目には見えなくても
祖父から聞いたことがある。祖父はもう50年近く前に亡くなっている。祖父は最初の奥さんとふたりの子どもを失っている。ふたりとも病気だった。日毎に弱って行く奥さんに何もできない祖父はただただ仕事の合間に奥さんの枕元に行って話しかけることしかできなかった。ある日、その奥さんが窓の方を見ながら「今日はずっと天使が一緒にいてくれる」と言って窓の外を指差した。もちろん誰もいないのだが奥さんには隣の家の屋根に天使が座っているのが見えていたという。そしてその翌日息をひきとった。とても穏やかな表情だったという。新潟から東京に出て来て、奥さんと一緒にバプテスマを受けた祖父。冬の寒い日に受けたのがよくなかったのかそれから風邪をこじらせどんどん弱っていった。弱っていったが、信仰心は日ごとに篤くなるのを感じていたという。「天使がいるから寂しくない」と話していたことを祖父から聞いた。
ある方の証
とても感動的なはなしを伺った。兄とふたりの妹の2人兄妹。南米でクリスチャンになったお母さんは日本に引き上げてきてから、子どもをクリスチャン教育の環境に置きたいと考えた。そして同じ市内とはいえ車じゃないと通えない距離にあるキリスト教系の幼稚園に長男を入れた。それから4年後に上の妹を入園させた。更に2年後。一番下の妹を入園させる段階になってノンクリスチャンの父親が、キリスト教系の幼稚園に入れることを反対したという。大きな理由は経済的なことだった。私立なので決して安くない費用がかかった。また幼稚園が遠くにあったことも理由の一つになった。車とはいえ毎日幼い子を車で通わせるのは可哀想だ、と父親は判断した。クリスチャンである母親は、上のふたりを入れたのに末の子だけ入れないのは不憫で不公平だ、と父親の判断に真っ向から反対した。かなり激しい口論が展開されたらしい。そしてあまりにも父親が頑固なので母親は涙ながらに家を出ていってしまった。都会ではなく田舎のことである。出て行くといっても、母親は家の近くにある雑木林に祈りに行った。熱心に祈り続けた。そしてかなりの時間が過ぎ、頭を冷やして家に帰ることにした。家に帰ってからまた同じ話で揉めるのが嫌だったが子どもたちのために戻らなくてはいけなかった。
天使
家に帰って、しばらくするとご主人(父親)が来て「幼稚園に入れていいから」と言ったという。「え?」と驚く母親。何故数時間で気持ちが変わったのかを知りたく父親に聞いてみる。なかなか話そうとしなかったが、執拗に聞くのでやっと口を開いた。
「おまえ、あの男とどこに行っていた?」
「一人で出かけましたよ」
「嘘を言え、少し背の高い、白のスーツを着た人と歩いていただろう」
「そんなひと知りませんよ」
「都会じゃない。こんな田舎で白いスーツを着て入れば誰だって目立つだろ」
そこで母親は気づいた。
「・・・天使が自分と一緒にいたのかもしれない」
自分にはとても勇気づけられる話にきこえた。
天の父のみ顔をつねに見る輝いたみ使たちは、神の小さな子供たちに奉仕することを喜ぶ。天使たちは一番必要とされる所にいつもいて、自我と最もはげしい争いをしている人や、最も失望的な環境にある人のそばでいつも働いている。多くのよくない性格をもった弱い臆病な人々にも、天使たちの特別な保護がある。ミニストリーオブヒーリング 電子版p61
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