かじまやー
先日、非常に短い時間ではあったが姉夫婦が沖縄に来た。姉のご主人(義兄)のお父さんがかじまやーになるのでそのお祝いに駆けつける格好となった。かじまやーは沖縄の方言で「風車」という意味。歳をとることで童心に帰り、風車で遊んだ時を思い出す、という意味や模擬葬儀という意味などいくつかの説がある。昔は手製の車に乗せて近所をまわったというが今は自家用車で町内を回ることが多い。このあたりが模擬葬儀と言われる所以なのかもしれない。いずれにしても数えで97歳になるときに行われるお祝い行事である。旧暦の9月7日、今の暦で今年は10月21日だが、親族が集まれる機会がこの日しかないということで9月3日に行われた。
姉との再会
姉夫婦が2日土曜日の早朝に到着したので空港まで迎えに行った。車があれば目的地まで送ることができるのだが、結局途中まで送ってタクシーにて姉たちは与那原の教会に出席した。自分は那覇の教会に行きそれぞれの安息日を過ごしたが、夜になって宿泊先のホテルまで面会するために出かけた。これが結構長いこと祈りつづけた難関であった。次男は姉に会いたいと言ってワクワクしている。問題は妻である。自分の実家とは長いこと距離を取って来たので気まずいと言っていた。無理強いもしたくなかったので「姉には子どもと二人であってくるから気にしなくていいよ」と言っていたが、実際にはずっと祈っていた。子どもと二人で会いに行けば余計に意識してしまう。もしかしたら次に会うのは私の葬儀の時かもしれないので、今自分が行きているうちに会う免疫をつけて欲しいという気持ちもある。複雑な気持ちでいよいよ面会に行く時間になり次男と家を出ようとすると「私も行く。車で送るよ」と妻が言い出した。驚きすぎて血圧が上がった気がする。動揺したら余計に悪いので「あ、そう?ありがとう」とさりげなく言ったが心の中は「ハレルヤ!神様ありがとうございます」である。今まで想像もできなかったことが次々に起こるので、心の底から生きていてよかったと思う。実際ホテルのロビーでも姉と意気投合して饒舌になっていたのは妻の方であった。やはり神様は生きて働いておられる。
義兄とその兄弟
義兄の兄弟は男ばかり5人。このうち1人を除いて全ての方に親族以上の関わりがある。かつての保護者で非常に親しくしていただいた方々やかつての同僚だった先生もいらっしゃる。
姉たちが3日、日曜日の最終便で東京に戻るので空港まで見送りに行った。姉たちは兄弟に送ってもらい空港に到着していたが送ってくれた兄弟たちは既に帰ったとのことだった。
本当は義兄の兄弟にも会いたかった。特に元同僚だった先生には会いたかった。しかし帰ったのでは仕方ない。この先生は米国から帰国しており翌日には成田経由で米国に帰るという。仕方ない。また次の機会に、あるいは御国で再会できることに希望を持とうと諦めた。
出発ロビーに入るために手荷物検査場に並ぶ姉夫婦に手を振って別れた。が、義兄が全然別の方に向かって手を振っている。こちらが確認できないのか。「こっちこっち!」と大声で呼びかけるもこちらを向く気配がない。そして義兄の手を振る方向を見て驚いた。既に帰った、と言っていた義兄の兄弟がそこにいた。最も会いたかった元同僚の先生もそこにいらっしゃた。涙が出るほど嬉しい再会であった。わずかな時間だったが30年の時を超えてかつて同じ現場で教育伝道に尽力させていただいたあの頃を思い出し胸が熱くなった。先生が「一言お祈りしましょう」と言ってくださり祈ってくださった。
自分が今どこにいるのか一瞬わからなくなった。もう天国に着いたのだろうか?と思うほどだった。
東京に到着した姉から、かつてないほどの短い沖縄旅行だったがこれほど濃度の高い充実した沖縄を経験したことは無かった、と言って妻や次男と一緒に写った姉の写真が送られて来た。
神様が一つ一つこんがらがった糸をほどいて元に戻そうとしておられるのがよくわかる。本当にありがたい。
バスケットボールで日本代表がパリオリンピックの出場を決めた時、同じタイミングまたバスケットボールが行われたそのすぐそばで自分も大きく崇高な喜びを経験していた。
神のなされることは皆その時にかなって美しい。神はまた人の心に永遠を思う思いを授けられた。それでもなお、人は神のなされるわざを初めから終りまで見きわめることはできない。
伝道の書3:11
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