予兆

問題発生

息子がお世話になっている放課後等デイサービスで話し合いが行われた。息子は心が綺麗すぎて、また幼すぎて余計な言動がある。それが結果的に人様を傷つけてしまったり迷惑をお掛けする。それについて問題点を指摘される話し合いである。今日の事業所ともう一つの事業所で問題を起こす。一つは関係する教会が運営する事業所なので特別な配慮はしていただいている。しかし今日の事業所もそうだが、やはり教育のプロがやっているわけでは無いので教員目線でみるととても子どもを育てる力はない。要は子どもを育てる必要はないのである。それが療育だし放課後等デイサービスである。そこに教育的な配慮を期待する自分たちが悪いのである。一方、三番目の事業所は全く違う視点をもち療育ではなく教育に特化している。恐らく沖縄では一番規模の大きな事業所ではないかと思う。先日も収益の還元なのか子どもたち300名を集めてイベントを行ってくださった。ギネス記録を持つパフォーマーなどをゲストに招き子どもたちを楽しませ夢と希望を与えるプログラムが盛り沢山で心から感動した。

何れにしても、今日事業所から言われた注意を子どもにしないといけない。以前から夫婦で話し合いいくつかの注意をする必要があることを確認していた。それが十分にできないうちに他からクレームを受けた状況なのですぐに対応しないといけない。

対話

ゆっくり話や気持ちを聴きながら諭していかないといけない子なので細心の注意が必要である。妻とも打ち合わせて、男同士で温泉に入ってゆっくり対話することになった。青森時代は温泉に事欠かなかったが沖縄は事情が違う。すぐそばに温泉があるわけではないが、比較的近いところに「瀬長島」がある。この島のホテルが日帰り入浴にも対応してる温泉なのでそこに行くことにした。普段、湯船に浸かることのない生活なので久しぶりの温泉に次男も広島時代を思い出して「懐かしいな」「温泉は最高だな」とおよそ10歳とは思えないことを言っていた。

かなり長い時間をかけて次男の本音を聴いた。本音が出てくるまでには少々時間がかかるので忍耐が必要ではあるが、心の中を聴けばその言動にも合点がいく。「そういう気持ちだったのか、そういう心の傷があったのか」と気づかされる。

大きく言えば2つの注意をする必要があったのだが、それを言うために次男が生まれた当時のことや4歳までの殆どの時間を病院で過ごした経緯、その間の家族の思いをまず話した。珍しく次男もその話に集中していた。そして自分がどれほど大切な存在なのか、神様からどれほど愛されているのかを感じとっていた。

不穏

結果的には非常に良い対話の時間を持つことができた。恐らく、ここまでディープな時間を過ごせたのは初めてではないかと思っている。感謝すべき特別な時間を過ごすことができた。

そのような良い雰囲気の時間を過ごせたのだが一つだけ心に陰が残ってしまった。瀬長島は那覇空港に隣接する島なので露天風呂から飛行機の発着がよく見える。しかも滑走路の近くなのでとても大きく見える。次男と飛行機の機種を当てて楽しんでいた。ところが、である。那覇空港は航空自衛隊も使用するため毎日夕方になると訓練のために滑走路が閉鎖されて旅客機の発着ができなくなる。これは昔からのことなので慣れているのだが、今日驚いたのは恐らくスクランブルであろう離着陸が5回以上行われていたことだ。基本的には5機で編隊を組むがこれが露天風呂の真上を通るので戦争(経験したことはないが)が行われているのかもしれないと思うほどである。この世の終わりを感じるほどの爆音を何度聴いただろうか。以前から何度も沖縄の状況を書いているが、やはりそう遠くない将来に沖縄は戦争に巻き込まれることを痛感した。恐らく航空自衛隊の滑走路付近にいる方は肌感覚として戦争が近いことを感じているのではないかと思う。青森にいた時も三沢基地に行ったことがあるが住んでいたのは津軽なので戦闘機の音を聞くことはなかった。しかし那覇は違う。恐らく浦添、宜野湾付近に住む人は那覇以上に戦争の近いことを実感しているのではないかと思う。

