祈りに導かれるは全てよし

再就職の壁

再就職への道はなかなか厳しい。ハローワークから紹介される案件も自分が応募できる条件で無いものが含まれている。何より年齢の壁は高い。あと5ヶ月ぐらいは59歳だが、60歳になると再就職の門は更に狭くなる。何とか50歳代のうちに、と考えると焦りと不安で眠れなくなり最終的には聖書を読んで祈っているうちに朝方いつの間に眠っている。必ず神様が道を備えてくださっていることを信じ祈ることで、不安の中にも平安を見出すことができる。

腫瘤

今日、予約してあった病院に行った。生活習慣病のかかりつけ医を探していたのだが、少し遠方になるが良く知っているキリスト教の病院に通うことにした。今日はその初診。院内には数名の知り合いと会うことができた。かつての保護者や後輩、卒業生など。これからここで薬物療法の薬を処方してもらう。とりあえず幾つかの検査をしたのだが、案の定エコー検査で問題が見つかった。まずは腎臓の結石。これは毎回のこと。次は胆石。これは数年前に指摘された記憶があり思い出した。そして次に見つかったのが肝臓の腫瘤。以前に嚢胞があることは指摘されていたが今回は腫瘤。肝炎で無ければ良性の可能性が高いがこれから検査をしないと何とも言えないと言われた。急に心がザワザワしてきた。

沖縄に移住するようになってから「思いがけず」「予想外の」と形容される出来事が続いている。だから今回の腫瘤も「恐らく問題無いですよ」と言われても安心はできなかった。

祈り

俗な言い方をすれば「沖縄に移住してろくなことがない」といったところだ。

しかし、「不安はあるがうまくいかない出来事の連続で決して祈りを忘れない生活ができている」とも言える。

一瞬でも祈りを忘れればすぐに不安に満たされる。祈ること、頼ること、そして神様の計画に委ねることを毎日教えていただいている。沖縄に来てろくなことが起こらない毎日だが、神様の目から見るとこれほど神様に近く安全な場所を歩いていることもないのかもしれない。将来は分からないけどいつも感謝を忘れずに生きたい。

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信仰は資源を増やす

まさかの出来事

「知らない」ということは恐ろしいことだと痛感した。5月になってすぐ「サービス管理責任者・児童発達支援管理責任者基礎研修」を申し込んだ。将来に備えてのことだ。経済面、健康面、能力面、個性の全てを超越して全ての子どもに学ぶ権利がありそれを神様は望んでおられる、と思っている。将来、自分が教育に携わる仕事に就くときにはあらゆるチャンネルを生かしてそれを実現できるようにと「児童発達管理責任者」の資格を得たいと考えている。基礎研修を受けて2年間の実務経験を経て最終的な自発管の研修をうけることができる。この制度は始まってそれほど歴史があるわけではないが、社会のニーズもあってかなり緩和的措置が講じられてきた。

そのような事情からこの基礎研修を申し込んだのだが一昨日その研修受講の可否を知らせる通知がきた。結果は「不可」だった。

本音を言うとまさか不可になるとは思っていなかったので驚いたしかなり落ち込んだ。すぐに妻の兄(といっても自分の教え子で年齢は6歳下)に連絡して不可であった旨を伝えた。彼は元々PT(理学療法士)なのだが現在は多くの事業所の運営を任されている。そのためこの辺の事情に詳しい。兄が言うには、少し前まで誰でも申し込めたが沖縄では違法事業所が増えてしまい悪質業者を排除すべく3年ぐらい前からかなり厳しくなってきたとのこと。事業所の推薦がない個人はまず合格しないとのことだった。自分の無知、知らないと言うことが恐ろしく感じた。

落ち込み

22日木曜にはコンピューターの学校に不合格となった。その翌日23日に今回の不可通知だったので、かなり落ち込んだ。コンピュータの方は予想していたのでそこまで落ち込まなかったが、自発管の方はまさか不可になると思っていなかった。

あれ、これは神様のご計画そして御心ではなかったのか?と疑問をもった。では何が神様のご計画なのだろう。神様は自分を通して何をなさろうとしているのだろう、と次々疑問が湧いてきた。

