より良いものを

近況

ついに長男が広島に行ってしまった。最後にトリプル台風が発生したのでその一つでも影響を与えないかと少し期待したが不謹慎であった。今週末、姉が沖縄に来ることになっているが良くないことを期待したせいか姉の来沖にあわせて台風が近づきそうな予報が出ている。それにしても久しぶりに楽しすぎる夏休みを過ごしたのでその余韻が残っている。長男の過ごした足跡が家の色々なところに残っており寂しさと共にあの楽しかった夏休みにもう一度戻れないものかと考えてしまう。妻は自分よりも更に寂しさを感じていたと思うが無理して気持ちを切り替えている様子である。

この夏休みに、長男には今後のことについて色々と意見交換した。進学やそれに見合う経済的な話、また関東での進学になれば自分の実家から通学することを基本に考えて欲しいことなど。長男も実家が気に入っているのでそこから通いたいと言っていた。しかし、大学卒業後は是非家族揃って暮らそう、とも話した。本来子どもの好きなところで好きなことをさせてあげたいところだが、間も無くイエス様をお迎えする厳粛な時を家族が協力して伝道することを軸にしたいとの気持ちを長男に伝えた。少し戸惑っていたが「分かった、それにそえるように進路を考える」と言っていた。勿論この先どうなるかは分からないが、今は安全な場所がない。今回、長期にわたり東京、関東で生活したがやはり自分の生きる場所ではない気がした。だからと言って沖縄が安全な場所では決してない。治安も悪くなっているし戦闘機の出撃頻度やオスプレーの訓練を見てもそう遠くない将来、沖縄が戦争に巻き込まれることは間違いない気がしてならない。

楽しすぎた夏休みに現実逃避していたが、再びハローワーク生活のはじまりである。就職難民として謙虚に祈り続けて行きたい。

教会

先日、教会で話し合いが行われた。聖書研究をする時間があるのだがその時間の用い方について話し合った。自分はこの教会に通うようになって半年も経たないので黙って皆さんのご意見を聴いていた。昔は沖縄の中でも中心的な教会で多くの若者を含むたくさんの信徒さんが出入りしていた教会である。が、コロナを機に教会出席者が激減し若者も少なくなった。それでもバプテスマを受けてまだ半年ぐらいの青年が教会の中を担ぐ重責を担って頑張っている。ご高齢の方も多いが一つ一つのご意見の中に「更に良いものを目指して行きたい」という前向きで謙虚な気持ちが込められていた。胸が熱くなる思いだった。自分のような新参者にもマイクが渡されたが恐らく見当外れなことを言ってしまったと思う。信徒一人一人がキリストの身体なる教会をより良いものにしたいと心から願い行動するとき、聖霊様の働きがあることを確信している。自分も何ができるかは分からないが先輩方に倣って一番後ろの方から何かのお役に立てるようついて行きたいと思っている。

祈り

今朝も祈るために早朝から海軍壕公園にて祈っていた。ここは360度見渡せるので那覇市は勿論のこと隣の南城市や浦添市なども一望できる。

この土地を神様が憐れんでくださり、全ての方に福音が届けられイエス様の愛が浸透しますように、そしてできることならばそのために自分を用いてくださいと祈った。イエス様が命をかけて人を愛された、その愛情がこの沖縄にも向けられていることを信じて祈り続けたい。そして愛する同級生のためにも。

神によく思われて、彼の恩恵を受けるためには、われわれは何 1つ、絶対に何1つできない。われわれは、自分自身にも、また自分の善行にも、全然頼ってはならない。しかし、ただ、われわれが、誤りやすい、罪深い者として、キリストのもとに行く時、彼の愛のうちに休息を見出すことができるのである。十字架にかけられた救い主の功績に、 完全に頼って、彼のもとに行く者をすべて、神は受け入れられる。愛は心の中にわき出て来る。恍惚とした感じは起こらないかも知れないが、 永続的な、平安に満ちた信頼がある。すべての荷が軽くなる。キリストが負わせるくびきは負いやすいからである。義務は喜びとなり、犠牲は楽しみとなる。以前は、暗黒に包まれたように思えた道も、義の太陽からの光で明るく輝く。これが、キリストが光のうちにあるように、光の中を歩くことなのである。 (2TT・91―95ページ)
教会への勧告電子版p85

 

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