同窓会参加
半年ぐらい前から同窓会の連絡をいただいていた。幹事さんから何とか参加できないかと数回打診があった。当時はまだ青森に住んでいたが沖縄移住が決まっていたこともあり同総会の参加は難しいと伝えていた。それ以降特に何も無かったので同窓会も欠席するつもりでいた。が、7月に入ってまた友人から電話があり何としても参加してほしい、司会をして欲しいからと言われた。
本心を言えば行きたく無かった。同窓会はそういう場所ではないことを理解しているが、やはりどこかで勝ち組の集まりのようなところがある。実際自分の同級生はいろいろな分野で大成功している人が多い。そのようななか、無職で求職中の自分が行けば自分もきついし周りに気を遣わせるだけである。だから行きたく無かったが、声をかけてくれた友人には特に助けてもらったことがあるので不承不承参加することにした。
そうと決まればチケットの予約である。すぐに空席を調べたが8月4日に若干の空席がある程度。一番安い全日空460便、午前8時那覇空港発を予約した。
沖縄脱出
沖縄は連日の台風で8月4日の飛行機が飛ぶのか心配であった。その前に8月2、3日に済ませて置かなければならないことがあったのでそれも心配だった。結局2日は全ての交通機関がストップしたので2日の予定を全て3日に繰り下げた。3日も遅れや停電のトラブルがある中ではあったがモノレールもバスも動くので官公庁もやっており用事を全て済ませることができた。しかし、モノレールが信号機故障でしばらく動かなくなったので自宅に帰るのが困難にはなった。
翌4日はいよいよ出発。朝起きて驚いたのだが昨日よりも明らかに状況が悪くなっている。台風が遅すぎて嵐になっている。これで飛行機が飛ぶのかと不安になったがとりあえず那覇空港に向かった。空港で確認したが同じ時間帯の日航便はキャンセルになっていた。他にも欠航便が多く絶望的な気持ちになった。それでも搭乗待合室に進むよう促されたので言われるままにしていた。駐機している機内でも風に煽られ少しずつ動いている様子に気づき「東京にも行きたいけど、堕ちるくらいなら無理しないで欲しい」という気持ちでいっぱいになった。
それでも飛行機は離陸した。機内では何度も悲鳴が聞こえるほど最初の20分はいつ堕ちてもおかしくないほど揺れていた。また急降下と急上昇を繰り返し、飛行機には比較的慣れている方だと自負している自分でも「堕ちるかも」と何度か思った。
しかしそれでも何とか東京に着いた。後で分かったことだが折り返してきた台風の影響で自分の搭乗した便と後の2便の都合3便が東京に着きそれ以降は土曜日まで欠航になっていた。偶然見つけた一番安いチケットだったが午後にも少し安めのチケットがあったのでそちらにしようか迷った。しかし神様は確実に東京に行けるチケットをご存知でそれを与えてくださった。
礼拝
同窓会は土曜日の16時半から東京原宿にある教会で行われた。礼拝がメインの同窓会である。オルガンやピアノが上手な女子が奏楽や讃美歌の伴奏をしてくださった。同じチャペルで毎週共に礼拝していたあの頃を思い出した。本当に感激した。特別に讃美歌を献げるグループにも誘っていただき「アレルヤ(キングスへラルズバージョン)」をダブルコーテットで歌った。確実に聖霊の神様が一緒にいてくださることを肌で感じることができた。嬉しくて嬉しくて何度も涙が出てきた。
仲間
午後8時から教会近くで自営業を営む友人宅で第二部が行われた。50人以上が入れる家ってそうないと思う。大成功組の一人である。そこで多くの友人と近況を報告しあった。自分はあまり現状を話したく無かったので聞き役に徹していたが、友人がものすごい苦労をしたり尋常ではないほどの努力をしている様子を聞かせてもらった。聴きながら、また涙が流れた。卒業してから42年。何もないわけがない。今生きていることが奇跡と思われる状況をいくつも通過してきている。そんな話を聞いているうちに少しずつ元気と勇気が湧いてくるのを感じた。自分にもまだできることがあるかもしれない、そんな気がした。
実家にも出れる最終電車を計算に入れ残れる最大限の時間まで歓談した。が、どうしても帰らなくてはならないので再会を約束して大切な仲間と別れた。駅に向かう道中、思いっきり泣いた。
そして、同級生のために毎日祈ることを決心した。大切な仲間が一人も漏れることなくイエス様のところに行けるように祈り続けたい。一人の友人と何度かLINEでやり取りしたが同級生に対する具体的なアプローチを計画し始めた。みんなでイエス様のところに行かないと。
還暦同窓会ではあったが、人生の再出発をどこに向けて走り出すのかを深く考える機会となった。
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