体調不良も相まって少し塞ぎ込んでしまった。

エリヤのからす

北イスラエル、アハブが王だった時期にエリヤという預言者がいた。神様からの言葉でイスラエルに雨が降らないことを知らされる。同時にケリテ川のほとりに身を隠すよう命じられた。必要不可欠な食事についてはからすが運んで来るのこと。今の常識では全くナンセンスな話である。しかしこれが実際に起きた。やがてこの川の水もかれてしまうのだが、神様は次にザレパテに住むようお命じになった。ここに一人の貧しい夫人がいるのだがエリヤはその夫人に水を求め更に食物を求めた。残念ながら裕福ではないこの女性には僅かな粉と油が残っているだけ。それでもそれを用いてパンを焼くよう所望するエリヤ。その後、この家の油と粉は尽きることがなかった。その後もこの家に大きな奇跡が続く。

信仰は資源を増やす

夕食の準備をしながら礼拝メッセージを聞いていた。いつも視聴している卒業生のチャンネルである。その中でエリヤの話が紹介されていた。更に彼がどのように導かれビジョンが与えられ、そして不足が補われたかを証ししてくださった。

聴きながら、料理をしながら涙が止まらなかった。自分は今まで不信仰を恥じそれを神様に謝ることを繰り返してきたが、そのわずかばかりの信仰を用いたことはあまり記憶いない。皆無ではないが殆ど無い。その信仰を用いて前進しなければ神様は次の祝福を与えることがおできにならないのかもしれない。反省もさせられたが希望も与えられた。

父がよく言っている言葉を思い出した。

折れたまま 咲いて見せたる 百合の花

前を向け、一歩を踏み出せ、と 神様が仰っている気がする。

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慰霊の日

沖縄戦

終戦記念日は8月15日だが、沖縄ではこの日よりも今日6月23日の方が認知されている気がする。1945年4月2日から始まった沖縄本土決戦。日本で唯一地上戦が行われた沖縄戦は米軍の慶良間諸島攻撃からはじまる。その後中部(読谷村)付近から上陸し嘉手納飛行場、読谷補助飛行場の占拠を目的とした地上戦と発展する。

米軍は南下する部隊と北上する部隊とに分かれるが、南下部隊と日本軍との衝突は非常に激しく日本第32軍は苦戦を強いられる。本丸が攻撃され次々とその拠点を南に移すがついに牛島満司令官が自決。これが6月22日とも23日とも言われ一時は22日が自決の日とされた。その後、改定され現在の6月23日が慰霊の日となり沖縄では多くの教育機関や会社が休みとなる。また本土でもお盆の時期には海で泳いだり魚釣りを避ける習慣があるが、沖縄でも慰霊の日には海水浴をしない。今日も朝から曇り、雨そして時々晴れ間が見える天気だが気温は30℃と高い。海沿いを走ると海水浴を楽しむ人たちの姿も見かけるが基本的には沖縄の人ではないと思われる。恐らく観光客だろう。日本側だけでも20万人の犠牲者を出した沖縄戦。戦争は人類の残した負の遺産だと思う。

休日

次男の小学校も今日はお休み。休日の日は子どもと長時間に渡って遊べる。が、今日は予定があった。自分ではなく息子に。利用させていただいている放課後等デイサービスのピクニックの日である。お友達と喧嘩をしてしまうこともあり不完全燃焼で帰ってくることもあるがこのデイサービスが一番気に入っているようだ。3つの施設を利用させていただいているが隣の市にあるこのデイサービスには特別な思い入れがあるという。一時期、色々な事情からこの施設を利用できなくなった。原因は我が子にある。本人も出禁になった理由をよく理解している。でも余程好きなのだろう。妻の実家近くにあるため時々施設の近くを通ることがある。すると次男は必ず施設の前を通って欲しいという。この言葉に何度涙を流したかわからない。自己肯定感が低く人と比較して劣等感を持ちやすい次男は少しのことでも感情をコントロールできなくなる時がある。癇癪を起こすのだ。自分が一緒に生活するようになって3ヶ月弱だがその傾向がかなり落ち着いてきているように感じるもののまだ癇癪を起こすことはある。

「僕が悪い子だから●●(施設名)には行けないんだよ」と乾いた笑い声で言う時、とても辛くなって「そんなことないよ」と言って強くハグする。

決して友達が多いわけでもない。友達関係の構築も上手ではない。でも心から友達を欲してる次男。

5月の後半から出禁?だった施設が色々と配慮してくださり、また通えるようにしてくださった。週に一度だが次男は喜んで通っている。車で片道1時間かかるが金曜日はいつも朝から機嫌が良い。

