動画を作って本人に送っていたのだが殆どみていなかったようだ。そのためにiPadを購入して送ったが、こちらもゲーム用になってしまった。ここから立て直すのは結構根気が必要だが希望をもってやるしかない。

算数については色々な問題集をさがして一緒にやってみたが、どうしても概念のところで合わなくなる。昨日も結構良さそうな問題集を新規でやり始めたが問題集の方向性と本人の思考パターンが少しあわず難しさを感じた。仕方がないので今日は試しに自分で教材をつくってみた。自分の数に対する概念は「珠算」によって構築されているので、これを珠算を知らない人に説明するのはかなり困難である。自分から珠算の概念を取り除くところから始めないといけない。高校生に運動方程式を教えることの方が100倍易しい。が、一応今日の教材は完成したのであとで試してみよう。

「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。」

ヨハネによる福音書 15:4-5 口語訳

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放課後デイサービス

事業所

沖縄生活も3週間目に入った。相変わらず生活は安定していないがそれでも少しずつ慣れてきた。とにかく移動手段の殆どが徒歩なので、散歩好きとはいえ沖縄の日差しに閉口している。今日はとあるホームセンターに行く計画を立てた。妻におよその場所を教えてもらいいざ出発したがなかなか到着しない。でも見覚えのある風景なので道は間違っていないと確信しひたすら歩いた。結局7kmほど歩いてやっと到着したが目的のホームセンターではない。「メイクマン」に行きたかったのだが着いたのは「カインズ」だった。カインズは先日来ており目的の物がないことを確認していた。それで「メイクマン」に行きたかったのだが到着できなかった。いつものようにiphoneのマップを見ればなんでもないことだったのだが、今日は散歩道の風景や途中のお店に気を取られマップアプリを使っていなかった。あとで調べてみると「メイクマン」は家から2kmも離れていない。妻の説明をきちんと聴いていなかったのがいけなかった。

沖縄に来てからこれまでに数カ所の「放課後デイサービス」事業所を見学させていただいた。この世界に興味がありどのようなことをしているのかを実際に観てみたかった。

沖縄の現状

放課後デイサービスは今から10年ほど前、2014年から始まったものである。発達に支援が必要な未就学および就学児童生徒に対する「療育」を行うものである。特別支援学級、特別支援学校とは違い放課後に通うケースが多い。未就学児に対する支援を「児童発達支援事業所」と呼び就学児童が通う事業所を「放課後デイサービス」という。現在沖縄県にはこれらの事業所がおよそ100箇所ある。自分はまだ数カ所しか見学していないが、事業所によってその性質や方向性、療育の方法も様々である。特にプログラムを持たず児童の欲することに対応する所、運動を軸として発達を支援するところ、学習にも力を入れている所等々。それぞれに工夫している様子がうかがえた。

保護者からの相談

先週、違うタイミングでふたりの保護者から相談を受けた。小学生のお子さんをもつお母さんで放課後デイサービスを利用している方々である。おふたりはたまたま別の放課後デイサービスを利用してが同じようなタイミングで「退所」を促されたとのことでその相談だった。こちらは放課後デイサービスの実情も分からないので話を聞くだけでアドバイスは全くできなかった。

しかし、軽い違和感が残った。これは自分が「教育畑」出身だからもつ違和感なのかもしれない。そして「放課後デイサービス」で提供するのは「療育」であって「教育」ではないことを理解していないために持つ違和感なのだと思う。実際におふたりのお子様にも会わせていただいた。いくつかの個性と特徴があることは直ぐに分かったが、このような児童にこそ適切な教育が必要であることを強く感じた。が、「大声を出す」「指導に従えない」などの理由で「退所」を促されたようだ。

実際、放課後デイサービスには「児童発達支援管理責任者(自発管)」や「児童指導員」「保育士」は必要だが「教員」は開設に必要ではない。また、利用料金のおよそ9割が公費で賄われるため利用者の自己負担はおよそ1000円前後(750円~1200円ぐらい)。事業所開設を支援する会社も存在し、その謳い文句は「公費から支払われるので必ず儲かります」のように教育とは違った側面が強調されることもある。

