Apple Watch series6

腕時計マニア

小さい頃から腕時計に対して興味があった。腕時計に、というより小さいものに憧れがあったのかも知れない。それまでの真空管からトランジスタそしてICに変わる時代を生きてきたのでラジオがポケットに入る大きさになったのは驚異的であった。自転車のハンドルに細工をしてトランジスタラジオを取り付け日頃から聞いていたおませ小学生だった。祖父が持っていた懐中時計にも興味があった。あの頃は電車の運転士も懐中時計を運転台に置いていたのでいつも格好いいな、と思っていた。そして腕時計は父親のを借りてつけるのが好きだった。金色のセイコー。独特の雰囲気があって綺麗だな、と思っていた。自分の腕時計を買ってもらったのは中学生になったときだった。あの頃はクォーツがまだまだ発売から間がなく主流は自動巻だった。CITIZENの時計が自分が所有した最初の腕時計だった。今でも実家のどこかにあると思う。かなり気に入っており高校を卒業するまで使っていた。その後何故かROLEXに興味を持つようになり、大学に入ってすぐにファーストROLEXを買った。オイスターデイト、というモデルで数年後に手放してしまうのだが今でもあれが最高の時計だと思っている。その後父親にプレゼントするためにブラックダイヤルのROLEXを買った。自分のROLEXはオイスターデイトを下取りに出してデイトジャストに変更した。その後GMTマスターを購入し更にそれを処分して現在のシードゥエラーを所有するようになった。何故かROLEXを使うようになってからたくさんの時計を所有するようになった。一番多かったのはSwatch。一番多いときはSwatchだけでも30本ぐらい所有していたと思う。季節ごとに新しいラインが発売されるのでそれを買い続けていたらいつの間にか増えてしまっていた。またGショックも多かった。最も多かった時期は恐らく全部で50本ぐらい所有していたと思う。今思うと何故そのようなことをしていたのか理解できない。その後徐々に処分して現在はROLEXシードゥエラー、Apple Watch series6、sucubapro Z1(ダイブコンピュータ)、vivofit3、そしてROLEX デイトジャストブラックダイヤルの5本を所有している。あの頃の狂っていた時代からすると大幅なダイエットである。今でもほんの少し興味を持っている時計がある。興味があると言っても写真で見たときに「格好いいな」と思う程度である。ROLEXのヨットマスターロレジウム、これはとても格好いいと思う。

Apple Watch series6

今朝、起きた時からApple Watchの挙動がおかしかった。何度かリセットしていたが画面が指の動きを認識しなくなっていた。しばらく触っているうちに画面の感触に違和感を感じたので少し力を加えて見たらそのまま画面が外れてしまった。そしてその時点で壊れてしまった。このApple Watchはまだ1年使用していない。前のは3年使用していたのであまりにも短命だった。壊れた原因は何と無くわかっている。

実はこのApple Watchをできるだけ大事にしようと購入してすぐに液晶保護のフイルムを貼り更にべセルを保護するためのガードをつけていた。恐らくこのガードが良くなかったのだと思う。ガードには本体との間に僅かながら隙間ができる。その隙間から水が入り、画面と本体の接合部付近を常に水で濡らしているような状態を作っていた。これが画面が剥がれてしまった理由だと思う。また中のユニットが断線して画面が指の動きに反応しなくなったのだと思う。短命だった。

そして

このApple Watchも決して安くはなかった。Apple storeで購入したが5,6万円ぐらいしたと記憶している。物欲をエネルギーにして生きていたあの頃だったら大失望だったと思う。ところが、今日Apple Watchの最期を見届けた時も何も感じなかった。不思議である。ものに対するこだわりが無くなっている。仕事の途中だったが一度家に戻り代わりの時計をつけて仕事場に戻った。代わりの時計はROLEXシードゥエラーだった。これは大事な時計なのでゴミの処理などをするいまの仕事につけたことは今まで一度もなかったが、今日は迷いもなくROLEXにした。極端な話、一番大事だと思っていたこのROLEX が仮に今なくなっても恐らく何も感じないのではないかと思う。

人は一番次元の低い欲求が満たされると次の欲求に気持ちが移るという。例えば食欲は最底辺にある欲求だろう。食欲が満たされなければ、それだけを求め続ける。それが満たされて初めて次の欲求に移行して行く。今の自分にとって物欲は満たされなくてはならない欲求の更に上の次元にあるものなのだろう。では、今満たされることを求めている欲求とは何か。恐らく神様との関係だと思う。今の自分にとってこれだけは決して取り去られてはならないものだし、また「もう十分」というところまで満たされているわけではない欲求である。神様との関係を犠牲しても手に入れたいものがあるのだろうか。恐らく今の自分にはないと思う。Apple Watchを失って自分の必要がより鮮明になった一日だった。

【こころ食堂聖書研究】8.死と復活

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