今日はその施設のピクニック。行き先は・・・。自宅から歩いて1分で行ける海軍壕公園。家から参加すれば良さそうなものだが、子どもは往復のバスも大きな楽しみの一つ。朝から妻が1時間かけて施設に送った。同じ道を通って今度は施設のバスで家から徒歩1分の海軍壕公園に来る。そして、帰りも同様。1時間かけてバスにて施設に戻りそれを妻が迎えに行く。

実に無駄で非効率的な話である。が、とても大切なことなのだ。次男の友達を欲しがる気持ちを理解している自分たち夫婦には、周りからは愚かしく見えることが貴重なことに思える。

教育

今現在、長男がコロナに感染し療養している。寮生活をしているので仕方ないのだが少し学校にも油断があったのだろう。ほんの少し罹患者が減り始めたところで色々なプログラムを再開し外部からの来校者も受け入れるようにしたため落ち着く傾向が一転、また増加している。そのような中で長男が罹患したので少しショックも受けたが神様が何かのご計画を持っていたのだろう。妻とは文句を言わず感謝しながら長男の癒しを求めようと毎日何度も一緒に祈っている。子どもが自ら苦しむ経験を通して愚かな両親が神様に頼ることを教えてくれる。

次男も毎日学校や放課後等デイサービスのはなしをしてくれる。うまく言ったこと、そうでなかったこと等々。笑いながら話してくれるが結構壮絶な経験をしている。この子が、生きづらさを感じながらも尚生きることの葛藤を教えてくれる。神様を信じて祈っているけど、その祈りが聞かれないことに対する悶々とした思いを教えてくれる。

子どもたちが親を教育してくれる。そして神様から離れるなと教えてくれる。

もっと子どもの話を聞かないといけない。話の中に散りばめられた子どもの本心、本音を聞き分ける知恵が欲しい。

「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
マタイによる福音書 11:28 口語訳

「わたしはまた主の言われる声を聞いた、「わたしはだれをつかわそうか。だれがわれわれのために行くだろうか」。その時わたしは言った、「ここにわたしがおります。わたしをおつかわしください」。」
イザヤ書 6:8 口語訳

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不合格

合格発表

今日は先日受験した学校の合格発表。受験前からかなり否定的というか難しいと言われていた。能力的なところもあると思うが一番は年齢だった。ハローワークからは年齢的に合格する可能性は極めて低いから受けても無駄、どうしてもというなら出願書類だけはあげると言われていたので受験前から何となく場違いということは分かっていた。そして先日の試験。最高齢でも恐らく30歳代はいなかったと思われる。自分を含めて同じ時間、同じ教室で受験した人は28名いた。筆記試験は最後の絵を描く問題以外はとても簡単だった。が、手応えは全くなかった。受験したのが28人だと思っていたがその2倍以上の受験番号があったので競争率は4倍ぐらいあったのかもしれない。

ネット上でも合否を確認することはできるのだが一応現地で確かめたく受験した学校まで朝から行って見た。家から7kmほど離れたところにあるが夜に祈りの散歩と称してここまで歩くことがよくある。しかし今日は昼間なので熱中症にならないようにとモノレールにて出かけた。

「おもろまち」駅から徒歩20分。学校の入り口には既に合格者の番号が貼り出されていた。受験番号は028。何度か確認したが間違いない。不合格であった。

わたしを探って

数日前から、自分の弱さを示されることが何度となく起きている。自分の心の狭さ、捨てきれない自我を示されてきた。このことだけのために毎日祈り続けた。捨てた気になっていたがまだまだ自分の心にある「自我」。これによって自分自身が生きづらくなっていることを理解している。分かっているのだがなかなかここから解放されない。

先日与えられた聖書の言葉にもダビデが自我のために悩み神様に心を探ってくださるように祈る場面があった。

「神よ、どうか、わたしを探って、わが心を知り、 わたしを試みて、わがもろもろの思いを 知ってください。 わたしに悪しき道のあるかないかを見て、 わたしをとこしえの道に導いてください。」
詩篇 139:23-24 口語訳

