4年前のこと

5月になると

昨日、5月24日は自分の恩師でもあり自分が教員になってから多くの場面で一緒に働いてくださりご指導くださった先生の命日だった。亡くなる数年前に膀胱に癌が見つかりその治療を受けていた。先進医療である「膀胱温存治療」を行った。この術式ができるのが大阪医科大学の先生だけだそうでそこに入院した。一度は快方に向かう状況にもなったがその後骨転移などが見つかり数回の入退院を繰り返した。当時、まだ自分も教員(教頭)だったので学校のスケジュールを見てその先生を見舞った。丁度中間試験の時期なので試験が終わった直後に大阪に向かい先生の病室を尋ねた。何度かお見舞いには行っているので勝手は分かっている。いつものように同僚でもあり奥様に迎えられ病室に入り先生と色々なお話しをした。少し黄疸が出ているのと目があまり良く見えなくなっていることが気になった。私に向かって「もう少し近くに来てもらえる?先生の顔がよく見えないんだ」とおっしゃっていた。結構近い距離にいたがそれでも見えないようだった。長居して疲れさせてしまってはいけないと早々に引き上げようとしたが、何度か引き止められ結局1時間以上話し込んでしまった。帰りがけに奥様が1階の出口まで送ってくださった。「今、ギリギリの状態なんです。もうお医者さんもその時を待つだけだと言っているので希望はないんです」と話してくださった。自分の方が受け止められない言葉だったので「そう言わずに祈りましょう」と言ってその場でお祈りをして病院を後にした。帰りの新幹線でその先生のこと、先生とのたくさんの思い出をひとつづつ丁寧に思い出していた。

メール

夜遅くなって家に着いた。もう一度先生のことを神様にお祈りしてその日は就寝した。翌日も仕事をしながら祈り続けた。癒し主なるイエス様は必ず奇跡を起こしてくださると信じていた。人にはできないことも神にはできる、と聖書に書いてあるではないか。イエス様が少し触れてくださるだけで一瞬でこの癌が癒される、そう信じていた。そしてその晩、23時を回った頃奥様からメールが届いた。「今主人が息を引き取りました」と。信じられなかった。癒されることだけを信じ祈って来たからそのメールの文字は認識していたが意味は理解できなかった。そして、それから学校で行う前夜式、告別式の段取りを組み始めた。何となく成り行き上自分が葬儀委員長のような立場に担ぎ出されてしまい、お世話になった恩師のためと心を込めていろいろな準備を整えた。昔の同僚である先輩の先生方に、その先生が亡くなられたことを電話で連絡した。電話をするたびに昔の楽しかった思い出が鮮明に思い出されて泣けて泣けて仕方なかった。先輩の先生方に電話をしながら「これからどうしたらいいんですか」と泣きついた。本当に心が引き裂かれるような別れだった。

昨日のこと

先生が亡くなって4年が経つ。時が解決してくれると思っていたが、なぜか年々寂しさが増していく気がしている。そして奥様にメールを送った。「今年もこの日がやって来ました。時が心を癒すと思っていましたが、あの時よりも寂しさが増しています」という内容だった。すぐに奥様が電話をくださった。いつも明るくひょうきんな奥様なので、「青森で何しているの?」「津軽弁は分かるようになったの?」などと明るく話していただいた。ずっと笑いながら話していたが、一瞬「でもね、この時期。緑が綺麗で自然界が喜んでいるような時期だけど、自分にはこの時期が一番辛いんだよね。やはり辛い」と言っておられた。当然である。部外者の自分ですらこれだけ悲しいのだから、奥様の辛さや悲しさは想像を絶するものだと思う。聖書には天の御国に迎え入れられる時私たちの目から涙が全く拭い取られるという。もはや死もなく、苦しみも労苦もない。早くそのような天に御国に行ってみたい。

講演会「天国に行こうとしているのです」河原久名誉牧師 2020-4-18

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