子どもの気持ち

放課後デイサービスを利用する児童生徒さんたちはどのような気持ちなのだろうか。自分が周りの子と違うことを意識させられ、自分が居てはいけない存在だと思ってしまうことはないだろうか。周囲が勝手に「この子にはこれが必要」「この子にはこの環境が幸せ」と決めつけてはいないだろうか。子どもの能力がどれほど凄いかを理解しないで檻の中に閉じ込めてしまってはいないだろうか。そういうことがとても気になる。

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第一牧志公設市場

公設市場の思い出

ダイビングをはじめてから沖縄を年に数回訪問するようになった。減圧症のリスク軽減のため自分が所属する団体の規定では最後のダイブから24時間あけて飛行機に乗ることが推奨されている。到着日、出発日、そして休養日を入れると沖縄滞在が3日では1日しか潜れない。慶良間諸島まで行くには厳しいのでいつも1週間ほどウイークリーマンションなど滞在するのが常だった。その時に好んで行っていたのが国際通りから入った平和通り、そして公設市場である。東京のアメ横にも似てりこの雰囲気がすごく好きで、いつも国際通りを素通りして平和通りに入る。沖縄を訪問するようになって間もない頃、チラガーなるものが売られていて驚いた。豚の顔である。こういうものが食用になっている。その他イラブと言われるウミヘビ(猛毒)も売られている。ちなみに沖縄の伝統的な料理の多くに肉(豚、羊、山羊など)が使われるので自分には食べられない。一度義理の父に沖縄料理の店に連れて行ってもらったがメニューが6種類ぐらいしかなく全てが食べられないものばかりでとても苦労した。また家庭訪問をしたい際、「先生がわざわざ来てくれる」ということでお正月やお祝い事などに提供される「中身汁」が出された時には本当に脂汗をかいた。とにかく沖縄の食文化が合わない。しかし市場は大好きでよく出かけていた。マチグヮーと呼ばれ庶民に親しまれている。1階のフローアで魚を買えば2階の食堂で調理してくれる。別にわざわざ買って持ち込まなくても食堂に行けば全てが提供されるのだが、面白いので何度かやってみたことがある。懐かしい公設市場の思い出である。

改修工事

2019年から公設市場の改修工事が始まった。2019年の夏以降、年に数回訪れていた沖縄にも全く来なくなった。今回が3年振りであるが、公設市場がリニューアルしていた。調べてみると先月リニューアルオープンを果たしたばかりとのこと。昨日、用があったので立ち寄ってみたが以前の活気が戻っていた気がする。昔、よく行っていたお店もあり25年前にタイムスリップした気がした。公設市場周辺には気に入っている三線のお店(というより工場)もあり公設市場周辺には何時間いても飽きない。久しぶりに懐かしい時間を過ごすことができた。

お店の変遷

前述の通り、沖縄の郷土料理には苦手なものが多いがそれでも沖縄の食文化は素晴らしいと思っている。しかし、ここ20年ぐらいで徐々にお店の雰囲気もずいぶん変化してきた。内地のチェーン店がとても多くなった。直ぐ近くには「はま寿司」がある。少し行けばスシローもある。記憶違いかもしれないが、以前沖縄には回転寿しなるものが無かった。北谷にマリンポリスという名前だったか、1件だけ回転寿し屋さんがあったのを覚えているがそれ以外は見かけたことがなかった。沖縄は居酒屋と食堂の境界線があまりはっきりしていなかった。だから夜中の居酒屋に小学生がいてもあまり違和感がなかった。しかし、今は内地のチェーン店が多く入り込んでいるので少し沖縄らしさが失われてきた印象がある。沖縄の文化と自然を大切にする気持ちを忘れないようにしたい。

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浦添城

国保

今日で浦添市役所に通うのも5回目。毎回国保の加入でつまづいてる。今日こそは息子の国保加入が叶うことを祈りながら行ったが、要領を得ない職員が対応してくれた。窓口の対応は5名ぐらいいるがその中で2人の職員さんは全く事情が飲み込めていない。なのに指示を出すので毎回那覇市役所で必要書類を取り寄せて浦添市役所に行くも別の担当者に門前払いされる。こんなことを繰り返しているので埒があかない。前回、初めて事情がわかる職員さんがかなり切り込んだ対応をしてくださり、あとふたつの書類を揃えれば良い、というところまで漕ぎ着けたのに今日は再度事情の分からない職員さんが担当になってしまい絶望的な気持ちになった。案の定やり取りをしているうちに振り出しに戻ってしまった。泣きたい気持ちだったが祈りながら冷静に話していると、どこからともなく前回の担当者さんが現れて「あ、私が代わります」と言って自分の書類を持って奥の方に行ってしまった。しばらくしてその方が戻ってくると「必ず今日発行できますので安心してください」と仰った。本当に涙が出るほど嬉しかった。事実それから15分ぐらい待つと、待ちに待った長男の保険証が出来上がってきた。心から神様に感謝した。