また他にも

「神の受けられるいけにえは砕けた魂です。 神よ、あなたは砕けた悔いた心を かろしめられません。」
詩篇 51:17 口語訳

「主は心の砕けた者に近く、 たましいの悔いくずおれた者を救われる。」
詩篇 34:18 口語訳

地震

不合格を知ったところで覚悟していたことなので落ち込むことも無かったが今後について神様に相談したかったのでモノレールに乗る前に少し祈っていた。

その時、何か足元がふらつくのを感じた。実は昨日、心筋梗塞の前兆ではないか(その前兆なるものを経験したこともないのだが)と思われる動悸が続いていた。気持ちが悪くなり嘔吐もあったがとにかく横になっても座っても動悸と気持ち悪さがおさまらない。Apple Watchで心電図をとってみるも心拍が125を超えており正常な計測ができないとのメッセージが続いた。妻も子どもも出かけていたので、何かがあった時に気づいてもらうために具合が悪くても外にいた方が良いのではないかと思い近くの公園のようなところで休んでいた。

そのようなことがあったので、祈り始めてからすぐに足元がふらついたのでやはり病院に行こうと思った。が、その時少し離れたところにいた人が「地震!」と言ったので、ふらつきの正体が分かった。

これからどうしようかな?と少し悩んでいたが神様が「この地震をも支配するわたしを信頼して委ねなさい」と言っているような気がした。

午後になってまた地震に注意するよう連絡がきた。また地震か?と思ったが那覇ではない。青森である。下北と出ていたので以前に住んでいた津軽地方からは少し距離がある。このところ青森で経験したことを那覇でも経験している。先日もミサイルもそうだ。今日も那覇と青森のダブル地震。何か不思議な縁を感じる。そういえば県庁前のパレット久茂地では東北フェアーをやっていて青森の懐かしいお店が出店していた。

もっともっと祈りながら自我を捨てられるように成長させていただかないといけない。不合格は自我を捨てる大きな祝福だと思っている。

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父の日

プレゼント

今朝次男がおもむろに近づいてきて「パパ、いつもありがとう」と言って何かを手渡してきた。よく見ると手紙と綺麗に包装された何かだった。「今日は父の日だから」と言って渡してくれたものをよく見ると心を込めて書いてくれたであろう手紙。

沖縄に来て一緒に住むようになったことを喜ぶ文面だった。そしてプレゼントは昨年と同様「ミサンガ」だった。こういうものを身につける習慣が無いのだが昨年もらったミサンガは左手につけたままでいる。かなり痛んでおり間も無く切れそうだがこれを見るたびに次男の気持ちが伝わってくる。今年いただいたミサンガは右手首につける事にした。

手紙

改めて次男からもらった手紙を読んでみた。

お父さんへ

お父さん、いつも好きなことをやらせてくれてありがとう。お父さんが沖縄に来てくれて、たくさん公園に行けて嬉しかったです。これからもたくさん遊ぼうね。これからもよろしく願いします。父の日おめでとうございます。

不調

次男から何かをしてもらうとすぐに込み上げてくるものがある。食器洗いを手伝ってくれるだけで涙が出そうになる。今日もプレゼントを受け取ってから「ごめんね」と慌ててトイレに逃げた。不意打ちだったので心の準備が出来ておらず涙が出てきてしまった。

あとで妻から聞かされた。実は次男は昨日から高熱が続いており今も殆どの時間を横になって過ごしている。昨晩、急に妻に「今からイーアスに連れて行ってほしい」と言ってきたそうだ。イーアスは沖縄豊崎にある商業施設である。比較的最近できたのだがDMM水族館があることでも有名な場所。ここに次男お気に入りのアクセサリーショップがある。そこで父の日のプレゼントを買いたかったようだ。しかし39℃の熱が出ているので車に乗りのもきつそうで、途中で何度も車を止めて休憩しながら行ったとのこと。普段から甘えん坊で我儘な子ではあるがその辺の優しさはある自慢の息子である。自分がいかに恵まれ幸せな中を痛感する父の日であった。

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シュガーローフ

眼鏡

目が良く見えない悩みをずっと抱えてきた。広島にいた頃は県内でも有名な眼下が近くにあったので一度きちんと調べてみてもらいたいと思っていた。が、何故かこの眼科に通うことはなく広島を離れてしまった。青森でも一度眼科に通ったが「様子を見ましょう」と点眼薬をもらって終わった。

沖縄に住むようになり那覇な結構な眼科があることが分かり1ヶ月前に受診した。乱視は勿論だが眼瞼下垂や白内障を指摘された。とりあえず眼鏡の処方箋を貰いきちんとした眼鏡を作ろうと思った。が、眼科にある眼鏡クリニックはかなり値段が高い。今まで、量販店で2万円前後のメガネばかり買っていたのでその3倍もする眼鏡を買うことに抵抗があった。

