記 憶

3.11

2011年3月11日午後2時46分、宮城県沖を震源とするマグニチュード9.0というとんでもない規模の地震が発生した。当日は確か金曜日だったと記憶している。自分は西日本に住んでいたので地震のことは夕方まで分からなかった。

夕方になって自宅に戻り夕方のニュースを観ようとテレビをつけるととんでもない映像が映し出され行方不明者や死者の数がテロップが画面下に映し出されていた。他のチャンネルに合わせてもどのチャンネルも同様のニュースを取り上げており、その時点ではじめて巨大地震のことを知った。

当時教頭をしていた自分は直ぐに学校に戻り校長と今後の対応について話し合った。また教員室に残っていた数名の先生方と真剣に祈った。

3月15日が本校の帰省日になっていた。寮生活をしている生徒たちが春休みのために自宅に戻る日である。この状況では火曜日(3月15日)に帰省できない家庭もあるだろうから、まずはそれぞれの家庭の状況把握から始めた。しかし電話が通じない。特に東京が通じなかった。自分の実家のことも気になり何度も電話をしていたが実家にも通じなかった。

翌12日から少しずつではあったが連絡が取れる様になり生徒の自宅の様子も少しずつ把握できる様になった。東日本には物資もないため帰省しても対応できないというご家庭もあった。その様な生徒は落ち着くまで学校でお預かりすることにした。また、帰省できる生徒たちも、羽田などの最寄りの空港やターミナル駅からのアクセスが可能かもう一度チェックし本当に帰りつけるのかを調べた。

東日本には物資がないので他の教員に手伝ってもらい地元にあるスーパーで色々な物を買いあさった。食料品、飲料水、懐中電灯、トイレットペーパー、使い捨て懐炉等々。これらを大きな袋に詰めて生徒に持たせて帰省させた。本当に帰りつけるのか心配で仕方なかった。
地震当日は何時間もかけて徒歩で帰ったお勤めの人が多かったと聞いているので兎に角生徒の帰省と春休みが心配で仕方なかった。結局、1週間ほど学校に残った最後の生徒も無事に帰省することができやっと春休みを迎えることができた。

生徒のことがひと段落したところで、実家や親戚のことを考える様になった。この頃計画停電なるものが始まり電気が数時間止まる状態が続いた。また実家はガスが復旧しなかったのでカセットコンロを送った。実家は勿論姉や親戚宅にコンロやインスタント食品、お米、トイレットペーパーなどを送り続けた。そんなことをしているうちに西日本の自分たちの地域も品不足に陥り若干生活に困る様になった。が、現地で未曾有の被害を受けていらっしゃる方に比べたら何でもない。

実際には何の被害も受けなかった自分の3.11に関する記憶である。

自然災害

このところ毎年の様に壊滅的な被害をもたらす自然災害が年に1度は起こる様になってきた。西日本豪雨災害の時には地元の方が何人も亡くなった。また系列の小学校の児童さんも依然行方不明のままである。
そして現在世界規模のコロナウイルス。

こういう状況を目の当たりにして考えることはやはり「世の終わり」「終末」ということだ。聖書の預言によればいよいよ終末が近づいていることが明確に示されている。思っている以上に、もっと早いタイミングで世の終わりがやってくる様な気がしてならない。

人類が思い上がった時に、或いは自分自身を神として崇拝する様になった時に災いはやってくる様な気がする。

昔、バビロンという国があった。建国はB.C.626年。元々は取るに足りない弱小国家であったがいつの間にか大きく成長しいくつもの国を征服して巨万の富を手に入れる様になった。バビロンの中心にはユーフラテス川がありその流れが更なる繁栄をもたらした。アッシリアを滅ぼしB.C.605年からはユダ王国から捕囚として捕虜を捉えて自国に連れてくる所謂バビロン捕囚が始まった。特にネブカデネザル王の時にはその繁栄はすごかった。

しかしネブカデネザルが取り憑かれる病に侵され、王位がナボニドゥス、ベルシャザルに移ってから国勢がおかしくなる。捕囚として捕らえられバビロンの王室に長年仕えたダニエルを通して神様は、真の神を礼拝すること、自分を崇拝することや偶像礼拝をすることを厳しく咎めたにも拘らずそれを無視したためペルシャとメディアの連合国によってバビロンは滅ぼされてしまった。しかもたった一夜にしてである。数日バビロンを包囲していた連合軍は、ベルシャザルが恐怖と自己称揚のために酒宴を開いている時に、ユーフラテスの流れを迂回させて水位を下げ、難攻不落の城壁を持つバビロンを川から攻め込んで陥落させたのである。B.C.539年10月13日のことである。

自分たちが毎年の様に遭遇する自然災害は世の終わりに対する警告なのだと自分は思っている。今はまだ警告である。警告のうちに悔い改めるならば救いを獲得することができるが、いよいよ最後の場面になってしまったらもう手遅れなのである。

聖書は次の様に言っている

神はこう言われる、
「わたしは、恵みの時にあなたの願いを聞きいれ、
救の日にあなたを助けた」。

見よ、今は恵みの時、見よ、今は救の日である。

 (For he saith,
I have heard thee in a time accepted,
and in the day of salvation have I succoured thee:
behold, now is the accepted time;
behold, now is the day of salvation.)

コリント第二 6:2

この警告である、恵みの時に神様に立ち返ることが絶対に必要なのである。

バッティングセンター

3.11でお父さん以外の家族を失った9歳の少年がいた。毎日気落ちして過ごす息子を励ますためにと、父親は息子のためにバッティングセンターを造った。

毎日、落ち込んでうつむいて過ごす息子を元気付けようと隣町にあるバッティングセンターに野球少年だった子どもを連れて行った。その経験がとても嬉しかったのか、少年は帰り道、父親に「バッティングセンターを造ってよ」と何気なくいう。この何気ない言葉が父親にも力を与え牛乳販売をしていた父がヨーグルトを製造販売する様になり、また協力を呼びかけ震災から3年後に息子の願い通りバッティングセンターを完成させたのである。自分はこの話が大好きである。ネット上にこのバッティングセンターのニュースが取り上げられていたので是非視聴していただきたいと思う。

バッティングセンターの動画はこちら

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