つーぐー
昨年も1月23日に同じ内容を投稿した。
7年前の今日、教え子でもあり親戚でもあるつーぐーが亡くなった。素晴らしい感性を持ち誰にでも優しく対応できる青年であった。純粋で人を疑うことを知らない。そして神様を心から愛し神様に全てを献げる心を常に持っている。
彼が中学2年生の時に初めて出会った。沖縄の中学校に赴任しそこで出会った。学習に対して常に前向きで愚直に努力する姿勢は周囲の模範であった。独自の世界があり少しスローなところもあるので若干友達は少なめだったが、その人柄から声をかけられることは多かった。お祖父様が三線の師範で沖縄でも有名な家元であるため、これも血筋なのか音楽的な才能はずば抜けていた。アカペラグループを作って讃美歌を歌うことが好きだった。ギターを覚えるのも早く、ギターで作曲活動をしていた。そしてバイオリン。音楽についても周囲から一目置かれていた。
当時、中学校では「班農業」なるものがあった。学年男女混合で1班8名ぐらいで構成される農業グループである。教員がひとり入って10坪ほどの土地を与えられそこで作物を育てる。生徒同士が話し合って何をお育てるかは自分たちで決める。沖縄は気候が温暖なので1年中何かが作れる。そんな楽しい班農業でも自分はつーぐーと同じ班になった。時間が過ぎて黙々と作業し、放課後や昼休みにも畑に入って世話をしていた。中学校ではじめて出会ったつーぐーだが、その後自分も高校に転勤となりつーぐーを担任する機会が与えられた。クラスパーティーではつーぐーとふたりで三線を弾いて琉球民謡を披露した。バイオリンも三線もつーぐーと一緒に弾いた。
笑顔しか思い出せないつーぐーが7年前、体調不良のため突然亡くなった。
知らせを聞いて、頭の中が真っ白になった。悲しいと思うよりも「今すぐ自分も死んでつーぐーに会いに行かないと」とおよそクリスチャンとは思えないことを考えてしまった。
弟
昨晩、つーぐーの弟と話していた。「今年もこの時期がきたね」から始まった会話だった。「毎年、兄のことを憶えていてくださりありがとうございます。自分の中ではとても大切な存在なのに徐々に風化していくような気がして申し訳ない気持ちでいます。でもそのような時に、毎年先生が兄のことを思い出してくださるのでとても感激しています。家族以外の人からも憶えてもらっていることが本当に嬉しいです」と返って来た。自分が勝手につーぐーのことを思い出すのは良いかもしれないが、それを身内の方と共有するのは却って傷つける行為なのではないかと毎年悩んでいる。が、今の自分には大切なつーぐーの思い出を共有できるのは兄弟しかいないのだ。昨晩も遅くまで弟とつーぐーの話で盛り上がっていた。この弟も教え子なので普段からやり取りをしている。特に星景写真や動画編集では話があうのでいつもそんなことで盛り上がっている。でもこの日は趣味の話は一切せずつーぐーの話だけ。
命を失う人の無念や悲しみ、そして残る人の孤独感。この世では悩みがある、と言われたイエス様の言葉が真実であることを痛感する。ただ、ひとつだけ確信していることがある。イエス様が再臨される時、つーぐーは元気に起き上がりあの笑顔で一番好きなイエス様のところに猛ダッシュで行くこと、これは間違い無いと思う。つーぐーのようにイエス様が大好きで、イエス様のためだけに生きられたらいいな。
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