しかも雇用保険を受けて細々と暮らしているのに先日青森の県民税と村民税の納付書が届いたばかり。およそ19万円の請求だった。こんな状況で眼鏡の新調などできないのだが目が見えないので頭痛もおさまらない。仕方なく、午後から眼鏡を注文しに行った。

シュガーローフ

眼鏡を注文したあと、すぐに帰るつもりだったが以前から気になっている「シュガーローフ」こと慶良間チージ(安里52高地)に寄ってみた。

場所はモノレールのおもろまち駅近く。カトリックの安里教会の上、高級ブランドを扱うDFSの正面に位置する。物凄く急な階段を登ると展望台らしきものがある。が、それ以外は何もない。配水タンクが目隠しで覆われているだけの場所。だが、その昔、沖縄戦では非常に多くの犠牲者を出した場所である。

ちなみにチージはよく「辻」に訳される沖縄の言葉だが辻からイメージされるものとは全く異なる。チージというと「高台、高地」を表すようである。 

シュガーローフについて説明があったのでそれを引用させていただきたい。

慶良間チージ (シュガーローフ)

沖細戰の激戰地。宇安童の北に位置する丘陵地帯に築かれた日本軍の陣地の一つ。日本軍はすりばち丘、米軍はシュガーローフと呼んだ。一帯の丘陵地は日本軍の首里防衛の西の愛番で、米第6海兵師団と激しい攻防戦が展開された。とくにここ慶良間チージの攻防は、1945512日から1週間に及び、1日のうち4度も頂上の争奪戦がくりかえされるという激戦の末、18日に至り米軍が制圧した。

米軍は死傷者2,662人と1,289人の極度の精神疲労者を出し、日本軍も学徒隊・住民を含め多数の死傷者を出した。

それ以後、米軍は首里への攻勢を強め、527日、首里の第32軍指令部は南部へ撤退した。沖縄戦は、首里攻防戦で事実上決着していたが、多くの住民をまきこんだ南部戦線の悲劇は6月末まで続いた。

新都心

頻繁に沖縄に通うようになった頃、使う道は国道58号線が多かった。県民の多くはゴーパチという。

空港から浦添向けに車を走らせると天久付近にかなり長い鉄柵の敷地が右手に見えた。所謂軍用地だが全く手付かずの状態だった。1980年代後半に解放され1990年代から開発が始まった。那覇新都心と言われ、その中心にサンエーが経営するメインプレース那覇が2002年にオープンした。

地価が高騰する沖縄だがその中でも群を抜いて高いのが新都心。ちなみに自分の同級生も博物館近くで歯科医院を営んでいる。先日行ってみたがとても立派なクリニックだった。

価値

新都心が軍用地として米軍に貸し出されていた時の利益が年間およそ60億円。しかし新都心として開発されてからの収益は1700億円にも上ると言われている。

勿論、観光立県の沖縄にとってコロナ禍で観光客が途絶えたこの数年はとても大きな犠牲が払われた。経済は勿論人間関係や健康、人命など。

多くの方が苦労して犠牲を払った事で今があることを決して忘れてはならないと思った。

1週間後は慰霊の日である。シュガーローフでの犠牲の上に今の自分があることを忘れずに謙虚でいたい。

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警戒レベル4

梅雨

梅雨の割に雨があまり降らないと思っていたが今週になって毎日雨が降るようになった。週間天気予報を見ても当分の間晴れマークは無い。青森では殆ど梅雨の鬱陶しさや不快感を感じたことはなかったが沖縄は別格である。久しぶりに沖縄の湿度を思い出した。大慌てで除湿剤を買ってきて楽器ケースに入れた。以前沖縄に住んでいた時に、特にバイオリンの管理が非常に難しことを感じていた。楽器庫を作らないと保管できないのではないかと本気で思った。また所有していた楽器を実家に保管し沖縄ではもっともっと安いバイオリンだけを所有することも考えた。とにかくかなり工夫しないとバイオリンやギターを保管するのが難しい。

楽器もそうだが、不快指数も高い。モノレール生活を送っているのでどうしても毎日数キロメートル歩く。外に出ているだけで体の周りが水分で覆われているのを感じる。沖縄の湿度、恐るべしである。

