4人の天使

黙示録7章の考察

「この後、わたしは四人の御使が地の四すみに立っているのを見た。彼らは地の四方の風をひき止めて、地にも海にもすべての木にも、吹きつけないようにしていた。 また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、 「わたしたちの神の僕らの額に、わたしたちが印をおしてしまうまでは、地と海と木とをそこなってはならない」。」

‭‭ヨハネの黙示録‬ ‭7‬:‭1‬-‭3‬ 口語訳

連日巨大地震の予測や注意喚起を促す報道を目にする。いよいよ色々なことが起こり世の中が終わることを示している。確かに絶望的な出来事が連日報道され枚挙にいとまが無い訳だが、それでも現在起きていることは最悪のことではないと聖書は教えている。四方の天使が世界を破滅に導く風を押しとどめていてくれている。全ての救われるべき魂の額に「神の印」が押されるまでこの4人の天使は頑張ってくれる。

Jアラート

今朝は少し寝坊してしまい朝6時に起きた。少しずつ目が覚めるのを待って聖書を読み始めるやイミングでJアラートが鳴った。3月まで生活していた青森でもJアラートは鳴った。北朝鮮からのミサイルだ。青森からずいぶん離れたと思ったが今度は沖縄でJアラート。北朝鮮としては一応予告していたようだが予告から間も無くミサイルを打ってきた。Jアラートが630分になり始めたがその後防災無線放送がずっとアナウンスしていた。残念ながらよく聞こえなかったので家から出て聞いてみると「北朝鮮からミサイルが発射されました。すぐに建物の中に入り窓から離れた場所にて安全を確保してください。」外に出ないと聞こえない放送が「家の中に入りなさい」というアナウンスだったので少しおかしかった。

結局7時過ぎに沖縄への着弾の可能性は無くなったと解除のJアラートが再度鳴った。

自分は戦争を経験していないので全く想像できないが、それでも今朝の騒然とした雰囲気や止まらない防災無線放送は両親から聞いていた「空襲警報」を連想させるものだった。

珍しく北朝鮮は今回のミサイル(衛星?)の打ち上げは失敗だった公表しているようだが極々近い将来2回目を行うとのこと。

4人の天使が働いている今

北朝鮮はまたミサイルを打って来るのだろう。しかし、今の沖縄はそれどころではない。台風2号の接近に備えている最中だ。しかも主要な物流が昨日から止まってしまいスーパーなどに食品が無くなる事態になっている。いつどこで巨大地震が起こるか分からない、そして台風の接近。更にミサイルなど本当にやめてほしい。沖縄にいると戦争がとても身近に感じられ恐ろしくなる。

今、最後の壊滅的な災害や戦争を押し留めるために4人の天使がその猛威が地球全体に及ばないように守ってくれている。それは地球が愛おしい星で少しでも長く存続するためではない。そこに住む全ての人々が額に神の印を押され永遠に神の国で生活できるようになるためである。

ノアの時代には「方舟に入りなさい」というメッセージが世に伝えられた。イエス様の時代には「悔い改めなさい」というメッセージ。エルサレム崩壊の際には「山に逃げなさい」というメッセージが語られ、このメッセージを信じて行動したクリスチャンは全員助かった。そして現代は「バビロンから逃れなさい」というメッセージが語られている。バビロン・・・。

バビロン

ヨハネがパトモス島にて黙示録のメッセージを受け取った時にはすでにバビロンは滅亡していた。だから逃れるバビロンは文字通りのバビロンではない。霊的な意味におけるバビロンである。

バビロンは異教の象徴、また人間の知恵の象徴でもある。プロテスタント教会は聖書のみを土台とする教理を掲げる。しかし、そこに幾つかの混ぜ物を残してしまった。

バビロンの中には多くの救われるべき魂があることも聖書は教えている。

バビロン、即ち反キリストの国でなければ、まるで神であるかのように教会に座って自らの教理と儀式で罪と滅亡を増幅させる罪の人、滅びの子は誰であろうか?数世紀に渡ってこれらの全ての条件は教皇権の横暴によって成就した。

