鰺ヶ沢

昨日のこと

昨日金曜日も仕事が休みだった。いつものように部屋の片付けなどをして早々に出かけた。どうしても祈りたくていつも自然界に出て行こうとする。白神山地を目指して走っていたが先週行った「暗門の滝」近くで急に気持ちが変わり海に行きたくなった。あまり地理的なことが分からないの岩木山近くを通り日本海に行くことにした。以前にも何度か行ったことのある「鰺ヶ沢」に行った。気温は高かったが海水浴場も人はおらず釣りをしている人が3人いただけだった。海を見ながら、今自分はこの自然界を創られた神様に対して祈っているのだと改めて思った。全ての力を持ったいわゆる全知全能の神様である。自分の現状を全てご存知の神様である。悲しんでいること、寂しくてたまらないこと、不信仰を自覚して嫌気がさしていること、将来に対して希望を失っていること、これからどう生きれば良いのか分からないでいる事等々。神様がいらっしゃるのに、神様が共にいてくださることを信じているのになぜ自分には喜びがないのかと思い情けなくなった。海を見て、鳥を見て、小さすぎる自分を見て長いこと祈っていた。

エリヤ

今日は土曜日なので教会に行った。聖書の学びをテキストを用いて行った。今は神様による休息ということを学んでいる。真の休息が神様の元にあること、しかし人間は休息を求めながらも神様の元に行こうとしない存在であることを学んだ。聖書の学びの後に礼拝をささげた。今日の礼拝メッセージは聖書研究のテーマと同じ「休息」についての話だった。特にエリヤの人生から多くの教訓を学ばせていただいた。カルメル山でのアシュラとバアルの預言者と対決する場面が紹介された。神様のお力をいただいてエリヤは劇的な大勝利をおさめるが、その直後王妃イゼベルの「エリヤを殺す」という言葉に恐れをなして遥か彼方のホレブの山まで40日の道のりを歩いて逃げるのである。あれほどの大勝利をおさめた預言者らしからぬ弱音を吐き「主よ、もう十分です。どうか私の命をとってください」とまで言うほどになってしまった。しかし、神様はエリヤを静かなところで休ませその後また彼を大きく用いるのである。大きな試練、絶望を感じるような状況において神様にのみ頼ること、そして静かに神様の御声を聴くことを教えてくださる。失望を感じる日々が続いているがそれでも神様は生きて自分のために働いてくださっていることを信じて生きたい。そして細き御声で語りかけてくださる言葉を聴き分ける力を願い求めたい。

「主は言われた、「出て、山の上で主の前に、立ちなさい」。その時主は通り過ぎられ、主の前に大きな強い風が吹き、山を裂き、岩を砕いた。しかし主は風の中におられなかった。風の後に地震があったが、地震の中にも主はおられなかった。 地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。火の後に静かな細い声が聞えた。 エリヤはそれを聞いて顔を外套に包み、出てほら穴の口に立つと、彼に語る声が聞えた、「エリヤよ、あなたはここで何をしているのか」。」
列王記上 19:11-13 口語訳

奇しくも同じエリヤの生涯をテーマにした礼拝メッセージを見つけた。自分が聴いたメッセージとは違うがこちらも大きな力をいただける話である。

2021年7月10日 「死を願った逃亡者エリヤ」 礼拝LIVE配信(メッセージは17:00から)

鰺ヶ沢の動画はこちら

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