大雨

鬱陶しい湿度に加えて今週に入ってからの雨。とにかくよく降る。沖縄は南国特有のスコールもあるが梅雨の長雨もある。なかなかやまない長雨。

今日は大雨になると昨日から予報が出ていたが予報通り午後から立て続けに警報が鳴り響いた。沖縄に来てこの警報に何度驚いたか。大雨での警報は今回で2回目だがミサイルや近所の爆弾処理等何度もスマートフォンから警報が鳴り響いた。幸い、今回の土砂災害に関する警報は18時前に解除されたが引き続き強い雨は降っている。今回も警戒レベルは4、避難指示である。

警告

サッカーをはじめ多くのスポーツにはルール違反をした場合その程度や悪意の有無によって警告や退場の指導を受ける。これはフィールドにいる選手だけではなく監督やコーチなどにも適応される。

サッカーを例にとれば危険行為や相手を侮辱する行為、不正な行為などがレッドカードの対象となる。また、試合のレベル(公式度、重要度)などによって異なるが1つの試合でイエローカードなる警告を2回受けた場合にもレッドカードの指導を受ける。レッドカードを受け退場となった場合には当該試合は勿論、次回以降の試合にもある一定期間出場できなくなる。

沖縄に来てかつてないほどの警報がスマートフォンを通じて知らされるが、その全てがことなきを得ている。その影には多くの方々の努力や危機管理体制、危機管理意識がある。そのおかげでいつも回避できているが、これを警告と受け止めて備えるか、今回も大丈夫だったからきっと次も大丈夫と受け止めるのかは大きな違いになる。

今は恵みの時、救いの日(2コリント6:2)であることを忘れず、驕ることなくイエス様の再臨に備えたい。

今日の聖句

「あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。」

マタイによる福音書 6:19 口語訳

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賛美

教会

昨日、教会で非常に素晴らしいメーッセージを拝聴した。この教会の牧師先生は信徒の霊性に対して非常に心を配り最善のことをなさる先生である。韓国出身ということもあり著名(わたしどもの教団では著名な)な牧師先生やその他の機関スタッフを招いて礼拝メッセージや講演会、健康講話などを開催してくださる。また信徒の証も多く毎週霊的に恵まれている。

妻に聞くと、この牧師先生はクリスマスやお正月の礼拝にも教会とは別に個人的に特別な配慮をしてくださるとのこと。恐らく自腹でプレゼントを買って集まってくれる子ども達にプレゼントを渡している。また毎週の礼拝では帰りにお菓子をいただくことが多い。自分は、教会員のどなたかがお土産として教会に持ってこられたものを分けているのだと思っていた。ところがそうではないようだ。牧師先生ご夫妻が毎週どこかで買ってきているとのことで本当に驚いた。

何か物をあげることが素晴らしいこととは思わないが、礼拝が始まる前の10分間はすべての座席をまわって信徒一人一人に頭わ下げて挨拶されている様子から、「この牧師先生は心から羊を大切にしようと心を砕いていらっしゃるのだな」と思わされる。

かつての保護者でもある、人格的にもクリスチャンとしても尊敬できる牧師先生にお会いできたことを心から感謝している。沖縄に来たことが本当に良かったのか、今でも悩むことはあるがこの教会に導かれこの牧師先生にお会いできたことだけでも感謝すべきことであり沖縄に移住した祝福だと言える。

気づき

昨日、2023年6月10日安息日礼拝は信徒礼拝で一人の青年が証とメッセージをしてくださった。賛美についてのメッセージであったが非常に多くのことを学ばせていただき、また反省させられた。

まず賛美とは礼拝(神様を崇めること)に繋がるすべてを指すと教えていただいた。教会のお掃除や受付の仕事、礼拝の司会や放送設備、ライブ配信の働きなど全てが礼拝行為だという。なるほど、その通りである。以前に「礼拝の中心は聖書朗読である」と教えていただいたことがあるが、神様の言葉を聴くためになされるすべての行為とそこでささげられるものの全てが賛美ということだろうか。

また、もう一つ非常に重要なことを気づかせていただいた。より良いものを賛美として捧げようとする心は神様を知るものに与えられている。個人は神様に喜ばれることが何なのかを考えながら自分のできる最善を賛美としてささげる。個人の賛美はこれがベースになっていないといけない。しかし、自分の考える最良最善は、果たして神様が喜ばれるものかどうかは分からない。メッセージではカインとアベルのささげ物に言及し、人が考える最善でも神様はそれを受け取れないことがあると教えていただいた。