浦添城

無事に保険証を発行していただいたので直ぐ郵便局から長男宛に書留で送った。この時点で午後1時すぎ。今日は市役所から3kmぐらい離れたところで妻、次男と待ち合わせしている。午後4時の約束なのでまだまだ時間がある。しかし徒歩なのでそれほど遠くには行けず、何度も行った浦添城とハクソー・リッジを見学することにした。市役所からはそれほど遠くないがそれでも歩きだと上り坂なので結構きつい。2km弱歩いてやっと浦添城跡に到着。浦添城の城壁は全て復元であるが、この場所に「浦添ようどれ」がある。英祖王と尚寧王とその一族のお墓である。お墓ではあるが、ここは大戦中に「ハクソー・リッジ」として有名になった激戦地である。お墓は無残にも破壊され、現在のものは修復を施したものである。以前にも投稿したがこのハクソー・リッジでデズモンド・ドスが敵味方関係なく前田高地という崖から負傷兵を下ろし続けた。デズモンド・ドスは敬虔なクリスチャン(セブンスデー・アドベンチスト教団)であり、その功績が評価され大統領から直接勲章を授与された。また日本でも敵としてではなく英雄としてその名が知られ後世に伝えられている。彼を主人公にした映画ハクソー・リッジは彼の証言を忠実に再現した映画と言われ高い評価を受けている。

祈り

デズモンド・ドスが「主よ、もう一人を助けさせてください」と祈り一人、また一人と多くの負傷兵を助けたその場所で自分も祈ってみた。自分にもまだ神様の働きで役に立つことがあれば用いてください、一人に福音を宣べ伝えさせてください、と。

 

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ハローワーク

手続き

沖縄生活も間も無く2週間になる。はじめの1週間は子どもと遊ぶことで手一杯になり手続き関係が何もできなかったが先週末から少しずつ役所にも行くようになった。住民票の異動は勿論問題なかったが、国保の手続きが難航している。事情があるので仕方ないが国保の窓口も分からないのに色々な指示を出すため毎日異なる書類を準備して窓口に行く、違うことを案内され再度違う書類を用意するように言われる・・・。こんなことを毎日繰り返している。窓口の人も色々なケースを経験して適切な判断ができる人とそうでない人がいるので仕方ない。しかし悪いことばかりではない。国保のお世話になるのは仕事をするようになってから初めてのことなので色々と勉強にもなる。国保の保険料が国保税であることも恥ずかしながら知らなかった。国民年金のことも全く分からなかった。今まで社保や私学教職員共済組合に全部やってもらっていたので知らないことだれけであることに気づかされている。

ハローワークに行ってみた

今日は国保の申請に必要な書類が整っていないのでハローワークに行った。失業保険の手続きのためである。各市にハローワークがあるのだと思っていたが沖縄では南部が那覇が登録地になる。相変わらずモノレールの駅まで2kmほど歩いて新都心に向かった。まだ本格的ではないがやはり沖縄の刺すような日差しの中を歩いて700mぐらい行くと職安、所謂ハローワークがある。勝手が分からないので少し戸惑ったが1時間半ほど待ってやっと呼ばれた。今日は登録と説明会の案内のみ。待ち時間の割に面談や説明は20分ほどで終わってしまった。1週間ほどで審査が終わりとれば晴れて「失業者」となる。うまくいけば5週間先から失業保険がもらえるようになるらしいがとりあえず4月24日に説明会があるという。

国保の減免や教育制度などについて質問したいことがあったので少し残って色々と話を伺って今日は終わり。

1時間半の待ち時間の間、周りの人を観察していたが比率として若干女性が多いように感じた。自分のような還暦前後の男性も若干いたが多くは若い女性だった。この辺はその土地によっても違うのかもしれない。4,5月は受給申請者が多いと書かれていたが沖縄は県外に季節労働に出かける人が多いのでこれ以外の月も多いのかもしれない。