マルチン・ルター  Martin Luther,First Principles, 196-197

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痛恨のミス

目次
  1. 無い

自覚している悪い癖の一つにお金の管理がある。基本的にお金は口座に入れており必要な分だけ現金をお財布に入れているのだが、万が一のことを考えて車やスマホのケースなどにお金を入れておく癖がある。これで助かったことも何度もあるが逆にどこに幾らおいたのかを忘れてしまうので結局紛失してしまう。

生前母からお金をもらったことがある。何度も貰っているのだが最後にもらったお金は決して手をつけないよう、お財布にも口座にも入れずにいた。封筒に入れて普段持ち歩くカバンに入れていた。

無い

今日、決して手をつけないでおこうと思っていた母からもらったお金の一部を自給伝道に献身した友人に送ろうと思って封筒を探した。が、無い。どこを探しても見つからない。引っ越しや住民票の異動、国保の手続きや雇用保険の手続き書類で非常に沢山の書類を持ち歩いていた。分かりやすくファイリングしたつもりだったがどこかで紛失してしまったようだ。こんなことなら早いうちに口座に入れるか子どもの学費などに使っておくべきだった。或いは全額献金しておけばよかった。いざという時に神様ではなくお金に頼ろうとしたからこうなったのかもしれない。いずれにしても母に申し訳なくてかなり落ち込んでいる。お金そのものはこれから就職できれば稼ぐことができる。しかし、母の気持ちをそのまま無くしてしまった、、無駄にしてしまった気がして本当に悲しい。

今朝聖書の言葉に力をいただいて元気に1日を歩んでいたのに。痛恨のミスである。因みに今日与えられた聖書の言葉は↓↓

「彼らが祈り終えると、その集まっていた場所が揺れ動き、一同は聖霊に満たされて、大胆に神の言を語り出した。」

‭‭使徒行伝‬ ‭4‬:‭31‬ 口語訳

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英断

バビロン

所属するキリスト教会の教団が発行する聖書研究ガイドを用いて聖書の学びをしていると大きな恵みをいただくことができる。今週はバビロンという古代都市とバビロンが象徴する性質について学んだ。

偽物は本物と見間違えるように作られている。某国の某通販サイトは驚くほど本物に似ている商品がたくさんある。憧れのMartin D-45の模造品は写真で見る限り本物と殆ど変わらない。150万円以上するものだが偽物は5万円程度で買える。もしかしたら使用している木材だけ考えても5万円の価値はあるのかもしれないがMartinというロゴが入った段階で正真正銘の偽物である。そう考えると、宗教の偽物も「あの宗教は危ない」と誰もが知っている団体ではないような気がする。偽物の宗教は、本物を自称する自分が所属する団体から派生するのではないかと思っている。全てが教団の教理と一致しておりライフスタイル、安息日、什一献金、聖所の理解など全てに矛盾がない。しかし、ほんの少しの自我、ほんの少しの混ぜ物が盛り込まれ礼拝の対象が神様から人間に変わっている、などということがないかを常に吟味しておく必要がある。

退職

昨日、ある方から電話があった。自分の親しい友人についてであった。彼が退職したという知らせだった。

退職した友人とは中学時代からの同級生で、今まで多くの時間を共有した仲間の一人である。二人とも釣り、アウトドアが好きなことから常に行動を共にすることが多かった。同じ職場で働くことも数回あり仕事の合間に釣りやキャンプに出かけていた。自分の離職をきっかけに彼とは少し疎遠になってしまったがそれでも心の友である。そんな彼が退職したと聞いて不安になった。病気なのか、ご家庭の事情なのか、組織の上層部と揉めたのか、色々な憶測が頭を駆け巡った。そういえば今日与えられた聖書の言葉があった。