本当の賛美

こうなってくると、いったい本当の賛美って何なのか?果たして人間は本当の賛美をする力が与えられているのだろうか?と疑問を持ってしまう。

教員時代に「心を神様に向けて賛美しましょう」「心を合わせて神様を賛美しましょう」などとよく言っていたが賛美そのものを理解していなかったことを恥ずかしく思う。賛美歌を歌ったり演奏することだけが賛美だと思っていた自分が無知すぎる。そもそもそれぞれ神様との関係性が異なる複数人が心を合わせることなどできるのだろうか。

昨日の礼拝メッセージを伺いながら感銘を受けながらも混乱する気持ちにもなった。

易しいようで難しい、難しようで易しい

礼拝メッセージの中でひとつ大きなヒントとなる言葉があった。「要するに誰を賛美しようとしているのか、その対象が問題である。その対象が神様なのか自分なのか。」

短いセンテンスだったが心に残っている。同じ行為でも心から神様を思って賛美しているのか、その行為を見て他の人が自分の信仰深さや良い人ぶりを評価(賛美)してもらおうとしているのか。

いつも、何事をする時にも自分に心が向いておらず100%神様にだけ心が向いている人生を歩みたいものである。昨日の礼拝メッセージから本当に大切なことを教えていただいた。

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信じ続ける

個性的

科学者の中には幾つかの特異な個性を持った方がいらっしゃる。尊敬するアルバート・アインシュタインは個性的な科学者の代表かもしれない。自分の好きな科目以外には全く興味を持つことができず、嫌いな科目の授業時間は野外で読書をして過ごすなど好き嫌いがはっきりしていた。

また、敬愛する今はなきスティーブ・ジョブズもその一人であろう。養父母に無理を言って大学に進学させてもらうもほとんどの授業をボイコットしていた。ただカリグラフィーの授業だけは非常に熱心に受けていたという。今は事情が変わったが、Appleがデザイナーに好まれる理由のひとつがフォントの綺麗さ、にあったと言われている。ジョブズがフォントにもこだわったのは大学時代のカリグラフィーの影響だと言われている。

トーマス・エジソン

発明王のエジソンは1847年に米国オハイオ州で産声をあげた。電球や蓄音機の発明をしたことは有名であるが、多くの名言も残している。

天才とは、1%のひらめきと99%の努力である

これはあまりにも有名な言葉であり多くの方の記憶に残っていると思う。

他の発明家の弱点は、ほんの一つか二つの実験でやめてしまうことだ。

わたしは自分が求めるものを手に入れるまで決してあきらめない。

人生に失敗した人の多くは、諦めたときに自分がどれほど成功に近づいていたか気づかなかった人たちだ。

失敗したわけではない。それを誤りだと言ってはいけない。勉強したのだと言いたまえ。

私は失敗したことがない。ただ、1万通りの、うまく行かない方法を見つけただけだ。

成功できる人っていうのは、「思い通りに行かない事が起きるのはあたりまえ」という前提を持って挑戦している。

まだまだ多くの名言をのこしている。少し調べてみると失敗やうまくいかなかったことに対する名言が多いことに気づく。失敗をどのように肯定すべきかを教えてくれる。

エジソンは小学校入学後間もなく退学となっている。詳しい話は忘れてしまったが非常に勇気付けられる逸話がある。出典も分からずその真偽も定かではないがエジソンの個性から考えてデタラメな話ではないと信じて記憶にとどめてきた。

理解者

小学校に進学して間も無く、エジソン少年は学校から一通の手紙を渡される。帰宅してすぐに母親に見せると、書いてある内容をエジソン少年に読んで聞かせてくれた。

あなたのお子さんはかつて存在しなかったほどの天才です。残念ながらあなたのお子さんを指導できる教員が本校には在職していません。そこで、教員であるお母さんが明日からエジソン君の先生になってあげてください。

翌日からエジソンは母親に連れられ図書館で勉強をするようになった。多くの書物を読み、世界に出会い発見を重ねた。そして何年もの月日が流れエジソン少年はその天才ぶりを発揮して「発明王」となった。

母親を亡くした時に遺品整理のために実家にしばらく戻ったエジソンは母親の机の奥から一つの小さく折りたたんだ紙を見つける。その紙を広げて中に書いてある文章を読んで号泣した。