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不発弾処理 

入学式

事情があって現在車で移動することができない。妻の車に乗せてもらうだけ。妻の車を運転したいのだが保険の関係でそれができず現在足になるものを探している。が、移動手段が無いので必然的に徒歩になる。散歩は苦にならないので今日も10kmぐらいは歩いたと思う。徒歩とモノレールを利用すれば色々なところに行ける。浦添まで行く途中、那覇の街中で新入生の親子が学校に向かう姿を多く見かけた。今日が入学式だと分かった。ランドセルの背負われているような新入生を見ると微笑ましく「平和だな」と思う。この子たちの将来が戦争のない平和な将来であることを心から願うばかりである。

将棋

時々感情のコントロールを上手にできない子どもを何とかしたいと試行錯誤しているがなかなかうまくいかない。今日は家族でトランプをした後、将棋を教えてみた。トランプの「神経衰弱」でうまくいったので気を良くしたのか将棋にも集中して取り組めた。今日は駒の動かし方と簡単なゲームをした程度だったが殊の外ルールを覚えるのが早くて驚いた。将棋をしながら、自分が小学生の頃に父が同じように教えてくれたことを思い出していた。父と将棋をさすのが好きで、なかなか勝てないのだが忙しい中自分に時間を使ってくれることがとても嬉しかった。今考えるとわざとだったと思うが、時々父が将棋で負けてくれる。「いやー、広和は強くなったな」と言ってくれるのがとても嬉しかった。

不発弾処理

放課後デイサービスの真向かいで不発弾処理をしていた。「ここは沖縄なのだ」と痛感した。警官と自衛隊員、そして掘削の業者が物々しい雰囲気で作業していた。いったい沖縄にはどれくらいの不発弾が埋まっているのだろう。沖縄だけではない。東京大空襲にみまわれた東京やその他の地域にも多くの不発弾が眠っている。入学式に向かう親子の様子をみて平和だと思っていた同じ日に、その反対の現実を見せられた。今日も戦闘機が轟音とともに飛んでいた。先行きが決して明るくないことを承知の上で何とか良いことを見つけて「平和だ」と無理に言っている気がしてならない。本当の平和。やはり神様のもとに帰らない限りそれは無い。

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海軍司令壕

20年ぶり

久しぶりに海軍壕公園(旧海軍司令部壕)に行った。というか、今住んでいるところから徒歩1分で行ける。結婚前に妻と一緒に行った場所。妻は沖縄出身ではあるが沖縄の歴史にあまり関心がない。地元の人にとってはそういうものなのかもしれない。自分には沖縄の歴史がとても興味深く尊いものに感じられる。地下要塞のように造られている司令壕をはじめて訪れたのが20年以上前だがまさかその場所の住むようになるとは思っていなかった。周囲も公園に整備され20年前とはなかり雰囲気が変わっている。資料館を含めて壕に入るには大人600円がかかるが県民だと半額になる。一昨日、4月6日をもってはれて沖縄県民になったので免許証を提示すると本当に半額になった。2度目の沖縄県民。

海軍壕

慶良間諸島を制圧したのち本島にやってきた米軍。読谷村より本土入りしたのち南下する部隊と北上する部隊とに分かれた。南下する部隊は宜野湾、浦添等を次々と制圧しいよいよ那覇(首里)、そして糸満、現南城市へと戦地をうつしていく。日本軍も抗戦、応戦するが兵力が全く違う。戦闘機一つとっても日本軍の飛行機約1万機に対して米軍はその10倍。10万機以上を投入している。海軍司令官の大田実は早い時点で負け戦であることを把握していた。沖縄にとっての終戦記念日は6月23日、慰霊の日と以前の投稿にも記したが牛島満陸軍指揮官の自決をもって沖縄は陥落した。慰霊の日は有名であるがこの10日前、6月13日に大田実氏は数名の幕僚とともに自決している。手榴弾を使った自決であるがこのとき54歳だった。今の自分よりも若い。自決した場所も写真とビデオに記録したが、この場所が生死を分けるとんでもない修羅場だったことを思うとただただ悲しくなる。