「絶えず祈と願いをし、どんな時でも御霊によって祈り、そのために目をさましてうむことがなく、すべての聖徒のために祈りつづけなさい。」

エペソ人への手紙 6:18 口語訳

余計な憶測をすることより彼のために祈る必要を感じた。

しばらくして、連絡があり彼の退職理由が分かった。彼は終末のこの時代に伝道することの必要性を痛感し「自給伝道」を始めるために退職したとのこと。大学生のお子様もいて経済的にも不安があったと思うが彼は退職を選んだ。中学3年生の時、毎朝5時から聖書研究会を同級生全員で行なっていたことを思い出した。あの時のスピリットがまだ生きていることを知り心が震えた。

そういえば、彼がある研修会に参加したのちに興奮気味に語ってくれたことがあった。

「パウロはテント職人として自給していた。勿論周囲の厚意も受けていただろうが基本的には自給していた。パウロから学ぶべきことはたくさんある」と熱く語っていたことを思い出す。

一歩を踏み出すことでひらかれる神様の道があるのだと思う。御託を並べてその一歩を踏み出せない自分が恥ずかしくなった。

祈りのノートに彼の名前を書き加えた。

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否定

講演会

毎週通っている教会ではこの月曜日から講演会が持たれている。韓国の教団をまとめていた総代表(総理とか韓国教団理事長などというが)の金大成牧師が講師となり「預言セミナー」を開催してくださっている。祝福に満ちたお話をうかがっている。本来教会で拝聴すべきところだが、子どもの体調がすぐれないため自宅にて学ばせていただいている。明日こそ教会にて拝聴できると良いのだが。預言と聞くと、今流行りの「都市伝説」的なものを想像する方もいるかもしれないが決してそうではない。今まで聖書に記されている預言がどれほど正確に成就したのかを確認しこれから起こることを聖書はどのように解説しているかを紐解くセミナーである。一貫して聖書のみ、他の混ぜ物や人間の考えを取り除いた解説をしてくださるのでとても分かりやすい。しかも、その根底には「都市伝説」的な要素とは全く異なるキリストの愛が脈々と流れていることを知り胸が熱くなる。今の時代、どうしても人々に語らなくてはならないことである。

ハローワーク那覇

昨日は求職活動の一環としてセミナーを受講して来た。とても良いおはなしを聴くことができ貴重な経験となった。そして今日もハローワーク。今日のハローワークは気が重い。数日前から胃が痛くなった。ハローワークにはいくつかの部門があるが、前回あるセミナー(ハロートレーニング、職業訓練)を受けたく相談に行ったところかなり怒りモードで40分間ずっと文句を言われ続けた。その場所にもう一度行って職業訓練を受けられないかの相談をするのが今日のミッション。前回撃沈だったので今回は少し勉強もして行った。毎回女性が対応するのだが今日の相談員も非常に高圧的(自分にはそう思えた、だけかも)だった。終始肘をついてため息交じりに話しをする女性。苦手である。前回の人以上に非常に高圧的であり、私の考えていることは全否定。最後は鬼の形相で睨みつけられ「どうしても、と言われたので賛成はしませんが願書だけ渡します」と言われた。明日またこの願書を持って行くことを考えると本当に苦しい。職業訓練を受けるようにすすめられるのだが、窓口では全く反対の対応をされる。これは那覇だけのことなのか。全国的にハローワークに対する苦情は多くネットにあげられているが、自分だけの問題なのかもしれない。

エージェント

ハローワークに何度も足を運んでいると幾つか分かってくることがある。まず、ハローワーク周辺にたむろするエージェント。少なく見積もっても毎回10社ぐらいは来ている。有能そうな人がハローワークから出てくると声をかけるのだろう。エージェントのサイトを見ると最高齢でも40歳ぐらいまでをターゲットにしているようなので勿論自分のような還暦直前は見向きもされない。過去に何をしていたか、今持っている資格などよりもやはり年齢である。これから何年働けるかでその人の価値が決まる。そんなところだろうか。

イエス様の忍耐と愛

ハローワーク那覇の窓口では毎回嫌な思いをするが今日は特に辛かった。今までで一番気の強そうな女性で態度も横柄。かつて、この地で働いていた時には「公務員至上主義」の雰囲気が蔓延していた。が、今もその気質は変わらないのかもしれない。幸い、そこまでの怒りの気持ちがないので「腹がたつ」というレベルではないが、それでも辛かった。かなり落ち込んだし珍しく妻にもその出来事を話してしまった。