「あなたのお子さんは精神障害者です。本校ではあなたのお子さんを指導することはできないので本日付で退学処分とします」

という内容だった。

肯定

小学生時代、大川従道牧師は事情があって修学旅行に行くことができなかった。大川先生のお母様が「修学旅行に行けないぐらいで泣きなさんな。あなたはこれから世界各地を飛び回る人物になるのだから。」と言われた。果たしてその通りになった。

なかなか思った通り、祈った通りにはいかず子どものことで毎日涙を流しながら祈り続けている自分たち夫婦。今は暗闇に閉ざされることもあるけれど、一つだけ夫婦で約束していることがある。

「この子はすべての人を祝福できる偉大な働きをする」ことを信じ続けること。

この子を通して神様は常にそばにいてくださることと、神様の力をわかりやすく教えてくださった。

すべての人を生かし、励まし、用いようとして働かれる神様の偉大な力を忘れないようにしたい。

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場違い

一睡もしないで

今週は少し生活リズムが崩れている。夜中に出歩くことが数回あった。色々なことを考えると不安になり祈るために散歩をする。一昨日、月曜の3時頃もまた近所を散歩しているとお婆さんが声を掛けてきた。夜中だったのでかなり焦った。幸いこのお婆さんは認知症ではなく普通に散歩しているだけだったが、倒れている人がいるからなんとかしてほしいと訴えて来られた。言われるままに、その場所に行くと確かに人が倒れている。恐る恐る声をかけると、返事のような唸り声が返ってきた。頭を打って倒れているのか酔っぱらっているのかが分からない。とりあえず、お婆さんを近くのご自宅まで送りながら警察に連絡してみた。警察の方も、非常に恐縮しながら「車道に転がってしまうといけないので、警官が到着するまで現場で見守りをお願いできないか」との事。勿論快諾した。結果的にはただの酔っぱらいだったが少し事情聴取があり家に戻ると5時前になっていた。そんなこともあって夜中に眠れない日が続いている。

昨晩も結局一睡も出来なかった。理由は極度の緊張。明けた今日はスキルアップのために入学を希望した学校の入学試験の日なので緊張して眠れなくなった。

試験会場

とりあえずボーッとする頭を無理やり起こして試験会場に向かった。予定よりも1時間近く早い到着。すぐに会場に入れば良かったが気持ちを落ち着かせるため近くのマックで休憩。

その後会場には15分前に着いたが、自分が一番最後の到着だった。ここは沖縄じゃないのか?と目を疑った。

更に驚いたのは7割ぐらいの受験生が女性で、しかもリクルートスーツに身を包んで臨んでいる。いつもハローワークで見かける子持ちのお母さんや同世代のお父さんたちは一人もいない。恐らく30代の人はいない。そのような場所に間も無く還暦を迎えるおじさんが一人。なんとも居心地が悪い。

試験

筆記試験は簡単な数学いや算数の問題が中心だった。少し情報系の問題もあったが常識問題の範囲。しかし自分にとってまさかの苦手問題が出題されていた。

「梅雨をテーマにしたイラストを描きなさい」

絵が全く描けない自分には「椎茸を食べろ」と言われるような拷問である。それでもカエルが傘をさして梅雨前線の上に座っている絵を描いた。写真をとってここに紹介したかった。3歳の子でももっと上手に描ける、そんな酷い絵を描いて答案用紙は回収された。50点満点の試験で、このイラストの配点が10点。

確かにwebデザインのコースではあるが自分が学びたいのはプログラムの方でイラストではない。そちらの能力は与えられていない。

祈り

ハローワークでは2回に渡って、入校を否定された。とても辛く悲しいことだったが受験会場に来てはじめてその意味が分かった。ここは自分が来るところではない、本気でそう思う。きてはいけないところに来てしまったことを今更ながら後悔している。

今願うこと、今の祈りは「ここにいる全ての若者にwebデザインを学ぶ機会を与えてください。自分がその方々のチャンスを奪うことが決して無いように導いてください。」

将来性のない人を入学させるほど学校も愚かではないし、何よりあのカエルを見ればどれだけ低レベルかが分かるはずである。あと面接まで1時間ほど待たなければならないが今すぐ「すみませんでした。私の来る場所ではありませんでした。」と謝って退散したい。

久しぶりに大恥をかいたが良い経験となった。

今日の聖句

「したがって、信仰は聞くことによるのであり、聞くことはキリストの言葉から来るのである。」

‭‭ローマ人への手紙‬ ‭10‬:‭17‬ 口語訳

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