いつも通り

習慣

教員時代、学習のサポートを希望する生徒が多くいた。夜間に補習を希望してくる。基本的に全ての生徒に対応していた。一人当たり1時間から2時間の補習をするが、時々学習方法やプリントの整理術、もっと言えば男子生徒に限っては寮室を見ながら部屋の片付けを一緒にすることもある。プリントの整理ができない生徒は要注意である。クリアファイルを渡して綺麗に整理する喜びを体験してもらう。また寮室に多くの参考書や問題集が並んでいる生徒も要注意。場合によってはその中から各科目1冊だけを選んで残りはダンボールにしまい視界から遠ざけることもある。そして何より大切なのが学習習慣。毎日決まった時間に同じ場所で学習することが好ましいと考えている。ある日は時間があるので6時間机に向かい、ほかの日は気持ちが乗らないので15分も机に向かえない、ということではいけない。毎日の時間がさほど多くなくてもそれを継続して行うことは学力の定着に大いに役立つ。いつもの時間にいつもの場所で、が大切だと思う。要するに平凡な日常生活こそが人を育てていることを認識することが大事である。

ダビデの召命

イスラエル第2代目の王様がダビデ。ダビデはエッサイの子であり7人の兄がいた。長男がエリアブ。容姿端麗、まさにサウル王の後継者に相応しい様相だったが彼は神様の選んだ人物ではなかった。次にアビナダブ。しかし彼も違った。次がシャンマ。これも違う。こうして7人がサムエルにあったがいずれも神様の選んだ人ではなかった。そして末の弟ダビデ。書物によれば羊飼いとしての日常がダビデを全ての面で成長させた、とのことである。

一体誰がこうした寂しい山の中の長年の苦労と放浪の結果を知ることができよ う。自然と神との交わり、羊たちの世話、危険と救出、悲哀と歓喜、低い境遇な どは、ダビデの品性を形成し、彼の後の生涯に影響を与えただけではなかった。 それは、イスラエルの美しい詩人の詩篇として書き残されて、その後のすべての 時代の神の民の心に愛と信仰を呼び起こし、すべての被造物に命を与えられた主 の愛の心に、彼らを近づけているのである。
人類のあけぼの電子版 p562 ダビデ油を注がれる

成長

劇的なことを望む傾向が自分にはある。良いことに関しては「ある日突然」というのが好きである。しかし、エリヤがイゼベルから逃亡した時に次のような聖書の言葉があった。

11主は言われた、「出て、山の上で主の前に、立ちなさい」。その時主は通り過ぎられ、主の前に大きな強い風が吹き、山を裂き、岩を砕いた。しかし主は風の中におられなかった。風の後に地震があったが、地震の中にも主はおられなかった。 12地震の後に火があったが、火の中にも主はおられなかった。火の後に静かな細い声が聞えた。
列王記上19:11-12

いつも通り

今日、オンラインの礼拝を視聴している時にとても大切なことを教えていただいた。イエス様の十字架の後、失意に満ちた心でエマオに向かうふたりの弟子のはなし。彼らはエマオに向かう途上でイエス様に会うがそれとは気づかずに日暮れの西に向かって歩いていた。しかし何故か心がどんどん晴れやかになる不思議な感覚をおぼえる。そして一緒に食事をしてくださるようにお願いした。聖餐式ではないごく普通の食事。いつもと変わらない日常の中でイエス様のパンをさく手つきでそれがイエス様ご本人であることに気づく。

平凡な日常生活の中におられるイエス様との出会いで自分の信仰生活が日暮れの西ではなく夜明けの東に向かうことの大切さを教えていただいたメッセージである。

2022年10月1日 礼拝「夜明けへの道」 藤田 佳大 牧師

 

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