少し職安で否定されたぐらいで、悲劇の主人公のようなことを書いて恥ずかしいと思っている。イエス様がどれほどの否定をされてきたことかを考えれば自分の落ち込みが恥ずかしくなる。しかも、いやな気持ちにさせられた相手は、もしかしたら自分が福音を伝えなくてはいけない相手かもしれない。こんなことでくよくよしていてはいけない。

更に、自分自身に対する自戒を込めて今日のできごとを心に留めておきたいと思った。前出の講演会を視聴してイエスを伝える、福音を語る必要性を痛感した。しかし、その相手が素直を福音に耳を傾けてくださらない方だったらどうだろうか。自分はその方に対して「この人は可能性のない人だ」と言って頬杖をついて失礼な態度は取らないだろうか。或いはすぎるくらい素直に福音を受け入れてくださる方に対して福音に少しだけ「自分の聖書に対する知識量」「神様に対する忠誠心と信仰の篤さ」を混ぜてイエス様ではなく自分を高めようとすることはないだろうか。そんなことを考えていたら「自分だったらやりそう!」と恥ずかしくなった。

 

那覇教会「春の預言セミナー③」 金大成(キム・デソン)牧師 (元韓国教団総理)

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お世話になった方

通院

今日は次男の通院の日。およそ8週間に一度受診して薬の調整などを行なっている。数日前から今日が受診日であること、学校を休んで病院に行くことを伝えていた。が、今日からプール授業が始まる。次男はそのことがとても気になっているようで通院の確認をする度にはっきりしない返事をしていた。想定内ではあったが今朝になって通院よりもプールが良いと言い始め結局両親だけでいつもお世話になっている先生に会いに行くことにした。4月の初めから予定されていた面談及び受診だったが先生が離島の往診に出かけたり体調不良だったりで数回予定が変わって今日の予約となった。

寄り添ってくださる先生

以前からこの先生のことを妻から聴いていた。時々外来受診中の写真も送られて来て次男がこの先生に凄く懐いている様子がすぐに分かった。妻にとっても心の支えになってくださる先生、寄り添ってくださる先生である。

2年前になるが次男が学校で注意を受けた。実際には次男ではなくて他の子が悪さをしていたようで、たまたま通りかかった次男に嫌疑がかけられ注意されたようだ。次男の態度も良くなかったのだろう。声を掛けられても無視して通り過ぎたので、当該の教頭先生が次男のランドセルを引っ張りそのまま次男は転んでしまったようだ。その一部始終を外来受診の時に面白おかしく次男が主治医に話した。次男として話題のひとつとして話したつもりだったが、主治医は劣化の如く怒りすぐに当該の教頭先生と校長先生を病院に呼び出したそうだ。教育現場で20年以上働いてきた妻にとってもこの対応は非常に驚きであった。聞けば、この主治医も我が子が小学生の時に学校に怒鳴り込んだことがあったという。図工の時間に「なんでも好きな絵を描きなさい」と言われ、迷彩柄の模様を上手に描いた。ところがその模様を見た教室の先生が「こんな迷彩柄を描いてはいけない」と厳しく指導したという。これがお父さんこと主治医の逆鱗に触れた。翌日、学校に怒鳴り込んだという。そういう経験があったから次男の話を聴いて黙っていられなかったのだろう。職務の範囲を超えている、と思われてしまうかもしれないが当事者にはとてもありがたいことでありありがたい存在である。