今、対話した目の前の我が子は自分の命にかえても守りたい存在である。日本がアメリカの言いなりになって憲法を変え、愛する子どもたちや多くの卒業生が争いに巻き込まれないことを心から祈るものである。

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感染

不覚にも

常々感染には気をつけていたつもりであったが少し前にコロナに感染してしまった。息子が最初に罹患したのだが家族の誰が最初かは良くわからない。罹患した息子を看病しながらも何故かうつらない自信があった。今まで大丈夫だったから、という根拠のない自信である。実際息子が発熱してしばらくは全く変化がなかった。息子の熱も峠を越え少しずつ元気になった頃、一応予防として市販の風邪薬をのんだりクレベリンをいくつか置いたりしていた。本当にその日の昼まで全く何もなかったのだが急に熱っぽくなったと思ってから急激に体調に変化があらわれはじめた。Apple Watchも心拍の以上を知らせてくれた。血中酸素濃度も下がり一気に40度近い高熱になった。何より辛かったのが関節の痛みと頭痛。いつも頭痛には悩まされているので慣れてはいるがそれでも不安がよぎるほどの痛みだった。それにしても関節の痛みはかなりきつかった。結局熱は2日ほどで下がり始めた。38度台の熱になった時には本当に楽になった。歳のせいか急に平熱まで下がることはなく37度台に下がるまで5日以上かかった。

ラゲブリオ

このまま熱が下がって治っていくと思っていたが少し心配なこともあった。基礎疾患からの重症化である。寝ている時も色々なサイトを調べていたのでより不安な気持ちになっていた。一度熱がおさまってから急に肺炎、そして重症化するパターンが紹介されていてとても不安になった。自分はいつでも良いのだがのこる子どもと妻のことを考えた時にもう少し生きないといけない気がした。全ては神様のご計画のうちにあることなので自分の意思とは無関係だが何となく生きた方が良い気がした。そして急に病院にいく気になった。妻に相談したところ妻も一緒に行きたいというので二人で診察してもらえる病院を探した。今は沖縄でコロナの対応をしてもらえるところがあまりない。比較的近いところをいくつか当たったがどこも「今日の受付定数を終了した」とのことだった。診察時間とか関係なく毎日何人までしか対応しない、と決めているのだろう。いくつか断られた後にやっとひとつのクリニックが対応してくれることになった。

結果的に二人ともコロナに感染していた。当然である。いつもは薬を出さないのだが基礎疾患があるので特別、と念を押されていくつかの薬を処方していただいた。その中のひとつが今話題?の「ラゲブリオ」である。9万円する、と何度も言われた。10月から有料になることを何度も言われた。1割負担でも9000円である。なかなか高価な薬であるがこれがウイルスの増殖を抑えてくれるらしい。一回4錠を朝晩に服用し5日でのみきる。自分は全く抵抗なく毎回飲んでいたが妻は「大きくてのめない」と言って4錠を1時間ほどかけてゆっくりのんでいた。確かに身の危険を感じるほど大きなカプセルである。しかも自分はこの薬をのむと動悸が止まらなくなる。回復してから妻に「あの薬を飲むと動悸が・・」と言うと妻も同じだったそうだ。やはりたいそうな薬なのだと思う。結果的には家族全員回復しているが、自分は味覚が戻らずまた倦怠感と戦う日々を過ごしている。

花火大会

自分の命や寿命ということを考える日々を送っていたが昨日は花火大会を遠くから観ることができた。敬老の日が近いこともあり義父母を訪ねた帰りに嘉数高台付近から花火大会を観た。安室奈美恵さんが引退した日を記念した花火大会で本来は8月16日に行われる。が、16日土曜日が天候不良で延期となり昨日17日の開催となった。遠くからなので安室さんの楽曲は聞こえなかったが(本人の出演は無い)久しぶりに花火を鑑賞することができた。恐らく1時間ぐらい上がっていたと思う。途中から雨にも降られたが思い出に残る花火だった。義父母にも花火がみえていたら良いな。

NAMIE HANABI SHOW

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再会

かじまやー

先日、非常に短い時間ではあったが姉夫婦が沖縄に来た。姉のご主人(義兄)のお父さんがかじまやーになるのでそのお祝いに駆けつける格好となった。かじまやーは沖縄の方言で「風車」という意味。歳をとることで童心に帰り、風車で遊んだ時を思い出す、という意味や模擬葬儀という意味などいくつかの説がある。昔は手製の車に乗せて近所をまわったというが今は自家用車で町内を回ることが多い。このあたりが模擬葬儀と言われる所以なのかもしれない。いずれにしても数えで97歳になるときに行われるお祝い行事である。旧暦の9月7日、今の暦で今年は10月21日だが、親族が集まれる機会がこの日しかないということで9月3日に行われた。

姉との再会

姉夫婦が2日土曜日の早朝に到着したので空港まで迎えに行った。車があれば目的地まで送ることができるのだが、結局途中まで送ってタクシーにて姉たちは与那原の教会に出席した。自分は那覇の教会に行きそれぞれの安息日を過ごしたが、夜になって宿泊先のホテルまで面会するために出かけた。これが結構長いこと祈りつづけた難関であった。次男は姉に会いたいと言ってワクワクしている。問題は妻である。自分の実家とは長いこと距離を取って来たので気まずいと言っていた。無理強いもしたくなかったので「姉には子どもと二人であってくるから気にしなくていいよ」と言っていたが、実際にはずっと祈っていた。子どもと二人で会いに行けば余計に意識してしまう。もしかしたら次に会うのは私の葬儀の時かもしれないので、今自分が行きているうちに会う免疫をつけて欲しいという気持ちもある。複雑な気持ちでいよいよ面会に行く時間になり次男と家を出ようとすると「私も行く。車で送るよ」と妻が言い出した。驚きすぎて血圧が上がった気がする。動揺したら余計に悪いので「あ、そう?ありがとう」とさりげなく言ったが心の中は「ハレルヤ!神様ありがとうございます」である。今まで想像もできなかったことが次々に起こるので、心の底から生きていてよかったと思う。実際ホテルのロビーでも姉と意気投合して饒舌になっていたのは妻の方であった。やはり神様は生きて働いておられる。

義兄とその兄弟

義兄の兄弟は男ばかり5人。このうち1人を除いて全ての方に親族以上の関わりがある。かつての保護者で非常に親しくしていただいた方々やかつての同僚だった先生もいらっしゃる。

姉たちが3日、日曜日の最終便で東京に戻るので空港まで見送りに行った。姉たちは兄弟に送ってもらい空港に到着していたが送ってくれた兄弟たちは既に帰ったとのことだった。

本当は義兄の兄弟にも会いたかった。特に元同僚だった先生には会いたかった。しかし帰ったのでは仕方ない。この先生は米国から帰国しており翌日には成田経由で米国に帰るという。仕方ない。また次の機会に、あるいは御国で再会できることに希望を持とうと諦めた。

出発ロビーに入るために手荷物検査場に並ぶ姉夫婦に手を振って別れた。が、義兄が全然別の方に向かって手を振っている。こちらが確認できないのか。「こっちこっち!」と大声で呼びかけるもこちらを向く気配がない。そして義兄の手を振る方向を見て驚いた。既に帰った、と言っていた義兄の兄弟がそこにいた。最も会いたかった元同僚の先生もそこにいらっしゃた。涙が出るほど嬉しい再会であった。わずかな時間だったが30年の時を超えてかつて同じ現場で教育伝道に尽力させていただいたあの頃を思い出し胸が熱くなった。先生が「一言お祈りしましょう」と言ってくださり祈ってくださった。

自分が今どこにいるのか一瞬わからなくなった。もう天国に着いたのだろうか?と思うほどだった。

東京に到着した姉から、かつてないほどの短い沖縄旅行だったがこれほど濃度の高い充実した沖縄を経験したことは無かった、と言って妻や次男と一緒に写った姉の写真が送られて来た。

神様が一つ一つこんがらがった糸をほどいて元に戻そうとしておられるのがよくわかる。本当にありがたい。

バスケットボールで日本代表がパリオリンピックの出場を決めた時、同じタイミングまたバスケットボールが行われたそのすぐそばで自分も大きく崇高な喜びを経験していた。

神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
伝道の書3:11

 

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