ふたつの真実

誰にでも平等に

他の人を見て、時々不平等だなと思うことがある。例えば、ある人は人生のどこかのタイミングでイエスキリストに出会い信じる機会が与えられるが、ある人にはそうではない。ある人は誰もが羨む健康体が与えられある人は病院から出ることなく一生を病院内で過ごす。経済面においてもそうである。中学生の頃から仲良くしてくださる先輩がいる。今でも週に数回コンタクトを取り続ける間柄であるが、この人の経済力は凄い。一時は自家用ヘリやクルーザーを所有していた。都内の高級マンションのワンフロアーを所有している。自分も数回訪問させていただいたが、エレベーターのドアが玄関のドアになっている。この先輩の家までは誰も入ってくることができない仕組みになっている。マンションのワンフロアーだからかなり広い。天井さえ高ければバスケットコートぐらいは余裕で作れる。この先輩と話すと「億」というお金が「万」の単位に感じてしまう。最近も赤坂にビルを借りて同窓生や友人を招くサロンを造った。毎月金策に苦労しながら青森雪かきをしている自分とは次元が違う。経済力で人を羨むことは殆どないが、それでも不公平だな、と思うことはある。

平等

しかし、どのような人にも平等にふたつのことが定まっていると聖書は言っている。

そして、一度だけ死ぬことと、死んだ後さばきを受けることとが、人間に定まっているように、
ヘブル人への手紙 9:27

「死」と「裁き」は全人類平等というわけである。「死」に関して言えば、それ自体は平等でもこの世での生存できる期間や状態についてはやはり差がある。長い人、短い人、健康が与えられる人、そうでない人。

終わり

全ての人に、この世における終わりがある訳だがそれがいつなのかは分からない。勿論ある程度わかる場合もある。病気などで余命を宣告されることもある。現在牧師先生と毎朝祈りの時間を持っているが、「もしも今日が最期の日であっても、全てをお委ねして平安にその時を迎えられますように」と祈るようにしている。しかし、イエス様を知らない、信じていない人が余命宣告を受けた場合どこに自分の気持ちを持っていくのだろうか。死を受け入れるということは本人は勿論のこと周りの人にとっても大変なことだと思う。YouTubeを観ていて、そういう壮絶な場面を配信している方がおられる。そういう方の人生を覗かせていただくと、いかに自分が甘い考えを持っていたか反省させられる。壮絶な人生を送っている方がいる。イエス様を知らずにその時を迎えている多くの人のことを思うと心が痛む。

【日本赤十字社】生きたかった、だから闘った~白血病で早世した山口雄也さんのメッセージ~

 

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