突然

結局、当事者である次男は登校し私たち両親で病院に行った。県内でも有名な大病院である。いつも高速道路からは見ていたが実際に訪問するのは初めてである。受付を済ませて気づいたのだが先生の名前が違う。すぐに受付に行き主治医と会うために来たが、主治医ではない先生の名前が書いてあることを伝えるも要領を得ない。また今日も先生の都合が悪いのか、と思ったが小児外科医だから仕方ない。今日対応してくださる先生に会う前に看護師さんが事前情報をお知らせします、と言って話しにこられた。そこで初めて大変お世話になったこの主治医が4月にご病気で亡くなられたことを知らされた。思わず「え!」と大きな声を出してしまった。次の瞬間、妻の顔を見ると無表情の能面顔になっていた。すぐに安定剤をのんで休ませた。妻が心の底から信頼していた先生の訃報にどうして良いのか分からなくなってしまった。

病院の後、自分は県庁の方で別の用事があるため別行動の予定をしていたが「今日は一緒にいてほしい」と妻から言われた。今まで一緒にいて欲しくない、出ていって欲しいという言葉は何千回も言われたが一緒にいて欲しい、という言葉はここ10年は聞いたことがないので驚いた。自分の用事は日程を変えることもできるので何の問題もない。

天国

帰りの車の中で妻がしきりに主治医の先生がご再臨の時に天の御国に行けるのかととても気にしていた。自分には分からないし、誰が天国に行けて誰が行けないかを考えることは愚かなことだし聖書で禁じられていることを説明した。

多くの子どもたちの命を救った功績と、患者さんやその家族に寄り添う姿勢を神様が全く無視されるとは決して思えない。

この先生に対して心からの感謝をすると共に、結局肉体的に人を救っても自分を救う事はできない人間の限界性を痛感させられた。

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we will meet again in the Lord

突然のメール

夜中に卒業生からメールが届いた。3時頃に起きてしまいしばらく祈っているタイミングはだった。このメールをいち早く読むように神様は夜中に起こしてくださったのかもしれない。

この春から新卒採用である仕事に就いたのだが怪我のためその仕事を辞めることになった、との内容だった。卒業のことは毎日お祈りしているが、特に退職する直前2年間に担任した生徒は一人一人名前を挙げて祈っている。その中の一人である。

怪我も気になるが心の状態が殊の外心配である。祈りながら返信した。そして今まで以上に時間をかけて祈る事を約束した。

Would you just remember

自分でも情けないのだが、母がいなくなった寂しさから未だに立ち直れない。祈っても聖書を読んでもどうしても母に会いたくてたまらなくなる。

そんな時、癒えない心を天に向けてくれる歌を思い出した。母が居なくなってから何度、いや何百回聴いただろうか。心の支えとなっている歌である。

同じ曲だが上はライブの音源、下は感動的な歌詞が載った音源。どなたかの心を癒すものでありますように。

Golden Angels 10  We will meet again

Golden Angels 10  We will meet again lyrlcs

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もうひとつの母の日

激痛

514日未明、腹部と背中に激痛を感じて飛び起きた。恐らくいつもの痛みだと思い水を飲んでまだ暗い那覇の街を歩いた。時々起こる尿管結石の痛みだと直感した。この激痛が始まると24時間ほど苦しむ。痛みと闘いながらもできることは水を飲んで歩いたり縄跳びをすることぐらい。まともに歩けないほどの痛みだが横になっていても痛みがおさまるわけではないので壁や手すりを探しながらただ歩く。やっとの思いで家に戻りうずくまっていると、早起きの次男が容赦なく身体の上に乗ってきたりして甘えてくる。ごめんね、と謝りながら状況を説明すると心配しながら部屋を出て行った。結局、一日中ほとんど次男と顔をあわせることなく母の日を過ごした。前日に作った母の日カードを次男に渡した。本人なりの演出を考えてカードをお母さんに渡したらしい。

満足していない

翌日、月曜日になって少し痛みも落ち着き前日の様子を妻から聞いた。カードだけでは満足できず、花かハンカチをプレゼントしたかったようだ。

妻と相談してもう一度母の日をやり直すことにした。小学校から帰ってきた次男に、特別アルバイトの話を持ちかけた。家に何台かある扇風機の掃除をしてくれるようにお願いした。普段は決してしないが今日は特別にアルバイト代をあげるのでお母さんにプレゼントを買ってあげたら?と提案すると喜んでその話に乗ってきた。