電文

大田氏が自決する1週間前、彼は海軍次官宛に電文を打っている。原文は分かりにくいので現代訳文を紹介したい。

昭和20年6月6日 20時16分
次の電文を海軍次官にお知らせ下さるよう取り計らって下さい。
沖縄県民の実情に関しては、県知事より報告されるべきですが、県にはすでに通信する力はなく、32軍(沖縄守備軍)司令部もまた通信する力がないと認められますので、私は、県知事に頼まれた訳ではありませんが、現状をそのまま見過ごすことができないので、代わって緊急にお知らせいたします。

沖縄に敵の攻撃が始って以来、陸海軍とも防衛のための戦闘に専念し、県民に関しては、ほとんどかえりみる余裕もありませんでした。しかし、私の知っている範囲では、県民は青年も壮年も全部を防衛のためかりだされ、残った老人、子供、女性のみが、相次ぐ砲爆撃で家や財産を焼かれ、わずかに体一つで、軍の作戦の支障にならない場所で小さな防空壕に避難したり、砲爆撃の下でさまよい、雨風にさらされる貧しい生活に甘んじてきました。しかも、若い女性は進んで軍に身をささげ、看護婦、炊飯婦はもとより、防弾運びや切り込み隊への参加を申し出る者さえもいます。敵がやってくれば、老人や子供は殺され、女性は後方に運び去られて暴行されてしまうからと、親子が行き別れになるのを覚悟で、娘を軍に預ける親もいます。

看護婦にいたっては、軍の移動に際し、衛生兵がすでに出発してしまい、身寄りのない重傷者を助けて共にさまよい歩いています。このような行動は一時の感情にかられてのこととは思えません。さらに、軍において作戦の大きな変更があって、遠く離れた住民地区を指定された時、輸送力のない者は、夜中に自給自足で雨の中を黙々と移動しています。

これをまとめると、陸海軍が沖縄にやってきて以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約をしいられ、ご奉公をするのだという一念を胸に抱きながら、ついに(不明)報われることもなく、この戦闘の最期を迎えてしまいました。

沖縄の実績は言葉では形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も6月一杯を支えるだけということです。

沖縄県民はこのように戦いました。県民に対して後世特別のご配慮をして下さいますように。

戦争と戦争の噂

壕の見学では多くのアメリカ人と一緒になった。かつての敵国同士が戦争の爪痕を見学していることに不思議な気持ちを抱いた。戦争の無い世界、心から願うものであるが中国が台湾上空を包囲するシミュレーション飛行を行った。そして今日も朝から戦闘機が轟音と共に飛んでいる。自衛隊のヘリが墜落したこともあるかもしれないが、沖縄の空が非常に騒々しい。やはり戦争に向かっているのだろうか。

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帰校

沖縄生活

沖縄で生活し始めて1週間になる。土地自体に対する違和感などは全くない。むしろ懐かしい、と思っている。勿論新しい商業施設が増え新しい道ができ以前には無かった空間が広がっているがそれでも同じ風が吹いている。20年前に住んでいたのが名護で今は那覇なのでその違いは多少あるがそれでもさほど違和感は感じない。ただ、妻と子どもたちが生活している場所に自分一人が転がり込んだ形なので色々な意味でやりにくさを感じている。自分なりに気を使っているが、それ以上に家族は気を使っていると思う。毎日ゆっくり会話をしながらお互いの距離を縮めようとしているがまだ1週間なので、自分がお客さんになっている感じは否めない。そもそも住民票の移動をしていないので明日には転入の手続きをしないといけない。

長男

長男が今日、全寮制の学校に戻った。所謂帰校である。殆ど毎日のように数学と物理の勉強を一緒にしていた。問題を解くだけでなく公式の意味や微積分が物理のディメンションの架け橋になっている話、物理学者たちの話、そして物理学的にみた聖書の解釈。そんなことを説明してこの数日を過ごした。楽しくて仕方なかった。また長男が急に「一緒にフリスビーをしよう」というので近くの公園でしばらく遊んだ。本当に久しぶりのことで心の中では感動で大泣きしていた。そんな長男が家を出るのは本当に寂しく辛かった。空港で家族みんなでお別れするときも顔こそ笑顔だったけれどみんな心の中では泣いていた。妻は涙ぐんでいた。昨晩も妻との祈りの時間に長男のことをお祈りしながら二人で泣いていた。子どもを上手に羽ばたかせることが親の使命だが、自分にはまだまだそれができそうにない。いつまでも手元においておきたいと思っている。

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