講演会
毎週通っている教会ではこの月曜日から講演会が持たれている。韓国の教団をまとめていた総代表(総理とか韓国教団理事長などというが)の金大成牧師が講師となり「預言セミナー」を開催してくださっている。祝福に満ちたお話をうかがっている。本来教会で拝聴すべきところだが、子どもの体調がすぐれないため自宅にて学ばせていただいている。明日こそ教会にて拝聴できると良いのだが。預言と聞くと、今流行りの「都市伝説」的なものを想像する方もいるかもしれないが決してそうではない。今まで聖書に記されている預言がどれほど正確に成就したのかを確認しこれから起こることを聖書はどのように解説しているかを紐解くセミナーである。一貫して聖書のみ、他の混ぜ物や人間の考えを取り除いた解説をしてくださるのでとても分かりやすい。しかも、その根底には「都市伝説」的な要素とは全く異なるキリストの愛が脈々と流れていることを知り胸が熱くなる。今の時代、どうしても人々に語らなくてはならないことである。
ハローワーク那覇
昨日は求職活動の一環としてセミナーを受講して来た。とても良いおはなしを聴くことができ貴重な経験となった。そして今日もハローワーク。今日のハローワークは気が重い。数日前から胃が痛くなった。ハローワークにはいくつかの部門があるが、前回あるセミナー(ハロートレーニング、職業訓練)を受けたく相談に行ったところかなり怒りモードで40分間ずっと文句を言われ続けた。その場所にもう一度行って職業訓練を受けられないかの相談をするのが今日のミッション。前回撃沈だったので今回は少し勉強もして行った。毎回女性が対応するのだが今日の相談員も非常に高圧的(自分にはそう思えた、だけかも)だった。終始肘をついてため息交じりに話しをする女性。苦手である。前回の人以上に非常に高圧的であり、私の考えていることは全否定。最後は鬼の形相で睨みつけられ「どうしても、と言われたので賛成はしませんが願書だけ渡します」と言われた。明日またこの願書を持って行くことを考えると本当に苦しい。職業訓練を受けるようにすすめられるのだが、窓口では全く反対の対応をされる。これは那覇だけのことなのか。全国的にハローワークに対する苦情は多くネットにあげられているが、自分だけの問題なのかもしれない。
エージェント
ハローワークに何度も足を運んでいると幾つか分かってくることがある。まず、ハローワーク周辺にたむろするエージェント。少なく見積もっても毎回10社ぐらいは来ている。有能そうな人がハローワークから出てくると声をかけるのだろう。エージェントのサイトを見ると最高齢でも40歳ぐらいまでをターゲットにしているようなので勿論自分のような還暦直前は見向きもされない。過去に何をしていたか、今持っている資格などよりもやはり年齢である。これから何年働けるかでその人の価値が決まる。そんなところだろうか。
イエス様の忍耐と愛
ハローワーク那覇の窓口では毎回嫌な思いをするが今日は特に辛かった。今までで一番気の強そうな女性で態度も横柄。かつて、この地で働いていた時には「公務員至上主義」の雰囲気が蔓延していた。が、今もその気質は変わらないのかもしれない。幸い、そこまでの怒りの気持ちがないので「腹がたつ」というレベルではないが、それでも辛かった。かなり落ち込んだし珍しく妻にもその出来事を話してしまった。
少し職安で否定されたぐらいで、悲劇の主人公のようなことを書いて恥ずかしいと思っている。イエス様がどれほどの否定をされてきたことかを考えれば自分の落ち込みが恥ずかしくなる。しかも、いやな気持ちにさせられた相手は、もしかしたら自分が福音を伝えなくてはいけない相手かもしれない。こんなことでくよくよしていてはいけない。
更に、自分自身に対する自戒を込めて今日のできごとを心に留めておきたいと思った。前出の講演会を視聴してイエスを伝える、福音を語る必要性を痛感した。しかし、その相手が素直を福音に耳を傾けてくださらない方だったらどうだろうか。自分はその方に対して「この人は可能性のない人だ」と言って頬杖をついて失礼な態度は取らないだろうか。或いはすぎるくらい素直に福音を受け入れてくださる方に対して福音に少しだけ「自分の聖書に対する知識量」「神様に対する忠誠心と信仰の篤さ」を混ぜてイエス様ではなく自分を高めようとすることはないだろうか。そんなことを考えていたら「自分だったらやりそう!」と恥ずかしくなった。
那覇教会「春の預言セミナー③」 金大成(キム・デソン)牧師 (元韓国教団総理)
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