ハンカチ

何でも自分でやらないと気が済まない難しいお年頃。アルバイト代の1000円を持ってショッピングモールに行くと

「プレゼントは僕が選ぶからパパはアドバイスしないでね」と念を押された。はじめは花も候補に上がっていたがハンカチにした様子。妻の喜びそうな色、柄のハンカチを3点に絞って見比べている。可愛くて可愛くて後ろからハグしたくなる衝動を必死に堪えた。しばらく悩んでやっと一枚のハンカチを選んだ。レジに持って行き会計をしてラッピングをお願いしていた。ラッピングが終わるまで少し店内を見ていたら、洋服大好きの次男が何かを見つけてきた。長袖のパーカーである。欲しそうにしていたので、そちらも購入した。

演出

ハンカチを買ったことは内緒にして家に戻り夕食を済ませた。いよいよお母さんにプレゼントを渡す。作戦を立てたい、と部屋に呼ばれた。買ったばかりの洋服を着て渡したいようだ。着替えると髪の毛まで整えている。彼女にプロポーズする勢いにまたまた可愛さを感じた。独特のワールドを持つこの子には、決してこの世界は生きやすいところでは無い。毎日毎日色々なところで傷つき悲しみ、心が乾いてしまうことも多々あるのだと思う。そんな子がお母さんへの感謝を表現するためにできる限りの事をしている様子に胸が熱くなり込み上げてくるものがあった。

計画の一部始終を知っている妻も泣いていた。亡き母を思い、尿管結石の痛みの中で寂しさを感じて過ごした母の日ではあったが、翌日には次男のお陰で感動的なもうひとつの母の日を過ごさせてもらった。

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バラ

母の日

今日514日は母の日。昨日は子どもと一緒に妻に対する感謝のメッセージカードを作った。子どもはよく母親と喧嘩しているがそれでも母親を最も信頼し愛している。次男を見ているといつもそう思う。今読んでいる本に母親の重大な責任について書かれていた。

母親の感化が真理のため、善のためであり彼女が天来の知恵に導かれ ている時、その生涯はキリストのためになんという力となることであろう!彼女の感化は現世から永遠にまで達する。母親の表情やことばや行為が永遠において実を結ぶということ、大勢の者の救いまたは破滅は彼女の感化の結果であるということはなんと厳粛なことであろう。

母親は、子供を正しく訓練するときに彼女の与える感化が、大きな力をもってこの人生の変動を通して将来にまで、永遠の生活にまで及ぶことをほとんど認めていない。天の模範にならって品性を形造るには、多くの忠実な、熱心な、忍耐強い努力が必要である。しかしそうするだけの価値がある。なぜなら、神は魂を導くための正しい努力をすべて報いたもうお方であるからである。

アドベンチストホーム電子版p187

バラ

母は生前花をこよなく愛した。赤色系の花、紫、青など四季それぞれにあった花が咲き家の前はいつも何かしらの花が咲いている。今年もバラが綺麗に咲いた。母が倒れてから、その回復を祈りながら自分が帰省のたびに母に代わって手入れした。手入れといってもやり方が分からない。少し誘引したり周りの草を抜く程度のことしかしていない。

母が見たらどれだけ喜んだだろうか、と思うほど今年はよく咲いている。姉が写真を送ってくれた。

生まれて初めて、母のいない「母の日」を迎えた。想像以上に寂しく無性に母に会いたくなる。自分がもしもキリスト教の真理を知らなかったなら間違いなく「ユタ」のところに行ったであろう。ほんの少しでもキリスト教の神様から離れて祈りをおそろかにすると「母の居ないこの世界では生きる意味を見出せない」という気持ちになってしまう。自分が思っていた以上に、母を失った喪失感は大きい。気丈に振る舞う姉も時々「お母さんに会いたくて涙が出ます」とメールを送ってくる。父をはじめ家族全員が深い悲しみと再会の希望の狭間で戦っていることを感じる。

もう一人の母

本当は義母のお見舞いに行こうと思っていたが入院先の病院から遠慮して欲しいと言われた。いつも明るくユンタク(おしゃべり)が大好きな母。間違い電話をしてきた相手と親しく30分話した後教会に誘う強者である。今はもうそういう状態では無いが、信仰を持ち続け子どもたちからはじまって親戚縁者をイエス様に導いて来た。義母が天国において受ける報いの大きさを時々想像することがあるがイエス様からものすごく褒められることは間違いない。この義母がいたから妻と出会えた。本当に感謝なことである。

もう何も心配することのない、また永遠に別れることの無い天の御国に間もなく入れていただけることを希望とし母や義母のようにはいかなくても、一人でも良いからイエス様のところに導ける者として生きていきたいものである。

三天使の使命①東清志牧師

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心当たり

沖縄移住

沖縄移住をはじめて6週間が過ぎるがまだまだ沖縄県民にはなっていない気がしている。このまま沖縄に住むことに戸惑いも感じるし、沖縄について知らないことがあまりにも多い。沖縄の道をある程度知っている、沖縄の文化と県民性のほんの少しが分かっている、その程度である。しかも昔々の古い情報なので、移住者が多くなった今の沖縄を全く理解していない。数年で入れ替わる自衛隊員や基地の米兵の他に海外からの移住者が多いことにも今更ながら驚いている。何も知らないことをとても恥ずかしく感じる。

福州園

昨日は県庁に行ったが空振りというか十分に用を果たせなかった。早々に用が済んでしまったので少しでも沖縄の事を学ぶために観光に時間を費やした。

県庁出発だったので一番近い観光地である「福州園」に行ってみた。那覇市と中国福建省の交流を記念して1992年に作られた中国式(福建式)の回廊と庭園。以前沖縄に住んでいた時から何度もこの前を車で通っていたがお寺だと思っていたので中に入ったことはなかった。が、今回初めて入園してその美しさに圧倒された。中国の建築様式の繊細さと豪華さに驚いた。その昔、福建省出身の人々がこの地那覇市久米に移住した事を記念した庭園であるが、中国人の沖縄進出や土地の購入は今に始まったことでは無いようだ。福州園から100mのところで卒業生が店舗を構えているので少し寄ってみた。

首里城

次に行ったのが首里城。首里城から徒歩2分のところに親戚が住んでいるためここは観光地ではなく毎朝の散歩コースになっていた。それでも今まで20回以上は城内に入ったことがある。今回、復元工事中ではあったが中に入ってみた。以前のように荘厳な城内は勿論見学出来なかったがその分多くの資料や映像で色々と勉強させてもらった。終戦後、首里城を利用して琉球大学が開学されたことは全く知らなかった。その他にも色々なことに利用された首里城。3年後の完成が待ち遠しい。

玉陵

たまうどぅん。首里城からほど近いところに位置する玉陵。玉陵は、1501年、尚真王が父尚円王の遺骨を改葬するために築かれ、その後、第二尚氏王統の陵墓となった。浦添ようどれはそれよりも更に前の陵墓。13世紀頃に英祖王と尚寧王の一族が葬られたとされている。玉陵も今回初めて見学した。琉球の奥深い歴史、理解できたらものすごく世界が広がる気がする。

金城町石畳

玉陵から歩いて10分。よく観光案内などの写真に使われる石畳の坂道がある。ここは以前に2回訪れたことがある。この石畳近くに卒業生が昔住んでいた家がある。またこの坂の上に義兄が住んでいる。馴染みのある場所だが結構歩き難いので殆ど来たことがない。が、今回は意を決して坂の下まで歩いてみた。帰りの辛かったこと。観光気取りで下まで歩いた事を心の底から後悔したがやはり綺麗だった。

反省

このところ各地で地震が起きている。千葉、鹿児島、北海道、そしてまた宮古島でも。これからどうなるのだろうと不安な気持ちにもなるが、色々な事象を通して神様が語りかけ警鐘を鳴らしてくださっている事を感じる。今日読んでいた本にも「これはまさに自分のことだ」と反省させられることが書かれていた。

あなたは妻や子供たちに多く期待しすぎる。あなたはとがめだてをしすぎる。もしあなたがあなた自身朗らかな、幸福な性質をやしない、彼らに親切にやさしく話すなら、あなたは家庭の中に暗雲や悲しみや不幸の代わりに太陽を持ってくるであろう。

あなたは自分の考えを重んじすぎる。あなたは極端な立場を取り、妻の判断が家族の中で当然重要視されるべきであるのに、そうされることを喜ばなかった。あなたは妻を尊敬するように自分を教育しなかったし、 子供たちにも彼女の判断を尊重するように教育しなかった。あなたは妻を同等の者とみなさずに統治と支配のたずなを自分の手にとって、それを固くひきしぼっている。あなたには愛情深い、同情深い性質がない。 もし勝利者になりたいなら、また家族に神の祝福が与えられることを望 むなら、こういう性質を養わなければならない。

アドベンチストホーム電子版p176,177

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観光立県沖縄

国際通り

那覇空港から車で10分ぐらいのところに沖縄県庁、そして那覇市役所がある。向かいには沖縄では大手の百貨店、りゅうぼうがある。沖縄の台風中継でよく映されるのがこの役所前の交差点。ここからおよそ1.6kmに渡って「国際通り」が続く。終戦後いち早く復興を遂げたことから「奇跡の1マイル」とも言われた。

確かな記憶ではないが自分が最初に沖縄を訪れた1985年当時、国際通りはもう少し道幅が狭く県庁から牧志方面の一方通行だったように記憶している。昔は映画館もあり上野のアメ横を思わせる賑わいだった。

勿論、今も行くたびに修学旅行の生徒さんたちやその他の観光客を多く見かける。店舗はおよそ600。その中には昔からのお店も数点ある。飲食店や宝飾店など35年以上経っても変わらない懐かしいお店もあり、はじめて沖縄を訪問したあの日を思い出させてくれる。

外国人スタッフも多い。公設市場には中古中国人が経営するお店も数店ある。また販売員も中国、台湾をはじめ色々な国の方がいる。国際通りの話ではないが、ダイビングでいつもお世話になるショップにも行くたびに台湾のインストラクターが増えている。これも沖縄全体の変遷なのか。

コロナ

沖縄に移住しておよそ6週間。かなりの頻度で国際通り付近に出かけている。恐らく週に4回ぐらいだろうか。その殆どがモノレールと徒歩なので、国際通りの小さな変化にも気づくことが多い。その中でも「観光立県沖縄」にとって深刻と思われることがある。それが空き店舗問題。少し前まで国際通りに空き家など考えられなかった。家賃もそれなりに高いが国際通りに店を構えれば相応の見返りが期待できる。だから店舗が移転してもそこが数ヶ月空き家になることは絶対になかった。ところがコロナの影響だろうか。今の国際通りには空き家が目立つ。ある有名なミュージシャンが経営するライブハウスがあるビルも一棟丸ごと空き家になっている。このまま放置されれば富豪中国人が買い占めるかも知れない。

観光立県沖縄

沖縄の地場産業はあまり多くない。津堅島の人参は有名だが沖縄の一次産業はおよそ1.3%程度。サトウキビも有名だが沖縄全体の産業から見れば微々たるものである。建設業も多いが製造業と併せても15%に満たない。殆どが観光業、またそれに付随する産業である。だから観光客が迎えられなかったコロナ禍に多くの店舗、会社が倒産した。

偏見に満ちた表現で正確さに欠ける事を承知した上で敢えて言うなら、沖縄を訪れる観光客のマナーは決して良くない。中国人はかなり強引だが日本人のマナーも決して良くない。最近はお土産店で買うよりもサンエーやイオン、カネヒデで買う方が安い事を知った観光客がレジで値切っている。昔インドネシアに行った時に見た光景に似ている。そんなマナーの悪い観光客にも媚びないと生活が成り立たない沖縄がなんとも悲しく見える。まだ戦争が終わっていない事を感じる。

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