抱  負

新しい年がどのようになるのか

youtubeを観ていたら偶然2021年を予測する予言的なチャンネルを見つけた。そのチャンネルによれば2021年、オリンピックの開催を暗示する印はなく(オリンピックが開催できないという意味らしい)複合的な災害(地震とコロナなど)で壊滅的な状況になると言う。そうなのかな?と疑問を持ちながらも南海トラフなどのことを考えると十分にありえることだと思った。大災害が起こるならば2021年の最後まで自分は生きていないだろうな、とも思った。誰もこれからのことは予測できないが、コロナのことだけを考えてみるとこれからしばらくの期間で劇的に改善の方向に向かうと楽観視している人はあまりいないと思う。猛威を振るうコロナに反比例するようにそれに慣れてしまった人が多くなっているだけで、良い方向に向かう見通しを持っている人はあまりいないと思う。間も無くセンター試験の時期だが折角希望の大学に合格できても大学に通える保証はどこにもない。現に今も多くの学生がオンライン授業で単位を取得している。何かに希望があるのならばそれにすがりたい気持ちであるがあまり良い話題はない。何故か株価だけは好調のようであるが、バブルを経験したものとしてはそれすら信用できない。

聖書に預言されたエルサレムの将来

聖書には予言的なことも多く書かれている。聖書の場合は予言ではなく預言というが将来について詳しく述べていることがたくさんある。以前にこのブログでも紹介したが紀元70年にエルサレムが崩壊するがこのことも明確に預言されていた。歴史家であり「ユダヤ戦記」を著したヨセフス(wikipediaより引用)はこの時一人のクリスチャンも滅びなかった、言っている。ユダヤ人でありながらキリストを信じた、今風に言えばメシアニックジューが全員この難を逃れエルサレムから逃げることができたという。その理由は聖書にエルサレムの滅亡が預言されておりメシアニックジューたちはその預言を知っていたからである。聖書に次のような言葉がある。

 いよいよ都の近くにきて、それが見えたとき、そのために泣いて言われた、
「もしおまえも、この日に、平和をもたらす道を知ってさえいたら……
しかし、それは今おまえの目に隠されている。
いつかは、敵が周囲に塁を築き、おまえを取りかこんで、
四方から押し迫り、おまえとその内にいる子らとを地に打ち倒し、
城内の一つの石も他の石の上に残して置かない日が来るであろう。
それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである」。

And when he was come near, he beheld the city, and wept over it, Saying, If thou hadst known, even thou, at least in this thy day, the things which belong unto thy peace! but now they are hid from thine eyes. For the days shall come upon thee, that thine enemies shall cast a trench about thee, and compass thee round, and keep thee in on every side,And shall lay thee even with the ground, and thy children within thee; and they shall not leave in thee one stone upon another; because thou knewest not the time of thy visitation.

ルカによる福音書19:41-44

荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば
読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。
屋上にいる者は、下におりるな。
また家から物を取り出そうとして内にはいるな。
畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。

 But when ye shall see the abomination of desolation, spoken of by Daniel the prophet, standing where it ought not, (let him that readeth understand,)
then let them that be in Judaea flee to the mountains:
And let him that is on the housetop not go down into the house, neither enter therein, to take any thing out of his house:
And let him that is in the field not turn back again for to take up his garment.

マルコによる福音書13:14-16

一人も死ななかったメシアニックジュー

エルサレムはローマ軍によって完全に包囲された。これが紀元67年のこと。ところが完全に包囲していつでも攻め込める状態だったローマ軍が急にいなくなってしまった。本国で皇帝ネロが死に、4人の総督が支配するようになり不安定な状態に陥りそれを立て直すためにローマ軍が本国に帰ってしまったのだ。これ幸いとエルサレム城内に住むメシアニックジュー(およそ2万人)は他からのメシアニックジューたちと合流して10万人規模になり山に逃げた。その後ティトス率いるローマ軍がエルサレムを完全に包囲し紀元70年に預言通り陥落するのである。エルサレムでは110万人が死んだと言われている。聖書の預言を知らなかったら、あるいは知っていても信じなかったらメシアニックジューたちも滅んでいただろう。

キリストの十字架に関する預言

またイエスキリストの十字架による死についても多く預言されていた。イエスキリストを殺したいと思ったのはユダヤ人たちである。しかしユダヤ人がいくら死刑を望んだところで彼らには死刑を執行する権威がない。何故ならユダヤはローマの属国であり、死刑はローマの裁判による判決がないと執行できないのである。万が一ユダヤ人が独断で死刑を執行していたら、彼らの方法は「十字架刑」ではなく「石打刑」になる。しかし旧約聖書では、イエスが木に上げられないといけない事、骨が砕かれてはいけない事、異邦人の手に渡されて死刑になることが預言されている。ユダヤ人のリンチ的死刑であればこれらの預言は成就しなかったのである。よく、ユダヤ人がイエスキリストを十字架にかけたという人がいる。しかしそれは聖書の預言とは矛盾する。死刑を許可し執行したのはローマ人、すなわち異邦人なのである。ユダヤ人と異邦人が共にイエスを十字架で殺したのである。

確かももの、確かなこと

自分には聖書の知識がないので良くわからないが、聖書に中にはたくさんの将来に対する預言が記されている。2021年がどうなるという表現ではないがその前後関係から今後起こることが明確に預言されているのである。是非、この機会に聖書を読んでみることを強くお勧めしたい。聖書アプリを使えば無料で新約聖書、旧約聖書の全てが読める。英語が好きなら英語版をダウンロードすることもできる。そしてこの将来を見通せない時代を生きる私たちに対して、イエスキリストを信じることを聖書は訴えている。イエスは涙を流しながら訴えているのである。聖書の神様を信じた人に、将来に対する確かな約束が与えられている。

強く、また雄々しくあれ。
あなたがどこへ行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、
恐れてはならない、おののいてはならない」。

This book of the law shall not depart out of thy mouth;
but thou shalt meditate therein day and night, that thou mayest observe to do according to all that is written therein: for then thou shalt make thy way prosperous, and then thou shalt have good success.

ヨシュア記1:9

先が見通せない混沌とした現代であるが、その中に生き神を信じる人に対して「あなたがどこに行くにもあなたの神、主が共におられる」と約束してくださっているのである。神様が片時も離れないで共にいてくださる、これが唯一の希望であり全てである。これの希望にすがって生きることが2021年の抱負である。今回の拙文に関連するキリスト教牧師の話をyoutubeで見つけた。視聴していただきたいものである。
メッセージはこちら

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA